距離




クララが王都へ研修に行ってから数ヶ月が過ぎようとしていた。

毎日の必死の勉強の甲斐あってか、クララの調理は工夫を施され、ジェームズの遺したメニュー以外にも、少しずつクララ自身のメニューのレパートリーも増え、また段取りも随分と良くなり、幾分か料理長の肩書きも様になってきていた。





しかし、エルヴィンに初めてキスをねだったあの日、受け入れて貰えなかったショックから、クララはエルヴィンに上手く話しかけられなくなっていた。

そして、あの日のことは、こんなにも自分はエルヴィンのことが好きだったのかと気付かされた瞬間でもあった。

死別したとはいえ、夫への後ろめたさもないわけでもなかった。

本当に、自分で自分をどうして良いのかもわからなくなっていた。





パンの毒味会もそれっきり開かれてなかった。

クララのパンの創作意欲もなくなっていたからだ。

ここしばらく、新しいアイデアのパンは全くなく、いつも同じ様なパンばかりだった。





周りのハンジやティアナも、そんなクララの変化を密かに感じ取っていた。

こちらが恥ずかしくなるくらい、見つめあっては微笑み合うクララとエルヴィンの姿を、いつしか見なくなっていたからだ。

そんな様子を、取り巻きたちはただ見守るしか術がなかった。






エルヴィンは食堂の片隅で、夕飯を摂っていた。

調理場に目をやると、コンロの前で忙しそうに働くクララが目に映る。

カウンターでの配膳はティアナが行っているので、食事を取りに行ってもクララと目を合わせることはなかった。

でもそれがエルヴィンには丁度良かった。

こないだクララにキスをねだられ、それに答えられなかった自分。

帰り際、クララの落ち込む様子を見た瞬間、心が痛む程の後悔をしたが、こうでもしないと自分の決意が緩いでしまいそうだったので、これで良かったのだと思い込もうとしていた。

そして、クララは早朝にパンの試食も持ってこなくなった。

きっともう自分に愛想を尽かしてしまったのだろう。

エルヴィンは、クララとはこういう巡り合わせだったのならばそれは仕方がないと、胸を痛めながらも毎日自分で自分に言い聞かせていた。






「辛気臭い顔しやがって・・・
何か落ち込んでいるのか?」


鼻を鳴らしながら自分の目の前に座ったのは、おそらくこの調査兵団で一番の長い付き合いとなるミケだ。


「辛気臭い顔なんてしてたか?」

「ああ。俺にはそう見えた。」

「相変わらず鼻が効くな。」


ミケは昔から自分の僅かな変化も見逃さない。

それが良い時もあれば、余り触れて欲しくない場合もある。

今回は後者の方だった。

溜め息を吐くようにエルヴィンは小さく笑う。


「で、悩みはなんだ?」

「たいしたことではない。」


ミケに目を合わせることなくエルヴィンは言う。


「また自分から諦めるのか?」


何もかもお見通しの様な口調で言うので、エルヴィンは多少の苛立ちを覚えながら問いかける。


「それはどういう意味だ?」

「そのままの意味だ。」


諦める?

ミケにはそう映っているのか?

そんな事を言われても・・・


「諦めるも何も、始まってもいないさ。」

「相手もそう思っていたらいいがな。」


空かさずミケが答えると、エルヴィンは黙り込んでいた。





少しの沈黙の後、エルヴィンは答える。


「・・・すまない、ミケ。
このことでこれ以上話すつもりはない。」


そして、立ち上がっては食事のトレーを手に取り、エルヴィンはその場を去ろうとする。

話すつもりはない?

いいや、考えるのを拒んでいるのだろう?

ミケはそう思いながらも、エルヴィンが苦悩しているであろうその姿の前には、かける言葉が見つからなかった。


「ああ、詮索が過ぎたな。」


ミケはそう一言呟いては、エルヴィンの後ろ姿を見送っていた。






「ねえ、クララ。
エルヴィンと喧嘩でもしたの?」


別の日の夕飯後、調理場を片付けるクララに、ハンジがカウンター越しに問いかけていた。

クララとエルヴィンのよそよそしい雰囲気に痺れを切らして、ハンジは居てもたってもいられなくなっていた。


「いいえ。」


クララはハンジの方を向きもせずに、大鍋を洗いながら一言答える。

ハンジはそんなクララの愛想の無い返事に苛立ちを覚え、つい声を荒げて言った。


「じゃあなんですれ違ってるのさ。」

「すれ違うも何も、接点なんてないもの。」

「どうして?
前はあんなに仲良く話してたじゃん?」


ハンジの悲痛に似た問いかけが、調理場に響く。

ハンジにとって、クララと良い感じだと思っていた頃のエルヴィンは、仕事に追われて疲れていながらも、とても生き生きとした顔をしていた。

クララだってそうだ。

見かける度に笑顔に輝きを増していたのに、最近は無心になって仕事をしているように見える。

それはまるで出会った頃のようで、ハンジには痛々しくも感じていた。





「・・・だったらどうなの?
私がエルヴィン団長と毎日仲良く話さなきゃいけない理由なんてあるの?」


クララはポツリと呟く。


「・・・・・・」


ハンジは言葉を失っていた。

どうしてそんなに二人とも揃いも揃って距離を置いて接しているのだろう。


「ごめん、ハンジ。
キツく当たっちゃったわね。」


目の前で考え込むハンジにクララはやっと向き合う。


「でも、もうその話は止めてちょうだい。」


そう力無く微笑んでは、クララはまたひたすらタワシでゴシゴシと大鍋を洗う事に専念していた。






七夕の日、クララは中庭にいた。

七夕の日は、たいてい雨か曇りで星が見えることはないが、今日は珍しく晴れた夜空だった。

ミルキーウェイがぼんやりと輝いている。





子供の頃聞いた、東洋の七夕神話を思い出す。

今頃離れ離れの二人は、一年ぶりの愛瀬を交わしているだろうか・・・






夜の心地良い風に当たりに来たミケが、中庭のベンチに座るクララを偶然見つけていた。

以前ここでエルヴィンと共にりんごのパンの試食をさせて貰ったことがあった。

あの時のクララとエルヴィンを思い出す。

とても仲睦まじい二人の様子は、ミケにはとても眩しく、と同時にエルヴィンに嫉妬さえも覚えた。



「ここで何をしている?」


「ああ、ミケ分隊長。
私、眠れない時よくここに来るのよ。
あなたも眠れないの?」


クララは振り向き力なく微笑んでは、隣へどうぞとミケをベンチへ腰掛ける様に勧める。

いつもの明るさが見られないクララだったが、それがまた情緒豊かに感じられ、艶めきさえも放つ。


「エルヴィンと上手くいってないのか?」


どうしてもクララを見ると、エルヴィンの事が頭をよぎる。

ミケが気に留める必要もないのだろうが、あのりんごのパンを食べた時のクララのエルヴィンへ向けた眩しい笑顔が、ミケの頭から離れずにいた。

あの笑顔が、もしも自分へ向けられたものだったら・・・

そう考えたりもした。





「ふふ、みんな揃いも揃って同じことを聞きたがるのね。
そんなに今の状態が可笑しいかしら?
でも、上手くいくも何も、何も始まってもいないわ。」





エルヴィンと同じ事を言う・・・

力なく微笑むクララを見て、ミケは多少の苛立ちを覚えながら問いかける。


「それなら、俺にもチャンスはあるか?」


ミケは真剣な面持ちでクララを見つめていた。

クララは表情も変えず、ゆっくりとただその瞳を見つめ返す。

いつも鼻でその空気を感じ取っては、相手の考えている事を察知するのが得意なミケだが、今目の前にいるクララのそれからは、何も感じられる事はなかった。

何を想っているだろうか・・・





ミケはそっとクララの頬を撫でる。

一瞬強張るクララだが、ミケの瞳を見つめたまま、ミケのするがままに身を任せていた。

クララが抵抗しないことを悟ったミケは、クララの顎をゆっくりと引き寄せる。

目を閉じるクララ。










“クララ・・・”


目を閉じたと同時に、自分の名前を呼ぶ優しい笑顔のエルヴィンの姿が脳裏をよぎる・・・






ミケの唇が後少しで重なりそうになった時、クララはふいっと顔を俯かせ、力強くミケの胸を抑え制止させていた。


「・・・ごめんなさい」


ただ謝るしか言葉が出ないクララ。

今、この寂しさに身を任せてしまうと、今は良くてもきっと後悔する・・・





突然拒否されたミケの欲求は空を切り、目の前で俯くクララに目を落とす。

今にも泣きそうなクララは、きっと頭の中はエルヴィンでいっぱいなんだろうとミケは察知する。

キスの代わりにその身体を抱き寄せると、甘い女性の香りが鼻をつく。

先程は解らなかった感情の香りは、どこか寂しさを秘めていて、憂いを伴う。

ギュッと抱き締める腕に力を込めては、その香りを目一杯吸い込んでから、ミケは言った。


「いいや、それでいいよ。」


そう言い、ミケは優しくクララの頭を撫でた。

そして、自分はエルヴィンの代わりにはなれないかと溜め息を吐いた。


「辛いなら、泣けばいい。」


ミケは再びクララの髪を撫でては、ただそのままクララを抱き締めていた。






ミケの腕の中で、俯いたままピクリとも動かないクララだったが、声を殺して泣いていた。

ミケの優しさが胸に刺さる。

人はどうしてこんなにも弱いものなのか。

温もりを感じずにはいられない。





弱く儚いクララを前に、ミケはたまらなくなる。

そして、クララの瞳に優しいキスを落としては言う。


「辛い時は、俺で良ければ胸を貸す。」

「・・・ありがとう。
でも、私はミケ分隊長の期待には応えられない。」


クララはミケを見つめてはそれだけ言うと、また俯き涙を零した。


「そうだろうな。」


ミケはふっと小さく笑いそれだけ言うと、またクララを抱き締め、頭を撫でる。





少しの沈黙の後、クララは自分を抱き締めるミケの腕をそっと解き、涙を拭うと力無く微笑んだ。

夜空のミルキーウェイの輝きは、何処か彼方に消え去っていた。




花季 -hanagoyomi-