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学校内にいると噂はしきりなしに耳に入ってくるものだが、今生徒たちの話の内容を占めていたのは一人の傭兵についてだった。
我らが級長らを救った腕利きの傭兵。級長、主にクロードが面白おかしく話したりするものだから、生徒たちの興味を独占していた。私も気にならないわけではなかったが、今はそれよりもこの前書庫で借りた本の続きが読みたくて仕方がなかった。

屈長な男だとか、女神と見紛う美しい女だとか。好き勝手な噂が広がる空気を受け流しながら、書庫へ続く道を歩いていく。途中、中庭を通ると特別高くも低くもない、平坦な声に呼び止められた。

「すまない、」

振り返ると、一瞬意識が吸い込まれていくような不思議な感覚。そこには、浮世離れした雰囲気を持つ女性がいた。

「道を訊いても?」
「…あ、はい。どちらに?」
「謁見の間…かな。少し迷ってしまって」
「この修道院は広いですからね。私で良ければご案内しますよ」
「ありがとう。助かるよ」

藍色の髪がふわふわと揺れる。はっきりとした顔立ちは、あまり感情を表に出さないようだった。
修道院での迷子はそう珍しくはない。しかし迷うということは、教会の人間ではないのだろうか。鎧を纏っていたので最初は騎士団関係の人かと思ったが、そうではないらしい。

「レア様のお客様ですか?」
「…そんなところかな」

謁見の間に向かうということは十中八九レア様に会うということだ。ならば見慣れないこの人はレア様の客人か何かだと思ったのだが、隣を歩く彼女は曖昧に頷く。当たらずとも遠からず、ということだろうか。余計に気になってきた。

「君はここの生徒?」
「はい、金鹿の学級ヒルシュクラッセの生徒です」
「金鹿の学級…、そう」

彼女の相槌は感情が含まれていないように聞こえて、思わず困惑してしまう。ちらり、と確認するようにもう一度私によこされた視線。髪の色と同じ、綺麗な藍の瞳から送られる視線は、真っすぐに私を射抜いた。
彼女の声や視線は、良くも悪くも無だった。値踏みするような意図も、好奇心が含まれているわけでもない。考えが明け透けならば、それに応じた会話ができるというのに、彼女相手にはどう接したらいいか全く思い浮かばなかった。
 
特に目立った会話もないまま謁見の間まで彼女を連れていくと、ちょうど中から出ようとしていたセテス様と鉢合わせた。セテス様は私と彼女を見比べて少し驚いたような顔をすると、私ではなく彼女を見て僅かに眉を顰める。

「何かあったのか」
「ここに戻るまでに迷ってしまったから案内をしてもらっていたんだ」
「…そうか。名前、手間を掛けさせたな。戻って大丈夫だ」
「は、はい。失礼します」

セテス様は硬い声音を幾分か柔らかくさせて私にそう告げると、彼女を連れて謁見の間へと入っていく。悪いことをしたわけでもなかったが、私は何となく足早にその場から立ち去っていた。

その後、書庫に向かうのは時間的に厳しかったため、大人しく教室へ戻ることにした。ぼんやりとしながら教室に入ると、ヒルダが私を見るなり、あっと声を上げる。

「もー、名前ちゃんどこ行ってたの?そろそろ授業始まっちゃうよ」
「ちょっと用事があって…」
「書庫に行ってたの?」

私の手元にある本を見たヒルダが首を傾げる。本当はその予定だったのだが、相変わらず私の手元にあるのはもう既に読み終えたものだ。先ほど出会った不思議な彼女について誰かと共有したくて、口を開こうとした瞬間、不意に後ろから肩を叩かれて飛び上がる。

「よっ、お二人さん。席に着かなくていいのか?」
「く、クロード…」
「なによう、急に級長みたいな振る舞いして」
「俺はその級長なんだがな…、まあたまにはらしくしててもいいだろ?」

やけに大袈裟におどけるクロードに、一拍置いてからヒルダと顔を見合わせる。二人の気持ちが合致したということは勘違いではないのだろう。

「…なんかいいことあったの?随分とご機嫌ねー」
「お、わかるか?」
「そんなあからさまに楽しそうにしてたら分かるわよー」
「ろくでもないことが起こるんじゃないかと思うよね…」
「あのなあ……」

うっかり本音を漏らすと、クロードが心外だと言わんばかりに私を見下ろす。だが、うんうんと強く頷いて同意する隣のヒルダに、クロードは反論することを諦めたようだった。

「ま、そんなに悪いことじゃない。きっと俺たちの、この学級にとって喜ばしいことだ」
「企みごとなら早く白状してよー」
「そう焦るなって。多分もうすぐ分かるぞ」

クロードは愉しくてたまらないといったように口元の笑みを深めると、ひらりと手を振って自分の席へと戻っていった。ヒルダも私も面倒ごとならさっさと明かしてほしかったが、もうすぐ分かるというクロードの言葉を信じて大人しく着席する。

他の二学級と合同で何か催し物でもあるのだろうか。だとしたら非常に面倒だ。鬱々とした息をついて授業の準備をしていると、こつりと石畳を踏み歩く音。ぱっと教室の入口の方に顔を向けると、藍の瞳と目が合った。

「お、先生!」

クロードの明朗な声が教室に響く。それは入口の彼女に向けられたもので、教室中の視線が彼女へと向く。数多の視線も、クロードの嬉々とした表情も、気に留めてなさげな彼女が静かに口を開いた。

「金鹿の学級の担任になった、ベレスだ。よろしく」

ずっと空席のままだった担任の椅子は、予想もしていない形で埋まることとなったのだった。


まばゆいひと 4話


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