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TopMain恋情ブレンド
こつこつとヒールを鳴らして廊下を足早に進んでいく。道行く人に「おはようございます」と挨拶を交わしながら、私は目的の部屋へと急いだ。
見慣れたドアの前で軽くノックをしてから、返事も聞かずに中に入る。ドアを開けると、案の定アイマスクをしたまま椅子に凭れかかって居眠りをしている姿が飛び込んで来て、私は深くため息をついた。

「クザンさん起きてください!」
「……ん〜〜…」

気だるげに体を起こすと、アイマスクを少しずらしてその隙間から私を確認するクザンさん。

「ん、名前ちゃん、おはよ」
「おはようございます、朝から仕事サボらないでくださいね」
「だって名前ちゃん来ねェと仕事やる気になんねェもん」
「クザンさんが今まで仕事やる気だったことあります?」

散らかったデスクの上を片付けて部屋のカーテンを開ける。私は朝から事務に顔を出さなければ行けない用事があるから、ちゃんと仕事をしておいてくれとあれ程昨日言い聞かせたのにこのザマだ。

「も〜、今日は午後から会議が入ってるから午前のうちにある程度仕事消化しとかなきゃいけないんですよ!ほら起きる!」

相変わらず深く凭れて寝る体勢のままのクザンさんの背を後ろから押して何とか体を起こす。今日消化しなければならない書類の束をクザンさんの目の前にどかっと置いて、私は棚からポッドとコーヒーの粉を取り出した。

「コーヒー淹れてきますから、ちゃんと起きておいてくださいね」

聞いてくれないのは百も承知だが、そう言い残して執務室を後にする。コーヒー飲ませてシャキッとさせるために、私はいつものように給湯室へと向かった。

勝手知ったる給湯室でケトルを火にかけながら頭の中で今日一日のスケジュールを組み立てて、あれもしなきゃこれもしなきゃと考えているうちにあっという間にお湯が沸く。
手際よくコーヒーを淹れて、熱々のコーヒーが入ったポッドを片手に執務室へと戻ると、クザンさんが至極やる気がなさそうに書類に目を通していた。いや、おそらく目は通していないのだろう。流し見しているだけだ。そんな様子に呆れつつ、棚からマグカップを取り出してコーヒーを注ぐ。

「クザンさん、お砂糖」
「今日はいいわ」

クザンさんは気分によって砂糖を入れたり入れなかったりするが、今日はいらない気分らしい。ブラックのままデスクに置くと、書類を置いてクザンさんがマグカップに手を伸ばした。

「ありがとね、名前ちゃん。…あちち」

ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましながらコーヒーをすするクザンさんを横目に、私は仕事用の手帳を取り出す。

「さっきも言いましたけど、今日の午後は会議で潰れるのでちゃんと午前のうちにこれ終わらせてくださいね」

目の前に置いてある書類の束をペンで叩くと、クザンさんの顔がこれでもかというほど歪む。そして長い体を折って机に突っ伏すると、深いため息をついた。

「仕事したくねェ〜」
「したくないのはみんな同じです」
「……名前ちゃん、デートでも行こ」
「行きません、仕事してください」

このぐずるくだりは比較的いつものことで、今日もか、と思いながら突っ伏して動かなくなったクザンさんの肩を叩く。

「クザンさん、ほら頑張ってください」

数秒後のっそりと体を起こしたクザンさんが嫌々書類を手に取る。出勤してからクザンさんに仕事を開始させるここまでの流れも、もう随分と慣れた。

私がクザンさんの秘書についてからもう一年近くが経つ。時間とは本当に過ぎるのが早いものだ。
ふらついて中々仕事をこなさず、予定に入っていた会議も忘れるクザンさんにいい加減秘書を付けようという話をしている最中に、訪れた私のタイミングの悪さといったらない。
何も事態を把握していない事務の私に「あ、名前ちゃん。おれの秘書やんない?」とカフェにでも誘うかのような軽さで持ち掛けられた仕事。
もちろん断れるはずもなく、あれよあれよという間に私はクザンさんの秘書に仕立て上げられていた。最初のうちはクザンさんに随分と振り回されたものだが、今では大分扱い方が分かるようになってきた。

「名前ちゃん、これどうやって書くんだっけ」
「ええと、これはここに責任者の名前を書いて…」
「……あ〜、そういえばそんな書き方だった…。さすが名前ちゃん、おれもう名前ちゃんなしじゃ仕事できねェわ」
「…そ、そういうのいいですから」
「照れてる名前ちゃんもかわい〜」
「セクハラです」

前言撤回。クザンさんのこういう態度にはいつまで経っても慣れない。事務のときからそうだったが、クザンさんは私をからかうのが楽しいらしい。
おふざけだとはわかっていても、男性に対して大した免疫も、受け流すだけの経験もない私は一々反応してしまう。クザンさんが生地かっこいいだけに、毎回のごとくドキドキしてしまっているのがひどく悔しかった。むず痒い気持ちでいっぱなくせに、何だかんだ甘受しているあたり嫌ではない自分が更に恨めしい。

「からかってないでちゃんと進めてください」
「別にからかってはいねェんだけど…」

キッと睨むと、わざとらしく肩を竦めたクザンさんはまた書類に向き直る。しかし黙って作業することができないクザンさんは私に時々絡んできつつ、それなりに仕事を進めたのだった。

***

お昼の時間を告げる鐘はとっくに鳴っていたが、まだ終わる見通しが経っていなかったクザンさんと私は鐘の音を無視して仕事を進めていた。
他の一般兵と違って役職上、きっちり決められたスケジュールで働いているわけではないため、その日のスケジュールによってお昼をとる時間がずれることはよくある。
クザンさんは当たり前ではあるが、殊更忙しい身であるため、昼休みの短縮や消滅は日常茶飯事だ。クザンさんが、ということはそれに伴って私のお昼休みもなくなるのだが。

やっと終わりが見えてきたころに、クザンさんが窮屈そうに丸めていた体を思い切り伸ばした。

「あ〜…、名前ちゃん、お昼行こうか」
「そうですね、残りこれぐらいならあとは何とかなりそうですし」

デスクに散乱した書類をある程度片づけてから、クザンさんと共に執務室を出る。

「今日は時間もねェし食堂でいっか」
「何食べようかなあ」
「名前ちゃん結構食堂好きよね」
「おいしいですから!」

私とクザンさんのお昼はいつも決まっているわけではない。クザンさんの気分によって外の店で食べることもあれば、仕事が忙しすぎて私が走って買ってきたサンドイッチを執務室で食べることもある。だが本部の食堂は下手な店よりも断然おいしいので、食堂でお昼を食べるときは少々浮かれてしまう。
食堂へ向かう廊下を歩いていると外から訓練の声が聞こえてきて、今日も随分と遅れたお昼をとるはめになったなと、疲労が一気に押し寄せて心が重くなった。

ピークの時間が外れた食堂はやはり全く混んでおらず、私たちと同じように遅れてお昼をとるためになった人たちがちらほらいる程度だった。
手早くお昼を頼んでクザンさんと席につく。我慢し続けたお腹が目の前のほかほかご飯に待ちきれないと騒ぐので、私は「いただきまーす!」とすぐ箸を手に取った。ハンバーグを頬張って幸せを噛みしめていると、こちらをじっと見つめているクザンさんと目があう。

「名前ちゃん本当においしそうに食べるよねェ」
「…わ、悪いですか」

食事の様子を観察されているというのがひどく恥ずかしく、返す声がつい不機嫌そうな声音になる。だがクザンさんは私の反応に、より一層目元を緩めてふっと笑った。

「いやいや全然悪かねェよ?むしろいいんじゃない」
「安易に痩せろって言われてる気がしました」
「名前ちゃんはそのぐらいがいいんだって」
「セクハラです」

自分が痩せているとはあまり思ったことがないが、客観的に指摘されると恥ずかしいやら憎いやらで箸を持つ手に力がこもる。
クザンさんがふざけた発言をしたときはいつもセクハラだと指摘しているが、全く反省の色が見えない。今回もどこ吹く風でさらっと私の指摘を流したクザンさんが「でもさァ」と言葉を続ける。

「女の子は痩せすぎな子が結構多いじゃない?おれはどうにも心配になっちゃうのよね、あんなに細いと」
「クザンさん巨乳好きですしね」
「いやそりゃ大きいに越したことはないけど、愛さえあればおれは気にしない派よ?」
「へえ」

今まで傍で見続けていれば分かろうとせずとも分かってしまう事実を述べると、クザンさんのどうでもいい情報まで返ってきたので、思わず返事が冷たくなる。その反応が気に食わなかったのか、クザンさんがじとりと不満がましい目で私を見つめた。

「何その反応」
「別に興味ないので」
「話振ったの名前ちゃんじゃない!?…まァ、だからおれは名前ちゃんが大きくても小さくても構わないって話よ」
「だから!セクハラですから!センゴクさんに言いつけますよ」

食堂の一角で随分と騒がしくしていると、どうやら私たちと同じで遅れてお昼をとりにきたセンゴクさんが怖い顔をしながら「呼んだか?」と登場し、クザンさんが顔を青ざめさせたのか今日のハイライト。
セクハラについては私が言わずともセンゴクさんからのお説教が入り、加えて普段の勤務態度のお説教も入ってきたので私はその日少しだけクザンさんに優しく接してあげるのだった。


恋情ブレンド 1話


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