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TopMain恋情ブレンド
ガタガタと音を立てて、出席者たちが部屋を出て行く。クザンも欠伸をひとつ漏らし、固まっていた体をほぐすように伸びをしてから、立ち上がった。

半分ほど寝ていた退屈な会議を終えたクザンはいち早く執務室へと戻ろうとしていたが、その隣をボルサリーノが並んで歩きだすものだから、つい訝しげな視線を送る。
帰る方向的には確かに一緒だが、わざわざ隣を歩くだなんて何か用があるのだろう。「…なに、」とクザンが低く呟くと、ボルサリーノが「クザンは聞いたかい〜?」と前提条件もなしに問うてきた。

「何のこと?」
「名前ちゃんがお見合いしたって話〜」
「はっ?」

世間話の類だろうとは思ったが、まさか名前の話だとは思いもよらなかったクザンは素っ頓狂な声をあげる。さらに内容が内容だ。今までミリほども聞いてなかった新事実を、クザンは飲み込むのに少し時間がかかった。

「……マジ?」
「やっぱり聞いてないよねェ。まァ、わっしもさっき聞いたばかりだよ」
「え?どこのどいつと?」
「そこまではわっしも知らないよ〜」

名前がお見合い。いまいちクザンの頭の中では単語が結びつかなかった。いつも仕事に一生懸命で、自分の隣に常にいる名前が恋愛をするというのは何故か想像ができない。
だが、考えてみればその前兆が何もなかったわけではなかった気がする。この前突然問われた今までの恋人の有無や、休みの理由はもしかしたらお見合いに繋がっていたのではないだろうか。

一人納得をしてから、クザンはどことなく寂しくなった。名前も年ごろの女性なのだから、普通に考えれば恋愛の一つや二つしているはずだろう。しかし、可愛がっていた姪っ子にいつの間にか彼氏ができていたかのような気分になってしまう自分がいた。

「名前ちゃんがねェ…。ま、変な男に捕まらなきゃいいけど」
「珍しく聞き分けがいいねェ」
「いやおれただの上司よ?口出す権利ないでしょ、普通に」
「へェ〜?」

ボルサリーノの含みのある言い方に、クザンの眉が寄る。別にクザンはなんら自分の意見は偽っていなかった。自分が名前の恋愛沙汰に口出す権利などないのだ。さすがにかわいい自分の秘書が変な男に捕まっていたらそれは心配するが、普通のお付き合いをしているのなら関与する理由もない。

「別におれは名前ちゃんが幸せならそれでいーの」

ボルサリーノにそう言い残して、クザンはもう目の前になった自身の執務室にさっさと退散した。

ドアを開けるといつもならば名前の「お疲れさまでした」という声が響くのだが、今日はそれがない。それどころか、名前の姿すら見えない。名前の気配は感じられたため、もしやと思いソファーを覗き込んでみれば、そこには名前が心地よさげにすやすやと寝ていた。

「あらら、珍しい」

仕事中に寝るだなんてとんでもない、といった真面目な考えの持ち主である名前が居眠りだなんて珍しかった。というより、初めてだった。余程私生活で寝れなかったのだろうか。
ふと、お見合いのことが頭をよぎる。慣れないことをして疲れた様子の名前は容易に想像ができた。きっと名前のことだから、お見合いではドギマギして仕方なかったのだろう。

特に起こすつもりもなかったため、中途半端な姿勢で寝ている名前をソファーに横にさせ、棚から取り出したブランケットを丸めて頭の下に敷いてやる。ブラケットは一枚しかなく、かけてやるものに困ったクザンは、自身の椅子に掛けてあったコートを名前にそっと被せた。厚手のそれは、ブランケットの代わりにちょうどいいだろう。

掛けられたコートが温かったのか、先ほどより安らかな寝顔になった名前に、自然と微笑みが零れた。ソファーの前にしゃがみこんで、そっと名前の頬を撫でてやる。頬の滑らかな触り心地と穏やかな寝顔に、クザンの目元は益々優しく緩んだ。

「ま〜気持ちよさそうに寝ちゃって」

無防備な寝顔に何とも言えない愛しさが溢れる。そこでふと、先ほどのボルサリーノの態度が思い出された。端的にいえばクザンが名前に恋愛感情を抱いているんじゃないのかと言いたかったのだろう。
よくよく考えてみると、名前に向ける庇護欲のようなこれを恋愛かどうか量りにかけたことはなかった。当たり前のように抱きすぎている感情で、それが何なのかすら考えもしなかったのだ。

今まで女性を魅力的だと感じれば、肉体的な欲求が必ずあったものだが、名前にそういった魅力は感じたことがない。ただ、名前が隣で照れたり怒ったり笑ったりしている姿にクザンは心底安らいでいた。これを恋愛という言葉に当てはめるのは、どうにも違う気がした。

名前の隣に誰か別の男が並ぶのを想像すると、面白くない気もしたが煮えたぎるような嫉妬は湧いてこない。それで名前が幸せそうなら、きっと自分は満足なのだ。

眠っている名前の頭を撫でながらぼんやりとそんなことを考えていると、名前の顔がゆるゆると解けて、ふふと幸せそうな笑顔がこぼれる。クザンの撫でる手が気持ちよかったのか、それとも何やら良い夢でも見ていたのか。真相は分からなかったが、目の前で無防備な表情を見せられて、クザンは湧き上がる気持ちに突っ伏した。

「かっ……わい〜…」

寝顔を見ているときりがなくなってしまいそうだったクザンは、名前の頭を一撫でてから、仕事を再開するためにデスクへとつく。仕事をしながらも時々聞こえる寝息に、かわいいと叫びたい衝動を抑えながら、クザンは嫌々仕事を進めた。

***

休日、特段やることもなかったクザンは自宅で寝ていたが、やがて空腹を訴え始めた体に、面倒だと思いつつご飯を求めて家を出た。適当なものを買って帰ろうか、どこかで食べて帰ろうか。歩きながら迷っていたが、ふと馴染みのガーリックチャーハンが食べたくなって、行きつけの店へと足を運んだ。

ドアを開けるといつもの食欲をそそる匂いが鼻をくすぐる。入口に頭をぶつけないよう背中を丸めて店内に入り、奥の席へ向かおうとした時だった。
店内に私服姿の名前がいることに気が付く。清楚なワンピースに、うっすらと化粧をしたその姿は仕事時とは雰囲気が違ったが、クザンが見間違えるはずもなかった。

「あれ、名前ちゃんじゃねェの」

姿をとらえた瞬間そう声に出すと、名前はビクッと肩を跳ねさせた後、こちらを見て目を見開く。確かに休日に外で会うのは珍しいかもしれないが、そこまで驚くことだろうかと名前のリアクションに首を傾げると、もう一つ自分に注がれる視線に気が付く。よく見ると、名前の向かいには知らない男が座っており、やけに早い思考回路が現在名前はお見合いの真っ最中だという答えを導き出した。

すっかり名前しか見えてなかったクザンは、心の中であちゃーと呟く。ここからそっとフェードアウトしたとしても空気が修復するとも思えず、どうするべきか考えあぐねていると、強い視線を感じて顔を上げる。すると、今にも泣き出しそうな名前と視線が絡んだ。

どう考えてもその顔は助けてと訴えているようにしか見えず、気まずさを占めていたクザンの心が苛立ちに塗りつぶされる。こんな見たことのない表情をするほど、この男との食事が苦痛だったのだろうか。名前が嫌な思いをさせられたというだけで酷く腹が立ったが、ぐっとこらえて何でもないよう装って口を開く。

「…あーー、なんだ、お取込み中のとこアレなんだが、名前」
「えっ!あ、はい!」
「急用の仕事だ。来てくれる?」
「しょ、承知しました!」

ガタン、と慌てて立ち上がった名前が駆け寄ってきた姿を見て、苛立ちが顔を引っ込める。男を見やると、何が起きているのかよく分からないような表情をしていた。勝手に名前をこの場から攫う駄賃として、クザンはポケットからいくらか取り出してテーブルの上に置く。

「悪いな、うちの秘書ちょっと借りてくわ」

去り際に男の肩を叩いた瞬間、力がこもってしまったような気がしたが、まあいいだろう。一刻も早くここから去りたかったクザンだったが、名前の手を引いて足早に歩くのも気が引けたため、おろおろしている名前を抱き上げる。驚きの声をあげる名前をその場は無視してとりあえず店を後にした。

しばらく歩き続けていると、腕の中の名前から遠慮がちに「あの…」と声を掛けられる。

「んー?」
「仕事って…?」
「え?ウソに決まってんでしょうよ。まさかホントだと思った?」
「いや、その、ウソだとは思ったんですけど……」

もごもごと名前はまだ何か言いたげだったが、とりあえずどこかで落ち着いてから話した方が良いだろうと思い、クザンは少しの間歩き続けた。しばらくして目に入った公園に入り、ベンチの前まで来て名前を降ろす。降ろされた名前の表情は困惑に満ちており、どこか居心地が悪そうであった。

「……なんでウソまでついて…」

ベンチに力なく座った名前が項垂れながら小さな声で呟く。おそらく、あの状況からクザンに助け出されると思っていなかったのだろう。お見合いをすっぽかさせてしまった罪悪感は少なからずあったが、あんな顔をした名前を放っておくなんて選択肢はクザンの中にはなかった。

「何でって…だって名前ちゃん、今すぐ助けて!って感じの顔してたから」
「うっ……」

今更あの表情が勘違いだとは思っていなかったが、やはり間違いではなかったようで、名前が言葉に詰まる。そしてまた顔を伏せると、名前は黙りこくってしまった。

名前の考えていることは、クザンには分からなかったがおそらく自分を責めているのだろうと感じた。何を声かければいいか迷っていると、ぽたりと名前の瞳から零れた雫が公園の地面の色を濃くする。思わずぎょっとすると続いて名前の鼻のすする音が聞こえてきて、クザンは益々焦った。とりあえず話を聞かなければと、その場にしゃがんで名前の顔を覗き込む。

「…おれ余計なことしちゃった感じか?」

名前が泣いている理由はいくつか思いつくがどれも憶測にすぎない。もしや自分のせいで泣き出してしまったのではないかと焦り、そう問うと名前はぽろぽろ涙をこぼしながらも必死に首を横に振った。
ほっとしつつ、それでも名前の涙は止まらないものだから参ってしまう。化粧をしているにも関わらず、名前が度々目をこすったりするものだから、目周りの化粧が大分落ちてしまっているのも同情を誘った。

「あー…ならいいんだけどよ…。…もー、名前ちゃん泣かないの。せっかくおめかししてるのに台無しよ?」

あやすように頭を撫でながら、できるだけ優しく声をかけると、涙声で小さく「すみません…」と謝られる。別に謝られる理由はどこにもないのだが、名前はクザンに迷惑をかけてしまっていると思っているのだろう。一向に泣き止む気配がない名前に困りながら、原因に考えを巡らす。

原因が自分ではないとすれば、お見合いを上手くできなかった自分への情けなさや怒りで泣いているのだろうか。それともまさか実はあの男が好きだったのだろうか。どの理由も確実とは言えず、クザンは言葉を選びながらなんとか慰めようと努力する。

「よしよし、何があったかはよく分からねェけど、まァ…ほら、男なんていっぱいいるし、名前ちゃん可愛いから大丈夫だって」

クザンが慰めの言葉をかけるたび、名前の涙の量が増えていく気がした。慰められると余計泣けてくる気持ちは分かるが、クザンとしてはそれ以外にどうしたらいいのかも分からず困り果てる。段々としゃくりあげ始めて、息がしづらそうに名前の肩が上下するものだから、クザンは落ち着かせるために名前をそっと抱きしめた。

「とりあえず泣きやみなさいって、な?」

ゆっくり呼吸ができるように背中を撫でてやると、腕の中の名前が息をつめた気配がした。違和感を感じた瞬間、堰を切ったように名前が声をあげて泣き始める。

「わああぁっ、うぇっ、くざ、クザンさんん」
「え?なになに、ど〜したの、ほら息吸って」

感情が大爆発したのかわんわん泣く名前。呼吸困難な様子が見てられなくて深呼吸を促していると、今まで視線が合わなかった名前の瞳がクザンを映した。

「わ、わたし、クザンさんのことが…っひぐ、すき、好きなんです、うううっ…」
「へっ?」

何か唐突に凄いことを告げられた気がする。本気で空耳かと思い、クザンは間抜けな声で「えっ?なんて?」ともう一度尋ねた。それに答えようと、名前はしゃくりあげながら必死に途切れ途切れの言葉を紡ぐ。

「わたし、クザンさんのことが好きで、っひ、でも諦めようと思って、お見合いしたけど…っう、む、むりで…うう……やっぱクザンさんのことが好きなんです、っう〜…」

名前の言葉を飲み込むのにかなりの時間を要した。名前が自分のことを好き。思えば考えたこともなかった事実で、クザンは目から鱗だった。確かに名前から悪い感情を向けられているとは微塵も思ったことがなかったが、まさか恋愛的感情を向けられているとは。

考えてみればそうおかしなことではなく、クザンと同様に名前も日々過ごすうちに少しずつ好きになっていてくれていたのだろう。距離が近すぎてお互いの気持ちに気づかなかっただなんて、一周回って笑えてくるとクザンは心の中で苦笑する。

「あ〜…その、なんだ……」

普段女性を口説くときの勢いはどこへやら。湧き上がる嬉しさや愛しさを抑えるのに精いっぱいで、言葉選びが滞る。とりあえず緊張で詰めていた息を吐きだして、クザンは名前の濡れた瞳をまっすぐに見つめた。

「……おれは、別に一緒にいられるだけでよかったんだけどな?」

紛れもない本音だった。傍にいられるだけでよかったのだ。名前とどうこうなりたいなど考えたこともなく、ただ傍でその姿を見られるだけで満たされていた。しかし戸惑いがちにクザンの名を呼んだ名前の声に、どうしようもなく求めたい衝動に駆られて、自分の強欲さに呆れる。
傍にいるだけでいいとは思っておきながら、求められては湧き上がるものがあるのが男の性だ。このまま名前の全てを手に入れてしまいたい、そんな欲が頭を占めた。

「そんな風に言われて、落ちない男はいないでしょうよ」

名前の顎に指をかけ上を向かせてから、輪郭をなぞるように指を滑らす。そのまま唇を重ねると、反射的に名前が瞼が閉じられる。まつ毛に乗った涙の雫がきらりと光るのをきれいだと思った。
ちゅと名前の唇を軽く吸ってから、鼻先が触れあうくらいの距離を保ったまま名前を見つめる。名前はまだ何が起きているのかよく分かっていないのか、ぼんやりと心地よさに身を委ねているようだった。その様子に思わず笑みが漏れる。

「…名前ちゃん、今何考えてる?」
「へ……あ、えっと………しあわせだなあって……」
「そ、」

一度求めてしまえば、あとはもっともっと欲しいという気持ちがいっぱいになったが、何とか欲望を抑えつけて二度目のキスをする。こんなに子供じみた触れるだけのキスをしたのはいつぶりだろうかと思ったが、おそらくかなり記憶を遡らないと分からないためすぐに考えるのをやめた。
ようやく惚けていた名前が現状を理解し始めたのか、強くシャツの裾を引かれたので一旦顔を離す。

「なななんで……き、きす……」

顔を真っ赤に目をぐるぐると回した名前が呟くので、ちゃんと気持ちを伝えてやらないとと思い、名前の頬を両手で包み込む。

「なんでって、おれも名前ちゃんの事が好きだから」
「……んっ!?」

今にも倒れるんじゃないかというくらい耳まで赤くした名前をよそに、クザンは自分で言ったセリフに首を傾げた。なんだかしっくりこない。好きなどという言葉では、今までの気持ちに説明がつかない気がした。

「…いやでもそんなレベルじゃねェ気がすんのよね、なんていうか、…愛してる?」

よく耳にするが、自分には縁のないものだとどこかで思っていた言葉は、口にすれば驚くほど馴染んだ。ずっともやもやしていた難題の答えがようやく出たようで、胸がすいて清々しい。
どうりで好きなんて言葉では表しきれないわけだ。自覚すれば名前への愛はとどまることを知らないほど溢れて、湧き上がる高揚感を抑えられずに思わず口角をあげながら、クザンはこれからのことに思いを馳せた。

さて、これからこのかわいい恋人をどうやって愛し尽くそう。


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