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TopMainモラトリアムと青い春
ざわざわと今日も賑やかな食堂で、五年生は顔を突き合わせながら昼食を取っていた。話題は今度の休みに皆で遊びに行こうというもので、行き先を提案しながらあーでもないこーでもないなんて盛り上がっている。勘右衛門はというと、いつもなら自分が一番乗り気で話に参加するというのに今回ばかりはぼんやりと定食の煮豆を突いていた。

「勘右衛門」
「ん?」
「勘右衛門はどこ行きたい?」
「ん…?んー……」

正直言うとどこでも、どうでも良かったが、勘右衛門はぼんやりとしたこの思考をどうにかしたいという気持ちもあったので、強いて言えば行きたい場所が一つあった。

「滝行…」
「「え?」」

みんなの声が重なる。三郎の端的な「何故」という質問が飛んできて、勘右衛門は俯いた。

「煩悩、消したくて…」
「煩悩を楽しんでた勘右衛門が!?」

八左ヱ門が驚きの声を上げるので勘右衛門はふてくされた。別に、自分だってお年頃なのだから煩悩に振り回されることくらいある。機嫌を悪くした勘右衛門に、雷蔵は優しく「何かあったの?」と訊いてくる。

「いや…意識されてないっておれの理性も試されてるよなって…」
「全く相手にされてないのかおまえ」

ぶふっと遠慮なく吹き出した三郎に、今は突っかかる気にすらならない。だって本当のことなのだ。

「相手にされてないっちゃあされてないよね…。絶大な信頼を寄せてくれているけど男として全く意識してもらえてない…」
「それって……結構きつくないか」
「そうだよ!!あの人ぜったいおれのこと弟かなんかだと思ってる!」

男として見てないのに信頼してくれている。つまりどういう事かというと、無防備な姿ばっかり晒すのだ。勘右衛門の身にもなってほしい。心臓に悪いったらありゃしないのだ。手を出したくなる衝動をどれだけ堪えているか、名前はきっと知る由もないのだろう。
わあんと伏せってしまった勘右衛門に、さすがの皆も同情したのかそれ以上からかったりしてくることはなかった。ただ、勘右衛門の気持ちに寄り添うのも難しいらしく強引に話を変えられる。

「今度の休みはみんなで女装用の小物選びと下見に行かないか?」
「兵助らしい真面目な提案だなあ…」
「でも毎度女装の授業が追試になってる八左ヱ門にはぴったりじゃないか」
「う……それもそうかも」

そんなこんなで休日の予定は決まり、勘右衛門は頭の端で滝行は?と思ったりもしたが、本気で行きたいわけではなかったので良しとしよう。滝行とまではいかなくても、座禅はやりに行きたいな…今度行こうかな…と金楽寺の和尚の顔をひっそり思い浮かべる勘右衛門だった。

***

兵助が真面目な提案をしてはいたものの、いざ皆で遊びに行くとなると口実に成り下がってしまうところはどうしてもある。ほどほどに当初の目的を果たしたら、後は自由に町を散策することになった。勘右衛門はネガティブな気持ちを引っ張り続けるような男でもないので、今日は今日で普通に心の底からはしゃいでいた…のだが。

「あれって土井先生?」
「本当だ」

雷蔵たちの声に視線を向けると、確かに遠くに土井先生の姿があった。そしてその隣には女性もいた。最初、女装した山田先生か何かかとも思ったが、どう見てもその背格好は勘右衛門が一番見覚えのある人で。
勘右衛門が黙ったことにより察した他の四人が窺いあうような雰囲気を出す。勘右衛門自身もどう反応したらいいか分からず、とにかく成り行きを見守るようにじっと注視していると、八左ヱ門が沈黙を破った。

「尾けねえ?」
「え、土井先生を?」
「いや、そりゃあバレるかもだけど、頑張ったらバレないかもしれないし…」

そう言われると土井先生をバレずに尾行できるか、という腕試しに燃える組と単純に二人が何をしているのか気になる組で皆の気持ちは一つになる。そこからは最新の注意を払って、二人の後を追い始めた。

しばらく観察していると、二人は町に買い物に来ている様子なのが分かった。それを見て勘右衛門の苦悩は増していく。学園長のおつかいを二人でこなしているとかならまだ分かる。し、勘右衛門は二人はどうという関係ではないと納得できるのだが、そういったものでもなさそうで。純粋に、二人で、楽しく、町で買い物をしているようなのだ。

「デート…?」
「勘右衛門の奥歯が割れそうだから余計なこと言うな兵助」

三郎の発言に初めて自分が歯を噛みしめていたことに気が付く。勘右衛門は口内の力を緩めて、そこから深いため息をついた。

「…お似合いだなあって思ったでしょ、みんな」

ぎくっ、と聞こえてきそうな皆の反応に勘右衛門は当然だと息をつく。妙齢の男性である土井先生と妙齢の女性である名前が並んでいれば、お似合いにも見える。しかも土井先生はとびきり男前だ。足も長い。土井先生相手だと名前も普段生徒と話す時とは違って、どこか少女らしい、いつもより幼い顔つきに見えた。

「ああ〜〜土井先生って分かってはいたけど男前すぎないか…?」
「しっかりしろって勘右衛門!」

立ってるほどの気力もなくなってきてふにゃふにゃとしゃがみ込むと、八左ヱ門が抱えてくれる。それに甘えて全体重をかけて遊んでいると、ふと土井先生が名前に笑いかけながら何かを言って、それに名前が顔を赤くした。思わずぱっと前のめりになった勘右衛門に、支えてた八左ヱ門がひっくり返る。
今はそれに構ってもいられず、勘右衛門は食い入るように二人を見つめながら、諦めの境地に達しつつあった。そりゃあ、土井先生に微笑みかけられてときめかない女子はいないだろう。勘右衛門は、一度だって名前をときめかせられたことなんてないが。

勘右衛門が意気消沈しつつ後を追っていると、もう日も大分落ちてきて二人は忍術学園へ帰ろうと踵を返す。そこで土井先生が寸分違わず“こちら”を見て、呆れたように目を伏せた。

「出てきなさい、おまえたち」

どうやら尾行は失敗していたようで、勘右衛門らは観念して土井先生と名前の前へ姿を現した。

「えっ!みんないつの間に!?」
「少し前から。大方、私達が一緒に出ているのが気になったんでしょう」

名前は相当驚いているようで、目をぱちぱちと瞬かせて勘右衛門らのバツの悪そうな顔を見つめている。言い出しっぺは八左ヱ門だったが、原因は勘右衛門だ。勘右衛門が率先して「すみませんでした」と頭を下げると、土井先生は大して怒ってなかったようで「次からはもっと上手くやりなさい」とだけ言って話は終わった。

「それで、今日はお二人で何を…?」

どうしても訊かずにはいられなかったので尋ねると、土井先生は自身が持っていた包みを掲げて見せた。

「来週から夏休みだろう。隣のおばちゃんへの手土産選びに付き合ってもらってたんだ」
「こういうのは土井先生からっきしなんだって、きり丸くんから頼まれて」
「しかも隣のおばちゃんも手土産にはうるさいから…。本当に付き合ってもらってありがとうございました」
「いえいえ」

それってつまりデートじゃん。と言いたいのを堪えて、勘右衛門は必死に冷静を装った。二人の間に流れる和やかな空気がなんとも居心地が悪い。不機嫌な表情をしないようにすることだけに注力していると、名前がぽんと手を叩いた。

「そういえば私、尾浜くんにお土産買ったの。会えたなら今渡しちゃうね」
「えっ」

突然の出来事に動揺していると、名前がはいと小さな袋を渡してくる。受け取って中身を見ると、黄色と橙色の鮮やかな組紐だった。

「見た瞬間、尾浜くんっぽいなって思ったの。…どうかな?」

不安げに勘右衛門を覗き込んでくる名前に、様々な感情が湧いてきてぐっと堪える。なんかちょっと泣きそうにもなった。
土井先生と出かけていても名前は自分のことを思い浮かべてくれて、贈り物まで選んでくれた。今だって勘右衛門が喜ぶかどうかとはらはらしている。ならもう、それでいいじゃないか。へそを曲げていた自分が馬鹿らしくなって、勘右衛門は心からの笑顔を名前に向けた。

「嬉しいです、本当に。ありがとうございます」

そう言うと、名前は照れ臭そうにはにかんで「うん」と頷く。

「めっちゃ大事にします。家宝にしようかな」
「そんな大層なものじゃないから…!」
「はは、冗談です。だって家宝にしたら着けられないし」

折角なのだから身に着けたいに決まっている。すると名前も「そうだね、私も着けてるところ見たいな」と微笑んだ。これを幸せと呼ばずなんと呼ぶ。浮かれている勘右衛門を引き戻すように、土井先生が「では、」と仕切りなおしの声を出すので背筋が伸びる。

「帰るとしようか。そうだな、五年生は勝手に尾行した罰として山道を通って帰るように」
「「えっ!?」」
「なんだ、罰がないとでも思ってたのか?」

にっこり。有無を言わせない笑顔を浮かべる土井先生は、一年生を教えている時には見ない顔である。上級生限定の厳しさだ。勘右衛門らは項垂れたい気持ちになったが、そもそもは自分達が悪いのでせめて風呂とご飯には間に合うように早々に駆けだすのだった。
帰り際、三郎に言われた「タチが悪いな」という名前に対する感想に関しては正直同意だったが、惚れた時点で勘右衛門の負けなのである。


モラトリアムと青い春 24話


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