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(怒らせたらいかんぜよ/仁王・毛利)

「ゆめこそれ一人で持てる?」
「うん、全然へーき。ちょっと行ってくるね」

ドリンクのボトルが入ったカゴを「よいしょ」と持ってゆめこは立ち上がる。

柳のペンションにやってきて二日目。
昨日の練習で大体要領は掴んだのか、ゆめことゆめみはすっかり馴染んだ様子で朝からマネージャー業に勤しんでいた。
今はドリンクとタオルの準備をするために、二人は室内にいた。
ゆめみがタオルを畳んでいる間にドリンクを配ってしまおうと、ゆめこはゆっくりとした足取りでペンションのすぐ裏にあるコートへと向かう。
"平気"と言いつつも重いことに変わりはないので、この速さが限界だったのだ。

そうしてコートにたどり着くと、そこではゲーム形式の練習が行われていた。
この合宿に参加しているのは二年生7名と三年生6名の計13名だ。
元々参加人数が少ない上にコートは三面もあるので、その半数以上が試合をしている最中だった。
一人ずつ直接渡していくのは無理だな。
そう思ったゆめこは、各コートのベンチにドリンクを設置していくことにした。

空になったボトルを回収しつつ、たまにコートの中に目を向けて試合の様子を窺いながら、ゆめこはどんどん新しいボトルを置いていった。
そうして3つ目のコートで、最後の一本を置いた時だった。
ちょうど試合が終わったタイミングだったのか、仁王がベンチへと戻ってきた。
3年生のレギュラーと、シングルスで試合をしていたらしい。
彼の顔を見て、そういえば昨日からろくに話してないな。と思ったゆめこは「お疲れ〜」と仁王に声を掛けた。
しかし、彼の返事を聞くよりも先に、

「えっ!それ、どうしたの?!」

とゆめこは驚いて声を上げた。
仁王の膝からは血が出ていた。

「ボール追いかけて転んだ」
「うわぁ、痛そう・・・急いで手当しなきゃ!」
「大したことなか」
「いやいや、めっちゃ血出てますけど。全然大丈夫そうじゃないんですけど」

涼しい顔でドリンクを飲み始めた仁王のジャージの裾を引っ張って、ゆめこは詰め寄る。
しかし彼は「大丈夫」の一点張りだ。
実際仁王は、この程度のかすり傷は日常茶飯事だ、と思っていたのでこの反応なのだが、日頃血を見る機会など滅多にないゆめこにとっては大事件だった。

「ばい菌が入っちゃうよ!」

と彼女は眉根を寄せて険しい顔をした。

「手当てするから、一旦中入ろう」
「気にしなさんな。自分でできる」
「でもっ・・・!」
「そんなことより、ええんか?あれ」

そう言って仁王はちらりと目線を動かした。
あれって何?とゆめこも気になって、彼の視線を辿る。
そこには毛利の姿があった。
隣のコートで試合をしていた彼は、ちょうどチェンジコートのタイミングでゆめこと仁王が話しているのを目撃したのか、じっと様子を窺うようにゆめこ達を見つめていた。
試合中のためこちらにやって来ることはないが、毛利はいかにも物言いたげな顔をしていた。
「おお、恐っ」と茶化すように言う仁王に、ゆめこは「きのせいだよ」と言い返した。
気のせいなんかではないのだが、それを理由に手当てを断られるのはゆめこも納得がいかなかったのだ。
ついには「彼氏さん怒らせたらいかんぜよ」なんて言い捨てて仁王は背を向けてしまい、ゆめこはむっとして彼の腕をがしりと掴んだ。

「私、そんな気持ちでお手伝いに来たんじゃないよ」

そう言ったゆめこの顔は真剣だった。
怒っている。仁王はすぐにそう気付いた。

毛利と付き合い出したのは事実だが、だからと言って自分自身は何も変わっていない。
今まで "ゆめのゆめこ" として見ていてくれていたのに、急に "先輩の彼女" という扱いをしてくる仁王が、ゆめこは許せなかった。
今回の合宿だって、別に毛利のためだけに来た訳ではない。
二連覇を目指すみんなのために、少しでも役に立てるなら。そう思って臨時マネージャーを引き受けたのだ。
知らない人になら何をどう言われてもいいが、大事な友人である仁王に分かってもらえないのは、ゆめこにとって心苦しいものがあった。
そんな彼女の気持ちを察したのか、仁王は「・・・すまん」と短くそう告げた。
ゆめこもすぐにハッとして手を離すと、

「私の方こそムキになってごめん」

と返した。
二人の間に微妙な空気が流れる。
しかし先に沈黙を破ったのはゆめこだった。

「私で不安なら、すぐにゆめみ呼んでくるから」

そう言って駆け出していくゆめこを、仁王はすぐに「待ちんしゃい」と呼び止めた。

「ゆめのでいい」
「えっ、でも私手当とかしたことないし」
「それでもよか」

仁王はそう言うと、ゆめこを追い抜いてスタスタと歩き出してしまった。
ゆめこは慌てて彼の背中を追いかける。

「下手でも文句言わない?大丈夫?」

さっきまであれ程手当てしないとと騒いでいたのに。
急に及び腰になったゆめこに、仁王は思わず笑いそうになる。
「怪我が悪化したらゆめののせいじゃな」なんて冗談を言う仁王に、「そこは気合いでなんとかして」とゆめこは無茶ぶりをするのだった。

そうして彼らがコートを出て行く様子は、毛利は黙って見つめていた。
しかしすぐに、「集中しろよ」と言って須東にお尻をラケットで叩かれた。
彼らは今、ダブルスを組んで試合をしていたのだ。
須東に注意された後も、毛利の視線はゆめこの背中を追いかけたままだ。

「ゆめこちゃんが浮気しとる」
「あー、はいはい」

真顔でそんなことを言う毛利に、須東はテキトーに返事をした。
あれを浮気だと言うなら、この世は浮気で溢れかえっているぞ。口にこそ出さなかったが、彼は内心そう思った。

「はー、あかん。苦しい。死んでまう」
「・・・お前重症だな」

本気で落ち込んでいる毛利に、須東はドン引きしてそう言った。



「仁王くん、ここに座ってて」

コートを出てペンションに戻ってくると、ゆめこは入ってすぐのところにあるダイニングのウッドチェアに仁王を座らせた。
近くのソファではゆめみがタオルを畳んでいて、ちょうど終わったところなのか、彼女は立ち上がっていた。

「仁王くん怪我?大丈夫?」
「そうなの!血がダバ〜だよ、ほんと痛そう。ところで救急箱ってどこにあるっけ?」
「それならここにあるよ、はい」

ゆめみはすぐ近くの棚から救急箱を取り出すと、ゆめこに手渡した。
それからタオルも何枚も重ねて持ち上げると、「私、タオル配ってくるね」と言ってゆめみはペンションを出て行った。
「うん、ありがとう。外暑いから気をつけて」とゆめみを見送り、ゆめこは仁王の目の前までやって来くると、彼の足元にぺたんと座り込んだ。
生理食塩水で汚れを落としてから、ゆめこはちょっとぎこちない手つきで手当てをしていく。
その様子を仁王はじっと黙って観察していた。

「できたよ!」

ゆめこは嬉しそうに顔を上げる。
その時ばちりと目が合って、仁王はとっさに視線を逸らした。
不自然だったか?と仁王は心配したが、ゆめこはあまり気にしていないようだった。それよりも、

「あれ?仁王くんちょっと髪伸びてきた?」

と、彼の襟足の方に目が行ったようだった。
ジャージの襟元に収まっていた髪の毛がはらりと動いて、ゆめこはその長さに気が付いたのだ。

「あー、言われてみたら伸びたかもしれんの。最近切っとらん」
「ふーん。綺麗だね」

さらっと褒めると、ゆめこはそっと手を伸ばして仁王の髪の毛に触れた。
想像していたよりもずっと柔らかい髪質だった。

じっと自分の髪を見つめるゆめこに、仁王は少し照れ臭さを感じる。
しかしすぐに、目の前のゆめこの唇がにまにまと弧を描き始めていることに気が付いた。
この顔は何か企んでるな、と仁王が思っていると、彼女は案の定「仁王くん、ちょっとじっとしてて」と言って徐に立ち上がった。
そして仁王の後ろに回ると、ゆめこは手首につけていたヘアゴムで仁王の襟足を結い出した。
今日は暑いのでいつでも髪が結えるようにと自分用に持ち歩いていたのだ。

「うふふ、仁王くんかわいい」

ピンクのゴムで縛られた髪の毛が、ぴょこんと尻尾のように小さくまとまっている。

「人の髪で遊ぶんじゃなか」
「ええー、でもかわいいよ?」
「・・・プリッ」
「あー!取らないでよ!」

ゴムを取ろうとする仁王の手を、ゆめこはぱしっと阻む。
仁王は眉を顰めて振り返った。
しかし、にこにこと笑ったゆめこに

「思ったより似合ってるよ」

なんて言われて、彼は文句の代わりに「はぁ」と大きな息を吐き出した。
彼女が気に入っているなら、これでもいいか。と気持ちが揺らぐ。
最終的に「そのゴムあげるよ」というゆめこの言葉が決め手となって、仁王はこの髪型を受け入れたのだった。





(180526/由氣)→103

記念すべき100話は仁王くんの尻尾誕生日。




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