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TopMainそれって愛でしょ
「結婚、しようと思うんだよねェ」

バキッ、とガープの手の中にあった煎餅が割れる音がした。つるも珍しく驚いているようで湯呑を持ったまま固まっている。クザンはそんな大先輩二人に「本当だよ」と付け加えた。

「あの子とかい」
「それ以外にいないでしょ」

つるの問いに端的に答えていると、どかどかとガープがクザンの隣に座り勢いよく肩に腕を回してくる。もはや暴力に等しい威力を持つそれに、クザンは呻きながら耐えた。

「そうか!クザンもとうとうか!!」
「しぬ、しぬから離して」
「噂のあの子じゃろ?」
「だからそうだって」
「わしも会ってみたいんだがのう」

ガープは未だに名前と会ったことがないらしく、名前のことがそれはもう気になるらしい。まあ、ガープはもっぱら緑茶と煎餅派なのでデリバリーを利用することもないのだろう。ガープはいい意味でも悪い意味でも嵐のような人なので、名前と面識がないならないに越したことはない。とクザンは思っているのだが、結婚するとなればそうもいかなさそうだ。

「まァ、紹介するって。機会があれば」
「楽しみにしとるぞ!」

ニコニコと嬉しそうなガープを見てると、これももしかしたら師匠孝行のうちの一つなのだろうか、と思ったり。こうも素直に祝われると気恥ずかしいものがあった。

「あんだけ渋っていたのに、よく決断したじゃないか」
「この前名前ちゃんのこと泣かしちゃったもんで」

絶対そういった男女の機微などよく分かっていないくせに煎餅をかじりながら「それはいかん」なんて非難してくるガープを無視して続ける。

「だからまァ、安心させる手段として結婚があるなら迷う理由はねェなって。おれだって出来ることならずっと一緒にいたいわけだし…」
「なるほど。けど、泣くほど不安にさせたのはいただけないね」
「それは…反省してます……」

結局、ガープの非難以上に影響力のあるつるに再度叱られて、クザンは縮こまった。

「身勝手な海兵人生に付き合わせる覚悟が決めきれなくてさァ…」
「まァ、分からないでもないがね。それを決めるのはあの子自身だよ」
「それたしぎにも同じこと言われた」
「おや、大将が随分と情けないもんだ」
「恋愛は別でしょ〜!?」

あまりにも責められるので弱々しく反論すると、ガープにわははと爆笑される。

「そうじゃな。お前もただの一人の人間ということじゃ」

恋愛は別、と自分で言ったものの、基本的にプライベートの時間の方が圧倒的に少ないクザンである。人生の殆どを占めてきたのが海兵としての己であり、立場を取っ払いただの一人の人間として過ごす時間なんて殆どなかったのだ。大将のような階級が上に来れば来るほど尚更。
自分自身も「クザン」なのか「クザン大将」なのか曖昧になるくらいだったのだが、名前の前では自分は「クザン」でいるのだろう。ガープに言われて初めてそうなのだと気が付いた。だからこんなにも名前のことで頭を悩ませる自分は情けないのだ。

「かわいいもんじゃないか」

揶揄うようにつるにそう言われて、クザンは何も返せず黙り込む。名前の前で「クザン」でいるのはそう悪い事じゃないが、この歳になってつる達にからかわれるのは普通に恥ずかしく居心地の悪いものであった。

「…結婚式呼んだ方がいいんだっけ?」
「当たり前じゃろうが!」

クザンのささやかな仕返しはガープには効いたがつるには効かず。フフ、と余裕の笑みを返されるだけだった

***

名前の体は冷え切っていた。

マリンフォードに戻るなり、偶然出くわしたメリアに「今度名前ちゃんを泣かせたら許さないから。早く抱きしめに行って」と怒られ、何が何だか分からず名前の気配を辿る。すると、共同墓地に見慣れた小さな背中があるものだからクザンは驚いた。なんだってこんなところに。そこでようやくメリアの言葉の意味や名前がここにいる理由を察して、堪らない気持ちになったクザンは急いで名前に駆け寄った。
抱き上げた名前の体は想像より冷たくて、長い間ここに居座っていたことが分かる。これは改めてちゃんと向き合う必要があるなと、どこかで見て見ぬふりをしていた自分を殴ってやりたい気持ちになった。

家に着いてまずココアを淹れた。名前に差し出すと、口を付けた名前がほっと息を吐いて血色感も戻ってくるので胸を撫で下ろす。自分用に一応コーヒーも淹れたがあまり口をつける気にはならず、クザンは名前の肩に手を回す。

「落ち着いた?」
「……」

クザンの問いに名前が黙り込むのであれっと首を傾げる。ここは頷く流れじゃなかっただろうか。
すると、名前の瞳がじわじわと水分の膜を張って、しまいにはぽろぽろ零れていくのでクザンは動揺した。

「な…泣かないで、ね?おれ名前ちゃんの涙が一番心臓に悪いわ…」
「っ…うぅ〜っ…」

クザンは慌てて名前の涙を拭う。どうやら名前はクザンに対して本音を言うのが苦手すぎるらしい。今までの経験で薄々察してはいたがここまでとは思わなかった。言葉が喉に詰まって言い出せないように感じたので、背をさすりながら名前を抱きしめる。

「何でも聞くって言ったじゃない。何言われてもおれが名前ちゃんのこと大好きなことに変わりないから」

ぐすんぐすんと聞こえてくる泣き声にどうしたもんかと思っていると、か細い名前の声が響く。

「ぅ…うそだもん、ぜったい…めんどうに思う」
「思わない」
「……クザンは、つよいんでしょ。わたしなんかがちっぽけな心配したところで煩わしいにきまってる…!」
「なんで。心配するのはおれのこと大事に思ってくれてるからでしょ」

そう言うと、名前がわっと泣きだした。

「そうだよ!クザンが大事だから!!…だから……」
「……」
「しなないで…」
「うん」
「もしかしたら、クザンは死に場所決めてるのかもしれない。怪我だってどうってことないかもしれないけど、けど…いやなの。死んじゃいや……怪我もしないで。わたしは、つらい……」
「…うん」

クザンが名前の言葉を受け止めてしかと頷くが、名前は一向に顔を上げようとはしない。伏せられたまつ毛がまた揺れて、はらりと涙が落ちていくのを見つめる。

「…わがままでしょ」
「それわがままって言うの、名前ちゃんだけだと思うけど」
「でも、クザンに対してはわがままじゃん」

はっきり否定できないところはあった。クザンの身勝手さというか、我を貫き通す意志を名前ながらに察しているらしい。だから名前はいい子過ぎると、常々言っているのだ。

「でも、おれは受け止めたいよ。だってそれって名前ちゃんの愛じゃない」
「……」

そう、クザンは受け止めたいのだ。名前のしたいこと、願うことならなんだって。正直、全てを叶えられるかどうかは分からないが、その思いを尊重したいという気持ちは強かった。

「…おれたちって本当似た者同士だよなァ。おれもおれのわがままで名前ちゃんを困らせたくないってずっと思ってた」
「…わがままって…?」
「おれの傍にずっといてほしい」

クザンがずっと言えずにいた欲を打ち明けると、名前は驚いたあと泣きっぱなしにも関わらず小さく笑った。

「なにそれ…ぜんぜんわがままじゃないし…」
「ほら、言ったでしょ」

そこで、ようやく名前が顔を上げる。くしゃくしゃだった泣き顔が緩やかに和らいでいって、クザンの胸に名前の頭がぽすりと寄りかかった。先ほどまでの感情が荒ぶった様子はなく、静かな沈黙が流れるのでクザンは名前のそっと撫でて口を開いた。

「結婚しない?」

さすがに驚いたらしい名前が瞬時に体を起こしてクザンを見上げる。クザンはそんな名前の手を取って、逸らすことができないくらい至近距離で視線を合わせた。

「おれはさ、名前ちゃんが悲しむようなことはしたくないわけよ」
「うん…」
「でもまァ、ほら。信頼がないじゃない」
「うん」
「即答…まァいいや。だからおれなりの誠意っていうか。名前ちゃんとずっと一緒に生きたいっていう、意思表示、みたいな…」
「……回りくどい…」
「すみません……、えーと、おれの奥さんになってほしいんだけど、だめ?」

こんな時にも情けないのか自分は、と名前の直球な一言に傷つきながらも再度クザンが申し込む。すると、名前の瞳からもうすっかり引っ込んだと思っていた涙がまたひとすじ零れて、くしゃっと名前の顔が歪む。しかし、次の瞬間には笑っていた。

「いいよ」

基本的にシャイでクザンの問いには素直に頷くことが殆どなかったくせに。こんな時ばかりは潔い返事をくれるものだから、男らしいというか、なんというか。名前はクザンによく「ずるい」と文句を言うが、クザンにしてみれば名前も大概である。

ずっとくすぶっていた二人の問題が落ち着いたことにほっとして、これからも名前といられることにクザンは安堵する。それは名前も同じのようで、多分お互いに穏やかな表情をしていた。名前の体を抱き寄せて、頬の涙の跡を指先でなぞる。

「これからはさ、泣くならおれの傍にして。一人で泣かれると抱きしめられないじゃない」

今回だけでなく、クザンの知らないところで名前は涙を落としていたのだろう。これからは絶対にそうさせたくないという気持ちで告げれば、名前のじとりとした視線がクザンを刺した。

「…クザンがいつもいるならそうするけど」
「あ、正論パンチ…」

確かに名前の傍を長らく離れることが多いクザンが言っていい台詞ではなかったかもしれない。また身勝手さを発揮してしまったと落ち込んでいると、名前の手がクザンの輪郭に添えられて頬に軽く口づけられる。

「まあ、できる限りそうしてあげる」
「…お…手数おかけします…??」
「なにそれ」

混乱のあまり訳の分からないことを口走ってしまったが、仕方がないだろう。


それって愛でしょ 29話


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