くるくるな栗色の毛が、うずくまっている。
しばらく「それ」が何なのか理解するのに時間がかかって、ようやくしゃがみこんでいる人だと認識した私は慌てて声をかけた。
「大丈夫ですか」
細い肩に手を置いて声をかけると、緩慢な動作で頭が持ち上がり、あまりにも整った顔がこちらを見上げた。この鋭利な目つき、くるくるな髪の毛、言わずもがな有名人の彼に一瞬驚いたものの、すぐにその顔色の悪さの方が気になる。
「ご気分が優れないのですね」
「……大したことは、」
「その顔色で何を言われても無理がございます。男手を呼んでまいりますので少々お待ちを」
そう告げて立ち上がろうとすると、間髪入れずにくんと裾を引かれて動きが止まる。意図を探るために彼に視線を戻せば、視線も定めることがままならない様子にも関わらず私を睨みつけるようにして「誰も呼ぶな」と苦々しく零した。
大変矜持が高い人物だと聞いていたが、まあ噂に違わずそうらしい。弱っている所を誰にも見られたくないのだろう。本来ならそんなことを言っている場合ではないのだが、彼の言葉を無視して誰かを連れてこようものなら舌でも噛み切りそうな気迫だったため、潔く諦めた。
「では、私が肩をお貸ししますのでゆっくりと立ち上がれますか」
「……」
「それ以外に手がございません」
私がきっぱりと言い切ると、彼は諦めたようにのろのろと腕を伸ばした。つい先ほど他人に頼るのを嫌った彼が素直に私の肩に腕を回す様子に、どこか意外な気持ちになりながら体を支える。下半身に力を入れながら立ち上がると、ずっしりと男性の重さがのしかかった。
「近くの客室で少し横になりましょう」
確か今は誰も使っていなかったため、少々拝借したところで何も問題はないだろう。私の提案に何も返事がなかったため勝手に是と受け取り、私はよっこらよっこらと引きずるようにして彼を部屋まで運んだ。
部屋に着くと彼は私を突き放すようにして寝台に倒れ込んだ。またそんな急に動いたらよくないだろうにと思いつつ、寝台の傍に膝をついて体調を窺う。
「見たところ、血の気が失せているようですが」
「…よくあることだ」
「では尚更よくありませんね。お食事はしっかり摂られていますか」
「……」
「それが原因ですよ。しっかり摂られてくださいね」
彼の家来でもない私はそう助言するほか、今の彼にしてあげられることはなかった。素直に聞き入れるかと言われれば、とてもそうは見えないが。
このむっつりとした表情ばかり湛える彼に、何か物事を言い聞かせる人は果たしているのだろうか。そんなお節介な気持ちが滲み始めてしまった私は、余計な一言と思いつつも口走っていた。
「そんな調子で体調を崩されていたら、ご出世にも関わるのでは?」
「…よく喋る女だな」
「これは申し訳ございません。つい老婆心が働いたもので」
忌々しそうにされては、口を噤むほかない。私のやれることも尽きたため部屋を立ち去ろうかと腰を上げると、彼が眉間に皺を寄せながらこちらを見つめた。
「女、名は」
「…まずご自分から名乗られては」
つれなく返すと、彼の片眉がぴくりと跳ねる。
「…鍾士季だ」
不機嫌そうなものの案外素直に名乗ったところが少しだけかわいらしくて、ふっと笑みが鼻に抜けた。
「存じております」
またぴくぴくと二度ほど跳ねた眉に可笑しくなりつつ「名前です」と名乗ると、鍾会殿はわずかに震える声で「覚えたぞ」と恨みがましそうに呟いた。
***
大層な仏頂面を携えて私の目の前に仁王立ちで現れた鍾会殿に、何事かと私は目を瞬かせた。
「ご、ごきげんよう鍾会殿…」
「……」
挨拶をしてもうんともすんとも言わないものだから、私も段々と我慢が利かなくなり「ご用件は」と圧を強めに尋ねると、ようやく鍾会殿はこちらを見た。だが、その視線はまたすぐに逸らされ、ごほんとわざとらしい咳ばらいが落とされる。
「私に手を貸したことを評価してやる」
「…はあ」
あまりにも上から目線過ぎていまいち何が言いたいのか分からず生返事をすると、目尻を赤く染めた鍾会殿がキッと私を睨んだ。
「この私が礼を述べているのだ!分かるだろう!」
「先ほどの言い方では分かりかねますけれど…」
「ぐっ……まあいい。…受け取れ」
半ば押し付けられるように鍾会殿が私によこしたのは、それはそれは美味しそうな桃で。思わず「まあ、」と感嘆の声が漏れる。どうやらこの前の介抱の礼をわざわざ持ってきてくれたらしい。まさか鍾会殿がそんな律儀な人だとは夢にも思わなかった、なんて素直に口にしてはまた機嫌を損ねてしまうのだろう。
「ありがとうございます鍾会殿。ぜひ後で頂こうと思います」
私が礼を述べれば、鍾会殿はどこか満足そうにふんと鼻を鳴らした。…大分この人の感情の振れ幅が読めてきた気がする。そうすると、ただの不遜な御仁から僅かに親しみが生まれたような気がして、私はひっそりと笑んだ。
改めて視線を鍾会殿に向ければ、顔色の悪さがまた気になる。この前不摂生を忠告したばかりだが、やはりちゃんと休めていないのだろうか。目の下に深く刻まれた隈に、どうしようもなくお節介が顔を覗かせた。
「夜はきちんとお休みになられてますか?」
「なに?」
「隈が酷いようですのでよく眠れていないのかと」
この前のように突っぱねられるのを覚悟で訊ねてみると、鍾会殿は少しためらったのち、小さく口を開く。
「あまり寝つきがいい方ではない…」
そう答える鍾会殿は幼く頼りない雰囲気を醸し出すようで、気づけばどうにかして力になれないものかと考えていた。はたと、懐にしまっていたものを思い出して、がさごそとそれを取り出す。少量ではあるが、ちょうど良いものを持っていた。
「よろしければこれを」
「…なんだ」
「寝つきがよくなるお茶です。飲まないよりかはましになるかと」
あとで同僚の女官に分けようと思って持っていたものだったが、今役立ってよかった。部屋に戻ればまだ茶葉は残っているから、同僚には後日渡せばいい。鍾会殿は私から受け取った小袋をじっと見つめたかと思うと、手の内に納めて表情をほろりと緩めた。
「……礼を言う」
……可愛い。思ったままを口にしそうになっていたことに寸前で気が付いて、自身を叱咤する。とはいえ、不意打ちの打撃が凄かったものだから大変驚いた。男性に可愛いなどど失礼にあたるのかもしれないが、素直にそう思ってしまっていた。
出会い頭からずっと保たれていた仏頂面が照れ臭そうに崩れたのだ。それも他人への警戒心が強く矜持の高い鍾会殿の表情が。可愛いと思ってしまうのも仕方がないだろう。しかしこんなこと表に出してしまってはまた鍾会殿の警戒が振り出しに戻る気がしたので、必死に取り繕った。
「あまり無理をなさらないでくださいね」
「…ああ」
これまた素直に頷いた鍾会殿にぐっとくるものがありつつ、それ以上時間をとっては迷惑になるため礼をしてから下がる。籠に入った桃もなんだか愛おしく思えるようで、隠し切れなくなった笑みをひとつ零してから、私は仕事へと戻った。
愚かだとしても (1/2)
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