幾難さっても未解決

55

デュースがエースに対して一方的な気まずさを覚えてから一週間以上。自身が目を逸らしていた事に気づき、そして現状を打破しようと決意してからは数日が経とうとしていた。時の流れとは早いものである。
だが、全くと言って進展が無い。いざ話を切り出そうとしてもデュースは言葉を発することが出来なかったのだ。以前までどのようにエースと会話していたのか。自然に話しかけるにはどうすべきか。それすら分からなくなっていた。一度自ら距離を置いた事とその理由が尾を引きすぎている。如何ともしがたい状況に陥っていた。
クラスメイトから向けられるようになった若干の呆れを含んだ視線。気づいているのだが、なかなか踏ん切りがつかないでいる。
何なら、監督生からもジトリと物言いたげな視線を貰う程だった。こんなにヘタレだったっけ? という言葉が聞こえてきそうだ。……しかし彼女としては事情を詳しく知らないのだ。加えて、つい数週間前までの自分の行動を棚上げしてまで言及は出来ない。

「……これ、どうしたもんかねぇ……困った……」

肩を落とすデュースは行き詰り、二進も三進もいかない様子だ。余程思案に余っているのだろう。声に覇気がない。

「えっと、先生から貰った飴とかチョコあるけど、食べる?」
「ふなぁ……何か人間って面倒くさいんだゾ……。パパッと言っちまえばいいのに、何で尻込みする必要があるんだ??」
「いや、これは人間が面倒なわけじゃなくて、俺が面倒なことになってるだけ」
「……自覚あったんだ」
「おー。滅茶苦茶ある」

目を瞬かせた監督生は鞄に常備している甘味を取り出す。その横で、他者の感情の機微に疎いあのグリムすら耳をへたらせていた。
自分はこんなにも不器用だったか。多少辟易しながらもデュースは己に苛立っていた。確かにデュースにとって……いやかつての沈丁花にとって、最も厭った行為を無意識のうちに行っていた。
それが原因だとしても、こうも後を引き、尻込みして優柔不断な態度を取るほどのものか。ぐぬぬと顔が歪む。

──本人は自覚していないが、まあ、要はビビっているというわけだ。自分の都合でデュースが突然態度を変えてしまった事に対する、エースの反応に。ちなみに監督生とクルーウェルは気付いている。
とはいえそれは原因の一端でしかないが。さもありなん。







デュースの捻挫をした方の足から違和感が無くなり、テーピングで固定しなくなった頃。先に我慢の限界を迎えたのは当事者であるエース……ではなく残りのルームメイト二名だった。もだもだと煮え切らない態度のデュースにしびれを切らしたのだ。

「お前ら本っ当に何なの面倒くさい! そろそろちゃんと話せよな!」

そんなことを言うと二人はデュースに足止め魔法を、エースにクッションを投げつけて足早に部屋から出て行く。面食らって魔法を避け損なったデュースがギョッと目を見開いた。不意打ちで魔法を食らうのは久々である。

「えっ、え、えええ??」
「……マジ?」

足止め魔法は一瞬で解ける。どうやらそれほど魔力が籠められなかったようだ。そのままデュースは扉を確認した。
──だが。

「あ、扉に魔法が掛けられてる。閉じ込めるためにここまでするのか……」

ご丁寧にも部屋の外から二重三重に重ね掛けされている魔法。解錠するには時間がかかりそうだ。思わず顔を顰める。
エースに視線を向ければ、小さくポカンと口を開けていた。どうやら彼としても予想外の展開だったらしい。

これでデュースが防音魔法を掛けでもしたら、ルームメイト二人が不審に思って逆に乗り込んできそうだ。「ちゃんと話ししろって言っただろ!」と怒鳴り込んでくる様子など容易に想像できる。その点に関してはデュースとエースの意見は一致。しかし何の予防線も無く話すことが出来ない。
今から触れる話題は中々にデリケートな問題だ。人の死というのは、ツイステッドワンダーランドこの世界においても非常に重く扱われる事柄の一つ。後々にルームメイトに腫物を扱うような対応をされるのは、デュースとしても避けたいところであった。
デュースは感知魔法を扉に施し、外から盗み聞きをしようとした場合は直ぐに分かるようにする。今しがた発動させた感知魔法を使用していたのは過去に幾度か。中々に使い勝手が良く重宝している魔法の一つである。精度も申し分ないのだ、これで流石に気付くだろう。
……この言葉こそがフラグである。

自身のベッドの上で胡坐をかいたまま、エースが所在なさげに先程投げつけられたクッションをいじっている。
デュースはどうしてかそれを直視できない。視線を僅かに逸らしながら、けれどエースと向き合うように勉強机の椅子を移動させた。

(どう切り出すべきか。……いや、何をどう話すべきか、かな……)

椅子に深く座り、デュースは膝の上に両肘をつくと両手を組み合わせる。自然と床に落ちる視線。床の木目に視線を這わせて思案に沈んだ。

無意識下でエースと愛染国俊を重ね見たこと。ジェイド・リーチの髪色や立ち振る舞いから刀剣男士を想起したこと。この二つは明確な違いがある。
重ね見たことによる対応をしたか、一部分を想起しただけか。
ジェイド・リーチの一件はタイミングが良くなかった。不調の中、リリアとの会話が尾を引いている状態。つまり余裕が無くなり過敏になりすぎていたのだ。通常であれば深く気にしないで終わっただろう。
そして、エース・トラッポラと愛染国俊。この一人と一振りは、あまりにも重なる点が多すぎた。
行動的で快活。声質。口調もどことなく似ている。愛染の跳ねた赤髪、エースの跳ねたテラコッタの髪。完全に色合いが一致しているわけではないが、これらを合わせると連想させるには十分だった。
……人を必要以上に揶揄うところや悪知恵が働くところは似ていないが。

「ふんっ」
「……うおっ!?」

何か力を込めたような声と同時に、デュースの頭に走る軽い衝撃。
一向に話し出そうとしないデュースに焦れたエースがクッションを投げつけてきたのだ。しかし意地でも自分から話しかけるものか、と口を噤んだまま。彼の機嫌が良くないのは明白だった。
床に落ちたクッションを見やりデュースは目を瞬かせた。先程エースがルームメイトから足止めの為に投げつけられていた物である。ううん、と呻き声をこぼしてデュースはクッションを拾い上げる。軽く埃を払って、持ち主のベッドに放り投げた。
その拍子に、ふと何故かリリアの言葉が脳裏によみがえる。そこでデュースは少し可笑しさを覚えて目元を僅かに和らげた。
先日の禁足地案件の時と言い、今と言い、彼の言葉が背を押してくれているようだった。

──どうにも不安ならば眼を見てみると良い。どれだけ似ていると感じようとも、それで分かることもあるじゃろう。

目の前でむすっと口を尖らせたままのエースに気取られないよう、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。自然と浅くなった呼吸を整えるために。通常よりも早く脈打つ鼓動を落ち着かせるために。
そして、視線を上げる。
デュースは一週間と数日ぶりに、エースの顔を真正面から見た。

(──あ、違う)

何を当たり前のことを。他者からはそう思われるだろう。だがこの時のデュースは本当にこう思ったのだ。
同時に、己が何を恐れていたのか。それも理解した。
エースの目を見るのを恐れていたのだ。本当に自分が彼と愛染を重ね見ているならば、それをまざまざと感じさせられることになる。その事実を突き付けられることになる。だから、真正面からエースを見ることが出来なかったのだ。
二人を重ね見ていたことが、どちらに対しても申し訳ない。その気持ちが一番強いのだと思っていた。デュースが突然態度を変えてしまった事に対するエースの反応を見ることも、確かに自身の口をふさいでいた要因ではある。だがそれ等は二の次だったというわけだ。
結局、我が身可愛さの行動。情けなさで顔が歪む。

その表情の変化を見たエースが、苛立たしげに肩を揺らした。胸の前で組んだ両腕の上では指先がタッタッと音を立てている。
彼の苛立ちを肌で感じながらも、デュースは意を決して口を開いた。

「エース、その、少し話を聞いてくれないか」
「……いーけど、なに。できるだけ手短にしてくれよ」
「手短、ね。分かった。一応努力する」

了承したと同時に視線を下げて頷く。エースはそんなデュースにジトリとした視線を投げ、無言で続きを促した。

「大切な奴が居たんだ」

そんな話の切り出し方にエースは片眉をピンと跳ね上げた。あまりにも関係のない話に思ったのだ。脈絡が無さ過ぎる。
だが遮ることなくデュースを見据えたまま続きを聞くことにした。

「そいつ、結構なやんちゃ小僧だったんだ。まあ纏める立場に立つこともあったから、人を振り回すようなことはしなかったけど。明るくて良いムードメーカーでな。……出会ったばかりの頃は俺も割と斜に構えていたから、他の連中との間に立ってくれることもあった。本当に、良い奴だったんだよ」

柔らかく細められている目。なだらかに下がる眉。へにゃりと和らぎ上向く口元。顔色もどこか明るい。
話すデュースの表情は見たことも無いくらいに穏やかで、言葉の一つ一つを大事に選んで紡いでいるのが伝わってくる。本当に相手のことを大切に思っているのだ、と。見ているだけ、聞いているだけのエースがむず痒くなるほどに。

(……ってか、何でこんな話聞かされてんの、俺)

納得がいかない、腑に落ちない、そんな顔でエースは遮るタイミングを逃して胡坐の上で頬杖をつく。手の平に押されて頬が歪む。仕方なしに渋々ではあるがこのまま聞くことにした。

「ある時、「まかせろ」って言うから送り出した。大丈夫だと思ったんだ。それまで大きな失敗もなかったし、仲間内じゃ上手くいっていた方だったから。慢心もしていたつもりはない。でもそんなこと関係なかった。……普段とは状況が違うなんて分かりきっていたことだったのにな」

自嘲気味にデュースの口元が歪んだ。己への怨嗟を吐き出すように言葉を紡いでいる。
固有の名称や単語を避けて話を組み立てる必要があるため、どうしても口調がゆったりしてしまう。その所為だろうか。デュースは後悔していることまで付随して思い出してしまった。

──ああそういえば。喜色を浮かべて「主さん聞いてくれよ!」なんて駆け込んできた愛染に「あとでな」などと言い軽くあしらって、後回しにして。結局その話を聞くことは叶わなかった。
話くらいその場で聞いてやればよかったのだ。あの頃はまだ階級も上がりきっておらず、時間など作ろうと思えば幾らでも作れたはずだったのに。
そうしてほんの些細なことが後悔となって、心の内に沈んでいる。

ギチッと音が鳴るくらいに力が籠められる組まれた両手。穏やかだったデュースの顔に影が差す。
何故だろうか、エースはひどく嫌な予感がした。

「……それで、折れた。死んだ。俺のせいで」

ぽつり、ぽつりと感情の乗らない言葉が床に落ちて転がった。つい数秒前まではあんなにも温かみに満ちた声で話をしていたというのに。その温度差が、言葉にできない感情をかえって助長しているようだった。耐えきれなかったのかデュースの目が伏せられる。

エースの顔が奇妙に歪む。嫌な予感が的中してしまった。本当になぜ、こんな話を聞かされているのか。誰かの死についての話を聞くには、心の準備が出来ていなかった。
はくはくと口を開閉させるが言葉が出てこない。何と声を上げればよいのか分からなかったのだ。手近なクッションを手に取り腹の前に抱える。そうでもしなければ意味のない声を上げてしまいそうだった。

「そんなアイツにな、似てると思ってしまったんだ。お前が」

エースの様子に気づくことなく続けられた言葉に、只聞いているだけだった彼はようやく合点がいった。自然と閉口する。

「……無意識のうちに面影を重ねてしまっていた事に気づいた時、かなり動揺した。どうしようもなく自分が情けなくて。お前にもアイツにも申し訳なくて。自分が許せなくて」

突然、喉が詰まったかのように言葉を続けられなくなり、デュースは一度深く息を吸った。情けなさとふがいなさで涙が滲んでしまいそうだった。いやこの瞬間、薄らとその目には薄らと涙の膜が張っていた。

リリアは言った。同一視していないだけ及第点だと。
確かに、重ね見た事実はあれど、一人と一振りを同一視はしていなかった。それでもデュースは首を横に振る。
自身の審神者時代に補助を受けて鍛刀した刀剣。初めて己の手で資材をくべて鍛刀した唯一無二の短刀。その代わりを誰にも求めたくなかったのだ。たとえそれが、同じ愛染国俊の分霊だとしても。だから前々世では新たに愛染国俊を顕現出来ず生を終えた。そんな経緯があるのだ。
全くの別人であるエースに、かつての初鍛刀の面影を求めるなどもっての他。
若干震える息をゆっくりと吐き出したデュースは伏せていた顔を上げた。

「だからとっさに距離を取ってしまったんだ。……それが今回トラッポラに不快な思いをさせた原因だ。すまなかった。二重の意味で」

故人と面影を重ねて接していたこと、デュースの都合で不快な思いをさせ振り回したこと。
再びデュースに真正面から見据えられたエースは、その眼差しの深さにグッと怯む。これまで生きてきた中で見たことも無い複雑な感情が籠められている。感じたことも無い空気に思わず身を引いた。

「……んだよそれ」
「すまない」

軽く頭を下げたデュースを前に、エースは言葉が出ないでいる。右手でくしゃりと前髪をかき上げてした唇を噛んだ。
沈黙が落ちること何拍か。肺が空になるのではないかと思うほど息を吐き出したエースは、何を言えば良いのか悩みに悩んだ。仕方がなかろう、こんなにも重々しい理由だとは思っても居なかったのだから。
考えぬいた結果、彼はとりあえずこれだけ確認することにした。

「……、……ソレって、どうしようもない事じゃん。何、お前メンタル大丈夫なわけ」
「今は大丈夫だ」
「そ。ならいいけど。……はー、色々考えたってのに」

小さく頷いたデュースをジトリと睥睨すると、エースはそのまま頭を抱えた。
仲が深まりかけた時に相手が急に離れていく。そんな経験など幾らでもある。思春期の友人関係の構築などそんなものだ。
エースはデュースともそうなる可能性を視野に入れていた。まあ、ちょっと危ない目に巻き込んだり、巻き込まれたり、色々あったが。それを含めて仲を深めたつもりだった。
しかしエースはそう思っていてもデュースはそうでもなかったようで? ふぅん? はぁ? 随分薄情な奴だな。などと、距離を置かれ始めた頃は若干拗ねすらした。
だが頭の冷静な部分が訴えていたのだ。もしかすると原因は自分にあるんじゃないのか、と。
だからエースは気まずいながらも、付かず離れずの距離を保って三人と一匹での行動を許容していたのだ。そうでなければデュースとの仲は完全に冷え切っていただろう。
なお、エースが完全に見切りをつけずに留まっていたのは監督生の存在も大きい。監督生の性別を知った以上、完全に離れることは憚られた。彼女と一番に関わった生徒が己であるという自覚をエースは持っていたのだ。

「……お前もしかして、少し原因は自分にあると思ってたのか」
「だって、お前は気づいたのに俺は監督生のことも気づいてなかったし。知らないうちにまた何かやっちまったのかなー、って。……まあそれも? 俺の勘違いだったわけだけど??」

実際、エースは監督生の性別に気付かず、決して褒められない態度で接していたのだ。不安になり自身に原因を探したのは無理からぬことだろう。
エースは若干八つ当たり気味に突っかかってくる。むすっと口を尖らせている様が若干幼さを感じさせている。だがデュースの目にはもう、誰かの姿と重なることはない。
悪いことをしたな。改めてそう感じたデュースは一つ息を吐くと口を開く。

「トラッポラ、その、」

その呼びかけを遮るかのように、ぐわっと勢いよく向き直るとエースは人差し指を鋭く振った。

「あと、それ!!」
「どれ?」
「オレの事エースって呼んだりトラッポラって呼んだり! それも、動揺してたからだ〜っていうわけ!?」
「……そうだったか?」
「無自覚かよ!」

きょとりと目を瞬かせて首を傾げたデュースを前に、エースは呆れたように肩を落として息を吐いた。
日を重ねるごとに少しずつ積み上げられてきた壁が、急速に取り払われていく。瓦解していく。そんな感覚。どちらの肩からも徐々に力が抜けていった。

そんな空気の中、デュースの影の端がゴソリと蠢いた。だが二人は気づかずにいる。

「そういや、監督生の事は担任とサムさんに伝えてある」
「へえ、いつの間に……」
「確か一週間くらい前?」
「は?」
「あとウチの寮長、副寮長、ダイヤモンド先輩。ディアソムニアの副寮長……以前頭上から逆さで登場した人な、その四人も知ってる。ってか知らせた」

怒涛の如く学園における重要人物を羅列されてエースは一瞬動きを止めた。理解しきれなかったのだ。ちょっと距離を取っていた一週間弱で、何故、こうも、急激に状況が変化している。それもエースを置いてけぼりにして。
思わずポカンと口を開け、そして叫んだ。

「……はぁああああ、お前、お前さぁ……どんっっだけ俺を蚊帳の外にしとくつもりだったわけ?」
「うっかり忘れてた、すまん」

この件に関しては開き直ったのか、デュースはシレッとそう告げる。全く悪びれもしない様子。あんまりである。
エースは脱力して天井を見上げた。……これはさすがに一発殴っても許される気がした。
しかし、今のエースは重々しい話を聞いた後に衝撃的な近況を知らされたばかりなわけだ。つまりそんな気力も無いわけで。天井に向けていた顔を戻して続きを催促する。
ほんの少しだけ、自身の寮のトップ達がどんな反応をしたのか気になっていた。まあ、予想は付くが。

「で、どうだったわけ、反応」
「んー、死屍累々? 頭を抱えていたな。あと顔色が悪かった」
「だと思った!」
「まあ、色々考えると褒められた態度や対応ではなかったからなぁ。あとオンボロ寮に関しては女性が住むには悲惨すぎる場所だし、あの建物」
「ってか男でもあの環境は無い」
「だな」

頷きあう二人はどこか達観した表情を浮かべている。ほぼ手付かず状態のオンボロ寮を知っているのは、監督生とグリムの他にクロウリーとこの二人だ。当時の悲惨さを思い出してこんな反応になるのも当然である。

落ち着きかけた空気に割って入るように、何の前触れもなく扉が開いた。扉が跳ね返った拍子にバンッと鳴る大きな音。デュースが反射的に立ち上がる。
──が、次の瞬間きょとりと目を瞬かせた。

「いやいやいやいや、待って待って待って、いや本当に待って」
「監督生が女性? 女の子? え? は? なにそれ??」

ルームメイト二人が呆然と言った様子で部屋になだれ込んできたのだ。
え、何故? デュースは自身のマジカルペンを二度見する。防音魔法はかけてなくとも、感知魔法を扉にかけていたデュースであれば人の気配に気づけたはずだった。それが、機能していなかったのだろうか。いやまさかそんなはずは。
虚を突かれた表情から一転してデュースの目は鋭く細められる。その横で、ぎょっとした様子のエースが振り向いた。

「さっきのって防音魔法かけたんじゃなかったの!?」
「いや、かけてない。でも感知魔法はやってたから誰か聞こうとしていたら分かっていたはずなん──」
「キャハハハハッアッハーハッハッ」

デュースの影が蠢く。床から飛び出る茶が混じった灰色の毛並み。ひょっこりと顔を出したのは式に下したばかりの狐のような妖だった。デュース以外の三人は見事に硬直する。
グリムよりも少し大きいくらいの体躯。ちょいちょい、と前足で空を掻いた狐が嗤う。きゃらきゃら、と小さな子どものような甲高い笑い声が室内に響く。
どこか不気味さを感じさせるその声に、エースもルームメイト二人も口を噤んだ。
周知を避けたかった事を聞かれたことに対する焦りも、今しがた知った監督生の性別に対する動揺も、どこぞへ吹っ飛んでいってしまった。それが狐の鳴き声だと脳が受け入れられなかったのだ。音声だけ別の場所から発せられていると言われても、信じられるくらいには。
そんな彼らの様子など気にも留めず、スンと表情が抜け落ちた顔をさらしたデュースは悟る。……ああ、なるほど、こいつが干渉したんだな。無言でベッド横に常備してある金属バットを手に取った。
それにギョッとしたのは他の三人で、声を上げたのはエースだった。流石、入学式の翌日から共に過ごす時間が多かっただけある。

「……い、やいやいや待てデュース待て」
「大丈夫、こいつ普通の動物じゃないから。ちょっと絵面がやばいかもしれないけど」
「絵面がヤバいのが問題なんだよなぁ!?」

エースの制止にデュースは渋々バットから手を放した。まあ確かに、動物と金属バットを持つ人間の図は傍から見て非常に良くない。もし学園の外であったなら、動物愛護団体などに通報されてしまいそうだ。
しかしどうしたものか。嘆息したデュースの頭に、ふと思い浮かんだのは自身の担任の姿。

「…………狐は、イヌ科だったよな」
「え、多分? っておいお前まさか」
「先生に躾について伝授してもらおうと思う」
「お前ってさ、結構生き急ぐよな本当に!?」

エースのツッコミが冴えわたる。この勢いで言葉をかけられるのは久々な気がした。いや、実際に久々なのだ。デュースがずっと目を逸らし、深く関わることを避けていたのだから。
目を細めてそれに甘んじる。だがその手ではキッチリと狐の首根っこを掴んで持ち上げていた。

「まあ、コイツのことは後で良いか。……話を盗み聞きしていたお前ら、ちょっと面貸せ。拒否権は無いからな」
「「あっ」」
「いやだから本当にたまに滲み出るお前の物騒さは何なの??」

今度こそ部屋全体に防音魔法をかけて話を始める。
デュースが二人に向けた表情が物騒な笑みだったとか、そんなことは無い。無いったら無いのだ。何とも言えない顔を向けてくるエースには気づかなかったふりをする。

まあ、そんなこんなでハーツラビュル寮の一室でのごたごたは解決に至った。ルームメイトに監督生の性別がバレたり、それによって彼らから全面的に協力することを約束されたり、デュースの使い魔もとい式の存在がバレたり、……色々あったが。
収まるところに収まった、と言うべきか。デュースもエースも互いに少しだけ遠慮が無くなった。雨降って地固まる。これにて一件落着と相成った。……根本の解決はされぬまま、取り敢えずは、だが。終わり良ければ総て良いのだ。

──デュースがとある上級生の眼前に矢を射る。そんな出来事が発生したのは、この翌日のことだった。とは言え、それはまた別の話である。







他言できない出来事の発生により、デュースが約一か月弱ほど愛用してきた色々と仕込んでいる金属バットが別の生徒のもとに渡った。譲渡した、ともいう。……この件に関しては別の機会に話すこととしよう。

それにより日常的に使える武器の代わりとなるものを新たに購入しなければならなくなった、というわけだ。
購買部を訪れたデュースが何を求めているのか告げる前に、サムはお馴染みの「in stock now!!」というセリフと共に細長い何かを取り出す。にんまりと弧を描く口元。お代はいらないよ、と譲ってもらった品は、またもや金属バット。なんでも監督生のことをサムとクルーウェルに打ち明けたことに対するお礼なのだとか。
木刀か竹刀があったような覚えがあったんだけどなぁ? とデュースは頬を引き攣らせる。だがサムなりの厚意なのだろうと思い受け取った。本来の使い方とはかけ離れているとはいえ、これもまた立派な武器なのだから。
……いや、正確には武器ではなく道具である。もしかすると面白がられているのかもしれない。
多少計画が狂いはしたものの、無事に武器となるものを入手できた為、デュースはそれで良しとしたのだ。自分の懐が痛まずに済んだのは非常に大きい。
その貰ったばかりのバットケースを肩にかけながら、寮の自室に置きに行こうとした時のことである。

「おいスペードっ! 副寮長が怪我したって!」
「階段から落ちた、って話が……!」
「なんだって?」

血相を変えて駆けてきた同級生が血相を変えて伝えてきたのは、トレイの負傷。
寮での生活や活動、ハートの女王の法律について、マジフト大会の主力選手であること。それ等について捲し立てる同級生たちの顔には不安の色が浮かんでいた。それもそうだろう、トレイはケイトと並んでハーツラビュル寮における緩和剤的な役割を担っている。故に慕う者も多い。
……もしかすると単純に、リドルとの間に入ってくれる最たる人物が掛けることを危惧しているのかもしれないが。

「……そんなに酷いのか?」
「それははっきり分からないけど、とりあえず松葉杖は持っていたっぽい」
「いや、それ割と重症だろ。……とりあえずエースにも伝えてくる」
「分かった、俺たちは寮に戻ってる」

断りを入れてデュースは自寮の同級生二人と別れた。身を翻し向かうはエースが行くと言っていたオンボロ寮。
頭の隅に数日前の忠告が浮かぶ。クルーウェルは言っていた。奇妙なほど事故や怪我人が多い、と。

(大会前で浮かれてる……って線は、無さそうだな。クローバー先輩の様子も普段と変わりなかったし)

どうにもキナ臭さを感じてデュースは目を細め、右手を軽く顎に当てた。脳裏に浮上する可能性を無視できずに嘆息する。
何とも騒動に事欠かない学園である。

乾いた土のにおいが、どことなく強く漂っているように感じた。






ないている。
吹きすさぶ風が、揺れる木々が、乾いた大地が、燃え尽きた灯火が、干上がった湖が。──無惨に狩られ潰えた者たちが。
古来より時が流れて早幾歳。それでも消えぬ怨恨が、かえせかえせと、ないている。



──────
2021.5.8.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載
とりあえずはこれで前半が終わりです。まだ解決していないことがありますけど、それは後半に持ち越しです。


 - 

スペードは夢見が叶うか
夢見シリーズ倉庫