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TopMain惜別よ、灯火たれ
先ほどまで元就様とのんびり話していたはずなのに。突如、どことも知れない場所に放り出された私は、不思議と武器だけは手にしていた。
ただならぬ空模様に異質な空気。呆然とする中、何者かの気配を感じて私は弾かれたように顔を上げる。そこには異形の者がいた。鬼を彷彿とさせるその姿に混乱と恐怖を抱き固まっていると、異形の者は容赦なく襲い掛かってくる。いつもなら動くはずの体もこの時ばかりは上手く反応することができず、足がもつれて倒れこんだ時。異形の者がうめき声を上げてばたりと倒れた。

「大丈夫ですか?」

凛と芯のある声につられて、咄嗟につむっていた目を開ける。そこにはどこか幼さが残る綺麗な顔立ちの青年がいた。どうやら、私は今この人に助けられたらしい。

「お怪我は?」
「な、ないです。助かりました。ありがとうございます」
「いえ、今は人間同士助け合っていかねばなりませんから」

まだ足に力が上手く入らなかったので、差し出された手を借りて体を何とか起こす。そして、人間同士?と彼の言葉を反芻しては上手く飲み込めないでいると、辺りを見渡した彼が心配そうに私を見つめる。

「お一人のようですが、軍の皆さんとははぐれてしまったのですか?」
「ええと……」

言われている意味は分かるのに、返す言葉が見当たらない。そもそも何が起きているのか全く分かっていないのだ。そんな様子でしどろもどろになった私を見て、彼はすぐ私の状況を理解したようだった。

「もしかして、この世界に来たばかりでしょうか?」
「世界……そう、なるのでしょうか…」

不安げに答えた私に、彼はすぐさま親身に寄り添ってくれた。そして今この世界で何が起きているのかを事細かに一つずつ説明をしてくれた。遠呂智という魔王が三国の時代と私たちの時代を融合させてしまったこと。そして暴虐の限りを尽くし、各軍は深刻な被害を受けていること。

「そ、そんな……。元就様もこの世界に…?」
「今はまだわかりません。しかし、戦い続けていればいずれ出会えるはずです。我らが立ち向かうべきは遠呂智一人なのですから」

同じ目的で戦い続けれいれば確かにいずれは出会えるのかもしれない。目の前の彼も自軍の仲間とは未だ出会えていないらしい。

「よろしければ私と共に行動をしませんか?一人より幾らかは心強いかと」
「は、はい!私でよければ。微力ですがお力になれるように頑張ります…!」

緊張のままに頭を下げれば、彼は柔らかな笑みを浮かべて「よろしくお願いします」と爽やかに受けた。その雰囲気に少し心の硬直がほどけていくのを感じる。

「あ、申し遅れました。私は陸伯言と申します」
「……え?」

目の前の青年が名乗ったそれに思考が停止する。そして少し前に説明された三国の世界も融合している、という事実を思い出し、私は後ずさった。

「か、かの大軍師である陸遜…殿、ですか!?」
「い、いえ…!大軍師などと呼ばれるような身では…。私など、本当にまだまだ未熟で」

謙遜をして見せる陸遜殿は、とてもじゃないけれど自分がよく知った史書の陸遜とは結びつかず混乱が頭を占める。こんな時にも脳内の元就様は聞いてもいないのに「陸遜はやはり呉の歴史を語る上では外せない名将で…」などと延々と語り始める。普段から元就様の歴史語りを耳にタコができるほど聞いているため、とうとう脳内で喋りだすまでに至ってしまった。本当にうるさいことこの上ない。
それにしても本当に目の前にいるこの人が陸遜なのか。事実を受け止めてからもう一度彼の人となりを見る。当たり前だが、史書を読んでいた際に受け取った人柄とは似て非なるものである。それもそうだ。目の前にいる彼は私と同じ今を生きている人間なのだから、紙の上で物語を紡いでいた登場人物ではないのだ。

「すみません、陸遜殿は有名な方ですから…少し取り乱しました」
「ああ、聞いております。後世には我々のことが歴史書として記されてると」
「はい。私の主はその歴史書がとにかく好きで……」

元就様のことを話すとつい愚痴っぽくなってしまって、本当に困ったものではあるのですが、なんて続けると陸遜殿は朗らかに笑った。その陽だまりのような笑顔に呆気に取られていると「早く元就殿にも会えるとよいですね」と上辺だけではなく真摯にそう思っていることが伝わるような声音で陸遜殿が言うので、私は初対面ですっかり陸遜殿という人物に好意的になってしまったのであった。

***

陸遜殿はそれはもうよく出来た人だった。的確な指揮能力を兼ね備え武芸にも秀でた将でありながら、優しく真面目で誠実で。非の打ち所がないとはこの事か、と。
うちの元就様も大分非の打ち所がない人物ではあるが、人が退屈なのをお構いなしに長話が止まらないという悪癖がある。あと文才もない。そういった完璧なお人でもどこかはあるような欠点が陸遜殿にはなかった。

「陸遜殿って苦手な事とかあるんですか?」
「えっ」

私の問いに瞳を丸くした陸遜殿は、気まずそうに視線を泳がせる。

「も、黙秘…ではいけないでしょうか」
「ふふふ。あるにはあるんですね」
「まあその……はい」

加えてなんかちょっとかわいげもあるのはずるくないだろうか。かの大軍師にかわいいだなんて失礼この上ないのかもしれないが、そう思ってしまうのだ。仕方がない。

そんなこんなで、私が予想していたより私と陸遜殿はずいぶんと長い間行動を共にした。途中、連合軍に合流することができたが、合流してからも私と陸遜殿がなんとなく行動を共にするのは変わらなかった。
いつの間にか確固たる信頼関係が芽生えていて、私も陸遜殿を頼りにしていたし、陸遜殿も私を頼りにしてくれているのが分かって嬉しかった。
そうして時を重ねていると、こうなるのが自然であったかのように私は陸遜殿に想いを寄せていた。だってそんな、陸遜殿のような人を目の前にして好きなるなという方が無理な話だ。

けれど想いを寄せて、もし仮に、万が一に結ばれたとして。だからどうなるのだろう。この想いが自分の中でちらつき始めていた頃からずっと考えていたことであり、ずっと目を逸らし続けていることだった。

私たちは元は違う時代を生きる者で、この世界が泡のように弾けてしまえば塵と消えてしまう関係だ。この世界の行く末がどうなるのかも、遠呂智を倒したら元に戻るのかすらも分からなかったが、結ばれるべきではないのは確かだった。

暗く苦しい気持ちを抱いてどうしたらいいか分からずにいると、まるでその機を見計らったかのように元就様が連合軍に合流した。もうどれほど離れ離れになっていたのか思い出せないほど久しぶりの再会で、私は思わず元就様の胸に飛び込んだ。

「も、元就様ぁ〜〜…!」
「心配をかけたね。君も無事でいてくれてよかったよ」
「ほんとうに、ほんとうに心配しました!!」
「いやあ、面目ない」

へらりと毒気のない笑みを浮かべる元就様は私の知っている元就様でしかなくて、安堵で視界が滲む。

「今までどちらにいたんですか!」
「全部話すよ。時間はたくさんあるからね」

そう元就様が言ってくれたので、その夜は一晩中お互いが辿った道を話した。元就様の話もすべて聞いて、私がどのように過ごしていたのかも全部話した。この世界での私の旅路は陸遜殿抜きでは話すことはできないので、自然と陸遜殿の話がほとんどになってしまう。
思い出話を一つ一つ辿っていくと段々と陸遜殿への気持ちも溢れ出してしまって、途中で喉がつかえた。そして今まで誰にも零したことのない本音が口からまろびでた。

「元就様……私、愚かな恋をしてしまいました……」

聡い主は話を聞いている中で私の気持ちなどお見通しだったのだと思う。特に私の告白に驚くこともなく、ぽろぽろと溢れ出してしまった私の涙を掬って、優しい声音で諭した。

「愚かだなんて言ってしまっては、君の恋心が可哀想だよ」

元就様の言葉で初めて、この恋心は殺さなくていいのかもしれないと、認めてもいいのかもしれないと思えて、耐え切れずに顔を伏せた。元就様はそれ以上は何も言わず、ただ傍にいてくれた。

***

「元就公〜お久しぶりです〜!」

明るく伸びやかな半兵衛殿の声に、重たい首を動かして視線を向ける。元就様の言葉を受けても簡単に気持ちの整理ができるものではなく、むしろ迷宮入りしてしまった思考のせいで私は一睡もできずにいた。そんな中、半兵衛殿のこの明るさはついていけないものがある。

「やあ半兵衛。息災のようだね」
「おかげさまで!……って、名前殿はあんまり元気じゃないみたいだけど?」

どんよりとした空気をまとう私にすぐ気が付いて、半兵衛殿が私の顔を覗き込む。

「名前はその…今ちょっと傷心中でね」
「ええっ、どうしたの名前殿?……恋の悩み?」
「なっ…えっ…!?」

間髪入れずにずばりと言い当てられて思わず後ずさる。誤魔化すこともできずに私が目を白黒させていると、半兵衛殿が自信げに笑った。

「分かっちゃうんだあ〜。俺ってば天才軍師だから」
「う……さすがですね……」

天才的な頭脳に加え人心掌握にも長けているのはずるくなかろうか。動揺する私に、半兵衛殿は上機嫌そうに頷く。

「最近名前殿綺麗になったと思ったんだよね〜。そっかそっか、恋したからか〜」
「半兵衛、厄介な年寄りのような絡み方はやめよ」
「厄介な年寄りって失礼過ぎない!?俺はただ恋の話が好きな年寄りですう!」

仲裁に入ってくれた官兵衛殿にぷりぷりとかわいらしい顔を膨らませて怒る半兵衛殿。ひどい言われようなことや、半兵衛殿が恋話が好きという意外な初出情報に少し笑みをこぼしていると、半兵衛殿がつんと私の頬をつついた。

「やっぱ名前殿は笑ってたほうがかわいいよ〜。ね!官兵衛殿」
「何故私に振る」
「かわいいってさ!」
「んふふ…ありがとうございます」

私はこの半兵衛殿と官兵衛殿の軽快なやり取りが結構好きなので思わずにこにことしていると、傍にいた元就様がちょっとほっとした顔をしたように見えた。どうやら、元就様にもかなり心配をかけていたらしい。そんなことも見越して半兵衛殿は励ましてくれたのかなと思うと、つくづく頭が上がらなかった。

「まあ名前殿は元就公が話を聞いてくれるだろうけどさ、俺も相談ならいつでも受け付けるから言ってね」
「はい、ありがとうございます」

茶目っ気たっぷりに片目を伏せる半兵衛殿。恋の話が好きだと言っていたのに深く突っ込んで話を聞いてこない辺り、本当に絶妙な距離感を心得ているというか。半兵衛殿の心遣いに感謝をしていると、後ろから肩を叩かれて振り返る。そこには私にとって渦中の人物である陸遜殿がいた。

「名前殿、少しよろしいでしょうか」
「あ、はい…!」

何か用事があるらしい陸遜殿の様子に慌てて気を引き締める。行ってもいいかと元就様に目で尋ねればにこりと頷かれたので、私は陸遜殿とその場を離れた。半兵衛殿は視界の端でなるほどと手を打っていたので、今度は根掘り葉掘り聞かれることになるだろう、というのは容易に想像がついた。

「お取込み中のところ申し訳ありません。次の出陣についてお話がしたく…」
「いえ、お気になさらず。大したことは話していませんでしたから…」

そう言うと、陸遜殿が何かを考え込むようにして黙り込んでしまう。何か言いづらいことでもあるのだろうかと不思議にしていると、陸遜殿は少し歯切れが悪そうに口を開いた。

「皆さまとは、仲がよろしいのですね」
「よ……、まあ、悪くはない…かもしれないです」

そもそも半兵衛殿と官兵衛殿は外交から始まった仲であるからして、気軽に仲が良いとか悪いとかそういう物差しで測る間柄ではなかったが、良好な関係を築かせてもらっているのは事実だ。元就様とは、まあ世間一般的に見ればかなり親しい主従関係ではあるかもしれない。

「私は、傲慢だったのかもしれません」
「傲慢…?」

陸遜殿の言う意味が分からず首を傾げていると、陸遜殿はどこか困ったように笑った。

「私の知らない名前殿が沢山いるのだなと。その…この世界においては長く一緒にいたものですから、名前殿のことは全て知った気になっていたようです」

それは私にも覚えのある感覚だった。今、連合軍には孫呉の将も多くいる。そして陸遜殿が孫呉の将たちと話す姿を見たときに、ああ陸遜殿の居場所はここなのだなとひどく納得したのだ。孫権殿に向ける眼差しは尊敬に溢れ、同志らと語らう雰囲気は確固たる絆に満ちていた。
陸遜殿が生きてきた場所はそこで、生きていく場所もそこでしかないのだと。仄暗い絶望があったのを覚えている。陸遜殿が今私と全く同じような感情を抱いているとは思わないが、似たようなことを感じたのかもしれない。

なるべく明るく返そうと、私は努めて高い声音で話した。

「私も思いますよ。凌統殿たちといる陸遜殿は、私といるときは全然違います」
「そうですか?」
「ええ。すこし幼い、というか、かわいげがあるというか」

おどけて言ってみせれば、陸遜殿は複雑そうな表情で眉を下げた。

「それは……喜んでいいものなのでしょうか」

若干拗ねた気配のする声色に、もう少しだけ悪戯をしたくなってしまって。

「どうでしょう?」
「…からかっていますか?」
「うふふ、ごめんなさい」

くすくすと笑いながら謝ると、陸遜殿は困ったように眦を下げた。陸遜殿のこういうちょっといじらしいところがいつも心をくすぐって愛おしくてしょうがないのだから、取り返しのつかない自分の気持ちには全く困ったものである。

***

最終決戦を目前にして、陣は張り詰めた空気が流れている。私と陸遜殿は自然とまた共にいて、お互いの決戦前の強張りをほぐすようにぽつぽつと言葉を交わしていた。

「遠呂智を倒したら元の世界に戻るんでしょうか」

投げかけた疑問は、今皆が抱えているものであった。しかし、仙界の方々からしても答えは「分からない」なのだそうだ。遠呂智を倒すことによってこの世界の均衡がどうなってしまうのか、その予測がつかないのだという。
だから、この質問は陸遜殿にしたところで詮無いのだと分かっていても、口にせずにはいられなかった。

「……元の世界に戻ったら、史書の陸遜殿にしか会えなくなってしまいますね」

言葉にしてみて、想像してみて、虚しくなって肺の奥がきゅうと痛む。陸遜殿だけではない。この世界で出会った全ての人々に別れを告げる。そして元の世界で史書の名前をなぞって思い出すしかないなんて、まるでこの世界で起きたことすべて泡沫の夢だとでも言うようだ。
切なさに耐え切れなくなって、思わず目尻から涙がこぼれる。陸遜殿を困らせてもしょうがないので慌ててそれを拭うと、陸遜殿に手首を掴まれた。「名前殿、」といつものように名を呼ばれて、堪えようと思っていた涙がそのまま溢れ出す。

「わ、笑ってください…こんな想い、抱いたってどうしようもないのは分かっているんです……ごめんなさい…」
「では、私も同じ気持ちだと言ったら、あなたは笑うのですか」

陸遜殿の真剣な声音に俯かせていた顔を上げる。陸遜殿の瞳は揺らぎなく、真摯に私のことを見つめていた。

「不毛なのは私も分かっています。あなたにはあなたの生きる世界が。私には私の生きる世界が。お互いにそれは譲れないことも、分かっています。でも私は、名前殿のことを想わずにはいられません」
「陸遜殿……」

陸遜殿も同じ気持ちでいてくれた嬉しさと、受け入れなければいけない事実に心が綯い交ぜになって胸が苦しい。息も満足に吸うことができずにぽろぽろと涙だけ零していると、陸遜殿の節ばった手が私の手を包み込んだ。

「忘れないようにしましょう。生きている時代は違えど、私たちは確かに出会い、こうして想いを告げあったのです。そのことをずっと、忘れずに」

私はそれに必死に頷くしかなかった。これからもこの想いを一等大事にして生きていってよいのだと、そう認められて初めて息ができた。嗚咽も絶え絶えになりながら、私は今こそ素直な気持ちを伝えてよいのではないかと、何も考えずに想いを口にした。

「陸遜殿…好きです……」
「はい、私もです。名前殿のことが好きです」

陸遜殿のまっすぐな返答に頭の端が幸せでじぃんと痺れる。初めてさらけ出せた胸のうちに、今まで苦しんでいた過去の自分も救われるようだった。

「名前殿、触れてもよろしいでしょうか」

泣き続けた頭ではぼんやりとしていて何を求められているのかよく分かっていなかったが、こくりと頷く。すると陸遜殿の掌が優しく肩を掴んで、顔がゆっくりと近づいた。反射的に目を伏せると、柔らかな感触が瞼に降り注ぐ。離れていった気配と共に、瞼に口づけが落とされたのだと遅れて理解をした。

「名前殿の生きる道に、幸運が多くあることを願っています」

泣き続けている私とは対照的に陸遜殿は暗い顔も悲しそうな顔も一つも見せなかった。ただいつものような私を安心させる笑顔で祝福の言葉を授けてくれて、私は陸遜殿のこういう人柄を好きになったのだとつよく思った。


昼下がり、今日も今日とて元就様の長ったらしい歴史語りが終わらない。せめて私が聞きたい内容を喋らす他なくて、私は元就様を振り返った。

「元就様。私、孫呉の話が聞きたいです」
「おや、君はてっきり曹操贔屓かと思っていたけれど」
「…今は孫呉の話を聞きたい気分なんです」

何故かは分からないけれど、そんな気分なのだ。
最近、史書を読んだり、風が吹いたり、星を見たり。そういったふとした時に何故だか懐かしく恋しい気持ちになって心の端がざわりと浮足立つ。一抹の寂しさも胸を吹き抜けるような、そんな不思議な感触だったけれど、その不思議な感触を私は愛しく抱えていた。

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惜別よ、灯火たれ


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