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制服を、少しずつ着慣れてきたように思う。竪琴の節は大樹の節に続いて過ごしやすい気候で、相変わらず眠くなる。この前、敷地内を歩いていたら思わぬところで黒鷲の学級アドラークラッセの生徒が昼寝をしていて飛び上がったのは記憶に新しい。

私たち生徒が学校に慣れ始めたのと同じように、我らが金鹿の学級の先生も大分馴染み始めていた。教師としての経験こそないが、傭兵としての経験は十分なほどあるらしい先生は的確な指導と指示でつい先ほどの学級対抗の摸擬戦も、金鹿の学級を見事勝利に導いた。摸擬戦後に開かれた祝勝会では珍しく先生が楽しそうにしているところを見ることができ、生徒たちも随分心を開いたように思える。

私もそんな先生のことが、好きなはずだった。

「名前ちゃん?」

はっと思考の渦から引きずりあげられる。顔を上げれば、誰よりもかわいらしい友人が私を覗き込んでいた。

「お昼行かないのー?」
「ああ、ごめん。今行くよ」

考え込んでいる間に待たせてしまったらしいことが分かって、苦笑いを浮かべる。ヒルダの隣にいたマリアンヌにも軽く謝ると、おろおろとした様子で「いえ…」と返された。
昼食を食べれば気分も晴れるだろうと立ち上がり、ヒルダたちと共に教室を出る。お昼時の他の生徒たちの喧騒を遠くに、ぼうっと自身の制服の裾を眺めているとヒルダがため息をつく。

「今節の課題は実践なんだって。やだねー」
「そうなんだ。ちょっと緊張するね」
「名前ちゃん緊張とかするんだー」
「するよ。私を何だと思ってるの」

ヒルダと軽口を叩いていると沈んだマリアンヌの表情が気になって声をかける。

「マリアンヌも実戦は嫌?」
「あっ…その……やっぱり怖いです、とても…」
「そうだよねえ」

私も怖い。戦場に出るのはこれが初めてなのだから。これからこの手で人を傷つけて、時には殺めるのかもしれないと思うと軽い気持ちにはなれなかった。

「何かあったらヒルダが守ってね」
「ええっ!?それあたしに言うかなあ」
「ヒルダが一番強いんだもの」
「やめてよー、かよわい乙女で売ってるんだから」

それは無理ある、と思いつつそれ以上は突っ込まないでおくことにした。まあ、ヒルダが斧を振るってる瞬間を見たことがない人間にはそれでつき通せるのかもしれない。

食堂に着いて着席すると、ちょうどリシテアとレオニーも通りかかったので一緒に食事を取ることになった。まだあまりこの二人とは話をしたことがなかったのでお互い良い機会と交流を深めていると、話題は先生の事になり大いに盛り上がり始める。

「不思議な人よねー。すっごく腕の立つ傭兵っていうのは分かるんだけど、それでいてあんな美人で、でも自分の容姿には頓着してないというか…世間知らず?な感じ?」
「傭兵の経験しかないわりには教え方も上手いです」
「まあ確かに…悔しいけどそうなんだよな…」
「レオニーは何で度々先生に張り合ってるんですか…」
「だってさあ!」

女子らの会話が白熱する中、いつの間にか自分が一言も声を発していないことに気が付く。なんだったら愛想笑いすら浮かべていない。皆が先生のことを褒めるたびに、鬱屈した気持ちが巣くって息がしづらくなった。どうにか制御しようとしたが、それも難しくて耐えるようにぎゅっと瞳を瞑る。すると、マリアンヌが控えめにこちらを窺っていることに気が付いた。

「あ、あの…大丈夫、ですか…?」
「ぁ…大丈夫!ぼーっとしてただけだから」

これ以上この場にいるのは空気を悪くしそうと思った私は適当な理由をつけて早々に退席した。

教室に戻ろうとせかせか歩いていると中庭でクロードと先生が立話しているのを見かけて眩暈がした。情緒不安定の元を断とうと食堂を飛び出してきたというのに、元凶に出くわしてしまうなんて。けれど目が離せない。だって、気になるから。
二人がどんな話をして、どんな表情を見せて、どんなことでクロードは笑うのか。知りたいからだ。

近づいたら気づかれると思って遠目で二人の様子を見ていると、ふと先生がこちらに視線を向ける。私は大げさに肩を揺らすほど驚いてしまって逃げることもできずに佇んでいると、先生がクロードに一言何かを断ってからこちらにすたすたと歩いてきた。

「名前」
「せ、先生。どうかされましたか…?」
「こっちの台詞だよ。どうしたの?顔色が悪い」
「えっ……」

気持ち的な問題で体調不良ではないからまさか顔に出ているとは思わなかった。「失礼」と先生が言うと、私の額に手のひらを押し当てる。剣を握って勇ましく振るう先生の手は硬かったけれど、女性らしい感触もあって。久しぶりに感じた人肌のそれは、とても心地が良いものだった。

「熱はないみたいだけれど…、午後の授業は出られそう?」
「大丈夫です。本当に、大したことはないので…」
「そう、無理はしないようにね」

先生はあまり表情が動かない。けれど不思議と感情は豊かに感じるというか、全身から溢れ出ているものを感じる。だから先生が私を本当に心配してくれていることも、優しい事も、分かっている。
私だって先生が好きだ。大好きだ。尊敬している。生徒に対して真摯に向き合ってくれるし、授業は分かりやすいし、私の得意不得意も把握してくれる。なのになんで。

「(くるしい……)」

自分をもっと嫌いになりそうだ。

最近少しずつ好きになりかけていた気がするのに、また振り出しに戻った気分がした。

「名前…やっぱり無理してるんじゃ、」
「大丈夫か?」

突然、この場にはいなかったはずのクロードの声が聞こえてこれでもかというほど心臓が跳ねる。どっどっ、と体全体を揺らすような激しい動悸を押さえつけながら顔を上げると、翠緑の瞳が私を見つめていた。

「具合悪いのか?」
「そうみたい」
「じゃあ俺が寮まで送るよ」
「ああ、それがいい。頼んだクロード」
「えっ、あ、その…!」

い、いやだ。そんなの最悪の展開だ。どうにか拒否したかったが抗う術を持たず。先生もうんうんと頷いてしまっているので、私は泣く泣くクロードとその場を離れた。

「肩貸そうか?」
「いらない。文字通り貸しが作られそうだもの…」
「おいおい…俺のことなんだと思ってるんだ。病人に付け込むほどあくどかないぜ」
「どうだか」

さすがに身内にはやらないだろうが、敵相手には容赦なくするだろう。クロードはそういう男だ。

「弱ってる時くらい周りを頼ってもバチは当たらないだろ?」
「クロードがそれ言うんだ。一番頼らなそうだけど」
「お前ってほんと……痛いとこ突くよな」

クロードはきっと簡単に人を信用しないから。誰も信用していないうちは誰かに頼るなんてことしないのだろう。けれど、もしその懐にもぐりこむほどの信用を得るとしたら。きっと、先生みたいな人なんだろうな、と。……そう思ってまた落ち込んできた。

「先生は……強いよね」
「んん?急に何の話…」
「戦場でも強いし、教え方も上手いし、美人だし……なんか、全部が強い」
「…まあ、そうかも、な…?」
「だから、眩しい。……まぶしくて、あんまり見られない」
「…………」

気が付くと、自分の部屋の目の前まで来ていた。ようやく居心地の悪いような、そわそわするような、クロードの隣を抜け出せると思って、扉の前まで一足飛びに駆け寄る。

「送ってくれてありがとう」

短く告げてから、まともにクロードと目を合わせることもできずに部屋の中へと入った。

――――私は、クロードも眩しくて見られないんだよ。

クロードに届かないところでそう呟いて、私はベッドに突っ伏した。


まばゆいひと 5話


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