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土方さんを抱きしめ続けていた私の肩を、やがて永倉さんが掴んだ。

「このままここにいては危険だ。列車を降りるぞ」
「…………」
「名前…」

これ以上永倉さんを困らせるわけにはいかないので、私は最期にぎゅうと土方さんの頭を抱きしめてから体を離した。思えば、土方さんに抱きしめられることはあっても、土方さんを抱きしめたのはこれが最初で最後だった。

「権利書はどうするんですか!!仇を討たないんですか永倉さん!!」

土方さんを背負った永倉さんに、夏太郎くんが涙ながらに声を上げる。私は未だに立てずにぼんやりとしながら、仇を討つなど考えになかったなと夏太郎くんの話を聞きながら思った。だって、どうでもいいのだ。土方さんがいないのなら仇なんて討ってもしょうがないじゃないか。そんなことをしても土方さんは戻らないのだから。

「私は夢を追う土方さんを守るためなら死んでも良かった。これ以上は戦うことも無意味。何より、この遺体だけは奴らにさらしたくない」

永倉さんが重く言い切った後、私を見やる。

「名前もそうだろう」

私はこくりと頷く。永倉さんの言う通り、仇どうこうよりも土方さんの遺体が誰かの手にわたることだけは嫌だった。夏太郎くんは私と永倉さんの気持ちを受け取り、沈黙する。そして走っていた列車が好都合にも速度を落とし始めたことに気が付き、夏太郎くんが窓の外を見た。

「列車が止まる……」

列車が完全に停止したことを確認し、降りようとし始めた永倉さんの袖を引く。

「どうした」
「牛山さんも……、牛山さんも連れて行って」

土方さんも勿論そうだけれど、牛山さんだけここに置いていくなんてことできなかった。永倉さんは「…そうだな」と頷いて、横たわる牛山さんを見やった。牛山さんも、永倉さんや土方さんと同等の時間一緒に旅をしてきた人だ。
危ない時に私を守ってくれてたのは大抵牛山さんだし、元気がないときに励ましてくれたのも、歩けないと駄々をこねる私を運んでくれたのも、いつも私に甘い牛山さん。大切な人を同時に二人も失ってしまったんだなとという実感が押し寄せてきて、また涙がこぼれた。

土方さんと牛山さんを降ろして、自分たちも列車を降りると線路には静寂が広がっていた。先頭の車両の姿がなく、切り離されたらしいということが分かる。杉元さんやアシリパちゃんの姿は私たちが通ってきた列車には見当たらなかったから、切り離された先頭の方に乗っているのだろう。
杉元さん達の行く末は全く見当がつかなかったが、できればみんなが無事であれと願った。私に優しくしてくれたみんなが、生きて幸せであってほしいと線路の先を見つめた。

***

あの日から、半年。

元々行く当てのない身だから、金塊争奪戦が終わったところで私に帰る場所はない。土方さんがいなくなってしまえば永倉さんに私の面倒をみる義理は一つもないのだが、永倉さんは当たり前のように「帰るぞ」と私の手を引いてくれたので、一緒に小樽へと帰った。

正直、小樽の隠れ家は思い出が多すぎてどこで過ごしていてもみんなのことを考えた。生きているみんなもここに帰ってくることはないから、あんなに大所帯だったこの家は今や永倉さんと私の二人きりでがらんとしている。寂しくないわけがなかったけれど、永倉さんと二人で過ごす暮らしも嫌いではなかった。

むにゃむにゃと、いつもの椅子でお昼寝をしている永倉さんに「もう、」とため息をつく。昼寝と言っても日は落ち始めている。このまま寒い窓際で寝ていたら体に悪い。

「風邪ひいちゃいますよ」

揺り動かして起こすと、永倉さんは寝ぼけながら薄っすら目を開ける。

「今日は美味しそうなお魚買ってきたんです。おきておきて」

そう言うと、永倉さんは完全に起きたようでのそのそと居間に腰を下ろした。私は起き抜けの永倉さんにお茶を淹れてから、台所に立って夕飯の支度を始める。とんとんと包丁の小気味よい音を響かせていると、不意に永倉さんが茶をすすりながら歯切れ悪く切り出した。

「私の生徒に、好青年がいるんだが…」
「会いませんよ」
「話は最後まで聞けッ!」

とは言ってもどうあがいても結論は私のお見合い話なのだ。私が聞きたくないという姿勢をとると、永倉さんが呆れたようにため息をつく。

「いつになったら嫁に行くんだお前は…」
「また永倉さんが追い出そうとする」
「そうじゃないと言っているだろう」

追い出そうとしているわけじゃないことくらい、分かっている。永倉さんは私を心配しているだけだと。それでも嫌なものは嫌だ。結婚なんてしたらここを出ることになる。永倉さんと離れ離れも嫌だし、この家を出ていくことも嫌だった。

「私が死んだらこの家に一人になるんだぞ」
「……いいもん別に」

拗ねたような返事をすれば、永倉さんが角度を変えて攻撃し始める。

「夏太郎のところの牧場は成功しているらしいな」
「私に夏太郎くんの嫁になれって言ってるんですか?」
「夫婦のふりも板についていたぞ」
「嫌です!…迷惑かけたくないし」

夏太郎くんと結婚したら、幸せなんだろうなあとは思う。思い出を共有しあえる相手だし、優しいし。けれど夏太郎くんはどこか私を面倒見なきゃいけないという義務感を背負っている気がして、寄りかかるには申し訳なさ過ぎた。だが、永倉さんの訃報でも聞いたらすっ飛んできそうで、頭が痛い。

「結婚はしたくなったらします。今は永倉さんとここで暮らしていたいの!」

私がはっきりと告げると、永倉さんは閉口した。なんだかんだ永倉さんは私に弱い。こう言えば追撃できないと分かっていた。予想通り永倉さんは諦めたようで、力なく項垂れた。

「私はそんな長生きできんぞ」
「ええ?あと百年は生きると思ってました」
「私を土方さんと一緒にするなッ!」

くすくす笑いながら、魚が焼き上がったことを確認して「ご飯できましたよ」と声をかける。味噌汁をよそったりなんだと準備をしていると、銀の髪が揺れる気配がした。


――――まぼろしは、いつもすぐ傍にあった。窓際の椅子が視界に入るたび、そこに座って新聞を広げている気配がした。台所に立っていると、今日の献立は何かと後ろで覗かれているような気がする。布団に入ると、私を優しく抱いてくれる腕を感じるときがある。

辛かった。土方さんがいないのだと思い知らされるようで、それなら生きている意味なんてないのにと呼吸を止めることもあった。けれど、永倉さんがいたから。すぐに追いかけるような真似をしたら、たぶん土方さんにも叱られるのだろう。
だから、なんとか涙を拭って生きることにしている。そんな簡単に忘れられるような人ではないことは私が一番よく分かっていた。全身全霊を捧げた恋なのだから、これからもずっと背負っていくことになるのだろう。
その重みが、やがて心地よくなればいいと今は思っている。私だって、土方さんを忘れたくなんてないのだから。

銀につられて振り返ると、あまい土方さんの肌の匂いが鼻先をかすめる。

『名前、』

愛しく、名前を呼ばれた気がした。


徒花のゆくえ


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