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TopMain恋情ブレンド
クザンさんへの失恋から早く吹っ切れてしまおうと、私は無理やりお見合いへ気持ちを傾け、もっと話してみればアルフさんへの印象も変わるかもしれないと思いこむようにした。心の奥底ではやはり食事に出向くのが心底面倒だったが、表面上自分を取り繕って気合を入れて家を出た。
はずだったのだが、やはり私の心は素直なようで、待ち合わせ場所でアルフさんの顔を見た瞬間、気分は急降下した。

「おはようございます」
「うん、久しぶり」

やけに近い距離で挨拶をするアルフさんから身を引きつつ、相変わらずの愛想笑いを浮かべる。

「実はさ、今日行く店決めてなくて。名前のおすすめの店とか教えてくれない?」

誘ったくせに決めてないのか、と条件反射のようにイラっとしてしまった。いけない、そう思うのは私の驕りだと自分を戒める。いくらアルフさんが好みではないからといって何もかもに腹を立ててしまうのはよくない。深呼吸をしてから私はにっこりとアルフさんに笑いかけた。

「おすすめというか、行きつけの店でよければ」
「全然いいよ。行こうか」

すぐに良い店が思い浮かばなかった私は、お昼によくクザンさんと食べに行く店へと足を運んだ。クザンさんを忘れようとした矢先、咄嗟にクザンさんが好きな店を選んでしまうのはどうなんだろうか。私に深く根付きすぎた面影にずきずきと胸が痛んだが、ぐっとこらえて目の前のつまらないアルフさんとの会話に集中した。

お昼時でもいつもそこまで混んでない店だったため、今日もすんなりと店に入ることができた。大将青キジといつも来店してる私は、すっかり店長さんや店員さんに顔を覚えられていたため、休みの日に他の男の人と来たことで驚きの視線が私に集まる。気まずさにこの店を選んだことを後悔したが、やはり何度考えなおしてもぱっと思いつく店がここぐらいしかないのだ。
なるべく目線を合わせないようにして席についた私はメニューに目を滑らせた。ここの料理はどれも美味しく毎回何を食べるか迷ってしまう。ううんと悩みながら、水へと手を伸ばしてメニューを凝視する。

「何にしますか、クザ……」

つい、いつも向かいにいるあの人に声をかけそうになって、寸前のところでとどまる。顔を上げれば、途中で言葉を途切れさせた私を不思議そうに見つめるアルフさんと目が合った。

「…アルフさんは何頼むか決まりましたか?」
「え?ああ…おれはシチューにするよ」

慌てて笑顔を見せれば、アルフさんも大して不自然に思わなかったようで特に突っ込んでくるようなことはなかった。本当にしっかりしてくれ私、と心の内で自分で自分を叱咤する。
私も適当にメニューを決めて、店員さんを呼んで注文をする。料理が来るまでのこの時間が苦痛でならなかったが、なんとか会話の盛り上がりどころがないかと必死に探した。

「それでさ、おれ思ったんだよね、」
「確かにそうですね〜」

だめだ、盛り上がる兆しが見えない。本当にアルフさんの何から何まで私に合わない。というか合う女性がそもそも存在するのだろうか。クザンさんを忘れるにしても、相手がこれでは無理だ。また新しい出会いを探した方が良い気がしてきた、と肩を落としていると、アルフさんが何やら不穏な空気で「あのさ、」と切り出した。

「おれたちって、もう恋人…みたいな感じだよね」
「……えっ」

一瞬何を言われてるのか分からず固まってしまった。私とアルフさんが恋人。考えるだけで腹の底から御免だと叫びたくなる。どう返すのが正解か分からず硬直する私はお構いなしで、肯定の返事をもらえたかのようにアルフさんは続ける。

「今度デート行きたいんだけど、どうかな?」
「え…ええっと……、その…」

このままはっきり告げて帰ってしまおうか。ああ、でもそれで母の交友関係が悪くなるのは嫌だ。こんな時の上手い交わし方をヒナさんに聞いておけばよかった。いや、ヒナさんの対処法は当てにならないかもしれないが。
関係ないことを考え出すぐらいにはパニックになっていると、テーブルに置いていた私の手にアルフさんの手が重なる。声にならない悲鳴と、鳥肌が私を襲った。私の我慢メーターが限界を超えそうになった瞬間、ずっと聞きたかった声が私の名前を呼んだ。

「──あれ、名前ちゃんじゃねェの」

なんとも間抜けな声がその場に響いて、私とアルフさんの視線が同じ人物へと向く。二人から視線を向けられたクザンさんは私以外の存在がいたことに今気づいたようで少し驚いた顔をしていた。

「……」
「……」
「……」

私はタイミングの良いクザンさんの登場に固まっており、アルフさんは突然の大将青キジの登場に固まっていた。そんな異様な空気に若干戸惑いながら何を発言したらよいか分からずクザンさんも佇んでいたため、場には奇妙な沈黙が落ちた。

ふと、クザンさんと視線が絡んで、思わず泣きそうになる。今すぐこの手を振り張らってクザンさんの所に駆け寄ってしまいたいとも思ったが、クザンさんに失恋したばかりじゃないかと私は慌てて顔を逸らした。するとクザンさんがコツリ、とこちらに一歩踏み出し、わざとらしく咳ばらいをした。

「…あーー、なんだ、お取込み中のとこアレなんだが、名前」
「えっ!あ、はい!」
「急用の仕事だ。来てくれる?」
「しょ、承知しました!」

呆然としてるアルフさんにすみません、と言って立ち上がり、クザンさんに駆け寄る。クザンさんはポケットからいくらか取り出すとテーブルの上に置いて、アルフさんの肩をぽんぽんと叩いた。

「悪いな、うちの秘書ちょっと借りてくわ」

そう言ったクザンさんは私の前にしゃがみ込むと、私の太もも裏に手を回して「よいしょ」と私の体を持ち上げる。唐突な浮遊感に間抜けな声を上げたが、クザンさんは気にせず私を抱き上げたまま店を後にした。

スタスタと長い脚で足早にどこかに向かうクザンさんに、私は蚊の鳴くような小さな声で「あの…」と声をかける。

「んー?」
「仕事って…?」
「え?ウソに決まってんでしょうよ。まさかホントだと思った?」
「いや、その、ウソだとは思ったんですけど……」

もごもごと尻すぼみになっていく私の声。クザンさんはそんな私に何も言わずに少しの間歩き続けると、やがて近くの公園に入って私をベンチに降ろした。

「ま、ここぐらいまでくれば大丈夫だろ」
「……なんでウソまでついて…」

もはや独り言にも思えるぐらいの声の小ささで私は呟いたが、クザンさんはしっかりと聞き取ってくれたようで、困ったように頭をかく。

「何でって…だって名前ちゃん、今すぐ助けて!って感じの顔してたから」
「うっ……」

やはりそんな顔をしてしまっていたのか。縋るようにクザンさんを見てしまった自覚はあったので慌てて顔を逸らしたが、ごまかしは効いていなかったようだ。
クザンさんに助け出された現状が情けなくて、だが嬉しく思っている自分もいて嫌気がさす。クザンさんへの想いを忘れる決意はどこにいったというのだ。
名前を呼んでくれたクザンさんの声や、担がれたとき感じた体温に、この瞬間もバカみたいにドキドキしている自分に、複雑な感情が渦巻き、それは涙となって私の瞳から零れ落ちた。
私の鼻をすする音に気づいたクザンさんがしゃがみ込んで、私の顔を覗き込んでくる。

「…おれ余計なことしちゃった感じか?」

私の頭を撫でながら、気まずそうにクザンさんが問う。そんなことはないと声を上げて否定したかったが、嗚咽が邪魔をして声が出ない。私は仕方なく精いっぱい首を横に振った。

「あー…ならいいんだけどよ…。…もー、名前ちゃん泣かないの。せっかくおめかししてるのに台無しよ?」
「っうぇ…す、すみませ…」
「よしよし、何があったかはよく分からねェけど、まァ…ほら、男なんていっぱいいるし、名前ちゃんかわいいから大丈夫だって」

クザンさんは何か微妙にずれた解釈をしていたが、それを否定して一から説明できる状態ではない私はぽろぽろと涙を落としながらクザンが慰めてくれるのを甘受するばかりだ。
本当に何をやっているのだろう、私は。止めようと思っても止まらない涙に、呼吸がしづらくなっていると、ふわりとクザンさんの温もりに包まれる。
気づいた時にはクザンさんの肩口が目の前にあって、抱きしめられているのだと分かった。背中にまわったクザンさんの手が私を宥めるように往復する。

「とりあえず泣きやみなさいって、な?」

耳元で聞こえたクザンさんの低い声に、私の理性の箍が外れた。もう、いっそ砕け散ってしまえばいいのだ。そう思った瞬間、奥底からこみ上げてくるものがあって、私は声をあげて泣き始めた。

「わああぁっ、うぇっ、くざ、クザンさんん」
「え?なになに、ど〜したの、ほら息吸って」
「わ、わたし、クザンさんのことが…っひぐ、すき、好きなんです、うううっ…」
「へっ?……えっ?なんて?」

私を宥めていたクザンさんは素っ頓狂な声をあげて目を見開く。一度言ってしまえばあとはなし崩しにぼろぼろと出てくるもので、私は嗚咽混じりに言葉を紡いだ。

「わたし、クザンさんのことが好きで、っひ、でも諦めようと思って、お見合いしたけど…っう、む、むりで…うう……やっぱクザンさんのことが好きなんです、っう〜…」

わーんと子供みたい泣きじゃくる私と、私の肩を掴んだまま惚けているクザンさん。暫くして、やっと状況を飲み込んだらしいクザンさんが、ぎこちなさげにゆっくりと息を吐いた。

「あ〜…その、なんだ……。…っは〜〜、おれは、別に一緒にいられるだけでよかったんだけどな?」
「……クザン、さん…?」

顔を上げたクザンさんの瞳と視線が絡む。それは先程までの困惑の色に満ちたものではなく、真っ直ぐな力強い瞳だった。

「そんな風に言われて、落ちない男はいないでしょうよ」

すっと私の顎にクザンさんの指がかかる。そのまま優しく輪郭を指先で撫ぜられたかと思えば、いつの間にかクザンさんの唇の熱を移されていた。
泣き疲れた頭では今の状況をきちんと処理しきれず、ふわふわと夢心地のような幸せに包まれる。ゆっくりと唇が離れていって、鼻先のクザンさんを見上げると、ゆるりと笑うクザンさん。

「…名前ちゃん、今何考えてる?」
「へ……あ、えっと……しあわせだなあって…」
「そ、」

ぽやぽやとした答えにクザンさんはまた小さく笑って、軽く唇を重ねてくる。二回目のキスにようやく何が起きたのか理解し始めた私は、ハッとして目の前のクザンさんのシャツを握る。

「…あ、あの……あれ…?」
「ん?」
「なななんで……き、きす……」
「なんでって、おれも名前ちゃんの事が好きだから」
「……んっ!?」

唐突に頭が冴えてきて、心臓がバクバクと騒がしくなり始める。今、もしかして、私はとんでもない状況に身を置いているのではないだろうか。目の前のクザンさんは私のパニック具合も気にせずに、なにやら一人でううんと唸り声をあげている。

「いやでもそんなレベルじゃねェ気がすんだよな、なんていうか、…愛してる?」
「…………」
「……なんて顔してんの名前ちゃん」

絶句を通り過ぎてもはやどんな感情を抱いたらいいのか分からないくらい頭が真っ白になる。あまりにもこの展開が嘘のようで、実感が得たかった私はクザンさんの胸にそっと顔を寄せる。
「…あらら」とクザンさんの少し嬉しそうな声が降り注いだかと思えば、ぎゅっと抱きしめられた。クザンさんの腕の逞しさや目の前にある胸から聞こえてくる鼓動に、否が応でも現実味は帯びてくる。

「…ほ、ほんとですか」
「おれがウソついたことある?」
「はい」
「うん確かにあるけどそこはないって言うべきじゃねェ?」
「だって…信じられない、」
「まァ…おれもあんま信じられてねェなァ」

クザンさんは私の額にかかる髪の毛を指先で除けると、優しくキスを落とす。何故か先程のキスより恥ずかしく思えて、全身から汗が噴出しそうなくらい赤くなっていると、また私にキスをしようとして顔を近づけていたクザンさんが「…あ、」と何かを思い出したような声を上げる。

「?…なんですか」
「や、そういやさっきウソついちまったなと思って」
「何かありましたっけ」
「ほら、あのにーちゃん」

クザンさんに言われてすっかり存在を抹消していたアルフさんのことを思い出す。もう顔すらぼんやりとしか浮かばない。アルフさんに何かしただろうか、と首を傾げると、クザンさんは私の後頭部に手を回してきて私の髪を梳いた。

「返すつもりなんてねェのに、借りるとか言っちまった」

クザンさんの腕の温もりを感じている今、またアルフさんの元に戻るなんて考えたくもなくて、私はクザンさんのシャツの裾を強く引く。

「……私も、返して欲しくない、です」
「…っあ〜〜、やっぱ名前ちゃんかわいすぎねェ?もっかいキスしていい?」
「え、まっ、」

問答無用で唇を塞がれて、先程までのキスが本当に可愛いものだったと思い知らされるぐらい、好き勝手に蹂躙される。その刺激にくらくらしたが、クザンさんの舌からほのかに感じられた苦味に私は顔を顰めた。

「ん…、どしたの」
「…にがいです」
「苦い?…ああ、コーヒー飲んでたからか?……あれ、名前ちゃんってコーヒー…」

そういえば、といったように私を見つめるクザンさん。今更言うのも恥ずかしくて、私は俯きながらぽそりと呟いた。

「……飲めないですけど」
「えっ」

すると浮かび上がってくる事実というものがあって、クザンさんは今までの記憶を手繰り寄せた後、少しだけ目尻を赤く染めて「あー…」と口元を覆い隠す。

「もしかして…おれのためにコーヒー淹れる練習した?」
「…淹れたことなかったですからね」
「……これからもおれのためだけに淹れてくれる?」
「クザンさんしか、私のコーヒー飲む人いません」

最初に比べたら上手く淹れられるようになった気がするのだ。でもまあ、たとえまずかったとしても飲むのはきっとクザンさんだけだから、別にいいだろう。愛のパワーさえあればおいしいはず、なんて力業で押し切ってみようか。くだらないことを企てながら、私はクザンさんの首に腕を回すのだった。


恋情ブレンド 7話


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