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青天の霹靂、とはまさにこのことだと人生で思う日が来るとは思わなかった。

「あの、桜木君…!」

他校の制服に身を包んだかわいらしい女子に話しかけられた当の本人と言えば、あまりの驚きで身じろぎすらできずにいた。まさかあの花道に、と顔を見合わせた洋平たちとは他所に、可憐な女子は勇気を振り絞るように花道に一歩踏み出して手紙を差し出す。

「ずっと、桜木君のプレー見てました!あの、よかったらこれ読んでくれませんか…!」

そこでようやく花道の視線がぎこちなく差し出された手紙に落とされる。ギギギ、と鈍い音がしそうな花道の首の動きに大楠が「油さしたほうがいいんじゃねーの」と呟いていた。
花道が差し出された手紙をおずおずと受け取ると、可憐な女子は「これからも応援してます!」と頭を下げて、足早に去ってしまう。奇妙な沈黙が数秒流れたが、やがて一連の様子を見ていた周りがわっと花道に駆け寄った。

「花道〜〜!!ようやく春が来たな!」
「めちゃくちゃ可愛い子だったぞ!?クッソ〜!羨ましいぜ花道!」
「人生初ラブレターじゃねぇか花道!」

高宮、大楠、野間が花道を取り囲んでやんややんやと騒ぎ立てる中、後ろで見ていたバスケ部のメンバーも「やるじゃない桜木花道!」「あいつでもモテんだな…」「三井さん嫉妬は見苦しいっすよ」「うるせー!」と各々好き勝手言っていた。
周りがそんな様子なのにも関わらず、いまだに本人は頭の中が真っ白になっているのか、高宮達にどかどかと背中を叩かれても心ここにあらずといったようで、ずっとぼんやりしていた。さすがに声をかけてやらないと、と思い歩み寄って花道の肩を叩く。

「よかったな、花道」

洋平の声にようやくハッとした花道は手元の手紙をちらりと見てから「お、おう」と曖昧な返事をした。てっきり花道のことだから手放しで喜び、自慢したがるものだと思っていたが、自分が好意を向けるのではなく、相手から好意を向けられるという初めての状況に予想以上に困惑しているようだった。
何が書いてあるのか気になる野次馬どもを一蹴した花道は「家で読む」と言い、皆の前でその手紙を広げることはなかった。

その次の日、いつも通り朝練を終えた花道が教室に入ってきて、洋平の後ろの席に座る。普段なら教室に入って来た時点で今日の朝練がどうだっただの色んな話をし始めるのだが、今日は静かだった。だが、花道が何か言いたそうにしている雰囲気があったので洋平が黙って待っていると、花道が小さく口を開く。

「名前、さん…という方だった」
「名前さん?…あ、昨日のラブレターの子か?」

頷いた花道に洋平は下手な相槌は打たずに「へぇ、そっか」とだけ返す。

「…ずっと前から、試合でオレのプレー見ててくれたらしい」
「花道目立つもんな」
「……」
「………返事しないのか?」

何かを考え込むようにむっつり黙ってしまった花道に、洋平がそっと尋ねる。花道が受け取ったのは明らかにラブレターだ。それならば返事をするのは当然のことだと思ったのだが、何故か花道は洋平に問いに苦い顔をした。

「それが、返事は不要だと書かれていて…」
「え?」
「返事はいらないから、これからも応援させてほしいと」

返事が不要だなんて、今のご時世ずいぶんとピュアなラブレターを貰ったらしい。話を聞いているとただのファンからの手紙、にも思えるが、返事は不要とわざわざ書いていたり花道の様子を見る限りは、想いを告げる一文はきっと綴ってあったのだろう。
花道は相変わらず色々と悩みこんでいるようだったが、これ以上は花道が相談してこない限り首を突っ込むべきではないなと思い、洋平はそれ以上口を出すことはしなかった。

***

順調に勝ち上がっている湘北はその日も無事に白星をあげ、他校の試合観戦も終えて、意気揚々と帰ろうとしている時だった。柱の陰から、いつぞやの可憐な女子がそろりとこちらを伺っているのが目に入る。彼女が来ているのなら目的は一つだろう。

「花道!」
「む?なんだ洋平」

不思議そうに振り返る花道に、洋平は柱の陰に視線をやる。つられて見た花道がその存在に気付いたようで、肩が強張って一気に動きが固くなった。苦笑しながらも「行ってあげろよ」と洋平が促すと、かちこちになりながらもその子へと歩み寄る。
相変わらず高宮たちがこの前の子だ、とざわざわ騒がしかったが、二人の邪魔になるといけないので適当に散らせる。

「おーら野次馬どもはあっち行っとけ」
「なんだよ洋平!お前は気になんねぇのかよ!」
「いーから、ほら」

有無を言わさず遠ざけてから、ちらりと花道を見やると緊張しながらもなんとか話ができているようだった。度々漏れる笑い声にほっとしながら、洋平は二人の会話が終わるのを待った。
ちなみにバスケ部のメンバーもかなりそわそわしていたが、高宮たちほど無粋な野郎はいなかったのと、彩子が目を光らせていたため、ちょっかいを出すような輩はいなかった。

話し終えて戻ってきた花道はこの前ほど複雑な表情はしていなかったが、やはりどこか晴れない様子で戻ってきた。可憐な女子と話ができれば満面の笑みで帰ってきそうなものだが、相変わらず気にかかることがあるらしい。

「もういいのか?」
「おう。大丈夫だ」

洋平とて何を話していたのか気にならないことはなかったが、追及するつもりは毛頭なかった。

それから試合があるたびに、花道はその子と毎回顔を合わせて話すようになった。時間はいつも短いものだったが、二人の逢瀬はそれで充分のようだった。
たまに何を話しただとか、この時のプレイを褒められたとか、ぽろぽろと花道の口からその子の話がされるようにもなった。洋平は二人の関係を微笑ましく思っていたが、同時にたまに花道がやりきれない顔を見せるのだけが気がかりであった。

インターハイが終わり、蝉の鳴く声も照り付ける日差しもなくなり、一抹の侘しさを感じるようになったこの頃。すっかり冷気をはらむようになった風を顔面に受け、洋平はぼんやりと肉まんが食べたいなあなんて、コンビニに思いを馳せながら信号待ちをしていた。
信号が青になったのを確認して足早に横断していると、向かい側から歩いてくる見覚えのある顔に思わず洋平は「あ、」と声を上げる。そして慌てて手を伸ばして引き止めると、振り返ったその子はまんまるな瞳をぱちりと大きく瞬かせた。

「名前ちゃん、だよな?」
「え?そう、ですけど……あっ!」

洋平の顔を見て名前も花道の傍にいることを思い出したのかたどたどしく「桜木君の…」と呟くので、洋平はにっこりと頷いた。

「花道の友達の水戸洋平。よろしくな」
「あ、水戸君…!桜木君から少し聞いたことあります」
「オレもいつも花道から名前ちゃんの話聞いてるよ」

別に深い意味を込めて言ったつもりではなかったのだが、名前は照れ臭かったのか顔を赤くした。直接話すのはこれが初めてだったが、イメージ通りの溢れ出る良い子な雰囲気に思わず吹き出してしまいそうになる。

「あのさ、よかったらちょっと話さね?」

近くのファミレスを指さして言えば、案外名前はあっさりと承諾してくれた。寒い空気から逃げ込むように二人でファミレスに入り、店内の温かさにほっと息をつく。上着を脱いで適当につまめるものを注文してから、洋平は流れる固い空気を解そうと当たり障りのない話題を振った。

「本当に偶然だな、まさか名前ちゃんとこうして二人で話すことになるとは」
「うん、私も思わなかった」
「学校すぐ近くなの?」
「こっから歩いて10分くらいだよ」

花道だけの話ではあまりにも入手できる情報が少なかったため、話を聞いていたとはいえ名前のことは全然知らないのだ。名前の学校や部活などの話に、洋平は興味深く相槌を打つ。

「学校近いなら湘北の練習も見にくればいいのに」
「そ…それは…彼女でもないのに、学校にまで押しかけてなんて絶対迷惑だよ」

彼女でもないのに、と顔を赤らめて気まずそうにした名前に、改めて洋平は目の前の名前が花道を好いている女子であることを実感した。
今まで本人と直接話すことがなかったせいかどこか花道のことを好きな女の子は机上の空論だったが、実際目の当たりにすると感慨深いものがある。そして、やっぱりまったく進展はしてない二人の関係に少しながら呆れもある。

「別に花道は迷惑だなんて思わないと思うけどな」
「桜木君は優しいから迷惑なんて言わないかもしれないけど、普通にバスケ部の人たちにも迷惑だと思うし…」
「ん〜、まあ名前ちゃんが来たくねえのに無理にとは言わないけど…、名前ちゃんいつも試合のときに花道に会ってただろ?インターハイも国体も終わっちまったし最近会ってないんじゃねーのかと思って」

図星だったのか名前はぐっと言葉を詰まらせて、視線が下へ下へと落ちていく。

「水戸君の言うとおりだけど…でも、いいの。試合でお話しできるだけでも嬉しいよ」

ラブレターのときも今も思ったが、名前にはこの恋を成就させようという気があまりないように見えた。すでに諦めているような、絶対花道が自分のことなど好きになってくれないと思っているような節があるように思える。
自分の親友に対して思うことでもないが、相手は親衛隊まで作られている流川ではなく、あの花道だ。ラブレターまで渡す勇気はあるというのに、なぜこんなにも消極的なのか気にかかった。

「あのさ、言いたくなかったら全然答えてくれなくていいんだけど、花道のことどうして好きになったんだ?」

洋平の問いに何かしら大きいリアクションをするかと思っていたが、名前は沈黙の後、静かに話し始めた。

「私、友達に連れられて去年のインターハイの試合見に行ったんだけど、そこで桜木君のプレーを見てすっごく感動したの。パワフルで周りを味方にしちゃう不思議な魅力があって…、その…一目惚れ…だったんだよね」
「…確かに、あいつは応援したくなる不思議な力があるよな」

洋平が同意すると、名前も嬉しそうに頷く。

「そうなの!だからそれから去年のインターハイ応援してたんだけど、桜木君ケガしちゃったじゃない…?しばらく試合にも出てなかったみたいだし……」
「あ〜…」
「絶対にあってほしくないけど、もしまた同じことが起きたらどうしようって……。私が桜木君を見れるのって大会のときぐらいしかないから…、私の気持ちを伝えられるときに伝えたいなって思ったの。伝えられなくて後悔するのは嫌だったから」
「なるほどね、それで花道に告ったってわけか」
「告白っていうより、手紙渡しただけなんだけどね…」

やはり名前の話には花道と付き合いたいだとかそういった感情があまり見えてこなかった。訊いていい部分なのか悩みはしたが、こんな機会多分そうそうない。洋平は思い切って気にかかっていたことを切り出す。

「名前ちゃんは伝えるだけでいいのか?」
「え?」
「花道と付き合いたいとかって思わねぇのかなって」

一瞬暗い表情を見せた名前は慌てて笑顔を浮かべたが、その瞳は悲し気な色が滲んでいた。

「私は…いいの。応援できるだけでいいんだ」

理由を問うこともできたが、洋平は口を噤んだ。訊いたところで最終的にどうこうするのは本人たちだ。余計に首を突っ込むのも違う気がして、洋平は視線を落とす名前の気を晴らそうと「あのさ、」と明るい声音で話しかける。

「またこうやってオレと遊んでくれる?」
「う、うん、もちろん。水戸君がいいなら」
「オレさ、花道とは長い付き合いだから花道のことは昔から知ってるわけ」
「?、うん」
「…花道の色んなエピソード、聞きたくねぇ?」
「え、聞きたい!」

身を乗り出して勢いよく答えた名前に洋平はつい吹き出してしまう。思わず即座に答えてしまったことに気が付き、顔を赤らめた名前の頭を軽く撫でて洋平はニッと笑った。

「じゃあ約束だな。忘れないでくれよ名前ちゃん」
「わ、忘れないよ!」

ぎこちない二人になんだかなあ、と思わずにはいられなかったが、不思議と不安はなかった。花道と、名前ならば何とかなる気がする。根拠のない自信が、何故か洋平にはあった。

***

転がり落ちるようにぐんぐんと気温は下がり、秋の侘しさを感じるのも一瞬のうちに季節はもう冬。バスケ部は冬の選抜を迎えようとしていた。毎日毎日練習を最後まで見ているわけではないが、大会直前ということで洋平たちも遅くまでバスケ部の見学をしていた。
ようやく練習が終わり、帰路につこうと花道たちと校門を出ようとしていた時、見覚えのある小さな影が目に付いた。洋平が目を凝らして名前だと判断したとき、既に横にいた花道は名前の所へとすっ飛んでいた。

「名前さん!」
「あ、桜木君」

マフラーに顔を埋めていた名前は、花道の声にぱっと顔を明るくさせて顔を上げる。ずっと待っていたのか、鼻先が赤く、身を縮こまらせて立っているその姿も随分と寒々しかった。

「ど、どうしたんすか!」
「ごめんね急に待っちゃったりなんかして…、どうしてもこれ渡したくて」

かじかむ手で差し出されたのは小さな紙袋。受け取った花道が首を傾げていると、名前は照れ臭そうに笑った。

「これから冬の選抜始まるから…桜木君が怪我せずに勝てるように、お守り」
「ハッ…!これはもしや手作り…!?」
「あー…うん、あんまり上手じゃないけど」

袋の中身をちらりと見た花道に、名前は気まずそうに顔を背ける。洋平の隣にいた高宮といえば、手作りのお守りを渡すために寒空の下ずっと待っていた名前の健気さに涙を流していた。花道も感動がひとしおのようで、お守りを掲げながら小さく震えている。

「大事にします!!ゼッタイ!」
「うん!湘北が勝てるように私も応援するね!」
「名前さん…!!」

花道の喜ぶ姿に名前ははにかんでから、用は済んだとばかりに踵を返す。

「じゃあ、また試合応援しに行くね」

そう言い残して帰ろうとした名前を、花道が慌てて引き止める。状況を理解できていない様子の名前は、腕を掴まれたまま硬直していた。

「送ります、こんな遅くに一人は危ないです」
「だ、大丈夫だよ!私が勝手に待ってただけだし」
「いや、ダメっす」

先ほどの緩み切った顔はどこに行ったのか真面目なトーンの花道に、名前もそれ以上強くは断れずにぎこちなく頷いた。一部始終をはらはらしながら見つめてると、花道がくるりと振り返る。

「名前さん送って帰る、洋平たちは先帰っててくれ」
「おー、わかった」

また高宮たちがちょっかいを出したがっていたが、水を差す前に洋平は三人の背を押してとっととその場を退散した。二人の影が見えなくなるところまで歩いてから、やんややんやと花道もやるもんだななんて高宮たちが口々に言っている中、洋平も花道の成長ぶりを感じずにはいられなかった。

花道が名前を送り届けたその次の日、花道は朝からやけに落ち込んでいた。そのうち話し出すかと思い放置していたが、昼休みになっても花道がまだどんよりと重たい空気を纏っていたので、洋平は仕方なく訳を訊くことにする。

「どーしたんだよ、花道。昨日何かあったのか?」

思い当たることと言えば、昨日名前と一緒に帰ったことくらいだ。そこで何かあったのだろうか、と思い尋ねると、案の定当たりだったようで花道の頭はさらに机に沈んだ。ぼそぼそと何か呟く声が聞こえて、洋平は「え?」と聞き返して耳を寄せる。

「オレは最低な男なんだ……」

かろうじて聞き取れたが、なぜこんなことを言いだしているのかはさっぱり分からず首をひねる。どうしてこんなデカい図体をして落ち込み方はこうなのだろうか。もう少し面倒くさくない落ち込み方をして欲しいものだ。

「なんで最低なんだ?昨日何があったんだよ」

すると伏せっていた花道の顔がゆっくりと上がる。泣いてこそいないものの、その顔はかなり情けない表情をしていた。名前にフラれでもしたのだろうか。思い当たる原因に考えを巡らせていると、黙り込んでいた花道がようやく口を開く。

「オレは…オレはハルコさんが好きだったはずなのに、今はたぶん名前さんのことが好きだ」
「お、おお…」
「ウッッ…なんてオレは最低なんだ……」

突然のはっきりとした花道の告白に思わずたじろいだが、前から分かっていたことではある。別に驚きはしない。だがそれが最低に繋がった花道の思考回路がよく分からず「なんでそれが最低なんだ?」と続けて問うと、ガバッと花道が勢いよく体を起こした。

「だって!オレはハルコさんが好きだったのに、名前さんに好きって言われて、名前さんのことを好きになるのは…名前さんに悪い気がする……だからオレは最低な男なんだ…」

そこまで聞いて洋平はようやく合点がいった。今までの微妙なリアクションや悩んでいる様子も全てこれに繋がっていたのか。
そもそも今まで花道から女子を好きになることはあっても、女子から花道が好かれることはなかった。誰かに恋愛的感情を向けられるという経験が初めてなのだ。見た目に反してピュアな花道らしい悩みだ、と洋平は小さく笑う。

「誰かに好きって言われて、それに応えたいって思う気持ちも、立派な好きってことだとオレは思うけどな」
「……」
「名前ちゃん、そーとー勇気出して花道に手紙渡したと思うぜ」
「…………」
「花道の素直な気持ち、返してやれよ」

先ほどからピクピクと反応する花道を黙って見てると、突然ガタンッと音を立てて花道が立ち上がる。

「お?どこ行くんだ花道」

振り返った花道の顔はすっかり晴れていて、決意を瞳に映していた。

「名前さんとこに行ってくる」
「え、今からか!?」
「今からだ!」

元気よく叫んだ花道は勢いよく教室を飛び出していった。まだこの後も授業は続くというのに、本当に無鉄砲なものだと思いつつ、洋平の口からは笑いが漏れる。名前の学校は確かここからだとダッシュすれば10分程度で着いたはずた。洋平は二人が上手くいくようにこっそり願いながらも、先生に対する花道欠席の言い訳を考える。

洋平が望んだ二人の笑顔を見れる日は、もうすぐだ。


一世一代の (1/2)


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