時の移ろい
850年。
世の中は大きく動こうとしていた。
5年前に襲ってきた巨人が再び現れ、ウォールローゼを突破した。
それは、人々を再び悪夢の中に呼び戻したかのよう。
しかし、104期生の訓練兵の中から巨人になれる少年が現れ、彼の働きによりウォール・ローゼの敷地を巨人に占拠される最悪の事態は免れた。
だが、その存在は、人類をも恐怖に陥らせていた。
果たして、巨人になれる少年が、人類の味方となれるのだろうか?
そもそも人が巨人化する?
様々な憶測が、壁の中で飛び交っていた。
クララの元にも、巨人になれる訓練兵がいたことが噂話で耳に届いていた。
そして、その彼は調査兵団に入団したと。
それならば、近いうちにこの兵舎にも顔を出すことだろう。
確かに、人が巨人化するなど恐ろしい以外の何物でもないが、調査兵団に入団したということは、エルヴィンがそれを許可したということ。
きっと、彼なりの考えがあるに違いないし、噂ほど恐ろしい話ではないのかもしれない。
クララはそう思い、エルヴィンに会って詳しく聞いてみたいと思ったが、最近のエルヴィンはこれまで以上に忙しくて、二人は全く話せないでいた。
久しぶりに会えた夜。
二人はエルヴィンの部屋で愛瀬を交わしていた。
しばらく会えなかった時間は、二人に初々しさを与え、少し照れながら、でも情熱的に肌を重ねた。
情事の後、珍しくエルヴィンはよく話していた。
「クララ。
次の壁外調査が決まったよ。
今度は、例の巨人になれる兵士を連れてな。」
腕枕をして遠くを見つめながら、ポツリとクララに呟いたエルヴィンの心の隅では、ある悩みが燻っていた。
「そうなのね。
でも、どうしたの?
そんな話を私にするなんて、珍しいわね。」
クララはそんな様子を察知したかのように、優しくエルヴィンの髪を撫でながら答える。
普段、エルヴィンは調査兵団の活動内容のことまでクララには話さない。
もちろんそれは、団長として守秘義務を果たさなくてはいけないということもあったが、何より、クララと二人きりの時は自分が調査兵団の団長であることを忘れ、ただ一人の男として居たかったからだ。
クララも、もうそれは重々承知していたし、今更エルヴィンの仕事について詳しく聞き出そうだなんて思っていなかった。
それに、部屋にいる時くらいは仕事のことを忘れさせてあげたいとクララも思っていたし、いつも二人の時は他愛もない話で笑いあうことしかしていなかった。
だから、今日のエルヴィンの様子には、クララも少し驚いていた。
エルヴィンが何処まで話しても良いものかと悩んでいるようだったので、クララはずっと気になっていたことを質問する。
「その巨人になれる男の子ってどんな子なの?」
「そうだな・・・」
エルヴィンは少し考えて言う。
「普通の情熱的な少年だよ。
君と同じく、五年前に家族を失っている。」
それを聞いたクララは納得する。
「やっぱりね。
巨人になれるって言うから、最初はどんな凶暴な子なんだろうって思ってたんだけど、ここ調査兵団に受け入れたって聞いたから、きっと普通の子なんだろうなって思ってたんだよ。」
「えらい自信だな。」
エルヴィンはハハッと笑みを溢す。
「それは、あなたを信頼してるからよ。」
クララはニッコリとエルヴィンに茶目っ気たっぷりに微笑んでは、すかさず答えてみせた。
エルヴィンはクララの思い掛けない言葉に一瞬驚くが、クララの瞳をジッと見つめ返し、続けて言う。
「今度の作戦では、多くの犠牲が出るかもしれない。
それを許してはくれるか?」
エルヴィンはクララに言いながらも、それは人類への問いかけにも見える質問だった。
エルヴィンは、いつも自分の感情をあまり外には出さずに淡々と任務をこなし、時と場合によっては命の選択も非情にやってのけてしまう。
そのため、『冷酷だ』『残酷だ』挙げ句の果てには『悪魔だ』などと言われることも多いが、いつも極限の選択を迫られているエルヴィンは、人知れず苦悩しているんだと、戦場を目の当たりにはしたことはないものの、クララはいつもそう思っていた。
「私には、調査兵団の作戦のことまではよく分からないわ。
だけど、あなたが下した決断なら、全てを受け入れる覚悟がある。
どんな結果になろうとも。
以前、私がここに来た時、“後悔しないで”、“どんな選択も最善のものだ”って言ってたでしょう?
今も私はそう思っているよ。
だから、あなたはあなたの思うように進めばいい。」
そう言うと、クララは優しく微笑んだ。
エルヴィンはそんなクララを愛おしそうに抱きしめては言う。
「ありがとう。」
そして、心の中で次の作戦の成功に誓いを立てていた。
その後の壁外調査。
作戦は失敗に終わり、怪我人もいつもより何倍も多く、よく知った兵士たちの姿もない。
それが何を物語っているのか、今までの経験と照らし合わせてクララは悟る他なかった。
後に聞くと、100名以上の犠牲が出ていたようだ。
クララは帰還してきた兵士たちの凄まじい惨劇を目の当たりにしては、悲しみに打ちひしがれたが、それが先日のエルヴィンの決断だったのかと思うと、唇をぎゅっと噛みしめるしかなかった。
それに加えて、珍しく決断を渋っていたように見えたエルヴィンのことも気掛かりでならなかった。
エルヴィンは大丈夫だろうか・・・
だけど調査兵団の兵舎にはエルヴィンの姿はなかった。
帰還後すぐ王都へ出掛けたからだ。
それは、一大作戦の失敗の責を問われ、査問されたからである。
クララは心配でならなかったが、自分にはどうにも出来ないことなので、ただひたすら傷付いた兵士たちに食事を与え、自分の仕事を全うしていた。
そして数日間の留守の後・・・
更なる犠牲と共に、エルヴィンは右腕を失って帰還する。
“いったい何が!?”
クララは動揺を隠せないでいた。
負傷して帰還した意識のないエルヴィンを、クララは毎日必死に看病する他なかった。
クララは仕事が終わった後、毎晩エルヴィンに付き添い、高熱でうなされるエルヴィンの左手を握っては、ただひたすら目を覚ますことを祈っていた。
お願い、目を覚まして・・・
柔らかい陽だまりの空気の中、ふわふわと漂う風。
ここは・・・どこだ?
家・・・?
随分と懐かしい匂いがする。
「父さん、学校での質問、また聞いてもいい?」
「あぁ、エルヴィン。
父さんも帰ったらもう一度話そうと思っていたんだ。」
幼い頃の自分と父。
父の話を聞き、目を輝かせている自分。
そして、それを誰かに伝えたい欲求。
駄目だ・・・
それを言ってはいけない・・・
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エルヴィンはぼんやりとした眩しい光の中に意識が朦朧とする。
「エルヴィン団長!!
気がつかれましたか!?」
何やらけたたましい声が聞こえてそちらに目をやると、医務員たちが慌ただしく自分の周りを駆け回っている。
「早く、ハンジ分隊長とリヴァイ兵長に報告を!!」
そう言っているのが聞こえる。
何が起こっている?
でもまだ眠い。
随分と長い夢を見ていた気がする。
昔の夢を・・・
「クララさん!
エルヴィン団長が、目を覚ましたそうです!」
モブリットが食堂に駆け付けてくる。
それは、エルヴィンが右腕を失って帰還してから、一週間が経ったときのことだった。
「え!?」
クララは目を丸くして驚いては、瞬く間にその瞳に大粒の涙を溢れさせていた。
「良かった・・・」
昼下がりの午後、まだ仕事の真っ只中のクララは、モブリットからの吉報に心から安堵し、力が抜けたようにその場にしゃがみ込んでいた。
「クララさん、今すぐエルヴィン団長のところに・・・」
横で聞いていたティアナも安堵した顔をしながら、しゃがみ込むクララに寄り添い声を掛けるが、クララは拒否する。
「大丈夫。今私が行ってもご迷惑だわ。
モブリット、わざわざありがとう。」
そう言っては、涙を拭い気丈に振る舞う。
そしてひとつ大きく深呼吸してから、調理場へ身体を向ける。
「さ、仕事頑張らなくっちゃ!」
そう言うクララの背中は、とても小さく見えた。
兵団の母としてではなく、それは紛れもなく一人の女性だった。
長い長い夢の中から目覚めたエルヴィンは、眠っている間の一週間の出来事を、駐屯兵団のピクシス司令と、リヴァイ、そしてハンジと104期生のコニーから報告を受けていた。
それは、想像を絶するほどの悲惨な現状で、第二の壁が壊された後の人類は、自分たちが生きるために人類同士の殺し合いが行われることを予兆することだった。
そして、驚くことに、巨人の正体は人間かもしれないと。
この世界の謎が解明されるかもしれない状況に、エルヴィンには今まで感じたことのない興奮が押し寄せていた。
片腕を失ったところで、こんな所でうかうか寝ている場合ではない。
そう思った矢先・・・
ふと、扉の向こうで話す声が聞こえる。
愛おしい声。
あぁ、クララだ。
だがまだ部屋では小さな話し合いが行われている。
外の護衛が中には入れてはくれまい。
「・・・そしたら、また後ほどお持ちしますね。」
外の護衛とクララの会話がチラリと聞こえた。
きっと目覚めた自分に食事でも持ってきたのだろう。
今すぐ会いたい・・・
そう小さく心の中で想いを馳せるが、今はまだ目の前の話し合いに集中することにした。
小さな話し合いが終わり、リヴァイたちが席を立とうとしたとき誰かが部屋をノックする。
コンコン・・・
「すみません、医務員です。
エルヴィン団長の腕の消毒に伺いました。」
「ああ、頼む。」
リヴァイがすかさず返事をすると、医務員が入ってきた。
「お話中すみません、今大丈夫ですか?」
「ああ、話は終わった。今出る。」
「それは毎日あるのか?」
エルヴィンは怪訝そうに尋ねる。
「もちろんです。
傷口が化膿してしまえば、手の施しようがなくなります。
しばらくはお付き合いください。」
医務員は端的に答える。
周りに居た者たちは立ち上がり、ではまた明日にでもくると言い、部屋を出て行った。
部屋を出て行く際、リヴァイがふと足を止めた。
「クララを呼んでこようか?
さっき来ていただろう?」
あぁ、気付いていたか。
確かに会いたいがチラリと時計を見て言う。
時間は六時。
「いや、やめておく。
夕飯で忙しい時間だろう。
死んだわけではあるまい。
またそのうち会うだろう。」
「そうか。」
リヴァイはそれだけ言い、部屋を後にした。
医務員が手際よく包帯を外し、右腕がもぎ取られた跡の傷口を消毒していく。
「・・・ッ」
消毒液が染みて痛い。
「大丈夫ですか?
すぐ終わりますから、耐えてください。」
「ああ、すまない。」
「いいえ、これ程の傷ですから、痛くないわけありません。」
医務員はそう言いながらも、遠慮なく消毒を進めていく。
「ところで、エルヴィン団長・・・」
「なんだ?」
「先ほどのリヴァイ兵長とのお話ですが、クララさんとはまだお会いしていないのですか?」
「あぁ、目が覚めたと同時に周りが騒がしく、その後すかさずリヴァイたちが来ては、私が寝てる間の報告を受けていたからな。
他の者たちの入る隙はなかっただろう。」
エルヴィンは淡々と答える。
「そうですか・・・」
医務員は目を落として続ける。
「では、落ち着かれましたら、必ずクララさんに目が覚められたことをお伝えくださいね。
クララさん、本当に団長の事をご心配されていて、毎晩食堂の仕事が終わっては、朝の仕事が始まるまで付きっ切りで看病なさってましたから。」
「毎晩?」
「えぇ、毎晩です。
エルヴィン団長の意識のない間、痛みと高熱でうなされが酷く、見ている方も心配でした。
医務員も夜は手薄になりますから、クララさんが率先して看病を。」
そうだったのか。
自分の仕事だけでも手一杯だろうに、夜中も・・・
きっと十分な睡眠も取れてないだろう。
そう思うと、先ほど追い返されてたのは申し訳なくなった。
「ありがとう、教えてくれて。
後で必ず礼を言うよ。」
「えぇ、そうなさってください。」
医務員は小さく微笑んだ。
消毒が終わり、その後の説明がなされた後、医務員は出て行った。
クララは次いつ来るだろうか。
まだ夕飯の時間だから、しばらくは来れないだろう。
少し眠い。
今のうちに眠っておこう。
次に起きたら必ずクララに会わなくては・・・
そう思いを馳せながら、エルヴィンは再び眠りについた。
身体に何か重みがかかっていることに気付き、エルヴィンは目を覚ます。
自分の左側を見ると、椅子に腰掛けたクララが、エルヴィンの心臓の音に耳を澄ませている様にもたれかけ、スヤスヤと眠っていた。
左手で髪を掻き上げ、クララの顔を確認する。
少しやつれているようにも見えるが、手から感じる体温が愛おしい。
何度か髪を撫でていると、クララの閉じていた瞳がそっと開いた。
そして、身体をエルヴィンに預けたまま、まだ眠気と戦いながら力なく微笑む。
「おかえりなさい。
ずっと待っていました。」
エルヴィンの胸がぎゅっと締め付けられる。
「ただいま。心配かけたね。」
しばらくクララはエルヴィンの左胸に身体を預けたままにしていたが、ゆっくりと起き上がっては、エルヴィンの髪を撫でる。
「一週間も眠っていたから、こんなに髪がボサボサ。
髭も伸びちゃって。
いつも整えられてるお顔からは想像出来ないものになってるわよ。」
そう言って、茶目っ気たっぷりに笑うのは、いつものクララだ。
だがその瞳は少し潤んでいた。
「毎晩付き添ってくれていたそうだな。
自分の仕事もあっただろうに、すまなかった。」
「いいえ。
私の好きでやっていた事ですから。
無事に戻ってきてくれて良かった。」
無邪気に微笑みながらも、今にも泣きそうなクララ。
今すぐ抱き締めたいが、身体が思うように動かない。
「それより、目が覚めてからまだ何も食べてないでしょう?
何か食べるもの用意してくるわ。
少し待っててくれる?」
クララは言う。
でもまだ食事よりもこの愛おしい時間を手放したくない。
「いや、まだ何もいらない。」
「でも、食べなきゃ体力が戻らないわ。」
「後で食べる。
クララ、今はまだ側に居て欲しい。」
「・・・・・・」
クララは赤面する。
普段甘い言葉を囁き合ったりしない二人にとって、側に居て欲しい・・・だなんて言葉はクララにとって耳慣れないものだった。
「じゃあ、少しだけね。
後で必ず食べるのよ。」
「はは。母親みたいだな。」
エルヴィンが笑うので、クララもつられて笑っていた。
「なぁ、クララ。キスしてくれないか?」
ベッドに横たわるエルヴィンは、クララを真っ直ぐな瞳で見つめながら言う。
「え?」
「嫌か?
俺からキスしたいところだが、身体がまだ思うように動かない。
しかも右手が無くなってしまったから、君を抱き寄せることもままならない。」
クララとエルヴィンは見つめ合う。
キスしてなんて、改めて言われるとクララはなんだか恥ずかしくなる。
「どうしたの?
なんだかいつものエルヴィンじゃないみたい。」
「あぁ、そうだな。
怪我をして、少し弱気になっているのかもしれない。」
「ふふ。それなら、たまには怪我もいいかもしれないね。」
クララは悪戯に微笑む。
「それは参ったな。」
エルヴィンは苦笑いする。
「あなたみたいに、上手にエスコート出来るかしら。」
照れ隠しにクララは言う。
「エスコートなんていらない。
そのままの君でいい。」
そう言うと、エルヴィンは静かに目を瞑る。
そしてクララは、そっとエルヴィンの唇に自分の唇を重ね合わせた。
この絶望的な世の中。
この愛おしい存在を守るため、俺に出来ることとは・・・
そう思いを馳せながら、エルヴィンはクララのキスを受け入れていた。
花季 -hanagoyomi-