相互理解

36

──十月の頭、オンボロ寮の談話室にてデュースと監督生は頭を抱えていた。どちらも表情はすぐれない。一方でグリムは日向で昼寝をしている。
埃っぽさを限界まで薄れさせようと開け放ったままの窓から、秋の少し乾いた風が屋内に吹き込んだ。

未だ足並みの整わぬハーツラビュル、監督生の周囲、それらが多少落ち着きを見せた頃にデュースが話し合いを提案した。改めて互いに腹を割って話す機会を設けたのだ。
魔法が使えない監督生に施す防御魔法の話から始まり、先日の夢路での出来事、ゲームとしてのこの世界について、常識や文化の違い、など。題目は尽きなかった。ちなみにだが、彼女はクルーウェルにまだ相談らしい相談をしていない。考えた末にずるずると時間が過ぎ、機会を逃したせいである。

情報と認識のすり合わせは滞りなく進んでいた。途中までは。監督生の口からこの世界の情報や描かれ方を語られたことにより、前世でのゲーム情報をぼんやりと思い出した。頭を抱えたのは余談である。
しかしデュースの過去生と監督生が生きる日本が同一であるのかはハッキリせずに終わる。似通っていることを確認できたのは良い収穫だったが。
そして現在、互いに確認したかったことについて一通り話し終えた。テーブルの上に広げられたノートに書き連ねた全ての項目につけられたチェック。どちらともなく頭を抱えて数分が経とうとしている。互いに得た情報をどう処理して良いのか考えあぐねいていた。何しろ早急に対応しなければならない物事が複数あるのだ。
発覚した新たな事実。そのうちの幾つかが日常生活に支障をきたしかねない。
──彼女はこの世界での言葉を正確に理解できているわけではなかった。他者との関わりを持ち、生きていく上で必要とされるのは言葉だ。食堂のメニューが読めない、授業の板書が分からない、購買部で値段が確認できない。
さらに厄介なのが常識の差。異種族が当たり前に存在しているこの世界でタブーとされている言葉や行動を監督生は何一つ知らない。生きていく基盤が無い。それは彼女自身も自認していたようで、デュースとエース以外のクラスメイトや同級生へ積極的に声を掛けなかった理由の一つでもあったらしい。賢明な判断である。まあ、デュースの行動によって他に目を向ける余裕がなかった、とも言えるかもしれないが。
こうして、既にじわりじわりと影響が出てきている。

「……聞く分には自動翻訳されているから問題ないが、文字は読めない、か」

中途半端な言語の壁。自動翻訳されるのは会話だけのようだった。文字など物理的に形になったものは対象外であるらしい。目に映るもの全てにおいて自動翻訳は気配の欠片すらなく、全く反映されなかった。この数週間のうちに小テストがどの授業でも行われていないことは不幸中の幸いだ。ローテーブルの上に散乱するノートやプリントにはさまざまな言語がデュースの筆跡で綴られている。
聴覚にのみ適応されるのか。ならば試しに、と思案の後にデュースは人間とは一線を画す種族独特の言語を彼女に投げかけてみた。だが首を傾げられて終わる。理解できなかったようだった。この分ではおそらく動物言語学を受けても自分たちと同じように鳴き声にしか聞こえないのだろう。

「共通語以外はダメか。予想の範疇だが……よくもまあ、それで授業を受けていられたな。純粋に尊敬するぞ」
「聞く分には普通に日本語に聞こえるからね。一応義務教育の中で履修してきた教科だし。まあその、学校での成績は触れないでほしいけど。……とにかく、他の外国語だったら無理だった。大学で専攻したのはドイツ語なんだけど、正直なところ全然分かんなくて。あと文字も、英語だったのがまだ救いだった、かな。」
「一年やそこらで理解出来たら逆にすごいと思うぞ? ……板書、トレイン教授の筆記体でも?」
「うっ、それは、ちょっと……」
「だろうな」

日本での義務教育内で主に教わるのはブロック体だ。全員が筆記体を読めるわけではない。デュースも前世、前々世は筆記体を難なく読めるわけではなかった。例にもれず監督生もそうだったようで苦い顔をして顔を背けられる。
開け放った窓から吹き込む風が机上の紙を揺らす。

「形あるものが翻訳されないと嘆くか、共通言語の会話だけでも翻訳されていることを喜ぶべきか……」
「とりあえず、言葉が通じてコミュニケーションが取れるだけマシだと思ってる。きっついけど」
「そう、だよなあ。どうして自動翻訳されているのかは謎だし、何かの拍子で効果が切れないとも限らないし、対策はしておいた方が良いと思うけど今すぐには難しいな。……それにしても識字に関してはどうしたもんかねぇ」

簡単に自動翻訳が出来る魔法などが存在するならば万事解決だ。いや正確に言えば言語翻訳の魔法は在る。ただし発動条件が厄介だった。術者が翻訳する言語を知っていなければならないのだ。翻訳元と翻訳後、両方を。
日本と似た国が東に在ると言う。しかし似て非なるものであるからして言語が同一かは分からないのだ。はたしてこの学園に日本語の翻訳ができる者が居るのだろうか。
その点だけで言うならばデュースは条件をクリアしている。だが常時それを稼働するだけの魔道具を作るだけの基盤はない。術式がかなり面倒なのだ。
包み隠さずそう告げればがっくりと落ちる監督生の肩。魔法は万能ではない。それをまざまざと感じさせられたのだ。
渋いものを口に含んだかのような表情で両者共に沈黙した。談話室に落ちる静寂。チチチ、と小鳥のさえずりすら聞こえてくる。

「……とりあえずそれは追々考えよう。もしかしたら先生方の中に多言語に造詣が深い人がいるかもしれない」

望みは薄いだろうが。という言葉を口にされずとも監督生は分かっていた。視線は下に落としたまま小さく頷く。

「うん」
「じゃあ、次はこちらだ」

デュースは上体を少し倒したまま頬杖をついた。凪いだ瞳が見据えるのは眼前の机上。二人の間に鎮座するローテーブルの上にはノートやプリントの他に細々とした小さな装身具や装飾品が散らばっている。一つ、二つ、その中から幾つか手に取ると吟味を始めた。普段使いが可能な、それでいて他者から認識され難いものを選ぶ。納得がいったものを二、三、彼女の目の前に置きその他をテーブルの端に避けた。

「この中に気に入ったのあるか?」
「え、あ、私に用意してくれてた物だったの!?」
「むしろそれ以外に何があるんだ」
「や、だって前に貰ったコレがあるし」
「そりゃ応急処置だ。いくら俺が常時持ち歩いていて魔力やら何やらが馴染んでいても、正直心もとない。もともと魔道具として作ったわけでもなかったしな」

その言葉を受けた監督生は自身の左腕に着けていた水晶のブレスレットをまじまじと見つめた。魔力が込められた道具でなければこれは一体何なのだろう。僅かに首をかしげる。
脳裏に浮かぶのは先日見た夢での邂逅。ただ不思議、というには不気味なよく分からない空間。
もしもあの日デュースが彼女の前に現れなかったら。そう考えるとゾッとする出来事だった。思い返して鳥肌が立った両腕を擦りながら監督生は視線を上げる。デュースの視線は未だ机上から離れない。

「まあ、とにかく。コイツじゃ魔法は防げない。この学園の治安を考えると嫌がらせが無いとは言い切れないし、防衛魔法をガン詰めしたコレ等で身を守るのが一番確実なんだ」

デュースが監督生に渡したブレスレットが防げるのは霊的なものが主である。何せ優先して込めたのは霊力なもので。もともとは補助道具になれば良いな、くらいの考えだったのだ。
常日頃から身に着けていただけあって魔力も多少は宿っているが、それも微々たるものだ。たとえ向けられた攻撃魔法を防げたとしてもそれは威力の弱いものだけだろう。処理の限界を越えた石は耐え切れずに砕け散る。
そうなると彼女は別な意味で護りを失い無防備な状態に陥ってしまう。悪い連鎖だ。そんな状況を避けるためにもデュースはこうして用意していたのである。まあ、目の前の装身具や装飾品の大半は自身のために作り上げたものがほとんどだが。

「俺も常に一緒に居られるわけではないしな」
「うん、それは重々承知してるけど……」
「どうした」
「私、貰ってばっかりだよ」

身をすくめ口籠った彼女に視線を向けデュースは問いかける。見るからに表情はすぐれない。その様子に何を思ったのか、一つ息を吐くと肩をすくめた。

「そうでもない。俺もアンタからちゃんと貰ったさ」
「え、何を?」
「情報だ、情報。ほら、この世界がゲーム作品として描かれていた、って話をしただろう? この世界に関する事、今後の事、……そして『デュース・スペード』の事。な? 情報ってのはあるに越したことはないんだ」

そう言うなりソファーに深く座り直し足を組んだ。膝の上に置いた右手の指がタッタッとリズムを刻むかのように上下する。
彼女を納得させるために、何をどこまで口にしてよいものかと思案すること二拍ほど。詳細に触れなければ問題ないだろうと頭の片隅で判断を下す。

「──情報を制する者が戦を制す、とも言われるくらいだからな」

僅かに目を伏せて思いを馳せたのは前々世。そして過去生。敵方である歴史修正主義者との攻防は何も過去の戦場だけではなかった。
どれだけ正確な情報を入手できるか、誤報に踊らされずに敵を把握できるか。自陣の状況を秘匿できるか。それが戦況を左右することにもつながっていたのだ。
各本丸に関してもそうだ。位置情報が漏出した結果、同時多発的に大規模な襲撃を受けたことが何度もある。デュースも三度ほど被害にあっていた。全体的に見てもそれなりの地位についていたせいだろう。上層部との関わりは深くなかったにしろ、傍系の傍系にしろ、神道の家系というだけで狙われる対象だったのだ。
閑話休題。
情報というのはどの世界、どの分野でも重要視される。情弱であれば生き残れるものも生き残れない。とにもかくにも有るに越したことはないのだ。それが正確な物であれば尚の事。

「と、いうことだ。情報の対価だと思えばいいさ」
「ううう、ごめんねぇありがとう……」

べそっと眉を下げた彼女に小さく笑ってデュースは机上から一つ装身具を持ち上げる。深い緑色の玉がトップのシルバーアクセサリー。緑玉をぐるりと囲うように細いワイヤーが絡んでいる。よくよく見れば玉に加工は殆どされておらず、トップにするための穴も開いていないようだ。
スッと差し出されたそれを両手で受け取り、監督生は視線を自身の掌に落とす。彼女は元の世界で似たようなデザインのそれを見たことがあった。ハンドメイドのアクセサリー。ワイヤー一本で人の手によって細かな装飾が作り出せるのか、と驚いた記憶がある。
……という事は、目の前のデュースがこれを作り上げたということだろうか。ちまちまと。失礼かもしれないが、指先がそこまで器用そうには見えないのだが。いやいや流石に自作ではないだろう、と監督生は内心で首を横に振る。購買部で購入した説の方が彼女の中では有力だった。

「錬金術で作った鉱石には、生成者の魔力を込めやすい。それを利用して加工したものだ。ワイヤー加工も俺がやったから全体に魔力が回ってるはずだ、大抵の魔法は防げる。ついでに物理も防げる」
(完全デュース作だった……!!)

ギョッと目をむいた彼女にデュースは呆れたような視線を向ける。思考が丸わかりだ。そんなジトリとした視線に気づいてか、ゆるりと顔が背けられた。

「何日か掛けて魔力を込めた代物だ。ちょっとやそっとの攻撃じゃあ傷はつけられないはずだ。肌身離さず持っていてくれ」

元々はこれも魔力を込めるためではなく、霊具として補助道具の代わりにしようと考えていたものではあるのだが。目下の問題を前にしてそれは些事である。
──錬金術の授業で生成したものは特殊な鉱石を除き個人が持ち帰ることが可能だ。多くの生徒は換金して自身の小遣いにしているらしい。
しかしデュースは全て手元に残している。何故か、と問われれば霊具や魔道具の核にするためだった。今しがた彼女の手元に渡した鉱石の他、机上に置いたままのブローチやピアスに使用している物もまた同様である。自身の耳を彩るピアスもそういった魔道具の一つだ。
ネックレスか小さなブローチならば普段から身に着けていられるだろう。二つ、三つと指し示しデュースは再度口を開いた。

「オートで反応するように術式を組んだから着けているだけでいい。暫くは持つはずだ」
「お、おおっ! ありがとう……!」

急速に身の安全が確保されつつある。じわじわとそれを実感して彼女は目を瞬かせた。監督生の知らぬ間にデュースは着々と対策を練っていた。その事実にどこか胸に込み上げてくるものがある。数日前までに感じていた負の感情は全く湧いてこない。代わりに不思議と安心感すら覚えていた。
上級生には高威力の魔法を行使できる者などいくらでも居る。だがそれでも、監督生はそう簡単に傷つけられる事は無いのだと漠然とそう感じていた。
デュースは教員ではない。大人でもない。入学したての魔法士としても未熟な学生だ。だが、過去生の影響か妙にどっしりと構える空気感や貫禄といったものがある。そのせいだろうか。

「……学生が使える魔法なんざたかが知れてる。それに、高威力が使える生徒ほど自身の力を見せびらかすこともしないし、他者に向けることも無いからな」
「……オバブロ……」
「オバブロは、別」
「あれも防げる?」
「そ……れはどうだろう。コレがあるとはいえ慢心はしない方が良いな」
「はい」

監督生としても自ら進んで危険に首を突っ込むつもりはないため、少し食い気味な返事だった。
そんな反応に小さく笑って、デュースは取り扱いにおいての注意事項を簡潔に伝えることにした。真面目な顔で説明を聞きながら頷く彼女の視線はチラチラと机上に広げられたままの装身具や装飾品の数々に向いている。多少なりとも気になるのだろう。
光を受けてきらめくのは小さな鉱石。主にデュースが授業の錬金術で生成したものをあしらっているが、天然石もいくつか混じっている。彼女の視線を追ってどれに気を取られているのかを確認するとデュースは無言で頭を振った。確かにきらびやかなアクセサリーに心惹かれる気持ちは分からないでもない。しかし今彼女に必要な物はそれではないのだ。

「監督生」
「ハイ!」
「これを」

気もそぞろに聞いていたことを咎められたとでも思ったのだろう、彼女の背筋がピンと伸びる。だが意にも介さずデュースはジャケットの内ポケットから何かを取り出した。小さな巾着が一つ。音もなく両者の間に置かれた。
ふわり、どことなく懐かしさを感じさせる香りが監督生の鼻をかすめる。スンと空気を吸い込めばさらに強く感じる香り。どこで嗅いだものだったか、彼女がその答えに辿り着く前にデュースが再度口を開いた。

「開けてみなさい」

促されるままに紐をほどき中身を取り出す。入っていたのは長さ三pほどの木簡。表面に指を滑らせればデコボコと起伏がある。一際強く鼻を刺激する香り。香りの元はこれだったのだ。

「香木に梵字と龍を彫ってある。これも持っておいて損はないはずだ」

複雑な文様はデュースが地道に削り、彫り、形を整えたものである。その解説にまじまじと自身の手の中にある小さな木簡を見つめて、なるほど、と彼女は頷く。確かに何となく見たことがある形の文字だった。

ちなみに、削った後の木くずも有効活用してある。リドルに渡した匂い袋の原料はこの木簡を作る最中で出た木くずも入っていた。香木は希少かつ高価な物であるため無駄なく使う。そもそもわざわざ粉末になるまで砕いて擂り、塗香として使用することもあるのだ。梵字を刻み込んだバットに施したもう一つの仕込み……先頭部分に擦りこんでいる塗香も同じく生成過程に出た木くずを原料としたものだ。
捨てる部分など一欠片だって無い。

「香りは平気か?」
「大丈夫」
「それも持っておくといい。できれば制服の内ポケットにでも入れて」
「分かった」

すぐさま巾着袋に戻すと彼女は確りと紐を結んだ。そのまま提案通りにジャケットの内ポケット──心臓に一番近い場所に巾着袋に入った木簡を収めた。その様子をつぶさに見つめたデュースはそろりと目線を宙に泳がせる。一つだけ留意点があるのだ。

「ただし一つ、デメリットがあってな」
「えっ」
「…………香木そのものってわけで香りの強いものだから、最初の内はおそらく獣人から避けられる」
「えっ」

獣人が多く所属するサバナクローには血の気の多い生徒や気性の荒い生徒が多いからちょうど良いかもな。などとシレッと告げられる。監督生は咄嗟に言葉が出てこなかった。
もしやわざと? などと彼女が疑問に感じていることを知ってか知らずしてかデュースは涼しい顔のまま遠くを見ている。なお、彼女の予想通り半分はわざとである。もう半分は破邪の効能をより確実かつ手短に引き出す方法として選んだ手段だった、というだけのこと。

「近距離に近づかれなくなるだけだろうし、しばらく経つと香りも薄まるからそう深く考えなくてもいいと思うぞ」
「…………さすがに、その、くさいって思われるのはつらいのですけれども」
「強すぎる香りは悪臭にもなり得るのは確かにそうだな。どれだけ良い香りだとしても。でもまあ、身を護るのを最優先と考えるならある程度は仕方がないし、諦めて猛獣除けとでも思っておけ」
「……うん」

どうにも如何ともしがたい。身の安全と乙女心。意図せず二つを天秤にかけなければならなくなった監督生は複雑な心境だった。いや、命の危険が少しでも薄まるのは万々歳だ。しかし多少なりとも心に余裕が出来てきた今、他者の目が異様なほど気になってしまう。
若干意気消沈した彼女の思考をデュースは正確に理解できてしまう。前世含めて女性であったことがあるためだ。どうフォローを入れるべきか、僅かに逡巡し一つ息を吐いた。

「今だって俺が持ってるのあまり気にならなかっただろ? 鼻が利く種族以外は特に気づかないと思うぞ」

その言葉を受けた彼女は眉を下げたまま頷く。何とも言い難い表情だった。デュースの眉がひくりと動く。一体どういう感情だ。気になりはするものの、まだまだ話しておかなければならないことは沢山あるのだ。一先ずこの件については終了させてしまうことにした。
切り替えるように別の用件を口にしたデュースを前に監督生はすんなりと態度を聞く姿勢に戻す。それを確認し、これからの身の振り方について、最優先で動くべき事項を上げ始めた。
ああだ、こうだ、と口々に交わされるのは生きていくために必要なことばかり。世界レベルで価値観が違う、常識が違うともなれば一朝一夕に対応できるわけがない。定期的な勉強会を提案する。週に一度、デュースの部活が無い曜日に。そう監督生は言うがそれだけでは足りない。朝も部活の朝練に向かわなければならないため纏まった時間を確保できないだろう。
いや、それも大事だが助力を求める方を先にしたらどうだ。オンボロ寮の防犯面についても聞かなければなるまい。などと話があちらこちらへと飛ぶ。

何とか話がまとまったのは約二時間後だった。

「……じゃあ、とりあえず、担任に話をしてから学園長の方に行くことにしよう。さっき言ったような予定で良いな?」
「うん。よろしくお願いします」
「ああ。……まだシャンデリアの件に関しての詫びを貰ってないからな。俺がオンボロ寮の一室を借りる許可は、まあすんなり通るだろう」
「……まだ何も無かったんだ……」
「無かったんだよなぁこれが」

えええ、と監督生は口をへの字に曲げた。既に何かしら動きがあったものだと勝手に思っていたのだ。肩をすくめてデュースは遠くに視線を投げた。
あの学園長だ。魔法士としての実力は確かなものだろう。しかし教育者としてはちょっと、少しばかり、疑問がある。そのため特に驚きも落胆も感じてはいない。だろうな、と納得すら覚えているくらいに。「おや私としたことがすっかり忘れていました」とでも言われそうだ。このままデュースが何も言わなければ有耶無耶にされる可能性もあるのではないだろうか。
そこまで考えたデュースはふと、もう一つ聞かなければと考えていたことを思い出す。異様なまでデュース・スペードという存在に執着心を抱いていたはずの彼女が、正常に戻った時のことだ。明らかな変化があった前後について。
──蝶のような貌の存在が形を失いかけ、しかし元に戻った末に消えた。その瞬間を今もまだはっきりと思い出せる。

「なあ、一ついいか?」
「うん、何?」
「夢で逢った後、随分と落ち着いているように見えたんだが……何か変わった事は無かったか? あー、その、内に溜め込んでいたモンぶちまけた以外で」
「言い方ぁ」
「ごめぇん」

うわぁと言わんばかりの監督生に間延びした調子でデュースは返した。
ジトリとした視線を向けて、彼女は今しがた投げられた問いを脳内で反芻させる。夢で逢う、などと言うとロマンチックに聞こえるが、実際はおどろおどろしいものだった。身の毛がよだつ重苦しい空間を思い出してしまい監督生はそっと腕を擦る。
変化、ねぇ。呟いて右手を顎に当て思考を巡らせた。

「なんだろう、凄くぐちゃぐちゃしてたんだよね、ずっと。この世界こっちに来て不安だったのもあるんだろうけど。なんか、変で……。でもデュースにズバッと一刀両断されてから息がしやすくなったって言ったらいいかな……肩が軽くなった? ような感じだったんだ」
「不安の他に追い立てられるような感じか? あとは文字通り肩の荷が下りたってところか」
「あ、そんな感じ」

コクコクと小さく頷く彼女に、今度はデュースが思考にふける。自身の仮説の裏付けに繋がるような言葉があったわけではない。しかしどこかが引っ掛かったのだ。

「そうか。それにしても自覚はしていたんだな。自分がおかしい、って」
「うん、分かってたよ。……今まであんな風になった事なんて一度も無かったから。でも自制しようとすればするほどドツボに嵌って、駄目だったんだ、迷惑かけてごめんね」

気落ちした様子で謝罪を口にした彼女に仄かに笑みを向け、デュースは緩く首を横に振る。確かに、当初煩わしく思わなかったと言えば嘘になる。それでも既にデュースの中では清算が済んだ事だったのだ。詳しく事情を知ったこともその思いを強めていた。何より消えた蝶のようなナニかの件もある。
視線を彼女の肩、手元、床と順に巡らせるとデュースは静かに口を開いた。

「まだ、『監督生』って呼ばれるのは嫌か?」
「前よりは平気だけど、正直あんまり呼ばれたくないかな。でもユウも本名じゃないし、監督生って呼ばれた方が反応できるから……」
「そうか」
「……あ、デュースには本名教えておいた方が良い?」
「いや、やめておけ。何があるか分からないから」
「え、何、怖い」
「名前を取られて帰れなくなった映画があったような気がするんだが、まあそれと同じだ」

ザックリとそう告げれば頭を抱えられる。どうやら思い当たる作品があったようだ。確かに異世界だけどぉ、というか細い声が聞こえてくる。
細かい説明を省けそうで何より。長時間の話し合いが続いているためちょっぴり疲れていたのだ。

「ただ、自分の名を忘れるなよ。元のあるがままを保てなくなることがある。「監督生」であることに疲れる時がきたのなら、それを投げだしたって良いんだ。そん時は言いなさい。フォローくらいは出来るからな」

かく言うデュースは前々世での己の名を、覚えていない。他の過去生での名はある程度覚えているものが多いというのに。
はたして何故か。それは審神者という特殊な立場が起因している。刀剣たちからは主と、政府関係者やよその本丸の者からは審神者名で呼ばれた。本名で呼ばれることなど十六才以降は無かったのだから当然といえば当然だ。その間約四十年近く。ただの人間として生きることは諦めていたため特に思う事は無い。しかし、それ故に何かが徐々に削れていったような感覚に襲われた記憶がある。

柔らかな言葉を与える相手がいる。そんな安心感からか、顔のこわばりを緩めた監督生を見据えてデュースは僅かに目を細めた。
何はともあれ取り急ぎ対策を練らねばならなかった物事についての話はこれで終了だ。不安は残るとはいえ現時点で出来うる限りのことはした。あとは予定通りに事が進めばよいのだが。
喋り通しで喉が渇いたな、と内心で呟き立ち上がる。購買部に向かうことにしたのだった。





──そう過去生に思いを馳せてしまったからだろうか。翌日デュースはひどく憶えのある空間へと足を踏み入れることとなる。それも、思わぬ人物を伴って。



──────
2020.11.23.
2022.1.15.別館サイトに掲載

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スペードは夢見が叶うか
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