早朝、まだ空に夜の色が残る頃。デュースは重い瞼を無理矢理開きながらオンボロ寮に向かった。動物たちの世話当番では無いことがその行動を可能にさせていた。
(なぁんか最近、追いかけられては走ってばかりだな。やっぱり部活は陸上部で正解だったか)
移動の道すがら、脳裏に浮かぶのは入学後に関わった出来事。内心で自身の判断が間違っていない確信を得る。
大抵の場合に必要とされるのは反射と機動力。避けようのないものも存在するがそれはまた別の対応をする他ない。身体能力を向上させておくに越したことはないのだ。陸上部では全ての運動に通じる基礎を丹念に鍛える。瞬発力や持久力の強化に注力できる、ということだ。身体作りにはこれ以上ない部活だった。
古びた寮の玄関に着くなり扉を叩けば、すぐさま予想通りの人物が外へと出てきた。彼女もちゃんと起きれていたらしい。相も変わらず建物内部は空気が埃っぽい。
「おはようさん」
「……おはよう、デュースくん」
気まずげに視線を逸らしながら挨拶をした彼女の目は赤く充血していた。誰がどう見ても一目で泣いた後なのだと分かるくらいの有様に、デュースは息を吐く。マジカルペンをゆらりと振り保冷剤を召喚した。ポケットからハンカチを取り出し包みながら簡単な冷却剤の代わりとしてそれを彼女に差し出す。
「やっぱり魔法が怖いか?」
「怖くない、って、言えたらよかったなぁ」
目の前で魔法を使ったことでぎくしゃくとした空気が流れる。
今にも泣きそうな顔を無理やり笑みに変えようとした歪な表情。一つ瞬きをするとデュースは右手で後ろ頭を掻く。そんな態度に何を思ったのか、彼女はおもむろに何かを取り出した。
「これ、ありがとう。もらうのはやっぱり悪いから返すね」
差し出されたのは夢路の中でデュースが手渡した水晶のブレスレット。彼女は目が覚めてすぐさま手元に僅かな違和感を覚えたのだ。恐る恐る己の手に視線をやれば、この通り。デュースから譲り受けたブレスレットを握りしめていた。――だから彼女は見た夢がただの夢ではなかったのだと分かったのだ。
役割は終わったのだから返却すべきである。その考えから彼女は今こうして元の持ち主に差し出していた。
しかし、当のデュースは表情を曇らせる。
「いや駄目だ。むしろアンタにこそ必要な物なんだから、肌身離さず持っておいてくれ。『貰っちゃったラッキー!』とか思ってればいいんだよ」
溜息すらつきそうな空気で手を伸ばすと、包み込むように片手を彼女の手に添えた。そのまま確りと握らせる。その行動に彼女は目を軽く見張った。
デュースが自ら触れることなど久しく無かったことだ。最近では近くに寄りつこうとすらしなかったというのに。
驚き固まった彼女に気づいたのかデュースは視線を泳がせた。事情があったとはいえ、褒められはしない態度を取っていた自覚があるだけに涼しい顔などできなかったのだ。
そんな様子に彼女は何故かおかしさを覚える。小さな笑いが込み上げてくるのを堪えきれなかった。くすくすと僅かに笑い声がこぼれれば、正面に立つデュースは今度こそ溜息を吐きだした。それすらもおかしくてこぼれる笑いは止まらない。とても不思議な心地だった。始まりのあの日から、こんなにも心静かに過ごせた時間が果たしてあっただろうか。
ゆったりと移動して談話室に置いている椅子に座り彼女は口を開いた。ギシリ、音を立てて背もたれが軋む。
「あのね、小さい頃は魔法使いになりたかったんだ」
笑みを模ってはいるがその目は諦めと憂いが滲んでいた。それを確かに見止めてデュースは何かを言及するわけでもなくただ相槌を打つ。次いで数週間前に自身が洗浄魔法を施したソファーに腰を落ち着けた。
「そうか」
「枯れた花を綺麗に咲かせたかったし、星空を歩いてみたかった。……魔法は、綺麗なものだと思ってたんだよね」
だが現実は無情だ。彼女に魔力はない。魔法は使えない。子どものころに思い描いた空想の世界は結局手には掴めぬものだった。それだけの話だ。悔しさ、羨ましさ、それは確かにある。だが無い物ねだりほど虚しい物はない。
そんな羨望も葛藤も理解してデュースは努めて常と変わらない声色で言葉をかけた。
「この世界には魔法が使えない者も存在しているんだ。魔力や魔法に絶対的な価値があるわけじゃない。確かに便利だが、万能なわけではないからな」
「……うん」
この世界にも魔力がない人間が居ることは彼女も知っていた。どこか寂し気に頷く。
「さっきアンタが挙げた優しい魔法ばかりなら良いんだけどな。使い方を誤ればとんでもないことになるし、……防衛手段がなければ恐ろしく思うのは当然だ。「怖い」っていうアンタの感覚は間違ってないよ」
僅かに目を伏せたデュースが夢の中で吐き出された彼女の畏怖を肯定する。誰だって理解の及ばないもの、力の及ばないものを前に身構えずに丸腰で居られるものか。
「……魔法が使えるデュースにも、怖いものがある?」
「あるさ。……炎が、ちょっと好ましくない」
「えっ、でもじゃあグリムは……」
「そういうのは大丈夫なんだ。特に赤というかオレンジというか、暖色の大規模な炎が苦手なだけ」
何せ過去生での死因率2である。おまけに前々世で本丸に襲撃を受けた際にも火を放たれたこともあって余計に苦手意識がついて回っていた。
そうなんだ、と呟いたきり彼女は口を噤む。視線が遠くに向いている様子から思いを巡らせているのだろう。
朝日が差し込む老朽化した寮の談話室。そこに落ちるのは穏やかな静寂だった。不思議とこの沈黙が苦では無い。
寮の屋根に降り立った鳥の蹴爪が立てる音すら聞こえてくる。早起きの生徒が自主練を始めたのか遠くで走る足音が聞こえた。
穏やかともいえる空気に浸ったまま、デュースは潜考していた。――自分が距離を取ろうとしたのは完全に悪手だった。この事にはもう気づいている。腹を割って話をする前と後では彼女の様子が全然違う。蝶のような物体の変化から見ても明らかだった。
現状は、まあまあ良いだろう。小さくだろうが笑う余裕が出ている。良い傾向だ。……だがまだ足りない。あと一押しが必要だとデュースの勘は告げていた。しかし、何をどう行動すればよいのか正解など分からない。
ただ強い帰郷の念を抱き続けていることは確かだ。日本に、家に、家族の元に帰りたいのだと。そこまで考えてデュースは己の過去生に意識が飛んだ。
ああ、そうか。この手があった。
「……一つだけ、俺の秘密を教えるよ」
自分にとって急所となりえるものである。若干のリスクを背負うことになるが仕方があるまい。デュースは顔が強張らないよう意識して表情を作る。内心を気取られるわけにはいかないのだ。
突然意味深なことを言い出したデュースに、彼女は訝し気な視線を向けた。だがそれもすぐに驚愕に見開かれることとなる。
「前世、前々世、って言われるような記憶があるんだ。多数だからまとめて過去生って俺は考えてるけど。その中で日本人だったことが数回ある。あと性別も男女半々だ。何かあったときは遠慮無く言ってくれ」
「え、……ええ??」
突如としてもたらされた情報に彼女は目を白黒させた。あまりにも予想だにしていなかったものだったせいだ。デュースは軽い物言いを心掛けていたが、些か声色が固い。しかし幸いにも感じ取るだけの余裕がない彼女は気づいていない。
「ぜんせ?」
「そう。前世は享年三十路過ぎの女だったよ。ちなみに日本出身」
「えっ!?」
「前々世は同じく日本出身でちょーっと複雑な環境に居たおっちゃん。享年は五十ちょっと」
「おっちゃ……えええ? いやでもそう言われれば、何となく……?」
今生でなくとも日本出身者である。その事実に、胸の内に沸き立った親近感。これにより彼女の中に「デュースは同郷出身の年上」としてインプットされた。
幸か不幸か、オタク知識をそれほど有しているわけでは無い。二次創作もたしなむ程度。故に偏見を持たずその情報を受け取れたのである。
だが、あまりに突拍子もない内容だったせいか、情報を処理しきれず脳内がパニック状態だった。
「えっと、じゃあ、その、デュースは精神的には女の人なの? それとも身体の通り男の人……?」
その問いにデュースは僅かに笑みを返した。どこか苦い物を含んだその表情に彼女は目を瞬かせる。
「過去生がどうであれ、俺は俺だ。ただのデュース・スペードだ。性別に関しても特にどちらでもないし拘りも無いよ」
記憶はともかくとして、性別に関してはあまり引きずってはいないのだ。おかしい事だろうか。首を横に振りながらデュースは頭の隅で疑問を浮かべる。
しかし彼女はどこか納得したように頷いた。
「たまに口調が崩れるのって、もしかしてそのせい……?」
「……崩れてたか?」
「別人かな、って思うときもあった」
別人。その言葉にデュースはふと思い出したことがある。夢路の中で彼女が口にしていたゲームとしての(
たとえデュースが彼女の性別にいち早く気付いた人間だったとしても、ゲームのシナリオが正規通りに進むことを望んだ彼女が登場人物として描かれていない人間に異常なまでに固執するだろうか。自分がシナリオと何ら関わりのない人物ではなく、少なからずシナリオと関わっていた。そう考える報道にも納得できるのだ。
呼吸一つ、その間に考えを巡らせたデュースは特に態度を変えるわけでもなく問いを返す。
「それは「ゲーム上のデュース・スペード」と違うって事ではなく?」
「ではなく。すごく話し方とか口調が変わるなーって」
「ふぅん」
予想と違わぬ返答だ。頭の隅で情報を整理しつつデュースは小さく頷いた。そして鎌掛けた問いに対する返答とは別に、指摘された喋り方。目を瞬かせ、自分の事だというのに感心したように相槌を打つ。話し方や口調の変動については完全に無意識だったのだ。
知識以外で過去生に引きずられていたつもりは微塵もないのだが、他者から見ての指摘だ。自己評価よりも信憑性はある。
前々世の口調は今とさほど変わらない。言い回しが固い、年相応ではない、などの点はあれど差異は微々たるものだ。自身のことで一杯一杯だった彼女が気にするほど崩れた口調になるものか。
デュースはもう一度だけ、ふぅん、と呟いた。ならば自分はどの過去生に強く引きずられているのだろうか。全くもって不思議だった。
◇
彼女が落ち着くのを待ちながらデュースはまた別件について思考を巡らせていた。朝からフル回転させている脳がゆだるようだ。瞼が若干重いが無理やり開く。
オンボロ寮、正確に言うなら彼女の活動スペースに何かしらの守りを敷きたいのだ。そして彼女の精神状態の安定も図りたい。
リドルの時と同じように香を焚こうかとも考えた。だが、この老朽化した建物に匂いは避けるべきかと思いとどまる。細やかな場所の掃除も済んでいない、埃も除去し終えていないうちにすべきでは無いのだ。変に匂いが染みついては後に異臭となる可能性がある。ならば――
「よし、魔法を見せてあげよう」
「え、いつも見てるけど」
「……まあそうだが、そうじゃない。キミが望む魔法を見せてあげよう、てこと」
彼女が求めた魔法は、美しく、優しいものばかりだ。
ニンマリと笑むとデュースは魔法石を握るようにマジカルペンを持ち直す。次いでペン先を小刻みに振るった。すると輪郭が揺らいでいく。細長く伸びて遂には全く別の形状に変化した。持ち手部分は確りと太く、先端に行くにつれ僅かに細まっている。魔法石は柄頭の部分に嵌っている。それを前にした彼女は目をきらめかせて歓喜の声を上げた。
「まっ、まさしく魔法使いの杖って感じだ……!」
「イメージとしては根強いよなぁ、これ。何だっけ」
「ああアレだよ、略称がホームページと同じ作品!」
「ごめん分かんない」
「えっ」
「いや、魔法使いを題材にした作品があったことも朧気ながら内容も覚えているんだけど……まあ、正確には覚えていなくてな」
「そっか……」
杖を所在なさげに上下させてデュースは記憶を辿る。そして諦めた。
「そんなことより、ちょっと見てな」
指揮棒を振るう直前のように杖を構え、次いで流れるように杖先を虚空に滑らせた。
「え、わ、わっ!」
「一つだけじゃないぞ?」
何もない場所から出現した花。白いカラーから始まり黒に近い紫のパンジーまで。様々な種類の花がグラデーションを作るかのように宙を彩っていく。桜の花が混じっていたのは、術者が日本で生きた記憶を持つデュースだからだろう。
魔法は万能ではない。術者の創造力や知識に左右されると言っても過言ではないのだ。
ぽんぽんと生み出されては宙を漂う花々。わぁ、と声を上げる彼女の頬が上気している。……これはエレメンタリースクールの子どもでも出来る魔法だ。簡単な誰にでもできる初歩的な魔法だ。それでも、彼女にはそんなことなど関係なかった。自分のために魔法で生み出された美しい花々を前に心が躍る。
この世界で生きることを強要されてから、こんなにも明るい気持ちになったのは初めてかもしれない。彼女は眩しげに目を細めて朝日に照らされた花々を見上げた。無邪気とも言える表情だ。
それに目を和らげてデュースはもう一度杖を振るう。
変化は緩やかに訪れた。窓から差し込む光が徐々に細くなり消えていく。緞帳が下ろされるかのように、日が沈むかのように、談話室が自然の光を失った。
それでも室内は完全な暗闇にならない。濃紺の闇に、ぽぅ、と淡い光を帯びて浮かび上がるのは宙に浮いたままの花々。これらが光源になっていたのだ。仄かに薄らと、けれど確かに存在を主張するそれらが徐々に縮まる。光が凝縮されてきらめく。濃紺の中に限界まで小さく縮小された花々がチカチカと瞬いた。
――星空の中に立っているかのようだ。
そう考えた彼女はハッと息を呑んだ。つい先程、自身が言った言葉を思い出す。
『星空を歩いてみたかった』
まさか。のろのろと緩慢な動きで顔を動かした。魔法を展開しているはずの相手を真っ直ぐに見れる自信が彼女にはなかった。
そんな思考などお見通しと言わんばかりに笑うとデュースは目じりを下げる。
「苦手意識、少しは薄れたか?」
「っ!」
これが今のデュースができる配慮の精一杯なのだ。力になれることなど限られている。それでも、彼女がこれから先この世界で過ごしていくために。少しでも生きやすくなるように、嫌な認識を払拭させようとしたのだ、と。彼女がその結論に辿り着くのは容易だった。
「あ、りが、とう」
「おう」
「まだ、頑張れる」
「頑張りすぎるのは良くないし、やべぇと思った時はブチギレても良いからな。俺も加担する」
「そこは止めてくれないの……??」
ちょぴり物騒な言葉に、潤んでいた彼女の瞳が瞬時に渇く。感動的な良い空気になったかと思えばこれである。泣きそうに歪んでいた彼女の顔は何とも言い難い表情に変化している。
自身の狙い通りに空気を有耶無耶にさせることに成功したデュースはカラッと笑った。満足げに杖を振るうと擬似星空は瞬く間に消えた。ついでに形状をペンに戻しておく。ここまで自在に魔法を操れるのは過去生の中に魔法使いや魔法師だった生が存在するからである。
「そういやちょっと確認したかったんだが、予備の服の支給もされてないんじゃないか?」
「うん。現物支給じゃなくて現金で用意されていたから……正直優先順位が衣類よりも食費に傾いちゃって」
「……あの毛玉か」
「……うん」
ツナ缶〜! と叫ぶグリムの姿が二人の脳内をよぎる。
両者共に真顔だった。スン、と音でも聞こえてきそうなほど一瞬で表情が抜け落ちる。
「……アレに関してはまた別の機会に絞るとして。お下がりになるけど俺の服要るか? 何着かはすぐに出せるけど」
「えっ」
「部活用にTシャツとジャージは余分に持ってきてるんだ」
生活に余裕がない彼女にとっては願ってもない申し出だった。
新品でなかろうとも、他ならぬデュースの私物であったものならば抵抗なく着れる。……だが頷けない。迷惑をかけた自覚がある。気を遣わせ、手助けをされ、この上まだ甘えるのか。
口をへの字にして首を横に振った彼女を前にデュースは片手で額を抑えた。マジカルペンを一振りすると未使用のタオルとジャージ一式の予備を召喚する。最初からこう言えば良かったか。
「……サイズが合わなくなったから、受け取ってくれ」
「ううううう申し訳がなさすぎる……!」
「こちらの精神衛生上を考えて貰ってくれ。正直こんな場所に女性を放り出してる時点でも頭が痛いんだから」
「はいぃぃ」
受け取りやすいようにという気遣いが丸わかりな言葉。最早彼女は涙目だった。
タオルと着替えの予備を受け取った拍子に薫った、どことなく懐かしさを感じる香りに首を傾げる。
「なんか、おばあちゃん家みたいな匂い」
「……まあ、匂いは多分線香と似たようなものだ。匂うか? 悪いな」
「ううん、全然。お線香?」
「それならいいんだが……。アンタが言ったような年嵩の人の家の匂いの大抵は使ってる線香の匂いだったりする場合が多いな。まあ家によるが、故人が居る場合お線香を毎日焚く家が多いんだ。家が古けりゃ尚更」
「昔からずっとその土地を離れてなかった気がする。遺影とか写真も多かったかな」
「ああ、なら当然だ。香の匂いがするだろうな」
匂いは気にならないと言われて少しだけホッとする。うんうん、とデュースは頷いた。
その流れで手渡したものを自室にしまってくるよう促す。衣類に香の匂いが移ったのは香箱の近くに置いていたからかもしれないな、などと頭の隅で呟いた。
「ありがとうおばあちゃ……あ、ごめんっ」
「……いや、気にするな。慣れてる」
「本っ当にごめん」
とんでもない言い間違いをした彼女は両手をあわあわと動かした。祖母の家を思い出していたからと言って、まさか目の前の相手にそう呼び掛けてしまうなど考えても居なかったのだ。
何とも言えない表情を浮かべてデュースは破損が目立つソファーに腰掛け直す。
見た目では誤魔化せないくらいに中身の年齢が滲み出ていると言うことだろうか。ちょっぴり虚しさを感じて肩が落ちる。そして、慣れているのは本当のことだった。主にとある刀剣による呼び間違いで。
(……おばあちゃん、ねぇ。確かに肉体年齢はともかく中身は相当歳喰ってるけど……。ああそういや何振りかが「見た目はともかく中身はじじいだ」とか言ってた感覚ってそれか?)
まさか自分がそうなるとはなぁ。そう内心で呟きデュースはソファーの肘掛けに軽く頬杖をつく。
(ううん、でもまあ、いろいろ考えると中身年齢的な面では俺もじじいか?)
累計年齢など考えてはいけないのだろうが、感覚としては目の前の彼女も学園の生徒も等しく年下だ。リリアを筆頭とした長命種はまた別カウントである。
まあ、大人げない反応をすることもあるのは肉体年齢が十六歳なので仕方がない事だ。
感覚的な年の差。それをまざまざと認識した途端、デュースの彼女に向ける目が急速に変化した。いや、正確には自身が抱いていた感情や思いを自覚した。
彼女は大学生とはいえ社会にも出ていない若者だ。まだ遊びたい盛りだろうに訳の分からん異世界トリップに巻き込まれている。不憫で仕方がなかった。
……まあ、要は脳内が身内判定を出してしまったということである。デュースの過去生の内直近二つの故郷、日本の出身者。女性であり、そして年下。前々世から考えれば年の近い親子ほどにも離れている。魔力を持たず魔法が使えない、自衛手段も殆どない、信頼や信用することができる人間も皆無。彼女が置かれた環境を考えると庇護対象になるのも自然の流れだった。
そろりと顔を上げると彼女が控えめに口を開いた。言い間違えた手前、気まずさが残っているのだろう。
「ねえ、「監督生って呼ばないで」って言ったでしょ?」
「ああ」
足元を見て眉を下げた彼女にデュースは短く首肯する。
「不安だけど、少し頑張ってみる」
「そうか。よろしくな、監督生」
「うん。よろしくデュース」
この世界に来てから初めて、彼女は自身が「監督生」と呼ばれることを受け入れて返事をしたのだった。
まるで憑き物が落ちたようだな。内心で呟きデュースは晴れやかに微笑んだ。その視界の隅で、彼女の周囲を漂っていた蝶を模ったソレがぴたりと停止する。
サラサラと砂のように崩れ落ち、跡形も無く消え失せた。消滅する様を初めて視たデュースは僅かに目を見張る。あの蝶のような存在は消えるものなのか。他人には不可視のソレに関する情報と憶測が一つ増えた。ううん、小さく唸り頭を抱える。
その日以降、彼女の周囲にデュースにしか視えない蝶のような存在が飛ぶことは無くなった。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載