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TopMainモラトリアムと青い春
朝、晩夏の心地の良い風を感じながら寝ぼけ眼で井戸へと向かう。眠気を覚ますように顔を洗って一息ついた時、近くの茂みが音を立てた。何も考えずに音のする方を見て、特に誰もいなくて、足元を見る。そこにいた本能的に危機を感じてしまうような姿かたちの生き物に、声にならない悲鳴が出た。

「〜〜〜!!!!」

一歩後ずさり、腰が抜けたのかその場でぺたんと座り込んでしまう。いや、逃げなきゃ。そして人を呼ばなきゃ。と思ったところで、寝起きの頭がようやく覚醒してきて目の前の「子」に見覚えがあることを思い出した。

「ぁ……ジュンコ…ちゃん…?」

そう名前を呼ぶと、ジュンコちゃんはご機嫌に体を揺らして舌をチロチロとさせた。蛇ってこんなに表情豊かだったかな。
伊賀崎くんが飼っていた蛇ということを思い出しても、申し訳ないが私には脅威であるということは変わりないので、私は極めて冷静にジュンコちゃんに声をかけた。

「ほ…他の人呼んでくるから、ま、ま、待っててね」

私、蛇に何をお願いしているんだ。ジュンコちゃんが意味が分かったのか分かっていないのか、その場にとぐろを巻いて心地よさそうに収まった。……二度寝?
阿呆なことを考えながら、抜けていた腰を叱咤して立ち上がる。そしてジュンコちゃんを刺激しないようにそうっとその場を離れて、人を探してふらふらと歩き回った。できれば生物委員会の子がいてくれると助かる。そう思いながら忍たま長屋の方を彷徨っていると、こういう時の運がいい私はさっそく竹谷くんの姿を捉えた。

「竹谷くん!」

思わず駆け出して腕をとると、振り向いた竹谷くんがぎょっとした。

「苗字さん…!?な、なん…えっ!?」
「た、たすけて」
「は!?」
「ジュンコちゃんが…」

そう言うと竹谷くんがすぐさま状況を理解したようだったが、次の瞬間なぜか背を向けられた。そして凄い勢いで上衣を脱ぐと私に差し出す。

「と、とりあえずこれ着てください。そして場所教えてくれればおれがどうにかしとくので苗字さんは一旦ご自分の部屋に…」

そういえば私、寝巻きだった。髪も結ってないし。普通に起きたての格好で忍たま長屋まで来てしまった。正直、動揺と恐怖でそれどころではなかったので何もかも頭から抜け落ちていた。竹谷くんを気まずくさせてしまったことを申し訳なく思いつつ、差し出された着物をありがたく羽織らせてもらう。

「ご、ごめんね。びっくりして大慌てでそのままこっち来ちゃった」
「大丈夫です。大丈夫なので。元はといえばジュンコを脱走させてる孫兵が悪いので」

何故か早口に捲し立ててくる竹谷くん。あとずっと背中を向けられたままなので目線は一切合わない。そのまま「どこで見つけましたか?」と訊かれたので井戸の場所を伝えると、捕まえてきます!と言ってこちらを振り向かずにそのまま走り去っていってしまった。そっちって遠回りじゃないのかな、とも思ったが、何はともあれ私も自室に戻って着替えなくては。

他の忍たまの子にも気まずい思いをさせるのは申し訳ないので、私はこそこそと自室へと戻った。

***

結局、その後朝から小松田さんがやらかしたりなんだとバタバタしたせいで、竹谷くんに会いに行けていなかった。忍たま達の授業が終わる頃に私の仕事もようやくひと段落したので、生物委員会へと向かう。飼育小屋を覗くと、竹谷くんを含める生物委員会の面々がいた。

「竹谷くん」
「おわっ!!!!」

声をかけると思った数倍驚かれた。ちょうど竹谷くんが世話をしていた犬たちも竹谷くんの大声に驚いたようで固まっている。

「ごめん、びっくりさせちゃった…?」
「あっ、いえ!いや、えと、おれの方がすみません!!」

何故か謝られた。傍から見ても分かるくらい混乱状態の竹谷くんを足元の犬達が心配そうに見上げている。その視線に気がついたのか、竹谷くんは我に返った様子で私の顔を見た。

「あ、ジュンコはあの後捕まえたので心配しないでください」
「ありがとう。ごめんね、朝からお騒がせしちゃって」
「いや…朝も言いましたけど元はと言えば…」

途中で言葉を切った竹谷くんが、別の方向に顔を向けて「孫兵!」と伊賀崎くんを呼ぶ。

「何ですか竹谷先輩」
「何ですかじゃなくて、苗字さん来たから。ほら、朝の」
「あ」

伊賀崎くんの首にはジュンコちゃんが巻きついていて、無事飼い主の元に戻れたのは何よりだった。伊賀崎くんは私を見るとぺこりと頭を下げる。

「朝はぼくのジュンコがご迷惑をおかけしたようで、すみませんでした」
「あ、ううん。ジュンコちゃんが伊賀崎くんの所に戻れてよかったよ」

伊賀崎くんは私の言葉にちょっと意外そうに目を瞬かせると「そうですね」と柔らかく微笑んだ。伊賀崎くんってとても綺麗な顔をしているので、そういう表情をされると破壊力が凄い。愛おしそうにジュンコちゃんを見つめる姿は本当に幸せそうで、大事にしてるんだなあとよく分かった。

「以後気をつけます。また何かあったらすぐ言ってください」

竹谷くんもぺこりと頭を下げるので、ちょっと冗談で返した方が場が明るくなるかと思って、

「今度はちゃんと服着てから言いに行くね」

なんて言ったら、伊賀崎くんは凄い顔で竹谷くんのこと見るし、竹谷くんは固まってじわじわと耳まで顔を赤くさせたので、私は選択を誤ったのだと後悔した。

「竹谷先輩……」
「ち、ちがう孫兵。苗字さん違いますよね!?」
「う、うん、あの、今朝は私が動揺して寝巻きで押しかけちゃって…」
「それもどうかと思います」
「ごめんなさい…」
「孫兵が言えた話じゃないからな!?」
「それは…そうでした」

誰も誰のことを責められない空気になって、私は耐えきれずに無理やり会話を終わらせる。

「今回のことはみんな水に流そう!ね!」
「そ…そうですね…」

竹谷くんが相変わらず私と全然目を合わせてくれないが、とりあえず一件落着ということにしよう。そうさせて欲しい。空気が戻らない中、孫兵が「ぼく戻ります」と言って虫たちの飼育に戻ってしまい、竹谷くんと二人になってしまった。

「あ、あの!いい機会だから生物委員会で飼ってる生き物とか紹介してくれないかなっ?私あんまり把握できてなくて!」
「ああ…勿論いいですよ」

仕事の話を振ると幾分が気も逸れたようで、竹谷くんがすんなりと頷いてくれる。自分たちの出番かもしれない、と話を聞いていた足元の犬達が尻尾を振り始めるので、本当に犬って賢いんだなと少し感動した。

「まずコイツらは忍犬としてしつけてる犬達です」
「忍犬…」
「忍者のパートナーというか、忍務のために訓練してる犬ですね。……一応、ヘムヘムも忍犬ではあります」
「あっ、…え?」
「やっぱりヘムヘムはややこしいんで一旦抜きにしますか」

ヘムヘムちゃんって犬だったんだ。たぬきか何かだと思っていた。いや、その前に犬だとしてもたぬきだとしてもあの賢さはおかしい…と考え始めて、みなまで言うなという顔を竹谷くんがしていたので口を噤んだ。

「苗字さんは生き物好きですか?」
「好き…だけど、飼いたいとは…あんまり……」
「そうなんすか?」
「私みたいな未熟な人間には責任が重いかなって…、生き物を飼うのは」
「はは、責任感強いですね」
「ええ…逆じゃない?」

竹谷くんは生き物に対しても人に対しても面倒見が良くて責任感が強い奴だと、尾浜くんがよく言っていた。私なんか竹谷くんに比べたら無責任の塊みたいな発言をしただろうにと思っていると、竹谷くんは全く真逆のことを口にする。

「強いですよ。おれは一度飼ったものは最後まで面倒を見るのが当然と思ってますけど、その責任を果たすことが出来ないかもしれないって真剣に考えて、だから飼わないって選択をしてるのは、責任感があるってことじゃないですか」
「そう…なのかな」
「そうですって。一番タチが悪いのは中途半端に手出して、途中で投げ出すことですから」
「それは確かに」

私が頷くと、竹谷くんが快活に笑った。

「苗字さんって本当に真面目なんすね」
「え、」
「なんつーか、勘右衛門が言ってた通りだなって」

不破くんの時もそうだったが、尾浜くんが私のことを一体どういう風に話しているのかが全く想像がつかず、そわそわと挙動不審な反応をしてしまう。相槌すらどんなものを返したらよいか分からない。そうなんだ、そう?、またまた、など、当たり障りない答えを考えては違和感しかなくて最終的には言葉を返すのは諦めて情けなく笑った。

「あの……苗字さん」
「は、はいっ!」

何故か急に竹谷くんが真剣に私の名前を呼ぶものだから、姿勢を正して勢いよく返事をする。竹谷くんは何だか言いづらそうに地面に視線を落としていたが、逡巡のち顔を上げた。

「勘右衛門のことって、どう思ってます…?」

どう思ってます。その意味の正しいところを理解しようとしてしばらく固まった。それは恐らく尾浜くんが私のことを女性的に好いていることに関して、その気持ちに対してどういった対応をしようとしているのか、ということだろう。
先日尾浜くんに言われて好かれていることを再自覚するまではすっかり尾浜くんの好意に慣れきってしまっていて、今までかなり無神経なことをしてきたかもしれないという自覚はある。竹谷くんはどこまで話を聞いているのかは分からないけれど、きっと友として私の所業はいかがなものかと、そう問いただしたいのだろう。

どうしよう。自業自得すぎる状況だ。でも絶対に安易な考えで答えてはいけない内容なので、ゆっくりと慎重に自分の気持ちを選んでいく。

「すごく…本当にすごくいい子で、優しくて、頭も良くて、素敵な子だなあって思ってる。私なんか、返しきれないくらい沢山助けられてて……。だからその、適当にしたくなくて……あの、えっと……わたし…」

頭がぐるぐるしてきた。尾浜くんのことは好きだ。人として大好きだ。でも今まで人との向き合い方の経験をあまりにも積んでこなかったせいで、向けられた気持ちにどう応えたらよいのか本当に分からないのだ。だって私は尾浜くんの望む答えを返すことは出来ない。けれどそんな結論を出し切ってしまったら傷つけてしまう。でもそれって逃げてるだけじゃないかとか、思考が無限に入り組んで視界が白黒してくる。

「も、もう大丈夫です!すみません!変な事訊いちゃって……」
「う…私の方こそ歯切れの悪い返事でごめんなさい……」
「いや!いやあの、本当に、おれが余計なこと訊きました……マジで…」

竹谷くんが凄い勢いで猛省の意を見せ始めたので一旦この話題は無かったことにした方がお互いの為に良いのだと悟る。しかし口を噤むと気まずい沈黙が訪れた。

「…………」
「…………」
「…でもあの……勘右衛門は楽しそうです。苗字さんと出会ってからずっと」

竹谷くんが笑って言うものだから、私は驚きで飲み込みきれずに「そ……っか……」と喉に何かが詰まったような声が出る。

「今はそれでいいんだと思います。…つか、おれが口挟む問題じゃねーし…」

友達としていかがわしい女に遊ばれてるんじゃないかって気になるのは当然だ。自分で考えて何だか珍妙な気分になってきた。私ってもしかしたら本当に相当にいかがわしい女かもしれない。

「私もその…身を引き締めます。いろいろと」

私が強く決意してる様に竹谷くんが若干不思議そうにしていると「竹谷せんぱ〜い」と愛らしい声が沢山聞こえてきた。

「おお、どうしたんだみんな」
「大山兄弟が逃げちゃいましたあ」
「またか……」

生物委員会の一年生の子達がわらわらと来て半泣きで竹谷くんに報告すると、竹谷くんはこめかみを押さえてため息をついた。

「すみません苗字さん、他の生き物たちの紹介はまた今度でお願いします」
「あ、うん。むしろ時間作ってくれてありがとう」
「いえ。では失礼します」

ぺこりと礼儀正しくお辞儀をしてから、竹谷くんと一年生の子達は脱走したらしい生き物の捜索に向かって行った。

「身の振り方…考えなきゃ……」

私、やっぱり尾浜くんに甘えすぎてたんだ。好意に甘えるなんて人として情けない。なんだか目が覚めたような気がして、私はとぼとぼと長屋へと帰るのだった。


モラトリアムと青い春 27話


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