昔語り 風間千景 01
未だに鮮明に覚えている。
あれは俺がまだ十にも満たない幼いころの話だ。
深夜、屋敷の母屋の屋根に、なにやらいきなり生き物の気配を感じとった俺は、好奇心と悪戯心から、宝剣を持ち出し、誰にも言わず一人で屋根の様子を見に行った。
野鳥か何かだろうと思い込んでいた俺は、それを仕留めてやろうと屋根に上がり──
その気配の主を見て驚いた。
屋根にいたのは若い女だった。
銀色に輝く髪が、月光を浴びて輝いていた。
よく見ると女は眠っていて、硬い瓦の上では寝にくいのか、眉根を寄せて身じろぎしていた。
俺は幼さゆえの無用心さで女に近づいた。
足下でかたりと瓦が鳴って、その音で女は目覚めた。
俺はその女の縹色の瞳から目が離せなくなった。
「……」
「……」
暫く無言で見つめ合い、先に口を利いたのは女のほうだった。
「…おじゃましてます……?」
「………」
何ゆえに疑問系なのだ。
俺はここでようやく持っていた刀の柄に手をかけた。
月神香耶と名乗った女は、異次元からやってきた旅人なのだと嘯いた。
「そんな可哀想なものを見る目で見ないでくれないかな、ちかげ君」
「しかたあるまい。どこのかんじゃか知らぬが、やはりそんな残念なあたまなどおれが切りおとしてやる」
俺は再び鯉口を切った。
「うわあああっちょっとまって!! ストップ!! おねーさんは敵じゃありません!!」
すとっぷ?
香耶は喚きながらも俺の斬り下ろしを僅かな動作でひらりと避けた。
この女、人間ではないのか。
香耶の動きは鬼であるこの俺にも見切れぬ速さだった。
振り落とした刀に足を乗せられ、そのまま指ごと柄を握り込まれてたまらず刀から手を離した。次の瞬間には背後から奪われた俺の刀を突きつけられていた。
俺の完敗だった。
ゆっくり香耶を振り返ると、彼女の頬には縦に刀傷が走っていた。
そしてそこからつるりと血液が流れ、顎から足下の瓦へと滑り落ちた。
からん、と音をたてて。
俺は目をむいた。
頬から滴下した血が、地に到達するまでに黄金に変じたからだ。
驚愕して香耶の顔を仰ぐと、彼女は気まずそうに目を逸らして、頬の血糊を袖で拭い去った。布地へと移った血糊もまた、体温を失うと同時に繊維にこびり付いたまま黄金となった。
そして彼女の頬に傷は残っていなかった。
やはり人間ではなかったのか。
「…私は人間だよ」
「おいおれの思考をよむな」
血が黄金になるだと?
そんな人間がいてたまるか。金が値崩れを起こすぞ。
「私は特別。血に呪いがかけられているからね」
のろいだと?
何でもありだな。
だが血液が黄金に変じるなどという摩訶不思議も、実際に見れば信じざるを得まい。
ではこいつが異世界から来たというのも……。
「あ」
香耶の間抜けな声が俺の沈思を遮った。
「ごめんちかげ君」
俺から奪った刀をかざして見せる。
「鞘に入らないかも」
「………」
見れば切先に黄金が貼り付いている。
「なんてことしてくれる。それはおれの家につたわる宝剣のひとつ『狂桜』だぞ」
「え、うそ。子供がそんなものほいほい持ち出すなよ」
「きさまに説教されるいわれはない」
「あ」
「こんどはなんだ」
息を吐きながら再度香耶を仰ぎ見ると、彼女の周囲の空間が歪んでいた。
「もう戻らなきゃならないみたいだね」