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TopMain愚かだとしても
うう、重い。力仕事は普段からそれなりにこなしている方だと自負していたが、さすがにこの沢山の献上品を抱えて移動するのは私の腕が悲鳴をあげていた。誰かに手伝いを頼むべきだったかな、と今更ながら後悔していると「失礼」と幾分堅い声音に呼びかけられた。
しかし、腕一杯の荷物に声をかけられた方向に顔を向けることができず、誰なのかが確認できない。私は荷物を下ろすこともできずに「はい」と応えた。

「その荷物、自分が手伝ってもよろしいか」
「は、え、えっと…」

その一言で、ありがたいよりも先に、とんでもなく身分が上の方だったらどうしよう、という不安が襲い背筋が寒くなる。二つ返事で了承することができずに私がうろたえていると、私の腕の方が限界がきたようでぐらりと体が傾きそうになる。

「きゃっ…」
「おっと」

すると、どっしりとした凄まじい安定感で荷物ごと抱えられて、私はようやっと顔を上げた。

「ケ艾殿…!」
「危ないところだった。このまま自分が運んでも?」

ケ艾殿とは凄く面識があるというわけでもなかったが、元文官出身という方なため雲の上の人というわけでもなかった。ケ艾殿相手に遠慮して自分が荷物を運んでまた心配をおかけする、という未来を選ぶのはあまり賢い選択ではない。そんな結論に至った私は、そのまま申し訳なく項垂れた。

「お願いしてもいいでしょうか…」
「勿論」

とは言えあまりに大荷物のため少しくらいはと手を伸ばすと、ひょいとケ艾殿がそれは軽々しく持ち上げるのでいらぬ心配だったかと手を引っ込める。目的地を告げてから、運んでくれるケ艾殿と並んで廊下を歩いた。

「本当にありがとうございます」
「いえ、これくらい」

そう言ってケ艾殿は私の申し訳なさを軽減してくれるように微かに笑った。あまり表情が動かない人ではあるが、自分の体の大きさなどが相手を威圧してしまうということを自覚しているらしく、こうして気遣いつつ接してくれる優しい人だ。
だが、特段話すこともないので黙って歩いていると、ケ艾殿に「…名前殿は、」と話しかけられて、私の名前を覚えていたのかと驚きながらケ艾殿を見上げる。

「鍾会殿と仲が良いのだろうか」
「へっ!?」

思わぬ角度からの質問に変な声が出る。私の慌てた様子に、ケ艾殿が「すまない、答えたくなかったら…」と何か変に気を遣われたので、私は大袈裟に手を振った。

「いや!何も特別な関係では…!」

仲が良いのかと訊かれると困るものがある。以前の一件があってから、何故か鍾会殿は私を見かける度つかつかと近寄ってきては、文句とか文句じゃない事とかを二言三言告げて去っていく。時間があるときは少し話をするときもあるけれど、…それだけだ。
仲が良いというよりかは、顔見知りぐらいの関係の方が近い気がする。それに私が勝手に「仲が良い」なんて言っては「そんな訳があるか!!」と鍾会殿が顔を真っ赤にして怒りそうだ。

「少し、立ち話をするくらいの仲ですよ」
「そうか。……最近、鍾会殿の顔色がいい気がするのだ」
「え…」

確かに最近鍾会殿の顔色はいい。私が会う度に体を心配をするので、今では鍾会殿からちゃんとご飯は食べたとか、昨日は睡眠をしっかり取ったとか、そういう報告をしてくれる。またそれがかわいいのだが。思い返しては自然と顔が綻んでしまって、

「私がいらぬ心配ばかりするからかもしれないです」

とこぼすと、ケ艾殿が笑った。

「自分も昔、あなたに心配をしてもらった」
「え、」

そんなことをしただろうか、とすぐ思い当たる記憶がなくて驚く。どれだけの人にお節介をやけば気が済むんだ私は。自分の厚かましさに気恥ずかしくなりながら俯くと、ケ艾殿の声が柔らかく降り注いだ。

「あの時は助かりました」
「そんな……」

過分であろう礼の言葉に恐縮していると、ケ艾殿が足を止める。つられて私も立ち止まりケ艾殿の視線の先を見ると、少し驚いた顔をした鍾会殿がいた。

「な…、何故お前がケ艾殿といるんだ」
「何故…って、荷物が重いところをケ艾殿が助けてくださったので」

開口一番、よく分からない質問をされたものだから首を傾げながら返す。別に私がケ艾殿といたってそんな不思議なことはないだろう。これが司馬昭様だったらその反応もまだ分かるが。鍾会殿は私の答えに、ケ艾殿が抱えていた荷物をじろじろと見ると、こほんと咳ばらいをした。

「ケ艾殿、そんなことしている暇ないんじゃないですか?その…、荷運びなら私が代わります」
「いえ、この荷は鍾会殿には少々厳しいかと…」
「な…っ!見くびらないでいただきたい!この程度の荷物、造作もない!」

勢いのまま出た発言という感じだったが、本当に大丈夫だろうか。私も鍾会殿の細腕で運べるとはあまり思えない。そしてケ艾殿の腕から強引に抜き取ろうとした時点でぐっと鍾会殿の顔が歪んだので、私は一つ二つだけケ艾殿から荷物を抜き取って鍾会殿に持たせた。

「では鍾会殿が半分、持っていただけますか?」
「私一人で全部、」
「それはありがたい」

鍾会殿の扱いに慣れているのか、いやケ艾殿のこれは生来のものか。私に続いてケ艾殿の素直な感謝にそれ以上文句が言えなくなった鍾会殿は、不満げに口の端を下げながらふんと鼻を鳴らした。ケ艾殿が鍾会殿の不遜な態度を気にしない性格で本当に良かった。
三人で並びながら荷物を目的地まで運び終えると、ケ艾殿は「自分はこれで」と私からの礼もそこそこに受け取って立ち去る。自然と二人きりになってしまい、未だ何やら不機嫌そうにしている鍾会殿に私は首を垂れた。

「鍾会殿もありがとうございました」

わずかに、鍾会殿の額の皺が薄れる。ようやく機嫌がなおったのかと思えば、鍾会殿はふいとそっぽを向いた。

「今度からは私を呼べ」

まあ、と口から零れそうになって慌てて飲み込む。私がどう反応すべきか決めあぐねていると、鍾会殿がじろりと私を見つめる。

「…私では不満なのか」
「いえ、そんなことは。嬉しゅうございますよ」

ここで変に取り繕ってはへそを曲げてしまう。素直な言葉を伝えれば、鍾会殿はむっつりと黙り込んだ。

「では今度からは鍾会殿を大声で呼ぶことにいたしますね」
「…大声はやめろ……」

目尻を赤くした鍾会殿の声には何の覇気も宿っておらず、思わず口元が緩む。さて、そろそろ鍾会殿を引き留めてしまうのも迷惑だろうと私が立ち去ろうとすると、唐突に腕を引かれた。

「待て。……も、持っておけ」

と、何やら布にくるまれたものを渡されて、私は手元と鍾会殿の顔を交互に見てしまう。すると我慢ならないと言ったように鍾会殿が「開けろ」と言うので、私はそうっと包みを開いた。
手元に、きらきらと美しい簪が姿を現すので私はびっくりして固まった。まさかこんな贈り物を鍾会殿にされるとは夢にも思わず、さらに頂いたものが私には到底相応しくないような価値の高そうなもので恐縮する。

「こんな…、いただけません」
「なっ…私が選んだんだぞ」
「え、わざわざ選んでくださったのですか?」

私の問いに鍾会殿はぐっと言葉を詰まらせる。余計なことを言った、と思っているらしい。だが、その余計な一言が私にとっては効果絶大だった。鍾会殿が私を考えて選んだと聞くだけで手元の簪の装飾一つ一つが愛おしく、いじらしく見えてくるようで、きゅっと手の中で握りしめる。

「よろしいのですか…?」
「…そうじゃなければ渡さない」

苦々しい顔で鍾会殿が頷く。

「ありがとうございます。大事にいたします」

私が嬉しい感情でいっぱいに笑えば、鍾会殿は居心地が悪そうにした。

***

いつものように仕事をこなしていたある日。鍾会殿とばったり鉢合わせ、その際「夜、庭園に来い」とだけ告げられ鍾会殿が去って行った。そんな誘いは初めてで驚きつつ、少しだけ胸騒ぎがした。けれど緊張と混同して大して気に留めることはしなかった。
何の用なのかとぐるぐる考え込みながら手元を動かしていると、ありとあらゆる洗濯物をぴかぴかにしてしまっていて同僚に驚かれた。夜になり、寝所をこっそり抜け出すと外の冷たい風が吹き付ける。羽織を体に巻きつけるようにしてこそこそ庭園まで訪れると、薄着で佇み月を見上げている鍾会殿がいた。

「鍾会殿、お体が冷えます」

思わず自分の羽織を脱いで鍾会殿に掛けようとすると「構わん」と振り払われる。だが、ただでさえ他の将らと比べると薄い体でいる鍾会殿がどうしても心配で、手に持った羽織の行き先が迷子になっていると「お前の方こそ体を冷やすな」と鍾会殿に睨まれてしまった。
諦めて自分で羽織り直すと、鍾会殿は庭園に設置してある椅子に腰かけた。私にも促すので大人しく隣へと座る。鍾会殿の目線は池の水面にずっと向いていて、どこかいつもより静かな雰囲気を纏っていた。何かあったのか、そう問いかけようとしたとき、鍾会殿の薄い唇が開く。

「…お前のことだ。私の気持ちは分かっているのだろう」

一瞬、何のことを言われているのか本当に理解できなかったが、向けられた鍾会殿の瞳が熱っぽくてかっと体中に血が巡る感覚がした。人を寄せ付けない態度ばかり振舞う鍾会殿が、見かければ私に声をかけてくれて、素直じゃない言葉も本心はかわいらしくて。加えてこの前贈られた簪は、ただの知り合いに選ぶようなものではなかった。
流石に私もそんなに鈍くはない。導き出される結論は一つしかなかったが、私がどうこう言えるものではなかった。私はただの女官で、鍾会殿は将来有望な将だ。望んだところではいどうぞ、と差し出されるものではない。私が反応しかねていると、鍾会殿の顔が苦しげに歪む。

「お前はどうなんだ」

きゅうと寄せられた眉間の皺が、普段とは違う意味を持っていた。鍾会殿にしては本当に珍しく真っ直ぐな言葉で、相当恥も矜持もかなぐり捨てたに違いない表情を向けられて、息が詰まる。
好きだと言ったら、どうなるんだろうか。鍾会殿と幸せに結ばれる?そんな簡単なことではないはずだ。鍾会殿にも私にも“家”があって、自由に動ける身分ではない。恋に愛に浮かれて簡単に首を縦に触れるほど子供じゃなく、私が黙り込んでいると、鍾会殿の瞳が凪いで違う色を宿した気がした。

「私は…、この国に収まり続けるつもりはない」
「え?」

弾かれたように顔を上げる。その発言が意味するところは、つまり。

「来るべき時が来たら私は動く」
「それ、は……」

さあっと血の気が引いていくのが分かった。同時に辺りを見渡して人がいないことを確認する。誰かに聞かれたら逆心ありとされて、首を刎ねられかねない発言だ。けれど、鍾会殿は撤回する気は微塵もないようで、背筋に刃物を当てられているかのようなひやりとした不穏な感触が這う。

「…私と、来るか」

眩暈がした。ぐちゃぐちゃに感情が綯い交ぜになって、息ができない。だってこんなの、無理だ。
気が付けば涙が零れていた。この瞬間になって強く自覚する。好きだ。鍾会殿が好きだ。なのに。……嘘だと言ってはくれないのか。

逃避するように目を強く瞑ると混沌とした思考の中、瞼の裏に浮かんだのは父と母であり、兄妹たちだった。

「父を、家を裏切ることは…できません……」

やっとのことで出た声は、涙に震えて上手く紡げなかった。それでも伝えなければと最後まで言い切れば、鍾会殿が静かに「そうか」と答えた。

「呼びつけて、悪かったな」

鍾会殿が立ち上がる。分かりにくいけれど、いつも通りに聞こえる鍾会殿の声音は確かに申し訳なさが滲んでいて、あとすこし震えていて。

「せいぜい風邪など引かぬことだ」

愛おしさがあった。鍾会殿が静かに立ち去っていくのを、顔を上げられない私は足音だけを聞いていた。呼び止めるなんてこと、できなかった。鍾会殿が庭園からいなくなっても、しばらく動けずに私は椅子に座り込み続ける。夜風が冷たくて、落とした涙がすぐひんやりとする感触。忘れられない、月が綺麗な夜だった。


才に溺れた愚かな男。野心を抱き身を滅ぼした男。宮廷では皆が口々に鍾会殿の愚行を嘲った。鍾会殿が亡くなって悲しむ声は一つも聞こえてはこない。あの横柄な態度では仕方ないのだろう。人望なんて、欠片もなかったような人だったから。

けれど、けれども私は。あのゆるんだ瞳を、知っている。気恥ずかしそうに私に簪を差し出した手のぬくもりを知っている。私を、求めてくれた眼差しを知っている。

愚かな人だった。でも。私には、――かわいい人だった。


愚かだとしても (2/2)


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