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(勝って/幸村•柳•真田)
8月。全国大会、決勝戦当日。
ゆめみはパチッと目を開けて、起き上がった。
隣でゆめこが幸せそうな笑みを浮かべて眠っているのを見てふわっと笑う。
先週から全国大会が始まった。4日間に渡って行われるが、今年の開催地は東京だったため、ゆめみとゆめこは全試合応援に来ることが出来た。
これまでは朝早くに神奈川から電車に乗って東京まで応援に来ていたが、決勝戦は朝9時から始まるため、ゆめみ達も会場近くのホテルに前泊したのだった。ちなみにレギュラーが泊まっているホテルと同じである。
時計の針は、朝4時半を示している。
ゆめみは今日が決勝の日であることを思い出して、胸に手を当てた。ドキドキしている。
気付いた途端にワクワクして落ち着かない。二度寝は出来そうも無い。でも朝ゆっくり派なゆめこを起こしてしまうのは申し訳ないな、と思う。
ふと窓の外の景色が目に飛び込んできた。 そこには東京の海が広がっていた。
その時、同じ海を眺めている人物がいた。
ホテルのエントランスから続く階段を降りたところにある広いバルコニーで、彼は手すりに手をかけて海を見つめていた。
まだ夜明け前で薄暗い。
潮風が吹いて、彼のウェーブがかった綺麗な髪が揺れる。
幸村精市。立海大附属の2年生部長である。
彼はいつもこんなに早起きな訳ではない。同室の真田が4時に起きてトレーニングをし始めたために、目が覚めてしまったのである。真田は今ランニング中だ。
日課であるイメージトレーニングをするために、幸村はそっと目を閉じた。
メインコート。割れるような応援の中。
ネットの向こう側の対戦相手がサーブを打ってくる。そのボールに俺は
途中で考えるのをやめて、幸村はふぅと息を吐いた。なぜか気持ちが乗らない。
地区予選や、県大会、関東大会のような高揚感を求めているのに。今シーズンの大会では、練習よりもずっといいプレイが出来ていたと思う。
その理由は何だろう、と少し考えて、幸村は1人の女の子の顔を思い浮かべた。
幸村は再度目を閉じる。
今度は立海応援席に1人の女の子をイメージする。俺のポイントが決まるたび、ゲームを獲るたび、嬉しそうに笑う。
その瞳はキラキラと輝いて、俺だけを映している。
驚くほど集中することができた。あっと言う間に試合が終了する。
結果は当然俺の勝ちだ。一球の失点も無い。
コートは歓声に包まれた。
幸村の口からフッと笑みが漏れた。
自分のモチベーションがいつのまにか彼女に依存していたことを認識して、自分も意外と単純だな、と思ったのだ。
イメージトレーニングを終了させて目を開けた。幸村はそのまま目を見開く。
今まさにイメージしていた少女がそこにはいた。海をまっすぐに眺めている。
不思議だ。
どうして巡りあってしまうのだろう。
「ゆめみ」
幸村の声に、ゆめみは振り返った。
そして嬉しそうに笑う。
「おはよう精市、早起きだね」
いつからいたのだろう。
気付かなかったことが悔しいと思った。
「おはよう、声をかけてくれればよかったのに」
「集中してたから静かにしてたの、邪魔しちゃった?」
「いいや」
むしろ嬉しい、と幸村は思った。決勝戦前に2人きりになれたのだ。
真田に感謝しないとね、と心の中で呟く。
2人は同時に海を見た。
ちょうど空が白くなり始め、光の線が見え始めた。
「きれい」
日の出だ。
ゆめみはまっすぐに海を眺めていたが、幸村はゆめみだけを見つめていた。
海に反射した太陽の光が、ゆめみの瞳の中で輝いている。
「ああ、きれいだね」
幸村は心の底からそう思った。
『女神みたいだ』
朝の光を受けて、キラキラと輝いている。
2人は静かに昇る朝日を眺めていた。
「ここまできたね」
ゆめみが言った。
その瞳に涙が溜まっていることに幸村は気が付いた。
「精市のこと、ずっと見てたよ」
ゆめみのその言葉に、春の屋上庭園を思い出す。
2連覇を獲るから見ていて欲しい、と言った。そしたらゆめみはずっと見ていると約束してくれた。
「ああ」
幸村は力強くそう言った。
「今度は俺が約束を守る番だ」
その姿からオーラを感じて。ゆめみはパチパチと瞬きをする。
「見届けてくれるね」
幸村は凛々しい、いい表情をしていた。
ゆめみは「もちろんだよ」と笑った。その拍子に左目から溜まった涙が一粒零れ落ちる。
幸村はそっと右手親指でその涙を優しく拭った。
「この涙は、その時まで取っておいて」
ゆめみは幸村の言葉に頷いた。
「精市、ゆめみ」
「ここにいたのか!」
2人が顔を上げると、バルコニーへ続く階段を柳と真田が下りてくるのが見えた。
気付けば太陽は完全に昇っていた。
朝の5時半といったところだ。
2人が合流して、おはようと挨拶した後、4人は並んで海を見つめた。
真田、幸村、ゆめみ、柳の順番である。
真田と柳も幸村と同じようにいい表情をしていた。
闘争心がもし目に見えるものならば、東京湾が埋め尽くされてしまうかも、とゆめみは思う。
「かっこいいね」
ゆめみの口からそんな言葉が出る。
その言葉に3人はきょとんとしてゆめみを見た。
「みんなかっこいい」
ゆめみはまっすぐな瞳でもう一度そう言った。
心からそう思った。
3人はそれが自分達に向けられた言葉であることを理解して、少し照れたように笑う。
その表情はただの少年に戻ったようだった。
「私はここまでみんなが頑張ってきたのを知ってるから、どんな結果でも」
「ゆめみ」
ゆめみがプレッシャーをかけないようにと言った言葉を止めたのは柳だった。
優しいゆめみがそう言うであろうことは3人共理解していた。柳は微笑んでいる。
「本音を言ってくれて構わない」
「ああ!遠慮は無用だ!」
「俺たちは叶えてあげられるよ」
3人の言葉を受けて、ゆめみは3人を順に見た。
「弦一郎、精市、蓮二」
朝日に照らされた3人は本当にかっこよかった。
「勝って」
さらりと言いたかったのに、やっぱり感情が入り込んでしまい、涙声になった。
柳がポンと頭を優しく叩く、それを真似して真田もポンと一瞬手を頭に乗せた。
最後に幸村が、ふわとゆめみの頭を撫でる。
言葉は無かった。
ただ彼らの表情が、肯定の意を伝えていた。
「行こうか、全国優勝、そして2連覇へ」
幸村の言葉が海に響いた。
全国大会、決勝戦。
メインコートでは、割れんばかりの立海コールが鳴り響いている。
誰も予測出来なかった圧倒的な試合が繰り広げられていた。
試合開始からたったの20分。
電光掲示板に示されたダブルス2の結果は立海毛利・錦ペアが6−0と勝利、現在進行中の立海真田・柳ペアが5−0と残り1ゲームのところまで来ていた。
スコアボードでは表示されない奇跡が1つ。
立海は試合開始から、1ポイントも落としていなかった。
誰もが目を疑った。
ここは全国大会決勝の場では無いのか。対戦相手の牧ノ藤が弱い訳では決して無い。しかし、事実として、圧倒的なまでの実力差があることを、立海は全国に知らしめていた。
「ゲームセットアンドマッチ、真田・柳!」
最後まで一球も落とすことなく、真田と柳の勝利が決まった。
「レッツゴー立海あと1つ!」
「常〜勝〜立海大!一発決めてやれ!」
立海応援席の全員が何かしらを叫んでいた。
この奇跡的な展開に、誰もが酔いしれていた。
その中に、ゆめみとゆめこもいた。
柳達の勝利が決まった瞬間、ゆめこはゆめみに抱きついた。
「すごい、すごいねゆめみ」
その時、ゆめみは少しぼーっとしていた。すごすぎる結末に頭がついていかない。しかし、興奮するゆめこにはっとして、その手を取った。
「蓮二がやったよ、ほんとすごすぎ」と同調する。瞳はキラキラと輝いていた。
これまでの彼らの努力が報われたのだ。嬉しくないはずが無かった。
「続きましてシングルス3の試合を始めます」
シングル3は誰だろう、とゆめみは首を伸ばして立海ベンチを見る。
割れんばかりの声援がぴたりと止んだ。
ゆめみは予感した。
「神の子、幸村精市」
誰かの呟きが応援席に響いた。
幸村がコート脇のベンチから立ち上がっていた。ゆめみの知る限り、幸村がシングルス3に出場したのはこれが初めてだった。
「ベンチコーチは必要か?精市」
柳が幸村にそう声をかけた。いつもベンチコーチは部長の幸村がしていたため、コート脇のベンチは不在になるのだ。その言葉に、幸村は「いらないよ」と言った。
「そうか、相手はスーパーテニスの名手門脇悟だ、有名な選手ではあるが」
柳は説明の途中で言葉を飲んだ。必要無いと判断したためだ。
「すまない、蛇足だな」
「フフ、お前のデータで既に対策済だよ」
「幸村!2連覇はお前の手で決めて来い!」
真田が喝を入れて、幸村は頷いた。
そして「ベンチコーチはいらないけど」と口を開く。
「立海2連覇の瞬間を、みんなで見届けたい」
幸村は応援席の最前列にいる真田、柳、赤也、ジャッカル、丸井、柳生、仁王、錦、毛利、そして3年生レギュラーを順に見た。
「行ってくる」
全員力強く頷いた。
赤也だけが「勝つこと前提スか」と突っ込んだが、誰も何も言わなかった。当然だと思ったからだ。
幸村は肩に羽織ったジャージを翻しながら、ネットへと歩く。
相手選手の門脇はすでにネット前で待機しており、好戦的な視線を幸村に向けていた。
「いい試合をしよう」
「幸村精市が何ぼのもんじゃ」
2人は握手を交わした。
試合開始の合図で、試合が始まる。
圧倒的だった。
ほとんど門脇はボールに触れることすらままならないまま、ポイントだけが決まっていく。
美しいテニスだ、とゆめみは思った。
手塚のテニスが『海』だとするなら、幸村のテニスは『世界の理』。
全てがあらかじめそう決まっていたかのように、ボールが線を描くのだ。
「精市、かっこいい」
呟くように、大きな瞳を潤ませてそう言ったゆめみに、ゆめこは「うん」とその肩を抱いた。
3ゲームを終えない内に、門脇はイップスに陥り、まともなプレイが出来なくなっていった。
マッチポイントを迎える。
会場中から『神の子』コールが鳴り響いていた。
幸村がサーブの構えを取ると、一度会場はシン、と静まり返る。
最期の一球。
幸村のサーブを根性でラケットに当てた門脇のボールは、すでにベースラインの外側に出ていた幸村の隣に落ちた。
アウトである。
最期まで1ポイントの失点も無く、幸村は勝利を収めた。幸村の羽織ったジャージも落ちることが無かった。
「立海!全国優勝2連覇ー!!」
誰かが大声で叫んだ。
立海応援席、全員が立ち上がっていた。
割れんばかりの拍手、声援が会場全体を覆い尽くす。
幸村はそんな中、そっと隣に落ちたボールを拾う。そして、祈るように優しいキスを落とした後、応援席を仰ぎ見た。
ゆめみ、やったよ。
ゆめみは小さな顔いっぱいに笑顔を浮かべて拍手をしていた。
その頬には感動の涙が伝っている。
綺麗な涙だと幸村は思った。
幸村は想いを届けるように、ラケットで優しくその優勝ボールを打つ。
驚いた観客席が一瞬静かになった。
ボールは綺麗なラインを描いて。
レギュラー陣、部員、父兄席、吹奏楽部の頭上を飛んでいく。
そうして、ゆめみの手元に落ちた。
ゆめみは落とすことなく、そのボールをキャッチした。
幸村はゆめみに届いたのを確認すると、ニコッと笑った。
「シングルス3の勝者は立海幸村!
よって全国大会優勝は立海大学付属中学校!」
正式なアナウンスと共に、再び会場全体に歓声が巻き起こる。
レギュラー陣がコートへと走り入って行く。
全員心からの笑みを浮かべていた。
数人は泣いていた。
「優勝おめでとう」
ゆめみはテニスボールを握りしめたまま、心を込めてそう言った。レギュラーの皆の笑顔を見つめて、この瞬間をずっと覚えていたいとそう思った。
団体戦の挨拶が済んだ後も、会場の興奮は収まらず、いつまでもいつまでも『常勝立海大』コールが聞こえていた。
立海大は過去に誰も成し遂げたことのない、地区予選から全試合ストレート勝ちでの2連覇を果たしたのだ。
そして、決勝戦。
1ポイントも落とすことの無かった圧倒的な勝利は、見た者全ての人の心に深く刻まれた。
それも、主力メンバーの多くが2年生である。
『立海3連覇に死角なし』
会場中の人が、そう思った。
この日を境に、すでに有名だった『王者立海』は更に恐れられる存在となった。
その中でも幸村、真田、柳はその圧倒的な存在感で、中学テニス界にその名を轟かせることとなる。
(180604/小牧)→105
蓮二HBD
そうして少年たちは伝説となった。