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「本当に風邪だとは…」

熱で滲む視界の中、天井を見上げてぽつりと呟く。出た声は思ったより細く弱々しくて、自身の体調不良を自覚すると共にどっと気分が悪くなった気がした。
先生やクロードに具合が悪いと勘違いされて部屋に戻されたのが昨日の話。寝て起きたらこれだ。知恵熱でも出たんだろうか。それとも新生活の疲れから来るものか。
具合が悪かったから昨日はクロード相手にあんなことを口走ってしまったのかもしれない。なんて思ったけれど、こじつけでしかないことは分かっている。でも、そういうことにしておきたい。

何はともあれ引いてしまったものは仕方ない。と、今は療養を受け入れていた。
この間にもみんなは授業を受けているのかと思うとほんのりと焦燥感が湧いたが、今はそれを気に留めるほどの気力がなかった。そしてそのまま私は睡魔に負けた。


コンコン。と、扉が叩かれる音で意識が浮上する。

「名前ちゃーん。ヒルダだよー。入っていいー?入るわよー」

多分私の方が声も出せない状態だと察して、大して返事も待たずにヒルダが部屋に入ってくる。

「あ、寝てた?寝れてるなら大丈夫そうねー」

机の方に置いていた椅子が寝台の傍へと寄せられる。そして私のすぐ近くに座ると、ヒルダの手が額に押し付けられて「うわあ。すごい熱い」と呑気な感想が述べられた。

「果物持ってきたの。剝いてあげるね」
「…怪我…するよ…」
「あのねぇ、ヒルダちゃんだってそのくらいはできるんだから」

まさかわがままご令嬢のヒルダが自分で果物を剥けるとは。でもヒルダは装飾品を作るのが趣味だし、手先は器用なのか。重たい瞼を下ろして、しゅるしゅると皮が剥かれていく音を夢うつつに聞く。

「クロードくん心配してたよ」
「……」

まあ、あんなこと言われたらいくらクロードだって気にかかるか。けれど、答えの返し方もよく分からなくて沈黙を貫く。

「気落ちしてたみたいってクロードくん言ってたけど、何かあったの?」
「なにか……」

何かと言われると何もない。私が勝手に考え込んで勝手に気落ちしているだけだ。ヒルダ相手だから言いたくないわけじゃないけれど、何と言ったらいいのか。そんな感情が多分思い切り顔に出たままヒルダを見つめ返すと、ヒルダが「あーん」と切り分けた果物を差し出してきた。一瞬戸惑ったが、大人しく口を開けるとそのまま放り込まれる。

「あたしは大層な人間じゃないからためになるような助言はできないけど、うんうんって話聞くくらいならできるからさー。ヒルダちゃんのこと頼りたくなったら、いつでもどーぞ」

ヒルダの温かな台詞に身体的にも精神的にも弱っている私は涙ぐんでしまった。けれど、こんなことで泣かれてはヒルダも困ると思うのでぐっと堪えて、かすれた声を絞り出す。

「ありがと……」
「どーいたしまして」

二個目、三個目と口に運ばれる果物を甘受していると、段々と気分も落ち着いてきて頭の中が明瞭になってくる。話くらい聞く、と言って貰えたのだから、私はヒルダに話したかった。

「ヒルダは…劣等感ってある…?」

かわいくて強いヒルダにはなさそうなものだが、と。どこか勝手に決めつけて問うと、ヒルダは「あー」と考え込むような表情を見せた。

「うちはあの兄さんだからねー…」

兄さん。というと、ホルスト卿のことか。そこでヒルダの言わんとしていることが分かった。

「まあ、そりゃあ…あるよねー。比べられるのなんてもう慣れっこだけどさあ」

偉大な親族を持つというのは相当に大変なことなのだろう。更には相手があのホルスト卿だ。ヒルダの苦労は計り知れない。

「劣等感に悩まされてるの?」
「…うん……」

力なく頷くと、ヒルダが私をあやすようにぽんぽんと布団を叩いた。

「劣等感なんてさー、大なり小なりみんなあるものだよー。名前ちゃんだけじゃないと思うなぁ」
「……そっ、か…、そうだよね…」

ヒルダがくれたのは当たり前の答えではあったが、その当たり前が見えていなかったように思う。私は私だけが可哀想で悲劇の主人公ぶっていたに過ぎないのだ。そんな悩み、みんなが抱えているというのに。
結局、この劣等感を勝手に抱いているのも私だし、これを解消できるのも私しかいない。だから頑張るしかないのだ。がむしゃらに。

「ありがと…ヒルダ」
「こんなのでいいならまたいつでもどーぞ」

そしてヒルダは立ち上がり、ずれていた布団を私にかけなおすと「今日はゆっくり休んでね」と言い残して、静かに部屋を出て行く。机にはヒルダが切ってくれた果物が残っていて、改めてヒルダの優しさにじんわり涙が滲んだ。

***

快調だ。具合が良くなると共に、頭の中もすっきりとした気がする。ヒルダに話を聞いてもらって、ゆっくり休養を取ったことにより考えが大分整理されたみたいだ。

……というか、多分本当に疲れていたのだと思う。あんな良くない方向にばかり思考が引っ張られていたのは元の性質ももちろんあるが、疲労が溜まっていたのも大いにある。慣れない新生活、新しい環境に精神的にも肉体的にも疲弊していた。しっかりと休養を取った今だからこそ気づけた話ではあるが。

休むって大事なのだな、と思いながら教室に入ると、クロードの背中を見つける。先日までの私ならば極力関わらないようにと、こそこそ見つからないように席についていたかもしれないが、不思議と今はそんなことしなくてもいいと感じていた。

「クロード」
「名前。もういいのか?」
「うん。もう色々と、大丈夫」

私の含みのある言い方に、クロードが何かを飲み込んだような表情を浮かべる。きっと、先日の私の発言について思い出しているのであろう。

「この前は変なこと言ってごめん。もうああいう事、クロードには言わないようにするから」
「……なーんか引っかかる物言いだな」
「えっ?」

どこかクロードを不快にさせるような言い方だっただろうかと慌てて自分の発言を振り返るが、正解が分からない。私がおろおろとしていると、クロードがじとりとこちらを見上げる。

「俺は名前とは級友かそれ以上かぐらいの友好関係ぐらいは築いてるつもりだったんだが…俺の自惚れか?」

初耳である。いや、口に出すのは勿論初めてだろうけど。確かにこの学級の中だったら誰よりも早くクロードに出会ったのは私だろうし、家同士の付き合いもある。士官学校に入ってからも何かとクロードが話しかけてくるので対応はしていた。でもそれはあくまで最低限の社交に過ぎないもので別にクロードが私と仲良くしたいだとかそういう事を本心から思ってるなんて考えてもみなかったわけで。…いや、クロードは別に本当に思ってなくてもこれくらいは笑顔で言う男だからやはり嘘…、とかぐるぐる考えていたらクロードが席を立った。

「自惚れだったみたいだな分かった俺も認識を改める悪かったな名前」
「わ、あ、あーー!!ごめん待ってクロード!」

教室を出て行こうとするクロードの制服の裾を引っ張ると、素直に足を止めてくれた。引き止めたのは私だが、何を言っていいのか分からずしどろもどろになっていると、クロードが肩を竦める。

「…まあ、俺たちの仲は俺が思ったより良くないのかもしれないが、別に話くらいはいつでも聞く心構えだぜ、ていう話だ」
「そ、そうなんだ…」
「そうなんだってお前な…」

そこまで言われてクロードの拗ねた理由がようやく理解できた。私が変に突き放すように聞こえる物言いをしたからだ。正直まったくそういう意図はなかったし、こんな反応をされるとは思ってもみなかった。ただ、私が弱音を吐いてもクロードを困らせるだけだと思って、反省しているからもうしないの意味で宣言しただけだったのだが、言葉とは難しい。

「あ、りがとう…。その、そう言ってもらえるのは素直に嬉しい。……社交辞令だとしても」
「本当に疑り深いな…」
「クロードがそうさせるんだよ」
「俺がかあ?」

自分で言っといて、まあそうだろうなという顔をしているクロードに思わず笑うと、クロードもつられて笑みを浮かべた。

「そういうわけで、お悩み相談はいつでも受付中だ」
「まあ…、一応級長だしね?」
「そうだ。一応な」

級長として学級の生徒の悩みに親身になる、なんて優等生な振る舞いはクロードには全く似合っていなかった。それがお互いに可笑しくてまた笑っていると、クロードが席に戻りがてら私の肩をぽんと叩く。

「元気になったなら何よりだ」

正直、クロードの言っていることが冗談なのか嘘なのか本音なのかいつも図りかねる。でも、たった今かけられた言葉は、きっと本心なんだろうなと疑うこともなくすとんと胸に落ちるような声音だった。それが照れくさくて、くすぐったくて。どんな顔をしたらいいのか分からないまま、視線を地面から上げることが出来なかった。


まばゆいひと 6話


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