a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainモラトリアムと青い春
ふらり、と優美にしっぽが揺れる。自由気ままな足取りで、そのまま用具倉庫に入っていく姿を見て私はハッとした。

「猫ちゃんそっちはだめ…!」

慌てて私も用具倉庫に飛び込む。すると猫はこちらを見つめて不思議そうにした。飛び掛かって猫を驚かせてしまっては用具倉庫内をひっかきまわしてしまう恐れがある。私は極めて慎重に、猫をおびき寄せようとしゃがんでから高い声を出した。

「こっちおいで〜…ほらほら……」

あまり警戒心がない子なのか、私が指を差し出すと興味深そうに近づいてきてすんすんと嗅いでくる。そのまま頭や首筋を撫でると、人懐っこくすり寄ってきた。

「かわいい……」

すっかりめろめろになってしまいあちこちと撫でくりまわしていたが、しばらくして当初の目的を思い出す。いけない、私の方が夢中になっていた。どうにかこのまま腕の中に収めて一緒に外に出ようと、ちょっとずつ警戒心を解いてようやく抱っこまでこぎつける。

「よしよし、お外でひなたぼっこでもしようね〜」
「…名前さん?」
「ぅわっ」

急な人の気配に私が驚いたことから、猫もびっくりしてしまったようで腕の中から飛び出して行ってしまう。

「ああっ…!」

私が悲痛な声を上げると、申し訳なさそうな顔をした尾浜くんに顔を覗き込まれた。

「なんか…邪魔しちゃったみたいですみません」
「だ…大丈夫。ちょっとびっくりはしたけど」

何してたんです?と訊かれたので事情を話すと、尾浜くんも手伝ってくれることになった。うん、まあいつもの流れではある。
二人で四苦八苦しながら猫と格闘して、ようやく確保しほっと一息ついていると、入り口の方からのんびりとした声が遠く響いてくる。

「開けっ放しにしたの誰だろ〜?」
「だめだなあ〜。ぼくたちで閉めておこっか」
「そうだね!」

声が遠かったので内容を理解するのに時間がかかってしまい、まずいと尾浜くんが駆けだしたころには倉庫の扉は閉ざされてしまった。

「いいことしたらお腹へっちゃった〜」
「あはは、しんべヱはほんとうに食いしん坊だなあ〜」
「しんべヱ〜!喜三太〜!閉めないでくれ〜!!」

尾浜くんの声むなしく、何も聞こえてない様子の二人が遠ざかっていく足音だけが聞こえる。鍵まで閉められて、すっかり閉じ込められてしまった私たちは呆然と立ち尽くした。

「このポジションは立花先輩じゃないのか…!?」

なんて、尾浜くんが嘆いていたけれど、何のことを言っているのかはあまりよく分からなかった。二人してどうしたらいいのかと顔を合わせたけれど、結論誰かが通りかかるのを待つ以外に選択肢はなく、その場にゆっくりと座り込んだ。

「こうなったら休憩時間だと思って休みましょう」
「あはは、そうしようかな」

あの二人の仕業ならしょうがないのだ。小松田さんに怒るのが無駄なように、そう、しょうがないやつなのだ。幸い、腕の中にはかわいいかわいい猫がいるし、尾浜くんもいる。時間は無限に潰せてしまいそうだった。
ごろごろと機嫌よく喉を鳴らす猫に顔を緩ませながら撫でていると、隣からじとっとした視線を感じる。

「かまいすぎじゃありません?」
「え?…猫を?」

尾浜くんの意図を測りかねてそう訊ねると、尾浜くんはむずがゆそうな表情をして、そして我慢ならないと言ったように丸まってしまう。膝を抱え込んで、それはもう見事な丸に。

「何言ってるんだおれ…」

と、そう呟くのが聞こえたので、顎から自然と力が抜け落ちて間抜けっぽく口が開く。確かに、尾浜くんが隣にいたのに猫しか見つめていなかったのは失礼な態度だったかも。そう反省する気持ちとは別に、まさか尾浜くんがこんな拗ね方をするなんて、という驚きと、いじらしさが心をくすぐる。尾浜くんって年下の男の子なんだなあ、と急に思えてきて、私は猫を抱えたまま尾浜くんにずずいとにじり寄った。

「尾浜くんとも、お話ししたいよ」
「…言わせてるのダサすぎでしょ〜…」
「私はうれしかったけど…」
「うそお」
「うそだと思う?」

私が問うと、伏せてた顔をこちらに向けてとんがった唇が「おもわない、けど」と答える。「じゃあお話ししよう?」と私が笑うと、観念したように尾浜くんが項垂れた。

「おれだってそこそこ格好良くいたいんですよ」
「尾浜くんはかっこいいよ」
「絶対おれが欲しいかっこいいじゃない気がする…!」

かっこいいにそんなに種類があるだろうか。尾浜くんはお世辞抜きにかっこいい子だと思っている。気遣い上手だし、色んな面の能力も勿論高いし、見目だって整っている。決してでまかせではないのだが、それでも尾浜くんは納得いかないようで。
尾浜くんは私に疑いの眼差しを向けたまま、私の顔をまたいで後ろの壁に手をついた。覆いかぶさられるような体勢で、視線がかち合う。

「ドキドキしますか?」
「えっ?」

突然の質問に目が点になる。ど、ドキドキ…??想像もしていなかった問いに、私の思考は遠くへ飛んでいき、ぐるっと学園周りを一周して戻ってくるくらい呆けてしまう。すると、真剣な眼差しをしていたかと思った尾浜くんは、そんな私の様子にため息と共にそのままがっくしと肩を落とした。

「やっぱり全然意識されてない…!」
「い、いしき…」
「あーあーいいです、おれが全部悪いので。名前さんは何も悪くないです」

何やら一人で結論を出してしまった尾浜くんを見上げていると、尾浜くんの瞳が少し揺れる。

「…というか、嫌じゃないんですか?こんなに距離が近くて」
「えっ……嫌では、ないよ…?」

素直な気持ちを答えると、尾浜くんが再度深いため息をついて頭を抱えた。

「……もしかして、名前さんって結構悪い女…?」
「ええっ!?」
「おれ、弄ばれている…?」
「そんなこと…!」

無意識に傷つけてしまったかと慌てて否定すると、尾浜くんがふっと笑った。

「分かってます。でも、拒んでくれないといつか本当に悪い事しちゃうかも」

悪い事、の想像がつかずに、そしてすこし艶っぽい尾浜くんの表情を見ながらバカっぽい反応を晒していると、尾浜くんがぱっと顔を上げた。

「ん…?」

尾浜くんが何かに気が付いた直後、がらりと用具倉庫の戸が開く。そこに立っていたのは食満くんで、こちらを見るなり眉を吊り上げた。

「なっ、なにして…」
「わー!!何でもないです!!これは!何でも!!」

尾浜くんが大慌てで私から身を引き、その大声に驚いた腕の中の猫が飛び出して行ってしまう。食満くんの足元をすり抜けていく猫や、弁明に忙しい尾浜くん、その横で呆けている私。情報量の多さに食満くんの表情に混乱が浮かぶのが分かった。

「…とりあえず木下先生に言いつければいいか?」
「それだけは勘弁を!!!!」

尾浜くんの悲痛な悲鳴で、今回の閉じ込められ事件は幕が下りた。


モラトリアムと青い春 23話


prev │ main │ next