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風魔小太郎side
天守閣に上がる許可を得た月神香耶が、上機嫌で去るその背中を眺めながら、目の前の主、北条氏政は蓄えた髭をゆるゆると撫でる。
「彼の月に甘い汁を与え、ただ地上に留めおこうとするだけでは歯牙にもかけられぬか。のう風魔よ」
その問いに、己は応えるすべを持たない。
傭兵として与えられた報酬の分を雇い主に貢献する。
そうして生きる己には、主の言葉の意味も、月神香耶という者の在り方さえも理解することは出来なかった。
ただ主の命で任務を遂行するのみ。
月神香耶を、北条から逃がしてはならぬ。
今はただ、それだけだ。
己の視界には美しい光景があった。
宵の天守で月光を放つ月神香耶。ひざまずく若武者の頭に手を添え、慈母の微笑を浮かべる。
「幸村。君の思うまま、君の幸福のため最善だと思う道を歩み続ければいい。その私の考え方は変わらない。けれどいつか、敵に背を向け、生き恥を晒すときが来ても、それは私の命だと心得て生き続けて」
それを聞いた瞬間に、若武者からほとばしる歓喜。
己は、今までこれほどまでに、誰かに生を尊ばれたことがあったか。
死の薫りのまとわりつくこの戦乱の代。この女とて殺しを知らぬはずがない。ただの血で汚れた生身の女なのだ。
これは信仰でない。確かに手の届く先にあるもの。
だからこそ。
「そんな君が、私には必要だから」
そのなんとうらやましいことだ。
見事なまでの忠誠と祝福を目の当たりにして。
うつろな己の忠誠は、一体どこを彷徨い、どこに向かうのかと。
嫉妬した。
風魔一族の五代頭領。北条との契約。掟と義務とに縛られる己は動くことが出来ぬ。
ふと思い出す。越前の山奥で己が敗れた、別の世の“風魔小太郎”の姿。まことの風のように吹きすさぶあの男ならば、己のこの迷いすら一笑に付すのであろう。
このとき、何も考えず己もこの女に膝をつくべきだったのだろうか。