01
「敬助君〜」
「はぁ……いまさら玄関から入れとは言いませんが、たまにはノックくらいしたらどうですか」
今日も私の部屋に気ままな銀毛の猫がやってきた。
新選組はメンバーの寿命と共に縮小し、私と香耶だけが生き残った。不老不死となってしまった、私たちだけが。
広げていた医術書や資料を片付け、押入れから出した座布団を彼女に勧める。
彼女は入ってきた窓枠から飛び降り、律儀にも網戸だけは閉め、その座布団に座った。
その瞬間ふわりと揺れた銀髪から、甘い花のような香りがして、不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
今も昔も香耶は気ままに生きている。
新選組が晩年試衛館の門を閉ざした明治、我々は香耶の資財をあらかた食いつくしていた。香耶の資財、といえば、文字通り彼女の血肉を削って作られたもので、いかにして彼女の血を流させまいと腐心した幕末期を思い出し、その矛盾に自己嫌悪したものだ。
そんな彼女の、血が黄金に変わるという摩訶不思議な呪いも幕末の時代に失っており、貯蓄を崩すのみで金を得る手段はもうないと思われた。
だから、私が裏社会の医者として糧を得ることが出来るようになった今、香耶を養うくらい当然だと思っていた。
無論、それは、香耶に子がいたとしても、香耶が誰かと再婚していたとしても……私がいまだ彼女に恋情を寄せていたとしても、それは関係なく。
命をとして受けた恩は、命をとして返す。
貴女を決して裏切らない。
それが私の武士道であり、また香耶への執着でもあった。
結局、彼女が産んだ沖田君との子供も亡くし、彼女の再婚も、新しい夫の早すぎる死を持って終わりを告げ(この相手は私としては気に食わない外国人の男だった)、現在私が住む簡素な一軒家は、香耶の帰る場所ともなっている。
「ん」
「……これは?」
香耶が差し出したのは、透明な壜に入れられた、澄んだ色の水。コルクで蓋がしてあり、一見すれば以前欧羅巴(ヨーロッパ)土産に貰ったワインかシャンパンのようにも見えるが……
「ぶくぶく水。北陸の」
やはり真水か。
どこに持っていたのか大きなワイングラスを二つ取り出し、香耶はそれに持ってきた水を注ぐ。
香耶は現在日本各地の湧き水などに興味を持っていて、こうして私のもとに持ってきては乾杯を強要してまた旅立っていく、というサイクルを繰り返している。
まぁ、帰ってこなくなるよりマシなのでいいんですけどね……
「乾杯」
「乾杯」
口に含めば、何の変哲も捻りも無い、純然たる水だ。美味しい(ような気がする)けれど。これをコレクションすることのどこがそんなに楽しいのか、私には正直わからない。
「残りは朝食に使いましょうか。香耶も食べるでしょう?」
「うん」
台所の、最近大金をはたいて購入した冷蔵庫に、残りの水を入れに行く。それをぼうっと目で追っていた香耶は、私が部屋に戻ってくるまでに、座布団の上に丸くなって眠っていた。
本当に猫みたいなひとだ。
「……風邪を引いても知りませんよ」
などと憎まれ口を独り言のように叩きつつ、寝室から毛布を取りに行く。
それで香耶をくるんで、私もまた畳に身を横たえる。
今日は書斎で寝ますか。
季節は夏。このくらい、いいでしょう。
寝苦しそうな香耶に腕枕をしてやる。それに気付いたのか、香耶は頭を置きなおして自分の楽な姿勢を探し始めた。
可愛いですね。私のものにしてしまいたいくらいですよ。
顔にかかった銀髪を払ってやると、香耶はなにやら寝言を呟く。
「…………、みずで治る、なら……」
ほとんど聞き取れなかったけれど……水で治る? 水で治るって、まさか……
そこまで考えて、どきりとした。
「貴女は……」
まさか、私たちの羅刹の血を治す方法を探していたんですか? だから湧き水を集めては私のところに持ってきているんですか?
雪村綱道の残した羅刹の研究資料は、明治維新までにその全てが抹消された。羅刹の生き残りは私と香耶だけ。
だが、東北の、ある一部に湧き出る水が、その効果を打ち消すのだと、聞いたことがある。誰が言ったのだったか……誰が言っていたと思い出したところで、その人物はもう生きてなどいないのでしょうが。今は昭和です。羅刹の記憶は、みんながそれぞれ墓に持っていきましたからね。私たち以外は。
すぐに傷が治る異常な体や、苦しいほどではないがすこし忌々しく感じる日光。私たちの血を元に変若水を再現できるかもしれない可能性もあり、あまり多くの人と交流を持たずに過ごしてきた。けれど、貴女は。
「諦めていなかったんですね」
何年経とうと色あせることの無い熱情は。
何年経とうと私を惹きつけて離さない。
「次は私もいっしょに行きましょうか……これ以上余計な虫がついても困りますし」
せっかく買った新品の冷蔵庫が、早くもお役御免とは勿体ない話だが。
香耶がまた別のものに興味を向けたら、私もついていけばいい。
恋人も。伴侶も。子孫さえも。欲しがる貴女を見守り続けていられれば。
私はそれで幸せなのですから。
あどけなく眠る香耶の身体を緩く抱きしめて、私も眠りについた。
(2012/10/21)