a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMainそれって愛でしょ
――――ああ、つかれた。

何故だか知らないが今日の店はやたらめったら混んでいた。おかげで休憩を取る暇もなく私は店内を駆けずり回り続け、疲労困憊で帰路についている。つかれたし、さむいし、眠いし。今日の夕飯はお鍋にしよう。そしてお気に入りの入浴剤を使ってあったかいお風呂に入って、とっとと寝よう。

あまりの疲労に道端で駄々をこねて泣きだしたいという大人にあるまじきな衝動を抑えながら黙々と歩いていると、目の前に影が差す。

「こんばんは〜〜」

知らない男の陽気な声。酒気を帯びた息がかかって、前にもこんなことがなかったか?とうんざりする気持ちで顔を上げる。

「暇なら一緒に飲もうよ〜!」

一応口に出す前にじとりと恨みがましい目線を向けてみたのだが、相手は全く意に介してないようで。無遠慮に伸びてきた手を払い落としても全く悪びれず再度手を伸ばされて、走って逃げようかと思った時。店内から凄い勢いで海兵が飛び出してきて目の前の酔っ払いの頭をスパンと小気味よく叩いた。

「バカ!!お前誰に声かけてんだ!!」
「え?」

叩かれた酔っ払いはきょとんと目を丸くする。かくいう私も何が起こっているのか分からず目の前の酔っ払いと同じような表情をしていた。

「この人、青キジ大将の奥方だぞ!!」
「お、奥方……」

思わず私が復唱してしまった。奥方て。初めて呼ばれた呼称すぎるぞ。と呆然としていると、酔っ払いは途端に顔色を悪くして、連れに強引に押さえつけられて頭を下げる。

「「すみませんでした!!」」
「あ、いや……以後気を付けていただければ…。勿論私以外にも」
「は、はい!」

それ以上問い詰める気にもなれなかったので、それだけ言って私は足早にその場を立ち去る。なんだか後になって恥ずかしさがこみ上げてきた。奥方て……。
クザンが殿様のような扱いなのも笑えるし、私だってクザンと結婚してそこまで恭しく扱われたことはない。けれど、下っ端の海兵からしたらまあ確かに私も畏怖の対象なのだろう。

「はあ……」

なんだかどっと疲れた。意識もせずに大きなため息を吐き出していると、視界の端に煙が漂う。その違和感に気が付く前に声が降ってきて私は飛び上がった。

「そんなでけェため息ついてどうしたお嬢さん」

わざとらしい口調に一瞬誰かと思ったが、よく考えれば聞いたことのある声である。

「す、スモーカーさん。…なんですかお嬢さんって」
「無礼か?大将夫人とでも呼んだ方がいいか」
「もお〜やめてくださいよスモーカーさんまで」

先程の事件に引き続きまた居心地の悪い呼び方をされて項垂れる。そんな私の様子を不思議がったスモーカーさんに、私は嫌々ながら今しがた起きた事のあらましを話す。すると、えらく笑われた。

「大層な肩書きを手に入れられてよかったじゃねェか」
「肩書きっていうか……レッテルでしょ?」
「は。違いねェ」

スモーカーさんに鼻で笑われたことによってどこか気持ちが軽くなる。

「ま、いいですよ。私のことをちゃんと分かってくれてる人はいますし。スモーカーさんとか」
「やめろ」
「あははっ」

私がけらけらと笑っていると、家の近くまで来ていたことに気が付いた。どうやら私は送り届けられていたらしい。そういう所、義理堅いというか、海兵なんだなあという感じがする。
私とスモーカーさんは決して仲がいいわけじゃないけれど、常にスモーカーさんの視界の端に入れてもらってる自覚はある。多分、クザンのせいだろう。
ありがたいような、申し訳ないような。…いや、やはり申し訳なさが勝つ。気まずい気持ちはあったけれど、それを表に出されてもスモーカーさんは困ると思うので、何事もないようにお礼を言った。

「ありがとうございます。もうここで平気ですよ」

スモーカーさんは私のお礼を受け取るようにひらりと手を振って歩いて行ってしまった。今度何かお礼しなきゃなと思いつつドアを開けると、クザンが玄関で立ったまま寝ていた。
目の前に立ちふさがっていたものだから思わず「わあっ!?」と大きな声を上げる。必然的にその声で目を覚ましたクザンがぱちりと瞼を上げて、それから大きな欠伸をした。

「ん〜…おかえり、名前ちゃん」
「な、なにしてんの」
「いや、名前ちゃんの帰りおせェなと思って心配で玄関でうろうろしてたらいつの間にか寝ちゃったのよ」
「そんなことありえ……るか。クザンなら」

立ったまま寝るなんて私としてはあり得ないのだが、クザンはそれが日常茶飯事だ。びっくりの余韻を引きずりながら家に上がると、クザンがぽんと私の頭を撫でた。

「なんかあった?」
「まあ…うん」

帰りが遅くなった理由は明確にある。けれど玄関先で話すものでもないと二人でリビングに移動してくつろぎモードになってから先ほどのことをクザンに話した。すると、物凄く笑われた。スモーカーさんと全く同じ反応しやがってこの野郎。

「奥方は初めてだな…。奥様とはよく呼ばれてるけど」

結婚してからぼちぼち経つので、奥様とか奥さんとか妻とかそういった呼称にも慣れたつもりでいたけれど、奥方は中々。

「でもいいじゃん、かっこいいんじゃない?奥方様」

クザンが悪戯っぽく笑ってそう言うので腹が立ってぎゅむっと鼻を掴んでやる。

「他人事だと思って!いいから早く私のプリン冷蔵庫から取ってきて」
「えェ…横暴…」
「私を誰だと思ってるの。青キジ大将の奥方だよ」
「権力振りかざしてる…」

クザンにプリンを持ってきてもらって仕事の疲れを癒すように甘味を摂取していると、それをにこにこと眺めてくるクザン。クザンが訳もなく私を眺めるのは今に始まったことではないので、特に気にせずプリンを食べていると、クザンのおでこが一部盛り上がっているのが気になった。

「そのたんこぶどうしたの」
「あー…ガープさんにやられた。名前ちゃんを何か月も放置するとは何事じゃあ〜って」
「え?……あ、私が言ったせい?」

特に告げ口のつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまったらしい。数日前にガープさんとお茶をしたときに(仕事の最中度々引き止められてお茶をするのが日常になってきた)私がうっかり口を滑らしてしまったのだ。

「最近クザンとはどうじゃ?」
「何か月も会ってないからどうもこうもないですねー」

と。クザンが長期不在なのはもう慣れっこだし、周りもそういう認識をしているものだと思って何の躊躇いもなく言ってしまった。

「なに〜!?よし、わしからガツンと言ってやろう」

なんて言ってたけれど。ガツン(物理)だとは思わないじゃないか。

「なんか…ごめんね?」
「いや名前ちゃんのせいではねェから…事実だし」

クザンのたんこぶをよしよしと撫でてあげていると、ふと思いつくことがあった。

「でも…そっか。私じゃクザンにかすり傷一つ付けられないから、何かあったときはガープさんに言えばいいんだね」
「ちょ、笑顔でめっちゃ怖いこと言うじゃん。もしそんなこと起きたらおれ満身創痍よ?」
「見てみた〜〜い」
「悪魔…??」

困惑しているクザンの頬をすり、と撫でると、クザンの動きが止まる。

「ちょっとくらい傷があったほうが色男かもよ?」
「あらら……怪我しないで〜って泣いてた名前ちゃんはどこへ行ったんだろうな?」
「……うるさ」

伸ばしていた手を取られて甲に口づけが落とされる。揶揄おうと思ったのにあっという間に形勢逆転されてしまった。悔しさから悪態をつくと、クザンがくつくつ笑う。

「べつに、死んじゃうことは許してないよ」
「そうね」
「…死んだら嫌いになるから」
「えェ…やだ…」
「やだもくそもあるか」

いつの間にか腰に手が回されて体がぐっと密着する。取られた手はそのままクザンの長い指が絡められて、唇が私の首筋に寄せられた。

「嫌われないように頑張りますので」
「うん、頑張ってください」
「…頑張るおれにご褒美は?」
「強欲だな…」

ご褒美ってなんだご褒美って。行ってきますのチューだって譲歩してやってあげてるのにこれ以上何をやれというのか。とか考えていると、いつの間にかゆっくりソファーに押し倒されていた。流れるようにキスも落とされて、それを受け入れてるとクザンが目と鼻の先で微笑む。

「おれって幸せ者だな〜と日々思うわけ」
「…ふうん」
「だってそうでしょ?おれみたいなもんに名前ちゃんが傍にいてくれてさ」

……それって逆なんじゃ、と言いかけ、かなり小っ恥ずかしい台詞なことに気が付いてすぐやめた。クザンが調子に乗っても困る。

でもクザンがそう言うのなら私も思うことがある。と、私はクザンの首の裏に手を回した。

「クザンの傍にいる人、もう一人増えてもいいんじゃない」
「…それってどういう…………えっ?」
「……」
「……えっっ!?!!」

そういう未来もクザンとなら、と思ったわけです。


完結記念アンケート


それって愛でしょ 最終話


prev │ main │ next