藤の怪

35

小さな蝶にも似た薄紫の花弁。幾つもの連なりが花房を成していた。
無風だというのに緩やかに揺れ、仄かな燐光が現れては消えていく。吹き散るソレ等の一つが花房を離れる。ひらり、僅かに滞空したのち宙を漂い流れて落ちた。
──静かだった。動くものも無く、音も無く、ただ静寂だけが横たわっていた。

ひらり。夜闇に舞い散るふたきぐさ。薄らと空に浮かび光を放つ細い月がただ静かに光を落としている。





はらり。
視界を遮る仄白い何か。よく見ると薄紫の花弁であることが確認できる。訝しげにそれを見つめて男は周囲を見回した。
滅多に足を踏み入れることのない、とある機関の本部の屋内にして廊下。いくら外に近い場所に立っているからとはいえ、花びらが舞うような場所ではないのだ。加えて、男が赴いた建物付近でこの色合いの花は咲いていないはず。そもそも霜が降り始め木枯らしが吹きすさぶ季節だ。室内以外で花が咲く時期ではない。
出所はどこだ、きょろりと視線を巡らせる。周囲を見回すが花瓶があるわけでもなく。それどころか殺風景な廊下には華やかに飾られた花などは存在していなかった。寄せられた眉が更に険しくなる。
ひらり。はらり。
絶え間なく地に降り注ぐ小さな花弁。形状を見る限り花束や生け花に適している花でもなさそうだ。よくよく見れば地面に落ちてしばらく経つと消えていく。
明らかに常世のものではない。そう思い到り頬が強張る。一歩、たった一歩、動いた途端。ぶわりと視界いっぱいに薄紫の連なりが飛び込んできた。花弁を散らしながらも咲き誇る、見事なまでの藤棚。
──一面に、天を覆いつくすかのように、藤の花が咲き誇っている。
取り込まれそうになるような妖しさすら感じる、美しい幽玄。男はさらに一歩踏み出し、しかしどこか薄ら寒さを感じて後退る。ゆら、と瞳が揺れたと同時にひどく乱暴に後ろへと引き戻された。誰かが男の胴体に腕を回して確りと掴んでいる。離れないよう、離さないように。

「――!」

ハッと顔を上げ、男は自身を引き戻したのが誰なのかを確認する。腹心ともいえる相手にホッと息を吐く。だが険しい顔をしたままの相手は視線の一つも寄越さずにどこぞを睨みつけていた。その視線を追い、男は顔を強張らせる。いつの間にか藤棚は消え失せていた。
代わりと言わんばかりに、何もないはずの空間からはらり、と。花弁が一つ地面に落ちて消えた。





とある時代のとある国、その中枢に根差す政府には表立って活動できない組織が存在していた。その組織が拠点として使用している建物の一角で、とある噂が流れ始めて早半年。人の噂も七十五日と言うが、収まるどころか信憑性を増して職員たちの間を泳いでいる。
──曰く、藤花に攫われる、と。
既に行方不明者も出ている。数にしておよそ七名と八振り。未だ誰一人として発見されていない。被害者の年齢、性別、所属する国、消えた時間帯、どれも共通点はない。よって調査は難航していた。
被害者たちではなくその周囲で起こる事象に共通している点が複数確認された。その数およそ二つ。
階は関係なく建物の西館であること。季節を問わず薄紫の花弁が見られ、それは霊視や異能の才に関係ないこと。
それ以外に事件の解決に繋がりそうな痕跡も残されていない。探ろうにもあまりに情報が少なすぎる。被害者たちは一瞬目を離した間に、たちどころに姿を消しているのだ。
神隠しにも怪異にも似たその現象。しかし神隠しと言うには神気や神威を感じられず、それどころか禍々しさを感じた者も居たという。

故に「藤の怪」と。未だ解決の糸口も見えぬままの現象は、そう囁かれている。


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2020.11.23.
2022.1.15.別館サイトに掲載
今回の章はクロスオーバーです。この時点で多分分かった人はいると思いますけど。

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