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(データテニスを教えた者だよ/柳•三津谷)
「あの、私に何か用ですか?」
「とお前は言うよな」
口を開いたのと同時に紡ぎ出された言葉に、ゆめみは大きく目を見開いた。
目の前で微笑む男性は淡い色の浴衣を着たとても綺麗な人だった。眼鏡の奥の瞳は優しそうなのに、どこか謎めいていると感じた。
全国大会が明後日に迫った8月中旬のある日のこと。地元の神社のお祭りが毎年この時期にあり、今年もゆめみとゆめこは浴衣を着てお昼から遊びに来ていた。
夕方から練習終わりの蓮二も合流することになっていたのだが、ゆめこは用事があると先に帰った直後のことだった。
柳との約束の時間まではあと1時間以上あったので、一度家に帰るつもりでいたが、活気ある雰囲気が名残惜しくて神社奥の境内で休んでいた。
すると、ゆめみの目の前に1人の男性が現れたのだ。中2のゆめみにはだいぶ大人にみえたが、高校1年生くらいだ。
一字一句言い当てられた言葉に、ゆめみが目を丸くしていると、彼はその表情が面白かったのかフフッと笑う。
ゆめみが彼への評価を、不思議な人から変な人へと降格させた瞬間だった。
急に視線が冷たくなり、立ち去ろうとしたゆめみに、彼は一言「蓮二を待っているんだろ」と言った。
その聞き慣れた名前に、ゆめみは振り返る。
頭に付いた飾りがシャリと揺れた。
蓮二の知り合い?
ゆめみがそう思うと同時に彼は「蓮二の知り合い?とお前は思っているよな」と言った。
「答えは是だ、俺は三津谷あくと」
三津谷はにっこりと愛想のいい笑みを浮かべた。
「蓮二にデータテニスを教えた者だよ」
ゆめみの警戒心が一瞬で消えて無くなった。三津谷あくとと言う名前に聞き覚えがあったのだ。蓮二がいつか話してくれたことがあった。
帰省中に三津谷と出会い、データテニスのすべてを教えてもらったと。ゆめみと出会う前の話なので、少なくとも小3よりも前の話である。
「あくと兄さん?」
ゆめみが蓮二から聞いたままの名前で呼ぶと、三津谷は「懐かしいな」と言った。その表情からは温かみを感じる。
「蓮二が来るまで暇なのだろう?俺と昔話をするのはどうかな」
ゆめみは微笑んだ。さっきまでの表情とはガラリと変わり、人懐こい笑顔で「お願いします」と言ったゆめみに、三津谷は少し意外に思う。
2人は境内にあったベンチに横並びに座った。
「俺が出会った時は蓮二はおかっぱでね」
「よく笑う素直な子供だったよ」
「そうそう、一度怒らせてしまったことがあってね」
三津谷の昔話に、ゆめみは至極楽しそうに相槌を打った。
「それで、その後蓮二はどうしたんですか?」
「うわぁ、小さい蓮二可愛いですね」
「蓮二は昔からそうだったんですね」
よく笑い、話を広げるゆめみと穏やかに話をしながら、三津谷は心の中でゆめみを見定めていた。
三津谷とゆめみの出会いは偶然では無かった。最近の柳を知る上でのキーパーソン、100%の確率で柳の想い人であるゆめみがどんな人物か興味を持ち、近付いたのだった。
まだ幼さも残っているが、顔は確かに整っている。センスも良い。言葉や仕草も綺麗でいいところのお嬢さんと言った感じだ。
それにしても。ふわふわとしていて意思の弱そうな子だ、と言うのが三津谷のゆめみに対する第一印象だった。
蓮二らしくない。
柳は自分の意見をきちんと持っているような、頭のいい子がタイプが好みでは無かったか。
にこにこと楽しそうに話を聞くゆめみを見て、この子ならいつでも落とせそうだと三津谷は思った。ふと、いたずらを思い付く。
柳が来るまでに、この子を落としたら、柳はどんな顔をして、どんな行動に出るだろう。そのデータを収集したい。
三津谷は立ち上がって、手をゆめみへと伸ばす。
「少し屋台を見て回ろうか」
すぐにその手を掴んでくると思った。しかし、ゆめみはあまり乗り気では無かった。
「蓮二がもしかしたら早く来るかも」
ゆめみはそう言った。しかし、ゆめみのスマホが光り、画面に視線を移すと、ゆめみは残念そうな顔をした。
『時間通りに着きそうだ』という連絡だった。約束の時間まではあと30分くらいある。
「そんな顔をするな、蓮二なら時間通りに必ず来るさ」
三津谷はしゃがみこんで、座っているゆめみと視線を合わせる。
「俺では蓮二の代わりにはならないだろうか」
寂しそうな表情を浮かべる三津谷に、ゆめみは慌てて首を振る。
「いえ、そういう訳では」
「では行くよな」
三津谷は再度ゆめみに手を差し伸べる。ゆめみは戸惑いながらも、その手を掴んだ。三津谷は嬉しそうに笑ってゆめみを立ち上がらせた。
そのまま手を繋いで、歩き出す。
線の細いイメージだったのに、その手は大人の男性のそれで、ゆめみは少しドキッとした。
その時、立海テニス部の部室では、練習を終えたレギュラー達が帰りの仕度をしていた。
「いよいよ明後日だな!我ら立海に2連覇という新しい歴史が刻まれるのだ!」
「フフッ、真田は気が早いな、決勝戦は来週だろ?」
「弦一郎の気持ちも分かる、俺もはやる気持ちを抑えられないでいる」
いつもの涼やかな表情でそう言った柳に、幸村は「それでかい?」と小さく笑った。その後、幸村は声に出して確認し始める。
「明日の集合時間は連絡済みだし、宿泊施設の手配も万全だ、後は何か不足があるかな?」
「敢えて言うなら一回戦のオーダーがまだ本決定はしていない、明後日のコンディションにもよるが」
柳の提案に、幸村は大きく頷いた。
「じゃあ帰り道に少し話そうか」
とその時、柳のスマホが振動した。
柳が画面に視線を移した瞬間、珍しくその目を開く。
「蓮二、どうかしたのか?」
驚いて真田が声をかけると、「すまない、急用が出来た」と言い残し、柳は風のように部室を出て行った。窓から全力疾走をしている柳を確認した幸村と真田は不思議そうに顔を見合わせた。
三津谷とゆめみは、賑やかな屋台の間を手を繋いで歩いていた。ゆめみはにこやかな表情を浮かべる三津谷を見上げた。友人の中で一番背の高い柳よりも背が高いため、不思議な感覚だな、とゆめみは思う。
「わたあめが食べたいとゆめみちゃんは思っているよな」
三津谷はわたあめを購入し、ゆめみに手渡した。ゆめみは両手でわたあめを受け取った。思っていたことを言い当てられ、頬が少し赤くなる。微笑んで「ありがとうございます」と言うと、三津谷はにこっと笑った。
「やはり笑ってる顔の方が好みだな」
その言い方はとてもナチュラルで、嫌味が無い。
ゆめみはなんて返したらいいか分からず、思わず無言になった。そう言われて素直に嬉しいと思ったが、「ありがとうございます」と言うのも変な気がするのだ。
無言で照れるゆめみに、三津谷はフフッと笑った。
「つい本音が出てしまった、困らせてしまったようだね」
三津谷はそう言って歩き出す。優しく振り返ると、まだほんのり頬が赤いゆめみが、ついて来ようとするのが見えた。
褒められ慣れていないのだろう。驚くくらいうぶな反応だ。
この様子では、俺に惚れるのも時間の問題だな。と三津谷は思う。
「次は金魚すくいをしようか」
三津谷の提案に、ゆめみは小さく首を振って「それはいいです」と言った。
三津谷は違和感を覚える。データでは毎年金魚すくいをしていたはずだ。ゆめみちゃんは喜ぶ、俺のデータに間違いは無い。
「遠慮はいらないよ」
「え?」
「いいからやろう」
三津谷はお金を出して、金魚すくいの店番に渡そうとした。ゆめみは「だめ」と言って、三津谷の手を両手で抑えた。
三津谷はゆめみの顔を見て目を見開く。泣きそうな顔をしていたのだ。
「あの、金魚すくいは蓮二と一緒じゃなきゃ嫌なんです」
小さい声でそう言ったゆめみに、三津谷はため息を吐いた。
「悪かったね」
その後、少し気まずい雰囲気になり、2人はまた境内のベンチへと戻ってきた。
「楽しい雰囲気を壊してしまってごめんなさい」
ゆめみは申し訳無さそうに言った。
当初の計画が台無しになってしまった三津谷は、ここからどう巻き返そうかと考えていた。なぜか蓮二に負けた形になってしまって癪だ。
「怒ってますか?」
三津谷の顔を覗き込むゆめみ。三津谷はにっこりと笑顔を作って「まさか」と言う。ちょっと安心したように「良かったです」と言ったゆめみに、三津谷は意外と自分の言いたいことを言う子なんだな、と思った。
ゆめみはさっきから何度もスマホを確認している。柳からの連絡を待っているのだろう。
幼馴染か。きっと自分が一番蓮二と近いつもりでいるのだろうな。
その自信、崩してみようか。
「俺は蓮二のことをなんでも知っているよ」
三津谷はそう切り出した。
その表情は自信で溢れている。
「キミは蓮二の何を知っている?」
ゆめみは少し考えた後、寂しそうに笑った。その儚げな表情から目が離せなくなる。
「なんにも」
ゆめみは確かにそう言った。
「蓮二って頭が良くて、なんでも自分1人で解決出来ちゃうから、めったに相談とかしてくれないんですよね」
ゆめみは三津谷から視線を外して前を向いた。
「だから、蓮二が何を考えているのか、何に悩んでいるのか、私はなんにも知らないの」
その表情は切なさが溢れていて。
悔しいと思った。
三津谷は思わずゆめみの肩を掴んでいた。ゆめみは驚いて三津谷を見上げる。
「またその顔をしたな」
三津谷は肩に置いていた両手をゆっくり移動させて、ゆめみの後頭部を優しく掴む。そして、顔を近づける。
綺麗な顔が近づいてくるのを、ゆめみはただじっと見つめていた。
「ゆめみ!」
大きな声がして、ゆめみは驚いて声がする方を見た。そして、その姿を見ると嬉しそうに顔いっぱいで笑う。するりと三津谷の腕をすり抜けたゆめみは、その人物に駆け寄って行った。
「蓮二」
嬉しそうに駆け寄るゆめみを、柳は戸惑いながらも受け止めた。柳はジャージ姿で、テニスバックを背負ったままだった。
ゆめみから三津谷といると言う連絡を受けた柳は、大急ぎでここまでやって来たのだった。
柳はその視線をゆめみから、三津谷へと移す。
「なぜあなたがここにいるんですか?」
「とお前は言うよな、蓮二」
昔と変わらないその口調に、柳はフッと笑みをこぼした。
「久方ぶりです、あくと兄さん」
三津谷は先ほどまでとは比べものにならないくらいの笑顔を浮かべているゆめみを見て、少し残念そうな顔をした。
「今日は俺の惨敗のようだ」
ゆめみは不思議そうに首を傾げたが、柳はどうせ彼のことだ、ロクでもないことを企んでいたのだろうと思った。
「大人しく帰るとするよ」
「待ってください」
後ろを向いて立ち去ろうとする三津谷を呼び止めたのはゆめみだった。
三津谷は意外そうに振り返る。
「あくとさん、金魚すくいやりましょうよ、蓮二も来ましたし」
三津谷は少し考えた後「ゆめみちゃんならそう言うよな」と言った。その顔は少し嬉しそうで、ゆめみはなぜか初めて三津谷の笑った顔を見た気がした。
その後3人は、金魚すくいに射的などをしてお祭りを楽しんだ。
帰り道。
柳は途中で疲れて眠ってしまったゆめみを背負って歩いていた。その隣では三津谷が柳の代わりにラケットバッグを持っている。
「お前が着替えもせずに現れるとはな、俺が何かすると思ったようだな」
「当然です、無事だったことが不思議なくらいだ」
「惚れさせてやろうと思っただけだよ」
柳は思わず足を止めた。開眼してじっと三津谷を見つめる柳に、三津谷は寂しそうに笑った。
「安心しろ、全く眼中に無いようだ、ゆめみちゃんはお前のことばかりだったよ」
そう言った三津谷の言葉に、柳は少し照れたように「そうですか」と言った。
しかし、すぐに険しい表情になる。
「あくと兄さん、今ゆめみを落とせる確率を計算していませんか?」
「フフッ趣味みたいなものだ、気にするな」
「やめてください」
怒ったような顔をする柳に、三津谷は可笑しそうに笑った。久しぶりに会った教え子はすっかり大人になり、表情も固くなったと思っていたがそうでもないな、と。
「流石に中学生の子供には興味無いから安心しろ」
柳はなおも不満そうに口を開く。
「ゆめみはいつまでも子供ではありません、2年後には高校生になる、それに」
柳はふと先ほどゆめみに迫っていた三津谷を思い出す。その瞳は、本気の色を帯びていた。
しかし、それには触れずに「とにかく約束してください、ゆめみには絶対に手を出さないと」と言った。
「蓮二、考えてみろ、ライバルがいた方が恋は盛り上がるものだ」
「俺が恋敵になってやるよ」と冗談を言う三津谷に、柳はうんざりとした表情で「その役はすでに満席だ」と言った。
トンと何かが太ももに当たって、ゆめみは目を覚ました。自分が柳におんぶされており、柳が更にテニスバックを抱えていることに気が付き、慌てて「ごめん」と言った。
テニスバックが足に当たったようだ。柳はそっとゆめみを下ろした。
もうすでに家のすぐ近くだった。
きょろきょろと辺りを見渡すゆめみ。
「あれ?あくとさんは?」
「途中で帰った」
「テニスバックを押し付けてな」と言った柳に、ゆめみは「自由な人だね」とくすくす笑う。
途中で眠り出したお前が言うか?と柳は思ったが、代わりにポンポンと頭を撫でる。
ゆめみが三津谷より自分を選んだことを思い出し、褒めてやりたくなった。
「今日ね、あくとさんにちび蓮二の話いっぱい聞いちゃった」
嬉しそうにそう言うゆめみ。
浴衣姿が可愛いと思った。
「可愛い」
今度は自然に言うことが出来た。
きょとんと見つめるゆめみに、柳はもう一度頭を撫でる。
「浴衣が似合っているな」
ゆめみは花開くように笑った。
「ありがとう」
そして、少し頬を赤らめた、気がした。
「明後日からの試合、応援してるね」
(180531/小牧)→104
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