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TopMainモラトリアムと青い春
学園長先生に呼び出され、今度はどんな面倒事かと思い赴くと開口一番「その顔はなんじゃ」とお小言が飛んできた。そんなに面倒くさがってた表情をしていたつもりはないのだが、雰囲気でバレたようだ。

「むしろご褒美じゃ。おぬしにとってはな」
「はあ」
「そんなに嫌なら苗字さんの付き添いは誰ぞ他の者に任せるとするかな」
「学園長先生大好き!さすが天才忍者!喜んで引き受けます!!」

いまさら勘右衛門にプライドはなかった。こびへつらう勘右衛門に機嫌をよくした学園長先生は「うむ。任せたぞ」と頷く。

「で、今回はどちらに」
「兵庫水軍じゃ!」

そう言われて、おつかい当日。待ち合わせ場所には何故か気まずそうにした名前がいた。

「(え…おれ何かしたかな……)」

思い当たるものは何もない。いつも通り過ごしていたはずだし、つい先日まで名前の態度だって普通だった。勘右衛門が困惑していると、それに気づいた名前がぱっと表情を切り替える。

「今日も付き添い役をしてもらっちゃってごめんね…!行こっか」
「あ、はい…」

外出届を小松田さんに出してから忍術学園を出発する。しばらく名前は何事もなかったかのように勘右衛門にたわいもない話を振っていたが、不意に考え込むように目を伏せて沈黙が訪れた。
やっぱりどう考えても変であるし、原因は自分にあるような気がしてならない。名前自身の体調不良だとか、何か悲しい出来事があったとか、そういう類ではないことは確かだった。勘右衛門にのみ、ぎくしゃくしているのだ。
名前の気持ちが落ち着くまで待とうかとも思ったが、勘右衛門に何か非があるのであれば一刻も早く謝りたいし直したい。勘右衛門は意を決してそうっと名前の顔を窺った。

「あの…おれ、何かしましたか…?」
「!!」

名前がびくっと怯えたように動きを止める。そして葛藤するように目を瞑ったかと思えば、次の瞬間にはすごい勢いで頭を下げられた。

「ごめんなさい尾浜くん!」
「えっ、え?」

唐突な謝罪に勘右衛門が目を回していると、名前がおずおずと顔を上げる。

「私…今まですごく無神経だったんじゃないかって思って……本当に申し訳なくて」
「な、なんの話ですか?」
「……尾浜くんの好意に応えられない状態なのに、距離感を見誤っていたんじゃないかと……。本当はもっと適切な距離感で付き合うべきだったのに」

勘右衛門はまず一番にこう思った。誰だ余計なことを言ったやつは。名前一人でこの考えに至るわけがないのだ。今まで無自覚に勘右衛門に色々とやらかしてくれていた名前が気づくわけがない。となると第三者に何か言われたとしか考えられない。
確かに今までの名前の小悪魔っぷりに勘右衛門は悩まされてきた。けれど、それが苦痛だなんて思ったことはない。むしろ役得だと、幸せな恋の痛みとして受け入れていたというのに。こんなことで名前に距離を取られてしまってはたまったものじゃない。

「いやです」
「え?」

勘右衛門の口から考える間もなく本音が転がり出た。

「そんなので名前さんと距離ができる方が嫌です!おれは名前さんになら何されたって構いません。むしろ嬉しいです。もっとおれの好意に付け込んでくれたっていいんです!」
「つ、付け込む……」

普段の冷静な自分ならもっと上手く言いくるめる方法を探すんだろうが、今はとにかく名前を引き留めることに必死だった。己の欲望を包み隠さずにまくしたてれば、名前が圧倒されたように佇んだ。

「名前さんに甘えてもらえるのがおれの特権なんだから。それを奪わないでほしいです」

名前の手を取って「ね?」と勘右衛門が念を押すと、名前は呆然としながらもこくこくと頷いた。

「な、なんかごめんなさい…」
「いーえ。余計なこと言った奴、だれか知りませんけど気にしないでください。おれの意見が正解なんですから」
「いや、竹谷くんは何も悪くなくて……」

八左ヱ門か、と勘右衛門は笑顔を浮かべたまま心に留める。帰ったら兵助の豆腐地獄に引き合わせてやる、と思いつつ、勘右衛門は名前の手を引いた。

「じゃあこの話はこれでおしまいにしましょう。早く行かないと日が暮れちゃいます」
「あ、うん…!」

未だ若干戸惑いの残る名前に、あえていつも通りの振る舞いをして勘右衛門は早々にこの件はなかったことにした。あーびっくりした、という呟きは心の中だけにしておいた。

***

「う、海だ…」
「あれ、海初めてですか?」
「うん……」

目の前に広がる青に、名前は感動していた。「綺麗…」と呟く名前の瞳に青が反射してきらきらとしているのを、海よりこっちの方が綺麗だと思いつつ眺める。
歩みを進めて海岸が近くなるにつれ、名前の気分もどんどん上がっていく様子に、勘右衛門は少し面白くなる。母なる自然の威力が凄まじいのは分かるが、それにしても幼子みたいな様子が珍しく微笑ましかった。

海岸につくと、浜で作業をしていた兵庫第三共栄丸がすぐこちらに気づいた。

「おー、忍たまの子じゃないか」
「五年い組の尾浜勘右衛門です。お久しぶりです兵庫第三共栄丸さん。今日は学園長先生の使いでして」
「そうかそうか。っと、こちらのお嬢さんは?」
「初めまして、忍術学園の事務員をしております。苗字名前と申します」
「ほおー、新しく入ったのか」
「はい。よろしくお願いします」

第三共栄丸は人の好い笑顔を浮かべて自分自身の名前も名乗ると「よろしく」と朗らかに言った。そして船や浜の方で作業をしている部下たちに「おうい」と声をかける。

「おまえたちも挨拶しろー」

第三共栄丸のよく通る声に気づいた男衆たちが、何事だとぞろぞろ集まってくる。そして勘右衛門に気が付くと、すぐ忍術学園の関係者が来ているのだと理解したようだった。が、見たことのない名前の姿に、兵庫水軍の皆が少し不思議そうな顔をしている。

「これで全員じゃないんだが、うちの連中だ。何かと荒っぽい連中だが悪い奴らじゃない。よろしく頼む」
「あ、いえこちらこそ…!」
「新人事務員の苗字名前さんだ」

第三共栄丸の紹介に、義丸が「へえ」と驚きの声を漏らす。ぺこり、と頭を下げた名前につられて、兵庫水軍の皆も丁寧にお辞儀をしてくれた。

「さて、じゃあおれは学園長先生の手紙の返事を書いてくる。ちょっと待っててくれ。その間、見学していくだろ?」
「あ、はい!よろしくお願いします」

忍術学園はよく兵庫水軍に社会科見学させてもらうことが多いため、当たり前のように声をかけてもらい勘右衛門は慌てて頭を下げる。

「おれ案内しますよ」

義丸が名乗り出ると、第三共栄丸は特に引っかかることもなく「おう、頼む」と言って、水軍館へと戻っていってしまった。
勘右衛門は少々不安だった。今まで義丸のことを特別気にしたことはなかったのだが、今日は違う。

「(なんか名前さんのこと狙ってないか…??)」

狙ってるというのは早計かもしれないが、油断ならないのは確かだろう。忍たまは全員男子なので義丸と関わる上であまり気にしたことはなかったが、義丸の雰囲気はどう見ても遊び人である。それもかなりの。現に名前の姿を見た時から興味津々というのが伝わってきている。だが、正当な理由もなく兵庫水軍の人に噛みつくわけにもいかないので勘右衛門はどうしたものかと悶々とする。

「磯は足元悪いから気を付けて」

そう言って義丸は自然と名前の手を取って引いた。言ったそばから目の前で起きた義丸の色男っぷりに、勘右衛門は待ったと割って入りたかった。しかし、そんなことは出来なかった。名前の恋人でも何でもない身でそんな威嚇行動をとれるわけもない。完全に泣き寝入りだった。名前も特に気にせず「ありがとうございます」なんて言ってる始末だ。

「尾浜くんどうかした?」

義丸と共に勘右衛門たちを案内するためについてきてくれていた重が、勘右衛門の様子に気が付いて声をかけてくれる。さすがに「おたくの色男どうにかしてくれませんか」と言うわけにもいかず、勘右衛門は「何でもないです」と引きつった笑顔で答えた。

その後は勘右衛門の警戒したほどは何も起きず、船の説明やそれぞれの役割などの解説を聞きながら義丸達と各所を回る。名前は始終興味深そうで、名前の楽しそうな姿に勘右衛門も幾分か心が安らかになった。

あらかたの説明を終えたかと思うと、機会を見計らっていたのか名前がおずおずと口を開く。

「あの…、少しだけ海に入ってもいいですか?」

名前の要求に義丸と重が顔を見合わせる。僅かに悩んだようだったが、やがて重が笑顔で応えた。

「浅瀬だったら大丈夫ですよ!」

とはいえ、今日は勘右衛門から見ても波が高い。先ほど二人に間があったのはそれが理由だろう。だが、義丸と重の監督のもとなら問題はないはずだ。勘右衛門も危険性はないと判断して、特に口を挟むことはなかった。

海辺へ戻ると、名前が草履を抜いで着物の裾をたくし上げる。そして義丸に手を引いてもらいながら海へと近づいた。今回は義丸が手を繋いでないと逆に危険のため勘右衛門はそれについてはぐっとこらえた。
浅瀬へちょんと足先をつけて、感触を確かめる名前。そして恐る恐る海へ足を踏み入れて、名前が無邪気に勘右衛門を振り返った。

「つめたい!」

そりゃそうだろうと思いつつもはしゃぐ名前の笑顔があまりにもかわいいので勘右衛門も笑みがこぼれる。ふと義丸と重を見ると二人も微笑ましそうにしていて、勘右衛門は今の光景が自分一人の思い出じゃないことに少々落胆した。

しばらくちゃぷちゃぷと足を動かして遊んでいた名前だったが、重に「そろそろ体が冷えちゃいますよー!」と声をかけられ、名残惜しそうにこちらへ戻ろうとする。
その時、名前の腰くらいの少し高めの波が押し寄せて、勘右衛門はあっと思った。が、この距離では何をできるわけでもなく伸ばした手が宙を掻く。

「おっと」

次の瞬間には名前は義丸に軽々と横抱きにされていた。義丸が抱き上げたおかげで名前は一つも濡れていなかったが、急に視界が回ったことに混乱していた。ぐらつく体を支えるために反射的に義丸の体にしがみついていて、勘右衛門は卒倒しそうになる。横抱きなんておれもしたことない!
義丸は自身が濡れたことも特に気にせず、名前を抱きかかえたままさくさくと浜辺へ戻ってきて、名前をゆっくりと下ろした。

「す、すみません!私のせいで…!!」
「いいって。女の子が水浸しになる方が問題だ」

義丸の男らしい返答に名前は気恥ずかしそうに俯く。義丸はそんな名前にふっと目を細めた。

「水軍館で足洗って草履はいてきな。重、案内してやれ」
「分かりました!」

重は元気よく返事をすると、こっちですよーと名前を水軍館へと連れていく。必然的にその場には勘右衛門と義丸が残る形になり、特段会話があるわけもなく海のさざめきだけが響いた。

「……女泣かせってよく言われません?」

つい、チクリとした言葉を口をついてしまった。正直、現時点では義丸にもそこまで非がないのにも関わらず、本当に思わず出てしまった。義丸は唐突な勘右衛門の言葉にきょとんと面くらった様子で、しばしの沈黙が流れる。そして何かを理解したのか、義丸はこざっぱりと笑った。

「なんだ、そういうことか」
「うっ……」

義丸の反応でどういった意図で勘右衛門が発言したのかバレたのだという事が分かってしまい、勘右衛門は恥ずかしくなって目線を逸らす。

「けど何も進展はしてないんだろ?見たところ」
「…そんなことないかもしれませんよ?」
「分かる分かる。男女の関係があるかないかなんて見てりゃ分かる」

もうこれは経験値の差だ。これ以上言い繕うこともできずに、勘右衛門は黙って敗北を受け入れた。

「こういうのは早い者勝ちだからなあ。おれの方がずっと前から好きだったのに、なんてのは通用しないんだぜ」
「あのー!?もうおれの負けでいいのでこれ以上いじめるのやめてくれません!?」
「はははっ!」

義丸は快活に笑うと、勘右衛門の背をばしばしと叩いた。

「まっ、おれ達がどう言い合ったところで選ぶのは相手の方だしな」
「それは…そうですね…」
「まだそこまで本気じゃないから安心しな。本気になる可能性はあるが」
「ひえ〜…」

一瞬義丸の瞳がぎらついたのを勘右衛門は見逃さなかった。年上の男の圧に勘右衛門が圧倒的に怯んでいると、水軍館から名前達が戻ってくる。その中には第三共栄丸も姿もあり、こちらに来ると「待たせたなー」と何も知らないのんびりとした笑顔を浮かべていた。

「じゃあこれ学園長先生によろしくな」
「はい。確かに受け取りました」

第三共栄丸からの返事を受け取り懐に納める。いつの間にか義丸に肩を組まれていた勘右衛門はその様子を第三共栄丸に「なんだ、随分仲良しになったみてえだな」とからかわれた。

「男同士の友情ってやつですよ。な?」
「そ……うですね!」

こういう時適当に愛想笑いを浮かべてしまう自分の性格が憎かった。名前は勘右衛門のぎくしゃくとした様子に気づくこともなく、水軍の皆に別れの挨拶を述べる。

「お世話になりました。すごく楽しかったし勉強になりました!」
「そりゃあよかった。また遊びに来な」

名前は本当に嬉しそうに感謝を述べるものだから、第三共栄丸もにこにこと返してくれる。名前が義丸達にも礼をしていると、義丸はどこか艶っぽい笑みを浮かべた。

「今度はおれから会いに行くよ」
「ほんとですか、お待ちしてますね」

名前はただの忍術学園訪問の話だと思ったのか事務的に受け取っている。そんな様子に義丸は若干肩すかしをくらった様子だったが、義丸の積極的な発言に怯えている勘右衛門に片目を伏せるような意思表示もしっかりしてきた。

「では失礼します」
「お気をつけてー!」

重の元気な見送りを受けながら、勘右衛門は名前と共に忍術学園への帰路についた。
ライバルが増えたことに勘右衛門はしょんぼりとしたまま歩みを進めていると、さすがにいつもと違うことに気が付いた名前が心配そうに声をかけてくる。

「疲れちゃった…?」
「疲れは…しましたね…」
「そっか、遠いもんね。私もさすがに疲れたな」

遠さは何も関係なかったが、否定してもしょうがないので勘右衛門は頷く。

「名前さん……付け込むのはおれだけにしてくださいね…」
「えっ?」

別に今回は名前が義丸に色目を使ったわけでも義丸に特別甘えたわけでも何でもない。ただ、名前がかわいすぎただけだ。それは分かっているものの、自分の特権を確かにしたかった勘右衛門はついそう言ってしまった。名前は全く意味が分からなそうにしていたが、勘右衛門があまりにも沈んでいるので神妙そうに「わ、わかった」と了承してくれた。
絶対何も分かってないなこれ、と思いつつ、勘右衛門は気持ちを立て直す。忍術学園で一緒に過ごす時間が長いのは圧倒的に勘右衛門なのだ。ぽっと出の義丸にかっさらわれたりなどするものか、と。ただ、男としての魅力は圧倒的に劣るのでそこは勘右衛門も磨いていかなければならない。どうしたらいいのかは全く思いつかないが。

「筋肉…筋肉かなとりあえず…」
「何が…?」
「おれ大きくなります!」
「えっ……が、がんばれ!」

名前は両の手に握りこぶしを作って勘右衛門を励ました。何か間違った方向に進もうとしているような気もするが、今は気にしないことにした。


モラトリアムと青い春 28話


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