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TopMain36℃の愛じゃなくて
初めて会ったのは確か5歳のとき。
身長が高いお兄さん二人に囲まれて、少し怖かったのを覚えている。でも私を見た途端「かわいいな〜!名前なんていうんだ?」と長い足を折ってしゃがんで私に微笑みかけてくれた時から、多分私はロシーのことが大好きだ。

両親が共働きの私はいわゆる鍵っ子というやつで、そんな私を心配してくれたドンキホーテ夫妻がよく一人の私を家に招いてくれた。私より9歳年上のロシーと11歳年上のドフィ。小さい私は二人にとってかわいかったようで、沢山遊んでもらった。それは私が成長していっても大して変わらず、二人はいつまでも私のことをかわいい妹として面倒を見てくれる。

小さいころから、ロシーは私の王子様だった。優しくてかっこよくって。ドフィも勿論かっこよかったが、幼心ながらに意地悪なドフィはタイプではなかった。ロシーへの憧れに近かったそれが、歳を重ねるにつれて恋心に変化していったのは、当たり前のことの様に思えた。
……だが、ここまで拗らせてしまうとは自分の事ながら想定外だった。長い間、他に目移りもせずにロシーだけを思い続けた私の恋心は捻れに捻れていた。高校生になっても、ロシーにとって私はかわいい妹枠を外れることはなく、どうしようもない日々が続いている。唯一救いなのは、私に対する態度がいつまで経っても変わらないことだろうか。


学校から帰ってきて嫌々ながらもテキストを開いて勉強をしていると、リビングの窓をこんこんと叩く音が響く。誰かなんて分かりきったことで、カーテンを開けると窓越しに笑顔のロシー。それだけで胸が甘く鳴って、思わず堪えるように顔を顰めてしまった。変な顔をしないようにと表情筋に言い聞かせながら窓を開ける。

「おかえり名前」
「うん、ただいま。どうしたの?」
「今日寿司とって食べるから名前も一緒にと思って」
「お寿司!」

私が目を爛々とさせると、ロシーはくすくすと笑う。私もずいぶんと単純なもので、ロシーを思って感傷に浸っていた心は、食欲ですぐ上書きされた。

「着替えたらすぐ行くね!」
「おー、あんまり慌てなくていいからな」

そう言うと、ロシーはがらがらと窓を閉めてうちの家とドンキホーテ家の間にある低い柵を越えて戻って行った。途中、ロシーが転ける音がしたが、まあ大丈夫だろう。いつもの事だ。

勉強道具を放置したまま、着替えて家を出る。徒歩3秒の距離にある隣の家の門をくぐり、鍵が開けてある状態のドアを開ける。靴を脱いで適当なスリッパを引っ掛け、勝手知ったる家を進みリビングへと入ると、ロシーが出前の寿司のカタログを広げていた。

「あれ?おじさんとおばさんは?」
「今日はいねェんだ」
「だから出前で寿司?」
「そう」

そんな話をしていると、どこにいたのかドフィがリビングに入ってきて「おい、もう頼むぞ」と声をかけてくる。電話をかけるためにドフィが別室に移動しようとするから、慌てて私はドフィに飛びついた。

「わさび抜きにしてね!」
「あ?まだ食えねェのか?」
「あんなの一生食べられない」
「食ったら食えるようになる」
「無理ったら無理!わさび抜きにして!」

意地悪で全然わさび抜きを頼む気配がないドフィに抗議していると、ロシーが「ありとなしどっちも頼もうなー」と宥めるように後ろから私の肩に手を置いてくる。急に来たものだから心臓に悪すぎて、肩に置かれたロシーの手のひらの熱に固まってしまった。するとそれを見かねたドフィが小さくため息をついて、私の額を長い指でピンッと弾く。

「ちゃんと頼んでやるから大人しく待ってろ」

ドフィのデコピンで我に返り、顔に熱が集まってしまっているのがバレないように私はドフィの言葉に頷きつつ、顔を俯かせたままソファへと移動した。ロシーは別に何も気づいてない様子で「お腹空いたな!」なんて呑気に私の隣に腰を下ろす。ドフィは既に注文の電話をするためにこの場はいなかったため、二人きりで変な意識をしないように私は慌ててテレビの電源をつけた。

気を紛らわそうとして興味もないテレビの話題をロシーに振っていく。ロシーは優しいからどんなことでも真摯に聞いてくれて、やっぱりその返しに好きだと感じて平静を装っていられなくなるのだから、もうどう足掻いても意味が無い気がしてきた。

「名前顔ちょっと赤くねェか?暖房暑かったか?」
「あ〜……うん、ちょっと暑いかも」

せっかくの逃げ道を使わないわけはなく、あついあついと態とらしく呟いて顔を手で扇ぐ。些細なことではあるがロシーに嘘をついていることや、自分の気持ちを素直にさらけ出せないもどかしさで歯噛みする。
私がロシーと同い年で、幼馴染なんかじゃなかったら、素直に気持ちを伝えられるのだろうか。どうやったって、ロシーの私に対するかわいい妹フィルターを消えてくれそうもなくて、私はこの想いを告げることすらできないのだ。

「頼んだぞ」
「お、ありがとうドフィ」

電話から戻ってきたドフィの声に救われる。二人きりでいた時間は僅かだったはずなのに、どっと疲れて息を吐いた。
ドフィが場にいてくれるだけで、変な緊張もせずに済んで、そこからはただの三人で過ごす楽しい時間だ。テレビを見ながらくだらない会話をしていると、思ったより早く出前の寿司が届いた。

テーブルの上にお寿司を広げて、席につく。いただきます、と三人で手を合わせてから、私は好物へと手を伸ばす。私が食欲に任せてお寿司を頬張っていると、ロシーに微笑ましそうに見つめられた。その視線は完全に食べ盛りの子供を見守る親だ。すると、ロシーが何かを思い出したのか「そういえば、」と手を叩く。

「受験勉強の方はどうだ?」
「んぐ……」

あまり聞きたくない話題に、口の中にあるお寿司が少しだけ不味くなった気がする。何とか飲み込んでから、私は歯切れ悪く口を開いた。

「うん、まあ、頑張ってるよ…」
「確か名前は理数系が苦手だったよな。克服できそうか?」
「ええ…それは、なんとも……」

答えにくい質問にお茶を濁してると、ドフィがにやりと底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「教えてやろうか?」
「……やだ」

過去にドフィに勉強を教えて貰ったことがあるが、あまりのスパルタ加減に泣きべそをかいたのを覚えている。そしてドフィとの頭の出来の違いをまざまざと見せつけられて、勉強する気力すら無くすのだ。私がこれ以上ないほどに不機嫌な顔をして首を横に振ると、ロシーが苦笑いをする。

「おれが教えてあげられたらいいんだけどなァ、おれも理数系は苦手で…」

ロシーは昔から文系だ。そして私も憎いことにどちらかというと文系のため、昔からロシーに勉強を教えてもらうことはあまりなかった。

「とりあえず今のところは一人で何とかやってるからへーき」
「うんうん、勉強頑張って名前は偉いな」

我が子を褒めるみたいに私の頭を撫でるロシーの手に幸せな心地になっていると、突然鳴り響く着信音。自分ではないことは明らかだったのでドフィとロシーを見やると、あわあわしながらロシーがポケットから携帯を取り出した。

「悪い、ちょっと出てくる」

そう言って席を立つロシーの背中を見送る。電話に出て受け答えをするロシーの声が遠ざかっていくのに、一抹の不安や寂しさが胸に残った。

「……」
「…仕事だ」

出て行ったドアを見つめ続ける私の気持ちを察したドフィは、ため息つきながらそう呟いた。彼女なんじゃないか、とかそんな私の心配もドフィにはお見通しのようだ。私が分かりやすいだけかもしれないが。

いつからだったかドフィにはすっかり私の気持ちはバレていて、こんな風に一喜一憂する私を見てどこか呆れているようだった。しかし、特別囃し立てるわけでもなく、否定するわけでもなく、比較的黙って見てくれているのは、私としてはありがたかった。

二人きりになった空間には妙な沈黙が落ちて、だけどそれを紛らわすようなわざとらしい会話もできない私の脳内は、ロシーのことばかりで埋まっていく。

「……ロシーってさ、やっぱりモテる?」
「…あァ?」

ずっと気になっていたことを、ロシーがいないのをいいことに訊いてみる。ドフィは顔を顰めた後、思案するように箸の手を止めて、斜め上を見上げた。

「あまり女連れてるところは見ねェな」
「…ドフィが綺麗な女の人連れてるところはすごい見かけるけどね」
「……」
「でも今まで誰とも付き合ったことがないわけないよね…」
「だろうな」

分かっていたことではあるけれど、兄弟のドフィに言われると真実味が増して胸が重くなる。私の様子を見て、いい加減話題を逸らした方がいいと思ったのか「もう勝手に落ち込むのはやめろ」と投げやりに言われる。

「…高校で好きな男いたりしねェのか」
「高校?うーん…あんま、いないかな……。というか、どうでもいい」
「末期だな」
「うるさい…」
「同じクラスの佐藤に告白されたのも断ったのか?」
「あ〜…うん、断った」

佐藤君とは何度か席が隣になったりしてよく話してはいたが、残念ながら食指がこれっぽっちも動かなかった。そもそも、ロシーのこと好きな状態では誰に対しても心が揺らめかないのだ。もはや呪いにすら思える。
ロシーには何をされても心臓の安否が心配になるほど、ドキドキしたり忙しなくなるのに。またため息をつきそうになっていると、ようやく違和感がじわじわと湧いてくる。よく考えてみれば、今の話自体おかしい。

「…なんで告白されたこと知ってるの?」
「フッフッフッ、何でだろうな?」
「え、ちょっと、どこから聞いたの!?」

思わずドフィに詰め寄っていると、リビングのドアが開いて電話を終えたらしいロシーが戻ってくる。ドフィの肩を掴んで迫っている私をぽかんとした顔で見つめながら「何してるんだ?」と言われ、内容が内容なだけにロシーに言えなかった私は腑に落ちないながらも口を噤んだのだった。

***

学校が終わり、電車で帰っていると不意に携帯が震える。画面を見れば、ドフィからのメッセージの通知を映し出していて、珍しいと思いつつ画面を開く。メッセージの内容はついでに駅で拾っていってやる、とのことで、疲れていた私には願ってもない申し出だった。

最寄りの駅に着くと、ド派手な色をしたあまり目に優しくない車が目に付く。相変わらずわかりやすいな、と苦笑しながらその車に駆け寄って、助手席のドアを開けた。

「ありがとう、ドフィ」
「ついでだ」

もう何度か乗らせてもらった車に乗り込んで、スクバを後ろの席に放りなげてからシートベルトをする。ふぅ、と息をついて深く座席に凭れると、見計らったように車が発進した。

「今日は仕事終わるの早いんだね」
「まァな」

ドフィは大学を卒業してから起業していた。私はどんなビジネスをしているのかは全く知らなかったが、上手くいってそうなことだけはドフィの身なりやこの車を見ればよく分かった。ロシーもドフィの手伝いをしているので仕事内容が気にならないでもないが、聞いてもあまり理解できなさそうだったため、深く聞いたことはない。

ドフィはロシーと違って私に対して饒舌な方ではないから、私が今日は学校で何があったこうだったと一方的に話す。相槌は適当だが、ちゃんと聞いてくれていることはわかるため、私は気にせず話し続けた。不意に会話が途切れた信号待ちで、ドフィに無言で封筒を差し出される。

「何これ」
「プレゼント」
「プレゼント?」

誕生日でもクリスマスでもないのにプレゼントとは不思議だったが、おそらくドフィの気まぐれだろう。封筒を受け取って見つめてみたが、外側に分かりやすい何かが書かれているわけでもなかった。

「開けてもいい?」
「あァ」

糊付けも何もされていなかった封筒を開けて、中のものを取り出す。取り出したそれは二枚の遊園地のチケットだった。

「ロシーとでも行ってこい」
「……えっ、」

固まってる私に追い打ちをかけるように驚愕発言。

「……む、むりだよ」

やっと状況を飲み込んだ私は、情けない声で弱音を吐いた。ロシーを誘うなんて、そんなの無理だ。やんわりと断られるに決まっている。考え出したらネガティブな思考が止まらなくて、悪い方にばかり思考が傾いていく。

「ロシーと二人でなんて、」
「断らねェぞ、あいつは」
「……」
「別にお前がロシーと行きたくねェなら、友達とでも行け」

じっと手元のチケットを見つめる。断らない、そうだろうか。もしロシーと二人で行けるならそれは。だがただ行ったところで、関係が進展するわけでもない。きっと相変わらず妹と兄のような関係で一日が終わるだけだ。……私が何もしなければ。
私の長年の想いに気が付かないロシーもどうかと思うが、臆病すぎて何一つ行動に起こせない自分も大概だ。ロシーが気づかないのも、安易に責められるものではない。ぐるぐると考え込んでいると、ふと疑問が生まれる。

「なんでこのチケット用意してくれたの…?」

ドフィがあからさまに私の恋路を応援するようなことをしたのは初めてだった。今までは静観していたものを、どうしてこんなことをしてくれる気になったのだろう。運転する横顔を見つめると、ドフィは私に目もくれずに口を開く。

「当たって砕けるなら早いほうが良いだろう?」
「……」
「別に上手く事が運んでも構わねェがな。おれはどっちでもいい」

一見冷たいような台詞だが、ドフィの本当に何でもないような声音に、これはいい加減もだもだしている私を見かねた後押しなのだと分かった。多分上手くいこうがいかまいが本当にどっちでもよくて、ただ私に一歩を踏み出させようとしているのだ。

「……ロシー誘うよ」
「そうか」
「………がんばって、みる」

そうと決めたら急に怖くなってきて涙ぐんだ私の声。一歩を踏み出そうとする私を褒めてくれてるのか、ドフィが頭を撫でてくれる。

「お前がおれの本当の妹になったら、お祝いしてやるよ」

フフフ、と笑う声に思わず目尻の涙が引っ込んで、私の顔が真っ赤に染まった。


36℃の愛じゃなくて (1/2)


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