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また、またやってしまった。母上と父上の落胆と呆れが混ざった何とも言い難い表情が脳裏に過って、さっと血の気が引く。しかし、いくら考えても目の前の男と結婚する気にはならず、繕いの言葉はいつまで経っても私の口からは出てこなかった。


目の前には厳めしい顔をした母上。もう何度目か数えるのも嫌になってきたこのお説教に、母上もほとほと困り果てているようだった。

「またですか」
「……」
「こら、黙るのをよしなさい」
「…すみません」

鋭い視線に心臓が嫌な音をたて、重たい口をやっとのことで開く。先ほどからため息が止まらない母上が殊更大きなため息をついて、不覚にも泣きそうになってしまった。

「いつも言っていますね、打ち負かす必要などないのだと」
「はい…」
「どうしても我慢ができないのですか?」
「しよう、とは思っています」
「心の底ではしたくないと思っているからできていないのでしょう?」

片手では数えきれなくなってきた婚約話の破談。その原因は、いつも私が相手の男を言い負かすことにあった。もちろん、私とて破談させるつもりで臨んでいるわけではない。しかし、目の前であまりにも浅はかな思考を曝け出されると、我慢できなくなってしまい突っかかってしまうのが私の悪い癖だった。
そんなかわいくない女、引き取ってもらえないのが世の常。おかげで母上が持ってくる縁談話は実を結ぶどころか、焼け野原になって終わってしまっている。

「良い女とは男を掌の上で転がすものです。決して殿方を打ち負かしたりはしません」
「はい…分かって、います。でも…」
「あなたが頭の良い子なのは母も分かっているつもりです。しかし、その学をひけらかすことが浅ましいことであると、なぜ分からないのですか?」

母上の言うことが間違っているとは一度も思ったことがなかった。母上が頭の良い人であると幼いころから私が誰よりも分かっている。機転が利いて、頭の回転が速く、父上なんかよりよっぽど当主が務まるのではないのかと、幼心ながらに思っていた。その能力を持ちながら、母上は妻としてもよくできた人物であった。
夫を立て、夫を支え、決して自分が前に出ることはない。そういうところも含め、母上には尊敬の念しかない。分かってはいる。女として私もそうであるべきだと。分かってはいるが、それでも、私は。

「わ…私は、どうしても!自分より頭の悪い男に私の人生を預けて、子を産むだけの生涯なんて、嫌なのです!」

自分の本音を吐き出すと、かっと体が熱くなり感情の昂りのまま涙が滲む。私のわがままを吐露した母上の反応なんて、見たくも考えたくもなくて、私は逃げるようにして部屋を出た。
心臓が耳の横にあるのかというくらい心音がうるさい。自身の部屋に駆け込んで襖を勢いよく閉めると、訪れた静寂に情けなくなってぼたぼたと涙が零れ落ちた。

別に、母上や父上を困らせたいわけではない。ただ、私は私の人生を生きたいだけだった。考えが浅はかすぎて顔がへのへのもへじにしか見えない男の妻となり、その生涯を終わらせるなんて馬鹿みたいだ。
私は、母上のようには一生なれない。不平不満は言いだせばきりがなかったが、それを解消できるような逃げ道も今の私には見当たらなくて、閉鎖空間に閉じ込められたかのように息が苦しかった。

母上は飛び出す私を追ってくるような人ではない。恐らく私が頭を冷やすのを待っている。しばらくして落ち着いたら母上の部屋にまた出向かなければならない。どうやって言い訳をしたものか、と考えるだけできりきりと胃が痛んだ。
何も考えたくなくてしばらくぼんやりとしていると、泣き疲れた私はいつの間にか意識を手放していた。


かたり、と襖が開く音。母上だろうか、と涙でぱりぱりに乾いた目をゆっくり開ける。体が怠く起きれずに近づく気配に意識を傾けていると、大きな手が私の頭を撫でた。

「また荒れていたのか」

母上でも父上でもない、低くて優しい声。思ってもいない人物に、私は跳ね起きた。

「叔父さん…!?」
「久しぶりだな」

くしゃりと妙齢の顔にしわを畳ませて笑うその顔に、今はどうしようもなく安心してしまって思わず飛びつく。驚きつつも鍛えているであろうしっかりとした体で受け止めてくれる叔父さんに、私はしがみついた。

「いつ来てたの!」
「今さっきだ。名前はどこかと聞いたら癇癪を起して部屋にこもっていると聞いたのでな」
「癇癪……まあ…否定は、できないんだけど…」

先ほどまでの憂鬱がよみがえり肩を落とすと、叔父さんは責めるわけでもなさげに「また破談したのか?」と問うてくる。私が小さく頷くと、叔父さんはふむと相槌を一つ打って何も言わなかった。
考え込むと、母上の顔ばかりが頭にこびりついてまた胃が痛み始める。せっかく大好きな叔父さんが来ているというのに、私の気分は底辺を這うばかりだ。現状、部屋にこもっているのもただの「逃げ」に過ぎず、この後を考えると喉が狭まった。

「…もう、ここ最近縁談のこと考えると息が、しづらくて…」
「……」
「婚約、結ばなきゃダメなのかな……」

事情を全て知っているであろう叔父さんの前では、本音の言葉と共に重苦しい息が私の口から零れ出る。雑多な思考を追い出すようにぎゅっと瞳をつむり、私は叔父さんの胸板に顔を押し付けた。人肌を感じているだけで、鉛が埋められたかのような鬱々しい気持ちが緩和するのだから不思議なものだ。

「…今回のお相手も大層お怒りだったそうだな」
「うっ……まあ、私がとても不遜な態度を、とったので…」

今となっては申し訳なさもある。しかし、やはりあのアホ面を思い出すと腹が立つものはあるし、あれの妻となる人生なんて考えるだけで肌が粟だった。

「なぜいつもそうなってしまうのか。おまえのことだ、自覚はしているのだろう?」
「……無理なんです。私より、思慮も浅く、視野が狭く、女を馬鹿にしてる人たちが。は、腹が立ってしまって…」
「腹を立てずに笑顔を浮かべられる女はまあ…、おまえの母くらいだ」
「……私は母上のようにはなれません」

私が未熟なだけだと分かっているが、成長する未来も想像ができない。私の負けず嫌いですぐ口が出て顔にも出てしまう意固地でかわいくない性格は、根拠もなく一生このままな気がした。

「お互いに尊敬しあえない関係というのは成り立たなくて当然だ。名前はきっと見下されているという雰囲気を敏感に感じ取ってしまうんだろう」
「そう、ですね。見下されると、私もすごく相手のこと見下してしまって……、それでもう、色々と我慢ならず…」

自分を分析すればするほど自身の嫌なところばかりが目立って滅入ってしまう。相手の男は馬鹿も馬鹿だったが、私だってそれに対してムキになるあたり同じ土俵に立ってしまっている。自覚しているのに抑えられないというのは、未熟以外の何物でもなかった。

「私が母上のように聡明だったら、もっとうまい立ち回り方ができていただろうに……私は…」
「……そう自分を責めるな。努力をして成長することも勿論大事だが、人には向き不向きというものもある」

一辺の感情に偏ることがなく、人の心を汲み取ることが上手い叔父さんの言葉は、いつだって真っすぐ私に届く。だから叔父さんの話は昔からすんなりと私の肌に馴染むのだ。そういうところが昔から憧れで、私の拠り所でもあった。

「…私、叔父さんのお嫁さんになりたかったな」
「ぶっっ」

叔父さんの吹き出した声と動揺した様子に思わず笑いが漏れる。叔父さんと結婚できたら、その願いは決して嘘ではなかったが無理な話であることはとうの昔に分かっている。強くて、頭がよくて、優しくて、格好良い叔父さんが理想な人であることは今になっても変わらないが。
叔父さんはむせこんで乱れた息を整えるように咳払いすると、私の肩に手を置いて真剣な瞳で私を見つめた。

「まあ、その、そういう話を一度置いといてだ。私からひとつ提案がある」
「提案?」
「どうだ、忍術学園で働いてみる気はないか」
「へ…、」

それは突拍子もない提案だった。思ってもいない誘いに、驚きの声すら出ない。忍術学園、確かめるように私が復唱すると叔父さんは「そうだ」と大きく笑った。

私の人生はこの日を境に、大きく姿かたちを変えることになる。


モラトリアムと青い春 1話


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