a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMain根となり花となり
花が舞ったのかと思った。しかし次の瞬間、刃が風を斬る鋭い音に、目の前の女が武人であることを理解した。
今しばし見惚れてしまって、数秒後ようやく理性が働きだした幸村はここではないどこかに行きかけていた思考を慌てて引き戻した。
傍から見れば僅かな時間だったそれが、幸村の胸中に悠久の時を彷徨っていたような余韻を残すものだから、後ろ髪ばかりが引かれた。己の未熟さを、痛感した瞬間だった。

戦を終えた後、その女が慶次の知り合いであることを幸村は初めて知る。

「ああ、名前のことかい。俺が放浪してた時に出会った武人でなあ、腕は確かだぜ」
「私の噂話?」

軽やかで柔らかい声に、幸村は飛び上がるように立ち上がった。そのせいで、慶次が手元の盃を落としそうになっていたことも視界に入らないくらいには、動転していた。

「あれ?あなた、真田家の…」
「ご、ご存知で…?」
「勿論。知らない方がおかしいんじゃない?今日も鬼神のごとく戦いぶりだったし、お見事でした」
「恐縮です」

挨拶代わりのような賛辞の言葉は慣れっこであったので、幸村はいつものように礼儀正しく頭を下げる。普段通りの対応をしていると動揺していた心も幾分か落ち着いて、幸村はようやく目の前の女に目線を合わせることができた。

「逆に、私のことをご存知で?」
「今日、戦場にてお見かけし、…その、勇ましく鮮やかに戦う方がおられるなと、目を奪われました」

自身の気持ちを器用に着飾って言葉にできるほど、幸村は口が上手くなかった。あの時感じた気持ちをそのままにたどたどしく紡げば、横にいた慶次が茶化すようにぴゅうと口笛を鳴らす。名前は幸村の言葉に面食らった様子で、ぱちぱちと目を瞬かせてから少し照れ臭そうに笑った。

「…もしかして私、口説かれてる?」
「名前もやるねえ、まさか幸村を魅了しちまうとは」
「まあ、光栄ではあるけれど」

魅了、確かにそうだ。幸村はあの瞬間、名前に魅了されたのだ。幸村が馬鹿正直に黙り込むと、名前は慌てて空気を変えるように「冗談よ」と手を振った。

「ちょっと調子に乗りすぎたかしら。ごめんなさい」
「いえ…、本当のことでしたから」

幸村がはにかみながらそう返すと、名前は先ほどよりあからさまに言葉に詰まったようだった。しまった、不快に思わせたかもしれないと、幸村は内心おろおろした。が、目の前の名前は若干顔を赤くしながら隣の慶次に「真田家の御子息って、女に対しても百戦錬磨なの?」と問うので、慶次の豪快な笑い声が響き渡るのだった。

失礼を働いたかもしれないという幸村の杞憂をよそに、名前はそのまま近くに腰を降ろして酒を酌み交わしてくれた。
色々な話をした。生まれ故郷では自分が浮いていたこと、流浪の旅の途中で慶次と出会ったこと、そして戦に身を置き始めたこと。最中、慶次と楽しそうに言葉を交わす名前の姿を見るのは、なんだか不思議な心地だった。
名前は素朴な雰囲気を持つ女性だった。派手な慶次の隣にいると首を傾げてしまうくらいには。だが、慶次と並んでも見劣りしないのは、その凛と芯の通った佇まいからだろうか。
瞼の裏に鮮烈に焼き付いている戦場の名前と、目の前の名前。どちらも幸村の心を掴んで離さないものだから、鎮まらない高揚感につい盃に口をつける回数が多くなる。誰かを前にしてここまで心が上下するのは、生まれて初めてのことだった。

やがて席を立った名前は「また今度、どこかの陣で」と幸村に告げると、ふらりとどこかへ去っていった。名前の姿が見えなくなった後、堪えきれないというようにくつくつと笑い出した慶次に、幸村はそろりと視線を投げる。慶次は幸村のそれに応えるように目を細めた。

「いやあ、らしくて笑ってるのよ。くく…そうか、名前ねえ」

言わんとすることは何となく分かった上に、恐らく一から十まで慶次に見抜かれていることも分かって、幸村は墓穴を掘らないために口を噤むしかなかった。

***


「いいではないか、愛だ!」

茶会の最中、兼続はそう言って力強く頷いた。茶を入れていた三成は苦い顔をして「身元もよく知れん女だぞ」と吐き捨てた。幸村はそのどちらも曖昧に流していると、兼続が爛々とした瞳で身を乗り出してくる。

「して、想いは告げないのか?」

想いを告げる、考えてみれば無い発想だった。戦に身を置きすぎたせいだろうか。どうにもそういったことには疎い。そもそもこれが告げたい想いの類であるのかも、いまいち定かではなかった。
ふと、名前の顔を思い浮かべてみる。どこかの陣で、とそう言った彼女は今何処にいるのだろうか。急に自身の想いも、名前の存在ですら不確かになるようで幸村は俯いた。

「名前殿は根無し草ですので、またどこで会えるとも分かりませんし…」
「だからお前が根となるのだろう」

淀みなく言い切った兼続の言葉に、幸村は呆気にとられた。沈みかけた幸村の気持ちをさっぱりと両断されたような、目が覚めるような心地だった。同じように根無し草だった慶次に根を張らせた要因、その人に言われるとガツンと来るものがある。兼続はほとんど無自覚だろうが。

「無責任に焚きつけてどうする」

兼続を諫めるように視線を鋭くした三成が、点て終った茶を幸村に差し出す。幸村はそれに口をつけて、やはり三成が点てた茶は美味しいと感じた。
幸村は茶の湯にそれほど通じているわけではなかったが、三成に茶を振舞ってもらうのは好きだった。茶が美味いのは勿論、三成の手前は疎い幸村が見てわかるほど所作が美しく、舞踊でも見ている気になるからだ。
味わって飲む茶は気分も落ち着かせるようで、先ほどの兼続の言葉がゆるやかに染みていく。自分が根となれたら、そんな思考おこがましくも思えたが、もしそうとなれたらこれ以上にない喜びだろう。再び出会えた時、名前に声をかける姿すら想像できていなかった幸村の腹が徐々に据わっていく。飲み干すころには、二人で談笑をする未来くらいは想像できていた。

「おかげで少し気持ちに整理がついたように思います。ありがとうございます」

応、と兼続は喜々とした笑顔を見せた。

「私は応援しているぞ!無論、後方支援も惜しまない!」
「お気持ち、ありがたく頂戴します」

幸村は未だ渋い顔をしている三成に「美味しかったです」と茶の感想を告げると、三成が短く嘆息した。釜に向けていた体を、僅かに幸村の方ににじり寄せた三成は、視線を畳に落としながら小さく口を開く。

「俺とて…、幸村が望むのなら手を貸す」

別に三成が頭からつま先まで否定しているわけではないことなど、幸村も兼続も分かっていた。しかし、改めて幸村を慮ってそう言ってくれた三成に、顔が綻ぶのを感じながら「ありがとうございます」と頭を下げる。
兼続のくすくす笑う声、三成が素直じゃなく鼻を鳴らす音。それらを聞きながら、やはり自分は良き友を得たと、幸村は思った。


根となり花となり (1/2)


prev │ main │ next