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「これ、うちの書類じゃないぞ」
「へ?」

彦四郎に宿題を教えている真っ最中だった勘右衛門は、三郎の声に手を止めて振り返る。三郎はちらりとこちらに視線を向けながら、つまらなそうに手元で書類を弄んだ。見せたいんだったらこちらに書類をよこすなり何なりしろ、と思ったが一々突っかかるのも面倒だ。
仕方なく勘右衛門が身を乗り出して三郎の手元を覗き込むと、その書類には確かにでかでかと「作法委員会」と書かれていた。

「わあほんとだ。見事に間違ってるねー」
「弱みを握れる重要な書類だったらまだ面白みがあったものを…書かれているのは生首フィギュアのリストだ」
「あんまり見たくないですねそれ…」

後ろで話を聞いていた彦四郎が苦笑いを零す。確かに作法室に誰の生首フィギュアが置いてあるかなんて、特段知りたいものではない。と思った矢先、視界の端に入ってきた見知った名前に、その生首フィギュアを妙に生々しく想像してしまった。今度作法室に行った時に目が合ってしまったらしばらく忘れられなさそうだ。

「それにしても、最近こういう間違い少なくなってたのに珍しいね」
「通常運転だろ、小松田さんの」
「違うってば。新しい事務員さん入ってきてから少なくなってたんだよ」

思い浮かべていたのは二週間前に入ってきた新しい事務員のこと。いつものことながらではあるが、学園長先生からの突然の紹介に皆、目が点になったものだ。若い女性ということで印象的だったのも覚えている。

「おまえ…本当そういうところにはよく気が付くな」
「三郎が気が付かな過ぎなだけじゃない?」

新しい事務員が来てから、目に見えて事務室に押しかけなければいけない用事が減っていた。勘右衛門は新しい事務員がきっとできる人なのだろう、と感じていたが、皆はそこまで深く考えていなかったらしい。
怪訝そうな顔をしていた三郎をからかえば、細い眉が遠慮なしに額に寄った。おおよそ、雷蔵はしない顔だ。

「とりあえずそれ返さなきゃだよな。おれ事務室行ってくるよ」
「なんだ、そんなに興味があるのか?」
「挨拶ぐらいはしてみたいじゃん」

反撃するように茶化してきた三郎を適当に流して、その手元にある書類をぴっと奪い取る。いい機会ができた、と思っていたがそれを口にするとまた揶揄されそうだ。
少しわくわくしていた勘右衛門は軽い動きで腰をあげる。勘右衛門が立ち上がったことにつられるように顔を上げた彦四郎の頭を撫でて、指導の最中だった宿題を一瞥した。

「途中になっちゃってごめんな彦四郎。続きは三郎に教えてもらってくれ」
「はい!いってらっしゃいませ、尾浜先輩」
「いってきまーす」

かわいい後輩の見送りを背に部屋を出て、事務室へと向かう。外に面している通路を通ると、どこぞの体育委員会の掛け声や悲鳴が聞こえてきたが、関わらない方が吉のため歩みを止めずに足早に廊下を進んだ。

事務室の前に到着し、扉に手をかけて「失礼しまーす」と声をかけると、中から「どうぞ」と女性の声。事務室から普段聞こえてくる声は小松田か吉野先生か事務のおばちゃんくらいなもので、若い女性の声が返ってくるのは慣れない感覚だ。疼く興味を押さえつけながら戸を引くと、机に向かっていた女性がこちらを振り返った。

「お仕事中すみません。学級委員会委員長の五年い組、尾浜勘右衛門です」
「尾浜…くん。どうしましたか?」
「これ間違ってうちの委員会に届いてたみたいなので」

少々かたい声音が新鮮だった。忍術学園の関係者は基本的に忍たま相手に緊張はしない。勘右衛門にぎこちなく対応する事務員をついついじっと観察してしまう。こんなことを言うと先生陣に怒られるかもしれないが、転校生が来たような、そんな浮足立ち方をしている自身がいた。

勘右衛門が差し出した書類を受け取り目を通した事務員は瞬時に事を理解したようで、額に手を当てて大げさに項垂れる。つい先ほどまで緊張していた空気が、落胆と共に急に解けた気がした。

「ああ…もう……、本当にごめんなさい。お預かりします」

思ったより落ち込む様子に、勘右衛門は目を瞬かせる。大したミスでもないが、随分と気にするらしい。そもそも小松田のミスではないのだろうか、聞かずにはいられずに口を開く。

「小松田さんのミスじゃないんですか?」
「え?あ〜……うん、多分そうだけど…」
「じゃあそんなに落ち込むことないじゃないですか。小松田さんのミスはいつものことだし」
「う〜ん、でも、まあ…小松田さんのミスをフォローするのが私の仕事だから。こうやってミスが漏れた時点で私の失態かな…」

勘右衛門は驚いた。まさか小松田とこんな風に仕事ができる人間がいるとは。その他人に対してあまり期待しない姿勢には親近感すら湧いて、一瞬にしてもっと話がしたいと感じてしまった。

「…えーっと、木下ではないんでしたっけ」
「ああ、うん。苗字です。苗字名前」
「苗字さん」

勘右衛門が名を呼ぶと、名前は「よろしく」と笑った。その笑顔に、普通に魅力を感じてしまった自分がいて僅かに動揺する。目の前の名前は、よく見てみるときちんとした女性だった。身なりも、振る舞いも、話し方もいやではなくて、自分より少し年上のしっかりとした女性。

何か話を振ろうとしていたはずなのだが、すっかり考え込んでしまって変な間が生まれてしまった。勘右衛門がどうにかしようとした時、タイミングが良いのか悪いのか、事務室の扉が開く。入口を見やるとのほほんとした小松田の顔があって、変に気が抜けた。

「あれ?尾浜くん?」
「小松田さん、こんにちは」
「こんにちはぁ。どうかしたの?」

何も知らずに首を傾げる小松田に、勘右衛門は思わず名前に視線を流す。どこまで答えたらよいか分からず返事のバトンを名前に渡すと、名前は特に怒りもせずにっこりと微笑んだ。

「委員会の書類が間違って届けられてたみたいです」
「ええ?…あ、ぼくが届けたやつかもしれない。ごめんねえ尾浜くん」
「いえいえ」
「私が代わりに作法委員会に届けてきますよ」
「いいの?ありがとう名前ちゃん」

全く怒らない名前に改めて感嘆する。小松田も小松田で、へにゃりと笑うその姿にはため息一つついて許してしまいたくなるような魅力もあるのだが。申し訳なさそうに肩を竦めていた小松田は何を思いついたのか、唐突にぱっと顔を明るくさせる。余計なことを言う予感。

「あ、ぼく代わりに書類整理しとくね!表の掃除も終わったし」

笑顔を浮かべていた名前の顔が微かに引きつった。それを見逃せなかった勘右衛門がフォローに入ろうか否か迷っていると、名前は一瞬で表情を繕って近くにあった書類の束を渡す。

「じゃあこの書類の枚数を数えてもらってもいいですか?」
「はーい」
「お願いします」

書類の枚数を数えるくらいなら任せても平気なのだろうか。いやしかし、普通は思いつかないような失敗をしでかすのが小松田クォリティーというものだ。ちらちら気になってしまって仕方がなかったが、勘右衛門が口を挟むようなものでもない。それに任せた張本人である名前は、特に何も心配していないようだった。

「私は作法委員会にこれ届けてきますね」

そう言って勘右衛門が持ってきた書類以外にも机の上の書類をせかせかとかき集めて抱えた名前が立ち上がる。時間があればもっと話がしてみたかったが、仕事に戻るのを邪魔するわけにもいかない。勘右衛門もそろそろ帰ろうかと思い踵を返すと、同じく部屋を出て行こうとしていた名前の足が止まっていた。
不思議に思っていると、名前の足がどこか彷徨うような動き方をする。中途半端に振り返った名前の表情に、勘右衛門はぴんときた。

「もしかして作法室の場所まだ覚えてなかったり?」
「え!あ、そうなの。よく分かったね」
「はは。よかったらおれ案内しますよ」

考える間もなく申し出ると、名前が瞳を丸くする。

「いいの?」
「はい。手は空いてますから」
「委員会、戻らないで大丈夫?」
「全然へーきです」

帰っても菓子を食べてお茶しているだけなので、という事実は胸にしまっておく。ついでに、もっと話せるチャンスと思いここぞとばかりに申し出たのだから、という本音もしまっておいた。

「尾浜くんがいいならお願い、できるかな」
「もちろん」

勘右衛門が快諾すると、名前がほっと小さく息をついたのが分かる。もう少し、気楽に頼ってくれて構わないのに。まだ出会って間もないが勘右衛門の直感を織り交ぜて予想をすると、二週間も経っているのに覚えていない自分が無能、とか思っている部分があるのではないだろうか。自分で予想した割にはかなり当たっていそうでなんだか笑えた。

ひい、ふう、みい、と書類を数える小松田の呑気な声を聞きながら事務室を出る。行く道よりゆっくりめに歩いて、並んだ名前を横目で見やる。勘右衛門は、先ほどのことをどうしても心配せずにはいられなかった。

「あれ、よかったんですか?」
「あれ?」
「小松田さんにまた書類仕事任せちゃって」

また失敗をやらかして迷惑を被るのはきっと名前だ。小松田のポンコツ具合を侮っているのではないだろうかとと勘右衛門がそわそわしていると、名前は何でもなさげに「ああ、」と応えた。

「大丈夫。あれ私が書き損じた紙だから」
「へ?」
「破ろうがお茶かけようが燃やそうが問題ないやつ」
「…、なるほどー」

これは一本取られた、と何故か自身が出し抜かれた気分になる。どうやらかなり名前のことを侮っていたらしい。裏紙としてしか使う要素がなさそうな書類を必死に数えている小松田のことを思うと苦笑いが零れ出たが、決してやり方を非難しているわけではない。勘右衛門は素直に感嘆していた。

「すごいなあ、苗字さん」
「え?何が」
「いや、仕事ができるんだなーって」

褒められたのが意外だったのか、それとも慣れていないのか。目をぱちくりと瞬かせた名前はややあってから気恥ずかしそうにふいと視線を逸らす。

「私は…多分こういうのが得意だけど、門番としては小松田さんの方が優秀だし…だからその、適材適所かなと」
「たしかに」

名前が入ったことによって助かっている事項をつらつらと並べてもよかったのだが、名前が反応に困る様子をひたすら見るというのも可哀想な気がしたので相槌をうつだけに留めておく。まだ照れているのか微妙な形で引き結ばれた唇をつい観察していると、いつの間にか作法室の前に辿り着いていた。

「はーい、到着です」
「ありがとう尾浜くん」

話し足りない気はしたものの、別れたところで同じ敷地内だ。機会はいくらでもある。柔らかい表情でお礼を述べる名前にひらりと手を振る。名残惜しそうな気配は皆無で名前が背を向けるものだから、勘右衛門はその場に留まる訳にもいかず踵を返した。
それでも何か問題が起きたりしないかどうか心配で、名前の背を視線で追っていると、開かれた戸の中からばっちりと目が合ってしまった、奴と。

思わず脳内で(運命的)と呟いて、勘右衛門は早々に仙蔵の手の中にいた見知った顔の生首フィギュアから目を逸らすのだった。


モラトリアムと青い春 2話


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