色彩

1

始業五分前のことだ。NRCのとある教室の窓から何気なく外を見たデュースはキラリと陽光に燦めいた淡い金糸に視線を奪われた。
ちょうど角を挟んで上階の教室が見えた。窓が開いているその向こう。羽根飾りが特徴的なハットをかぶった上級生が熱心に何かを見つめている様子だった。彼の切りそろえられた金髪が穏やかな風に揺らぐ。しかし表情も顔色も優れず、それどころか徐々に強ばり色を失っていく。
引っかかりを覚えたデュースはその視線の先を追い、そして。

(──あ、こりゃまずい)

ぞわりと背筋を走ったのは悪寒。釘付けになっているその先に「何」があるのかを気付くと同時に表情が抜け落ちる。「それ」が緩慢な動きで貌を上げ始めているのだと見止めた瞬間には既に腕が動いていた。よう狙って、なんて台詞を言う暇も余裕も無かった。

「えい」
「おまっ!? 何やってんの!?」

ギョッとしたエースの目前で、デュースが振り切ったマジカルペンの赤い石が煌めく。ヒュンッと空を切る音をたて出現した何かは、角を挟んだ斜め向かいの教室の窓枠に突き刺さった。デュースの狙った通り上級生の目前すれすれに。次いでペラリと矢のシャフト部分から布きれが垂れ幕のように揺れ落ちる。布の白さと校舎の壁、そのコントラストが妙に目立つ。強制的に視界を布で埋め尽くされた上級生の強ばりが解けていくのを確認してデュースは一つ小さく頷いた。
端から見れば先輩相手に喧嘩を売ったような行為。顔のハートマークを盛大に歪めたエースの絶叫も尤もである。
今まさにこちらに顔を向けた上級生とデュースの視線がかち合う。様々な感情が入り交じった複雑な視線。一番強いのは恐慌と安堵だろうか。
凪いだ瞳でそれを見返したデュースの思考をぶった切るがごとく、エースは形の良い黒い頭を鷲掴みにした。

「お前バカかよっ!? ああもうあの先輩こっち見てんじゃんオレ知らねぇからな!?」
「悪いようにはならんてば」
「はぁあ?? ってか巻き込まれんのホントご免なんだけど!? とりあえず頭下げとけよ!」

信じられない、と言わんばかりにデュースの頭を無理矢理下げさせたエースの行動は別に心配から来るものでは無い。単純に隣に居た自分に火の粉が飛ぶのを恐れたが故の、つまりは保身のための行動だった。
デュースに頭を下げさせたエースは直ぐさまそその場を離れる。そくさと窓から離れて出入り口に近い席に腰を下ろした。これ以上関わるのはごめんだ、と表情が物語っていた。
そんな二人の軽いドタバタに教室内の生徒は少しだけざわつく。

「え、何だ、スペードまた何かやったのか?」
「今日一発目が先輩に対してとかやっぱヤベェな」
「……聞こえてるぞーお前等」
「「ギャッ」」

地を這うような声でクラスメイトに釘を刺しデュースは口をへの字に曲げた。
色々と気付いてしまった時に身体が動くせいか、入学してから一ヶ月と経っていないはずなのに最近では他生徒に妙な覚え方をされている。奇行の目立つヤベェ一年生という認識をされるのは心底解せない。ジトリと半眼でデュースは教室内を見回した。

今日も今日とて教室には生徒と教授以外の別の何かが蠢いている。今はトレイン教授の飼い猫が目を光らせているため害があるモノはこの教室には居ないが、それでも視界がうるさいことこの上ない。
──デュース・スペードは視える人間である。ゴーストとは別の概念の強い執念を持ってこの世に留まるモノ、人ならざるモノ、魔法では説明がつかない事象。それらと隣り合わせに生きてきた側の、ちょっとだけ他人と感覚がズレている人間だった。ひょんなことから過去生を思い出してしまった結果である。
なお地元で人ならざるモノに銀の弾丸と呼ばれて地味に恐れられていたのは完全なる余談だ。

デュースは視線を隠そうともせず、先ほどペンを媒体に矢を射た教室の窓辺に目を向ける。

(偶に居るんだよな、目が良すぎて変なときにピントが合っちゃう人。あと、洒落にならないヤバイのに引っかかりそうになる人)

あの上級生、今回は大丈夫だったが次は果たしてどうなることか。デュースには特別気に掛けることでもない事だ。
無闇矢鱈と首をつっこむような真似はしない。というよりも出来ない。人ならざるモノと関わる以上は守らなければならないルールがある。それに抵触するからだ。
命に関わるような案件なら見て見ぬ振りは出来ないが、それ以外のちょっと怪我をする程度なら放っておく。緊急性の無い場合なら手助けが必要かどうかを聞き取引をする。
ただ今回は例外だ。ちょっとした事情があった。あの危うい状況下にあった上級生を咄嗟に庇った理由は単純。夢を見たから。予知夢と言うには少し違うが、似かよった物。それを無視すれば後々もっと面倒なことに――最悪の場合取り返しのつかないことになる。それは過去の経験から分かりきっていたことだった。だから気付いた瞬間、直感に従って動いたのだ。
こちらの視線に気付いたらしい上級生のエメラルドの瞳がデュースの目を捉える。いくらかマシになったが表情は強ばったまま。その顔色はいささか青白い。だがそれも暫くすれば元に戻るはずだ。
上級生の射貫くような視線を一身に受けたデュースは、特に気にすることも無く双眸を逸らす。校舎から離れた場所へ、先ほど上級生が注視していた方へ。彼の視線を捕らえて雁字搦めにしたソレの方へと。アレは澄み渡る快晴の元に相応しくない存在だった。

(偶然だろうと視界に引っかけちまったのが運の尽きだったな。ありゃダメだ、視ちゃいけないヤツ。……本当に、視ずに済んで良かったよアンタ)

視線の矛先を一瞬で上級生へと戻し、デュースは首を緩く横に振る。これだけでも確実に伝わるだろう。あの様子では彼自身も良くない感覚というものを充分に体感したはずなのだから。
デュースの予想と違わず、風貌に聡明さを滲ませた上級生の表情が変わり、クッと目が見開かれる。彼の肩が揺れたのは動揺からか。はくり、僅かに彼の口が開く――と同時に鐘が鳴る。授業開始を告げるそれにデュースはハッと教室内に置いていた自身の荷物の元へと身を翻した。鐘の余韻を聞きながら席へ着く。この時点でデュースの頭には先ほどの上級生のことなど残っていなかった。
生徒全てが席に着くのを待ちながら教授は既に教壇に立っている。ジロリと厳しい目でデュースを一瞥したトレインは良く通る声で授業開始を告げたのだった。

(……過去生を思い出す前までは特に視えるわけでも聴こえるわけでも無かったから、特別ヤバイ何かに巻き込まれたりなんかはしなかったんだけど……今はどうやっても気付いてしまうからなぁ)

前世および複数の過去生の記憶を保有する、いわゆる転生者。実は幼少期から記憶を有していたわけでは無い。きっかけは確かにあれど、ある日突然スコンと過去生の記憶をインストールしてしまったのだ。過去生を思い出すに至った事の発端は約半年前まで遡る。

しばし過去の出来事、彼のミドルスクール時代の話にどうぞお付きあいいただきたい。





何てことは無い出来事だったはずがとんでもないことを引き起こしてしまった。洗面台の鏡の前で彼、デュース・スペードはジクジクと痛む頭に手を当て眉間をほぐすよう力を込めた。
地元で悪名名高い不良、もとい悪ガキ共の集団がある。そんな複数名との戯れの一貫としてデュースも髪を脱色して染めた。染め上がった金髪に指を通して仕上がり具合を確かめるため鏡を見つめる。石鹸の匂いが妙に鼻をつく。鏡に反射した自分と目が合った。
──その瞬間に何故か前世、前々世、さらに前々々世を思い出してしまったのだ。スコココンっと完っ璧に。元々知り得ないはずの知識を持っていた原因はコレだったのか、と宇宙を背負う。
しかしそれにしても、きっかけが分からない。

(……何っでこのタイミングなんだ……!?)

苦々しい表情で俯いた。思い出すに至るまで特別なことは無かったはずだ。何がトリガーとなったのだろう。強いて言うならば既視感を覚えたせいだ。日に透ける金髪、光によって碧や深緑に色を変える瞳。果たしてこの色彩をどこで見たのだったか。そう考えた時には膨大な量の情報が脳に流れ込んでいたのだ。未だに頭痛に苛まれ視界が霞む。
三つ分の過去世が入り乱れて思考をかき乱す。膨大な情報量に脳が混乱していた。過去世での世界線がどれも違うことや性別が入り乱れているのも要因の一つだ。
過去生、しかも複数を思い出すなどなんて非現実的な。受け入れがたいことだが、事実己の生きた人生の記憶であると頭のどこかで理解した。そして納得してしまったのである。
無意識のうちに目が鏡の上を泳ぐ。焦点が合わなくなる。鏡越しに歪んだ自分の顔がニヤリと笑った気がした。それさえも気にならないほど、記憶の奔流に呑まれまいとデュースは拳を握りしめる。
彼にとって最重要ポイントは過去世の他に存在していた。

「人工的な金髪は、好きじゃ無い!!」

……要は単純に好みでは無かった、という話なだけなのだが。
しかしどれだけ嘆けども既に髪は人工的な金色に染まっている。髪に指を通せば脱色と染色後特有の感触。自分の手で割と雑に染髪したらしいせいで皮膚もちょっとピリピリする。
余りにも自分好みではない発色と突発的過去世インストール、その何重ものショックを一度に受けているせいか上手く思考が回らない。

(ぜんせ……ぜんぜん……ぜんぜんぜん、せ……?)

突如、過去世三つ分をインストールしてしまった彼の脳内に鳴り響く幻聴。前世で世界的大ヒットを記録したとある映画の主題歌が流れた。前々々世から僕は記憶キミを探し続けてたよ、ってか。やかましい。
ワンフレーズだけエンドレスリピートしている。生憎と彼はCMで良く流れた部分しか覚えていなかった。誰にともなくツッコミを呟いた彼は、結局あまりの情報量にその晩寝込んだ。一日では処理しきれずその翌日もベッドと仲良し状態。しかも過去生の内二つは随分と血生臭いものが多い。猟奇的な物事が苦手だったデュースは小さく嘔吐いた。過去世とはいえ実際に起きた出来事だと何故か理解してしまったせいだ。
風邪を引くことすら珍しい子どもだったため母親に酷く心配されたこと、そして朝の挨拶をしたことで発熱を疑われたことをここに記しておこう。どれだけ反抗的だったんだ。





ああ、これ、我が初期刀の色彩じゃないか。改めて鏡に映った自分を見たデュースはようやく納得した。うんうんと頷きすらした。既視感を覚えたのはこのせいだったか、と複雑そうに前髪を一房つまむ。染色に安価な薬剤を使用したせいか髪が若干きしんでいた。

前々世で審神者と初期刀として人生の約八割を共にした日本刀の付喪神、その分霊が一振り。前世でゲームを始めた際に迷わず初期刀を彼に決めたのは無意識でも何か感じる物があったのだろう。
思い出す羽目になったきっかけがはっきりした。ある意味この髪を染め終えたタイミングで思い出したのは必然だったというわけだ。

蘇った記憶は三つ。
前世である日本に生きていた一般的な成人女性としての記憶。
前々世である歴史修正主義者との戦争に身を置いていた男性審神者としての記憶。
前々々世であるツイステッドワンダーランドの一角のとある国で上流階級層のごたごたに巻き込まれた男児としての記憶。
いずれも過去生の記憶など取り戻すこと無く生を全うしていた。なお、死に方はどれも碌な物では無い。前世は重めの食中毒で倒れた記憶が最後。前々世の審神者生は本丸を襲撃されている最中が記憶の最後であるため深く考えなくともどういうことなのかは分かる。前々々世なんて国の謀略の末に完全なるとばっちりで生を終えている。
転生歴の順番などに疑問を抱く点は多々あるが、それぞれ世界線も時代も飛び越えて居るのだから最早何でもありなのだろう。

欲を言うならば今世と前々世である審神者の順番が逆であって欲しかった。審神者として生きていく中で日本に生きていた一般女性の記憶があれば、回避でき、解決したであろう事件が多数存在するのだ。
成人女性だった前世について何を特筆すべきか。それは生活の中心に何が存在していたか、ということだ。マンガ、アニメ、ゲームに興味の殆どを費やした、いわゆるオタク層。生きるために金を稼がなければならない、だから仕事をする。だが仕事のために生きているわけでは無い。そう酒をあおったのは一度や二度では無い。
原作のみならず二次創作も読み、時には書いていた側の人間だった。つまり物語の定石や様式美を理解している。考察も苦では無く、様々な知識を探り照らし合わせたりする行動も進んで楽しむ側。そうして培った知識は消して無駄では無いのだ。知識はあるに越したことは無い。
だから前々世でこそ、その蓄積した知識が欲しかった。無情なことに審神者生の後の生が一般的な成人女性だったわけだが。
おそらく二次創作などで繰り広げられていた有名な案件は事前に防げた物が多い。刀剣の強奪、ブラック本丸化、乗っ取り、その他諸々。
進んで関わりたくなくとも避けられない立場だったせいで定期的に対応をさせられていた。人ならざるモノを相手にする術を代々受け継いできたそれなりに歴史のある家に生まれ、ある程度の地位も確立させていたからこその巻き込まれ具合。中間管理職は辛い。敵もそんなことを考慮してくれるはずも無く。年齢にして五十代半ば審神者歴約四十年、三度目の本丸襲撃の末に殉職した。
……そんな審神者人生後の転生だったせいか、一般女性の生き方はかなり緩くぐーたらした生き方だったように思う。社畜? いやまさか。適当にのらりくらり生きていた。羽休め、休憩の回だったのだと思うことにしよう。

なぜ、こうも事細かに過去生についてまとめたかというと、それだけ濃密な記憶だからだ。ともすれば、今世であるデュース・スペードの記憶よりも過去に比重が傾いてしまいそうになるほどに。
一番近い過去生、前世の記憶や人格が三割、濃密すぎる審神者であった前々世の知識や人格が四割、前々々世については早死にだったためあまり印象が薄いせいか一割。そして今、デュース・スペードとしての意識が二割、といったところだ。
人格は上手い具合に融合している。色々と思い出しては、結局どこでどう生きても自分なのだな、と納得したためだ。何とも言えない複雑な気分になったのは余談である。
初期刀カラーショック以前から無意識のうちに過去生の記憶を少しずつインストールしていたようだったので、それも手伝っているのだろう。その中でも人生が一番長く濃密だった前々世の審神者が少しばかり濃い。次点で前世の一般人擬態オタクの女性。そのせいか精神的にかなり落ち着いた。何せ五十代後半のシンシと三十代のシュクジョ。ええ、にこにこ笑う笑顔の下でどれだけ腹黒い事を考えていようと紳士淑女である。そりゃ内年齢が跳ね上がるのも仕方なし。
だがしかし、内側でどんな変化が起ころうと最重要は今の生だ。過去の記憶に潰されて現在の人生を潰すわけにはいかない。そう考え今世であるデュース・スペードとしての生を一通り思い返すことにした。……したの、だが。

(……はぁぁぁああ嘘だろ? 知識ってのは何にも代え難い力だろうに、基礎知識が、朧気とかマジか?? 感覚で物事は解決しないぞ、基礎を疎かにして蔑ろにしたバカは誰だよ…………過去の自分デュースくんだったわぁ……ホント、バカ……)

まさか秒で落ち込むことになるとは思ってもみなかった。目が回りそうだった。
知識とは力である。特に審神者時代は知識が無ければ生き延びることが出来なかった。知らなければ対処のしようが無い事件など山のようにあった。だから死に物狂いで知識を身に付けた。そして、無知は罪である。知らないが故に己の首を絞め自滅していった人の姿も、彼はとてもよく見てきた。
──だからこそ、過去生の記憶を思い出す前の自分が勉学どころか日常生活の基礎知識すら蔑ろにしてきた事実に目眩がしたのだ。
マジカルホイールに傾倒する前にやることは別にあったはずだろう。これでは気付かないうちに手遅れになって詰むぞ、死ぬ気か? これが彼の嘆きの要約である。
こういうときは何と言えば良いのだろうか、自分ってホントバカ、だったか。何か違う気がする。
この時点でデュースはおめめぐるぐる状態。記憶の整理中に根強い価値観との凄まじい齟齬が出てしまったのだからそうもなるだろう。過去の自分に恨み言を呟いてふて寝のためベッドに転がる。

落ち着くまでに半日要したのは全くの余談である。


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2020.7.29.支部に投稿しました
2021.12.30.別館サイトに掲載

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