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TopMain徒花のゆくえ
私が落とした一言に、全員が振り向いた。

「私もここに残る…」

これからここで戦争が起きることは分かっていた。だからいつもみたいに私だけ遠く安全なところで留守番をさせるため、永倉さんが私を連れ出そうと差し出してくれた手を私は取らなかった。

「何を言ってる名前!お前がいられる状況じゃな、」
「分かってます!!分かってるけど……」

あげた声は思ったより引きつった。それで永倉さんも冗談の類で言ってるのではないと悟ったのだろう。この先は口にしたら本当になってしまいそうで言いたくなかったけれど、自分の覚悟を決めるために私は震える喉から声を絞り出す。

「最後かもしれないでしょ…?」

誰かが息を呑む気配がした。

「私、そばにいたい…。た、弾避けくらいにはなれるかもしれないし!」

結局役にも立たない、志もない私がここにいたいだなんて、ただのわがままでしかない。だからこれくらいはしないと、と逸る気持ちでそう口にすれば、牛山さんの大きな手が私の肩を抱いた。

「名前嬢にそんなことさせてたまるかよ。弾ぐらい俺が防いでやる」
「う、うしやまさ…」

不安でぐらぐら揺れ動いていた心は、何よりも納得感のある牛山さんの一言で落ち着きを取り戻す。同時にここにいてもいいんだと肯定もされたようで鼻の奥がツンと痛んだ。するとアシㇼパちゃんが近づいてきて、私の手をぎゅっと握る。

「弾除けなら白石がなる!だから名前は私と一緒に後衛にいよう」
「えッ!?」
「ああ、そうだな。弾除けなんて白石に任せておけばいい」

杉元さんもすかさず同調するので後ろの白石ちゃんはクーンと切なげに鳴いていたが、…まあいいか。私を見上げる凛々しく意志の強い碧の瞳は、私を鼓舞するように爛々と輝いていた。せっかくアシㇼパちゃんが私を励ましてくれているというのに、卑屈すぎるかもしれないけど、その真っ向からの光が役立たずの私には少々辛かった。私はアシㇼパちゃんのように弓も引けないし、立派な志があるわけでもない。そんなじめじめとした気持ちが絶対顔に出ていた私を見て、杉元さんは困ったように微笑んだ。

「だからさ、そんなこと言わないでよ名前ちゃん」

とびきりやさしく言い聞かせられたら頷く以外になく。杉元さんの優しさが嬉しくもあり恥ずかしくもあって俯く私の肩を、杉元さんは宥めてくれるようにぽんぽんと叩いた。
これだけ背を押す者たちが出ている状態で、今更駄目とも言いづらくなった永倉さんがちらりと土方さんを一瞥する。土方さんは何も言わずに頷くだけだったので、永倉さんはしょうがないと言わんばかりに深くため息をついた。

「分かった…。必ず私たちの指示に従いなさい。いいな?」
「はい…」

これまでになく殊勝に返事をした私に、永倉さんがそれ以上何も言う事はなかった。

***

「えっ、名前ちゃんここに残んの!?」

門倉さん達と一緒に荷馬車の手配をしに行っていた夏太郎くんが戻ると、未だに五稜郭にいる私を見て驚く。私がここに残りたいと永倉さんに頼んだことを話すと、夏太郎くんは私の気持ちを推し量るように俯いた。

「いや…うん、そうだよな…」

少しの間色々と考え込んでいたようだが、やがて何かを決意したように「よし!」と夏太郎くんは自身の頬を思い切り叩く。

「俺がちゃんと守るから!」
「え、」
「名前ちゃんの気持ち、俺が一番分かってるつもり…だし、だから精一杯俺が守るから!」

夏太郎くんなりに同志としての、友達としての誓いなのだろうと思った。思いの丈に嬉しくなっていると、土嚢を運んでいた牛山さんがいつの間にか私たちの会話を聞いていたようで夏太郎くんの後ろに立つ。

「ほう、言うようになったじゃねえか」
「う、牛山さん…!?」
「名前嬢を守るんだって?」

基本的に有事の際に私を抱えてくれていたのは土方さんではなく牛山さんだ。だからいつも私を守ってくれていて、さらに不敗の男と称される牛山さんを前にして夏太郎くんは既に気持ちが負けていた。

「や…やっぱり、お任せしようかな…ハハ……」
「しっかりしろ夏太郎」
「はいぃッ!!」

及び腰になる夏太郎くんの尻を牛山さんが思い切り叩くので、夏太郎くんが二尺以上飛び上がった。案外こんなところで秘めた才能が見つかることもあるんだなあ、とその恐ろしい跳躍力を私は他人事で見つめていた。牛山さんが馬鹿力だっただけかもしれないけど。


私ができることは少なかったが、これから始まるであろう戦に向けて私もせっせと動いていた。けれどなにぶん体力がないもので、すぐにへばった私を見て永倉さんに休んでろと追いやられる始末。兵糧庫の隅に身を丸めて僅かでも睡眠をとろうとしたが、そう上手く寝付けるものではなかった。
当たり前だ。みんなは動き回っているし、平和ボケしている私でも戦前のぴりぴりとした緊張感というものは感じる。腹の底に渦巻く言いようのない不安を紛らわせたくて、私は結局外へと出た。

外には土方さんがいた。堀の先を静かに見つめている姿に、喉が狭まる感覚。私がここに残ると言ってから土方さんとゆっくり話す暇もなかったので、わがままを言いだしたことに怒っているのか、呆れているのか。何を考えているのか全く分からないでいた。
いくらその背中を見つめても、やはり感じ取れることは一つもない。けれど声をかけることもできなくて、もだもだと立ち尽くしていると土方さんの声が静寂に響いた。

「…さすがに、この状態では寝れんか」

視線だけこちらに向けた土方さんに、私は項垂れる。

「…怒ってますか…?」

まるでお説教待ちの子供みたいだった。そんな様子の私が可笑しかったのか、土方さんの口元は緩やかに弧を描いている。

「そう見えるか?」
「……わかんないです」

少しふてくさていたような、泣きそうな声音になってしまったかもしれない。

「私が土方さんを分かったことなんて、一度もないです…」

ここに来て、こんな時に、不安が溢れ落ちていく。いつの間にか土方さんは目の前に立っていたので、私はそっと体を寄せた。布越しに土方さんの鼓動が聞こえるほど近くにいるのに、どうして土方さんの考えていることひとつ分からないんだろう。

「ねえ土方さん…。私、土方さんの為になら死ねます。ほんとうです。だから…、だから……」

傍にいさせて、邪魔だと思わないで、私に生きる意味を、死ぬ意味をちょうだい。そんな私のわがままをすり抜けてあやすように、土方さんは私の目尻に溜まった雫を拭った。

「私はそんなことの為に名前を買ったのではない」
「じゃあ…!」

何のためだって言うの。紡ぎたかった言葉は、土方さんの瞳にせき止められて喉で詰まった。ずるい。ずるい。何も言ってくれない土方さんも、こんな時に欲しい言葉をねだる私も。ずるくて、どうしようもない。
私、土方さんの中に残れるのなら死んだっていいの、使い捨てでも何でもいいの。でも、でも。もし一緒に生きられる未来があるのなら、あったなら、いいなあ。

――――思っていること全部、伝えればよかった。


***

轟音と共に地面が揺れる。

「逃げようぜ。権利書を守るために!!」

決断に迫られたアシㇼパちゃんはこくりと頷いて、私を見た。

「名前も一緒に今のうちに脱出しよう」
「私は…大丈夫」
「大丈夫って何がだよ!」

心配そうに顔を歪めた白石ちゃんに、冷静さを装って笑顔を作った。ちゃんと作れていたかどうかは怪しいけど。

「私が一緒にいたら足手まといになるし、二人は先に行って。私は一人でどうにかするよ」
「何を言ってる!私はここに名前を置いて行くつもりはないぞ!土方だってそのはずだ!」
「…白石ちゃん、私なら平気。もし見つかっても一般人装って、というか一般人だし…。何とか見逃してもらえるよ」

私の手を離そうとしないアシㇼパちゃんを宥めながら、私は白石ちゃんをじっと見つめる。白石ちゃんだって私を置いて行った方が身動きがとりやすいことくらい痛いほど分かってるはずだ。私の気持ちも汲んでほしくて、押し切るように「おねがい」と言うと、白石ちゃんは苦々しく頷いた。

「この中にずっといたら見つかる。外に出て物陰に身を隠しながら移動するんだ。変に飛び出したりしちゃだめだぜ」
「分かった」
「こら白石!離せ!」

騒ぐアシㇼパちゃんを私から引きはがして、白石ちゃんたちは外へ出た。二人が遠くへ行ったのを確認してから私も外へと出る。中でも聞こえていた銃声や砲弾の音がより鮮明に強く鼓膜を揺らすので、耳を塞いで私は建物の陰を伝って移動した。

恐い。こんないつ死ぬと知れない戦場のど真ん中なんて、当たり前だけど経験したこともないので恐怖で体が動かない。それでも動かないと助かるものも助からないので、必死に震える足を叱咤して歩いた。
兵士たちの足音が近くで聞こえるたび、死を覚悟するくらいには無力だ。こんなことなら銃の使い方くらい習っておくんだった、と今更ながら憎い尾形の顔が脳裏に浮かぶ。

すると、ザッと土を踏む音が目の前で聞こえて、背筋が凍り付いた。

「…女?」

見つかった。むりだ、殺される。と半ば諦めながら震える口で「ま、まいご…」と呟く。言い訳くらいもうちょっと流暢に話せ、と自分が嫌になったが、目の前の兵士は「迷子?」と首を傾げた。どうやら問答無用に殺すほど冷酷無慈悲な相手ではなかったらしい。

「あ、あの、わ、わたし、」

真っ白な頭でどうにか命の乞い方を模索していると、ガツンと鈍い音が響き渡った。状況を理解できずにいると、目の前にいた兵士が倒れ込む。

「名前ちゃん!!平気!?」
「か、かんたろくっ…」

私は思わず突如現れた救世主に飛びついた。地獄にも仏。地獄にも夏太郎くんだ。

「無事でよかった!!俺から離れないで!」
「うん…!」

力強く腕を引かれ、安堵からせり上がる涙をなんとか堪えた。有事の際の土方さんや牛山さんの心強さといったらなかったが、夏太郎くんもこんなに頼りになるのだと実感させられる。目の前の腕を絶対離すものかというという気持ちでしがみついていると、馬を走らせる永倉さんの姿が目に入る。
思わず声をあげそうになったが、素早く夏太郎くんに塞がれて私は声を殺した。近くで永倉さんを狙い撃とうとしている兵士がいたからだ。夏太郎くんは私にこの場で待つように告げ、気配を消してその兵士に殴りかかった。

「夏太郎!!」
「ひい…やった!」

夏太郎くんが兵士を撃沈させたことでこちらに気が付いた永倉さんが駆け寄ってくる。同時に私の存在にも気が付いたようで、永倉さんは一度馬を降りると私を力強く抱きしめた。

「名前!!無事だったか…!」
「夏太郎くんが助けてくれたので…」

永倉さんまで揃えば敵なしだ。きっと誰よりも私を心配してくれていたであろう永倉さんの温もりを感じながら、またちょっと泣きそうになってしまった。それぐらい、戦場で一人は恐かった。

「白石にまだ名前が中にいると聞いて肝が冷えたぞ…!」
「白石ちゃんが…」

あの後、私を心配して即座に永倉さんに伝えてくれたのであろう。白石ちゃんの優しさにひどく感謝したが、こんな時でも脳内に浮かぶのは白石ちゃんの変顔ばかりなものだから、少しくらい男前な表情を覚えておくんだったと後悔した。

「私は土方さんを追うが二人は…」
「「行きます!」」

離脱しろ、多分永倉さんはそう言いたかったのだろうけど、私と夏太郎くんが声を揃えて答えたものだから、諦めたようだった。先ほどまで震えていたくせに、土方さんのこととなるとこれだから我ながら愛の力って凄いなと思う。

「…馬をもう一頭調達するぞ」

永倉さんの言葉に夏太郎くんは頷いて馬を探しに駆けていく。私は永倉さんが手綱を握る馬の後ろに乗せてもらい、目の前の体にしがみついた。

「…今度は最後まで付き合いたい、って言ってましたよね」
「…ああ」
「私も一緒に…って言ったら、だめですか」

永倉さんはしばらく沈思して、それから深いため息を吐いた。

「私がだめと言って聞いたことがあるのか?」
「…あった気もします」
「記憶を改ざんするなッ!」

いつものような叱咤が今は安堵を誘うので、かすかに顔がほころぶのを感じながら永倉さんの背にくっついた。多分、みんなであの隠れ家には戻れないんだろうな。それはなんとなく感じていた。さびしい。帰りたい。時間が巻き戻ったらいいのに。押し寄せる現実の情報量に逃避しかけていると、馬を手に入れた夏太郎くんが戻ってきた。時は非情に進んでいく。でも、弱い私がそれでも歩みを止めないのはひとえに土方さんの傍にいたいからだった。

銃声の聞こえた方角から恐らく列車に乗ったのだろうということが分かり、全速力で馬を走らせる。土方さんなら生き延びているような気もするし、もしかしたらのことが起きているのかもしれない。意味のない堂々巡りを頭の中で続けては、呼吸が浅くなっていくのを感じる。いやだな、どうしよう。神様に祈ったことなんてないのに今ばかりは「かみさま、」と呟いてしまう。
私の言いようのない不安は背中越しに伝わっていたのだと思う。永倉さんは何も言わなかった。けれど、どんな結末を迎えたとしてもきっと一緒にいてくれるのだろう、ということは分かった。

列車に追いつき、まず夏太郎くんが飛び乗った。次に夏太郎くんの手を借りながら私が飛び乗って、最後に永倉さん。そして土方さんの姿を探しながら車両の前を目指して進んでいく。列車の中はまさに死屍累々といった状況で、こんな地獄絵図がこの世に存在するのかと目が眩んだ。夏太郎くんがそんな私を察して手を握ってくれたので、気を確かに保ちながら歩いた。

ある車両にたどり着くと、まず血まみれで横たわる大きな体が目に入った。胸に差し込むような衝撃が走り、喉がきゅうと狭まる。「うしやまさ…」とほとんど音にならなかった私の悲鳴。あんなに強くてかっこよくて私に優しかった牛山さんが目の前で動かない様に、頭が事実を受け入れることを拒否した。
ガンガンと耳の奥で鳴る警鐘に、重たい頭を上げる。ぼやけた視界の中、奥に見慣れた外套が、髪の毛が、血濡れてぐったりと座り込む様を捉えた。

――――土方さんだった。ぐらりと、視界が揺れる。平衡感覚を保っていられなくて、足がもつれ倒れこみそうになると夏太郎くんに支えられた。

「名前ちゃん、行かなきゃ…」

夏太郎くんの声は涙に濡れていた。なのに必死に私にそう告げるから思考が冴えていく。立ち上がった私は確かな足取りで土方さんに歩み寄った。
土方さんは永倉さんの腕の中、ぽつぽつと最期の言葉を告げていた。掠れた声は小さく揺らめく蝋燭の火のようで、もうすぐ消えてしまうことが嫌でも分かる。

「悔しいなぁ…」

土方さんがそう零すと、永倉さんの土方さんを抱いている手にぐっと力がこもって頭が下がる。これでお別れなんだと、永倉さんの泣きそうな背中が変えようのない事実を告げていた。顔が見たくてしゃがみこみ土方さんの足に手を置くと、土方さんの視線がこちらに向くのを感じる。

「名前……」
「土方さん…」

上がらないだろうと思っていた腕が緩慢な動作で私に向かって伸ばされる。指先が私の頬を撫でて、ぬるりと頬に血が伸びていく感触がした。ひじかたさん、と耐えきれず涙が落ちていく。やっぱりいやだ。お別れなんて、いや、絶対に嫌。私が泣きじゃくると、いつもみたいにあやすような手つきで目尻を撫でられた。

「置いていくつもりはなかった…」

そんな、やめてよ。愛おしむように見つめないで。

「今はただ…惜しい……」

息の音を漏らすように呟いて、土方さんの体から力が抜けていく。ずるりと落ちる腕を咄嗟に支えて、土方さんの手を頬に押し当てた。私の流した涙が土方さんの手をぼたぼたと濡らすので、涙の温度で私の気持ちがぜんぶ伝わればいいと思った。

「すき…すきです、大好きです、土方さん」

届いているのかな、届いてほしい。私も共に生きたかった。土方さんと、共に。いやなの、置いていかないで。ずっと一緒にいたい。
一秒だって瞳を逸らしたくなくて、ぼやけた視界で必死に土方さんを見つめる。すると、土方さんの瞳がやわらかく緩んだ。そしてそのまま、ゆっくりと何も映さなくなった。
やだ、と震える唇から声が漏れて、私は土方さんの首にしがみつく。いや、いや、いやだよ。

「いかないで……」

置いていくなんて、ひどい。私はもう、あなたのいない世界での呼吸の仕方なんて分からないのに。


生涯と


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