――翌日、監督生がうっかりデュースを「おじいちゃん」と呼んだことによりエースが爆笑する事件が発生した。
「だっははははっ! じっ、じいちゃん……! あはははっ!!」
「殴って良いか?」
「ンっふ、ぶははっ!」
些事ではあるのだが納得がいかない。腹筋が引きつるほど笑ったエースの脇腹をデュースが軽く小突いても笑い続けるのだから、相当ツボに入ったのだろう。ジト目で睨め付けたデュースの反応にすら笑っていた。まことに遺憾である。
なお、エースとグリムが初めてデュースを冗談交じりに「じじい」呼ばわりした瞬間、アイアンクローが炸裂したのは完全なる余談である。
そこそこ刀身の長い刀、デュースはそれを片手で振るうこともある。刀身の厚みや長さによって変わるが、日本刀の重量というのは平均して約一s前後だ。それを難なく振るえるだけの腕力、握力を持ち合わせているデュースの両手両腕。顔面を鷲掴みにされたエースとグリムは、あまりの力に一瞬息を詰めた。デュースの前腕部はビキリと筋張り血管が浮き出ている。指の隙間から確認したエースは顔を青ざめさせ、慌てて弁解するのだった。
「わー! 悪かったって! 監督生が言ってるしコミュニケーションの一つなのかな〜って! 思ったんだよ! いででっ!」
「お前にじじいと呼ばれる筋合いは無いんだよなー」
「でもお前所々食いもん関係とかジジイじゃん!? いでででっ痛ぇえ!!」
「本っ当に一言余計なヤツだな?」
エースの顔面には暫く指の跡が残った。
近いうちにクラス内に周知され、同じく「おじいちゃん」やら「じじい」やらと呼ばれるようになるのはそう遠くない話なのだが、この時点のデュースは気付いては居なかった。男子高校生の悪ノリを甘く見ていたのが敗因である。何はともあれ、こうしてデュースと監督生、エース、グリムの関係は構築されていったのだ。
デュースの周囲の人間関係は次第にある程度固定化していった。気づけば監督生とグリム、そしてエースが近くにいるのだ。仲が良い三人と一匹。そう認識されるまで時間は掛からなかった。
しかし監督生が授業に加わるようになってからの態度はクラスメイトに良くない印象を刻みつけるには充分だったらしい。遠巻きにされるのは当然として、逆にデュースがこっそりと呼び止められることも出てきた。
しかしそれも予測済みだった。デュースは事実を織り交ぜながら言葉を意図的に削り、訝しげに尋ねてきたクラスメイトにこう告げる。
「ああ、何か「死ぬ夢を見た」から「俺と」一緒に居なきゃならない、って思っていたらしい」
「死ぬ夢……」
NRC生に頭の回転が悪い者はほとんど居ない。仮にも名門を謳っている学園なのだ。まあ、頭の回転が速いのは「悪知恵を働かせたとき」が最多かもしれないが、今は関係ない話だ。魔法士を目指し、常日頃から魔法を使うため想像力を鍛えている者が多く在籍している。
そこに、必要最低限かつデュースによって意図的に削られた情報をもたらせばどうなるか。……上手い具合に勘違いが勃発した。狙い通りである。
要するに彼らは「監督生はデュースが死ぬ夢を見たため不安になり一緒に居て阻止しなければと思い行動していた」のだと解釈したのだ。嫌な印象が完全に消えたわけではない。だが、友人を慮り、出来ることが少ないながらも己に出来る行動をとっていたのだ、という認識は少なからずクラスメイトたちの態度を軟化させた。
なお、この時点でデュースは全く嘘をついていない。嘘を重ねれば徐々に言葉に重みが無くなる。それは術者として致命的な欠損である。だから、デュースは誤魔化すように言葉を発することはあっても嘘はつかない。いや、つけないのだ。
言い訳のように「嘘ではない」やら「嘘はついていない」などと内心で呟いていたのはこのためだ。
偽りを口にせず、意図的に言葉を削って相手に与える印象や情報を操作する。前々世で良く用いた手法だ。相手取ったのは自身と同じ審神者や政府の役人、専門の術者、など実に様々。数十年と腹の探り合いに身を置いた経験の記憶がある以上、まだ十代半ばのクラスメイトを手玉に取ることなど容易い。
内心でベッと舌を出して、デュースは悪びれもせず平素と変わりない態度で日常を送る。
こうしてクラスの問題になりつつあった件も、ある程度は終息したのだった。
♤
思いかえしてみると中々に濃い数週間。これがまだ入学して一ヶ月と経たないうちに起こった出来事であることを再認識してしまいデュースの顔が歪む。
ずぶ濡れになった制服は粗方乾いた。ズボンの裾が若干湿っぽいが許容範囲だろう。
顔を上げれば一人と一匹は未だに文句を言いあっている。その横にはジトリと恨みがましい視線を向けて顔を歪める監督生がこぶしを握り締めていた。ああ、と内心で呻きデュースはため息を吐く。これは止める頃合いだろう。
「そろそろ止めときな。ほら監督生、上着を貸せ。せめてシャツとそれだけでも乾かしてやるから」
「はーい、ママ」
「おっけー、ばーちゃん」
「分かったんだゾ、じーさん」
「お前等は自分でやれ。……あと監督生はともかくお前ぇ等にそう呼ばれる筋合いはない。ってか呼び方は統一するつもりないのか?」
声をかけた途端にパッと中断して駆け寄ってくる二人と一匹。デュースは頭痛を覚えて米神を押さえた。悪ノリをする時はとことん乗る。こういう奴等である。
こんなやり取りを堂々と行っているせいで「デュース・スペードが妖精族などと同じく長命種族説」が消えないのだ。思い込みの激しい者は尚のこと。真実を知っている者が面白がって口を噤んでいる所為で、眠りがちな二年生と声量が凄まじい一年生の勘違いもまだ続いたままだ。
もしもデュース本人がその通説を耳に入れでもしたら白目をむくか、盛大にため息をついて脱力するだろう。
目を離したすきに新たな火種が燃え上がったのか、エースとグリムが性懲りもなく口論を始める。ぎゃあぎゃあと騒ぐ一人と一匹に呆れた視線を投げてデュースは軽く手を振った。付き合ってられないと言わんばかりだ。
親しくなった二人と一匹。入学当初の自身が思い浮かべた関係とは真逆になりつつある。エースに至っては同室になったその日に「知人止まりになりそうだ」とすら考えたというのに。珍しく感が外れたか、何が起こるか分からないものだな、などと頭の隅で呟く。
チラリと腕時計に視線を落とす。そう時間がたたないうちに始業前のチャイムが鳴るだろう。授業に遅刻など考えたくもない。デュースは早急な移動を促すため声を上げたのだった。
◇
――ハーツラビュル寮。リドルの部屋に呼ばれたデュースは指定された時間通りに扉をたたいた。
「――対価は、本当にこれで良いんだね」
「ええありがとうございます」
対価と要求した物の引き取りに来たのだ。デュースの掌に収まったそれに視線を落として、リドルは理解しがたいと言わんばかりに口を開く。
「……壊れた時計が対価なんて、ガラクタを収集する趣味でもおありなのかい? それは職人も匙を投げたんだと前に伝えたはずだ」
「そういった趣味は無いですよ。ただ対価にふさわしいのがこの懐中時計だっただけです」
「ボクには理解できないけど、キミがそう言うなら。……それにしても、もっと違う実のあるものを対価に要求すればよかったのではないのかい?」
「前にもお伝えしましたように、
対価としてデュースの手元にわたったのは動きを止めた懐中時計。かなり年季の入った代物だ。リドルの実家の奥深くに眠っていた、専門家すら匙を投げた修復不可能な一品。製造されたのはおそらく数百年前であるため、そうなっても何ら不思議ではない。
なぜデュースがリドルの実家にこの懐中時計が眠っていることを知っているのか、というのはまた別の話である。企業秘密というやつだ。
掌に収まるそれをジッと見据えてデュースは目元を和らげる。その眼差しにどこか落ち着きのなさを覚えてリドルは口を開いた。
「対価がそれというのも何となく落ち着かない。他に対価として要求したいものがあれば遠慮なく言っておくれ。……いや用がなくとも、声をかけてくれても構わないよ」
「ありがとうございます、お気持ちだけ頂きます」
ぺこり、と小さく会釈した後輩が意思を変えるつもりがないのだと察したリドルは僅かに肩を落とした。
例の一件が終息した後に彼は小さなポプリのような物をデュースから受け取っている。心が落ち着くような香りを放つそれをリドルは殊の外気に入っていた。それ以来、リドルの方から頻繁に声をかけるのだがサラリと躱されてしまっているのが現状だった。
どことなく気落ちした様子を見せる彼に小さく笑んで、デュースは軽くフォローを入れる。
「でも、困ったときには頼らせていただきたいです」
「そうかい、遠慮なくお言い」
「ありがとうございます、よろしくお願いしますね」
そうしてデュースはリドルの部屋を後にする。久々に入った彼の自室は整然としていた。この目で視てもあの日の凄惨たる光景が広がっていた場所だとは思えないほどに。
鎖自体も完全に消えたわけではないのだが、その存在も薄れてきていた。寮の空気もリドルの様子も改善傾向にある。良い兆候だ。
真紅の楔に鎮めの吟を
――鎖が強く擦れる音は、もう聴こえない。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載
用語に関する何やかんやとあとがき
【吟:うた/ぎん】詩歌を声に出してうたうこと。声の出し方の強弱。おと。こえ。
【祝詞:のりと/しゅくし】祈るときに神仏前で唱える古体の言葉。捧げる謡。祈る言葉。
→作中では日本語ではなく土地に合わせて古英語で唱えていました。薔薇の王国は勝手に英付近なのかな? ということで。NRCがどこにあるか分からないのですけれども。
まあ、お願いされる側も外国語で願われるより慣れ親しんだ言葉での方が動きやすいでしょうしね。
※作中では一般的に知られている祝詞、祓詞、真言、経文、などの文言の表記はしない予定です。部分的にする可能性もありますが、余程のことがない限りありません。
当作品は創作であり、読んだ方が間違った知識を覚えてしまうのは避けたいと考えているためです。陰陽道、神道、仏道、スピ系、オカ系、その他諸々に関して何か知りたいことがあればご自分で信用のある情報を入手してください。
真紅冒頭部分、彼女の周りに蝶のような何かが飛んでいる描写をしていなかったことに気付いていた人は筆者と握手しましょう。いえーい。
寮長の手鏡関連の何やかんやであちらの世界に広がっていた水鏡。あれは寮長が心の中で流していた涙というのもあるんですけどハートというスートの属性が水だからです。それだけ。
これまでのお話よりもちょっぴりホラー要素が強まった感じがしますが、これから先は大体こんな感じの予定です。……ここだけの話、こんな話を書いていますが筆者はホラー苦手なんですよね。なのでぬるいホラーにしかならないんです。ビビりなんで。
次の話でようやくこの話を書き始めたと言っても過言ではない箇所の一つを書けるのでわくわくしています。