009
(お嬢さんだったんですね/手塚)

ゆめみは東京、住宅地のど真ん中で途方に暮れていた。
母親の書いてくれた手書きの地図を確認するも、そもそも今いる場所がどこなのかの検討がつかないため、意味は無い。
ゆめみは小さくため息をついた。どうしてこんなことになってしまったのか。


時はその日の朝に遡る。
世間はゴールデンウィークの初日で学校は休み。せっかくの休みだというのに、総合病院勤務の両親は仕事が忙しく、ゆめみは1人で暇を持て余していた。
朝食後にりんごジュースを飲みながら、やりかけのあみぐるみを完成させるか、ゴールデンウィークの宿題を終わらせてしまおうか、そんなことを考えていると、机の上のお弁当が2つあることに気付いた。父親の分だ。父親は東京の病院勤務のため朝は早い。とその時ゆめみはひらめいた。

「ママ、パパお弁当忘れてっちゃったみたい」
「あら本当ね、困ったわね」
「私、届けてあげる」
「1人で東京に?ダメに決まってるでしょう」

案の定止められるが、ゆめみは諦めなかった。もう私は中学生だよ、普通みんな東京に遊びに行ったりしてるよ、蓮二だって練習試合で東京に行ったりしてるよ、とそれっぽいことをたくさん言ったあと、「お願いママ、パパの病院に行って見たかったの!」と最後はお願いした。
母親は悩んだ果てに、大きな駅で乗り換える必要の無い快速で行くなら良いと許可してくれたのだった。


こうして『ゆめみの初めてのおつかい〜東京編〜』が実施された訳だが、期待を裏切らないゆめみは指定された最寄り駅を降りたところで早くも方向がわからなくなってしまった。わからなくなった時点で確認すればまだ良かったのだが、基本ポジティブなゆめみは自信たっぷりに反対方向に歩き始めたのだった。

初めは新しい場所にうきうきして、楽しそうに散策していたゆめみだったが、30分以上歩いたところで、やっと異変に気付いた。駅の近くの総合病院からは遠のき、完全に住宅街に入り込んでしまっていた。
こうして、物語は冒頭へ戻る。


周りをキョロキョロと見渡すが、そこは完全な住宅街で、目印となるものは何も無かった。ゆめみはいつもの癖で柳に助けを求めようと連絡先を表示するが、すぐに閉じた。
『今日1人で東京に行くんだよ、すごいでしょ』という自慢のメッセージを送ったところ、全力で止められたことを思い出す。鬼気迫る勢いで、このままいくと言ったら柳は部活を抜け出してでも止めに来そうだったため、『やっぱり行かないことにした』と嘘を吐いたのだった。びっくりするくらい過保護だ。
でもこうして私が迷うことを予知していたのだろうか?蓮二はやっぱりすごいなぁ、とゆめみは神奈川にいる幼馴染に感心した。

「これからどうしよう」

そんな言葉が口から漏れる。誰かに道を聞きたいと思ったが、ここは高級住宅街のゴールデンウィーク。旅行している家族が多いのか、人1人通らない。最終手段として、父親に連絡するという手があるのだが、仕事の邪魔をするのはなんとなく気が引けた。とその時。目の前に1人の少年が現れた。

薄紫のテニスウェアを身に纏い、肩には大きなラケットバッグを掛けている。同じ中学生だとは思うが、雰囲気は随分と年上に見えた。細い眼鏡の奥に見える瞳からは何の感情も読み取れない。
その少年はゆめみが迷っている間、唯一何度か見かけた少年だった。

少年は無言で手を伸ばすと、ゆめみの持っていたメモを取り目を通した。そしてすぐにメモをゆめみに返すと、スタスタと歩き始める。
ゆめみは状況が分からず、その場に立ち尽くしていた。少年は角を曲がる時に、チラリとゆめみを見て足を止めた。

(ついてこいってことでいいのかな?)

相変わらず少年は無表情で、ニコリともしない。でもなぜか嫌な気はしなかった。
他に手立ての無いゆめみは、彼を信じてついていくことにした。彼はゆめみが歩き出したのを確認すると、更に次の曲がり角まで歩く。それを繰り返すうちに、ほんの10分程で大通りに出ることが出来た。
大通りの向かい側には、父親の勤務先である『伴野総合病院』の看板が見えた。よかった」とゆめみの口から安堵の言葉が漏れる。
「あれ?」お礼を言おうと周りを見渡すも、先程の少年は居なくなっていた。

(お礼、言いそびれちゃったな)

一体彼は何者だったのだろうか。さすらいの人助けテニスプレイヤー?なんだか狐につままれたような気分だった。

「あ、いけない」

ゆめみは父親にお弁当を届けるというミッションを思い出した。すでにお昼時に差し掛かっていて、間に合うかどうかは微妙なところだ。ちょうど大通りの信号が青だったため、ゆめみは慌てて駆け出す。信号に気を取られ、前をよく見ていなかった。どん、と横断歩道を歩いて来た人にぶつかった。
見上げると、柄の悪い高校生が3人、ゆめみを睨みつけていた。


高架線下のテニスコートで、ひたすらサーブの練習をしている少年が1人。ボールを打つたび、左側に癖のついた髪が揺れる。
少年手塚国光は先程の一件を思い出していた。あの整った顔の少女は無事に病院にたどり着けただろうか。流石にあそこまで送ったのだから、たどり着いているだろう。
そう思う一方で、迷っていた時のゆめみの方向音痴ぶりを思い出し、考え直した。
もしかしたら、玄関まで送ってやる必要があったかも知れないな、と。
そこまで考えて、フッと自分自身が可笑しくなる。俺は一体何を考えているのか。
もう二度と会うことが無いだろう少女の心配をして、何になると言うのだろう。
手塚は高々とトスを上げた。

『おいおい、その小学生どうしたの?』
『そこで見つけたんだよ』
『自分から突っ込んで来たんだよなー?お嬢ちゃん』

隣のコートが騒がしい。手塚は非難めいた目で、チラリと隣のコートを見た。
すると、チンピラのような高校生4人と少女が目に入る。高校生の合間から見える少女の白いワンピースに見覚えがあった。ポーン、と打たれることのなかったボールが地面に落ちる。

あの少女だった。さっき病院に案内した少女が、高校生に囲まれて縮こまっていた。ほとんど無意識だった。気付いたら手塚はゆめみの腕を掴んでいた。驚くくらいに華奢な腕で、折れてしまいそうだと手塚は思った。そのまま無言で高校生の軍団から引き離す。
助け出されたゆめみの顔は青ざめていて、目には涙が溜まっていた。

「おい、坊主、何勝手なことしてんの?」
「そこのお嬢ちゃんと先に遊んでたのは俺たちだぜ?」

手塚は無視して、右手でゆめみの左手をしっかり掴んだまま、テニスコートの入り口から出ていこうとする。「待てってば」とリーダー格の男が手塚の左肘を掴んだ。手塚の顔が痛みで歪む。掴まれた場所が、ちょうど負傷していた場所と重なっていたためだった。ゆめみはその表情の変化を見逃さなかった。
高校生に怯えて、声も出なかったゆめみだったが、自分を助けてくれた人に怪我をして欲しくないという想いが恐怖を上回った。

「離してください」

ゆめみはキッと高校生を睨みつけた。高校生たちはゆめみの反抗的な態度に白けたのか、それ以上は絡んで来なかった。

ゆめみは手塚の右手をぎゅっと握ったまま、早足で歩き続けた。手塚も無言でゆめみに合わせてついていく。そして、またあの大通りへとたどり着いた。
ゆめみは手塚の手を離さないまま、大通りの横断歩道を渡り、病院の中へと入っていく。
手塚が手を離さなかったのは、ゆめみの手が震えていたからだった。細くて繊細な指が冷たくなって震えていた。
泣いているのかと思ったが、ゆめみは泣いてはいなかった。「ちょっと待ってて」と言い残すと、手塚を待合室に残したまま、診察室へと入っていく。ゆめみの顔色はまだ悪いままだった。診察室からゆめみが出てくるより早く、看護婦がドアを開けて中へと手塚を誘導した。

「やぁ国光くん、昨日ぶりだね」
「はい、ゆめだ先生」

大きな眼鏡をかけた優しそうな男性の先生が手塚を迎えた。伴野総合病院、形成外科の医師であり、ゆめみの父親でもある。更に手塚の主治医でもあった。手塚が小学生の頃からお世話になっているが、2週間程前に部活の先輩に反感を買ってラケットで肘を殴られてからは、頻繁にここを訪れていた。ゆめみはその事実を知らないので、本当に偶然だったのだが。

「まずはお礼を言わせて欲しい、娘を助けてくれてありがとう
娘がお弁当を届けに来てくれているとは聞いていたんだけどね、なかなか来ないので、心配していたところだったんだ」
「お嬢さんだったんですね」
「似ていないでしょう?娘は美人な母親似でね」
「いえ」
「妻の若い頃そっくりでね、可愛くて仕方がないんだよ」

親子だと知ったからだろうか、穏やかな雰囲気が似ていると手塚は思った。

「娘から肘を痛めたようだから見てほしいと頼まれてね」
「いえ、掴まれただけですので、心配いりません」
「見せてくれるかな?」
「・・・」

手塚は諦めて左肘を見せる。ゆめだ医師は丁寧に診察した後「掴まれた影響は無さそうだね」と言った。しかしすぐに真剣な表情になり「だけど、また無理な練習量をこなしているね」と言う。手塚はゆめだ医師からハードな練習を止められていたが、ほとんど守られていなかった。

「無理はしないように」
「はい」

返事だけは立派な手塚に、医師は苦笑いをする。そして「ではまた来週見せに来てね」と伝えた。

「お嬢さんはどちらですか?」
「中庭にいると思うよ」

病院側の入り口と反対側に大きな掃き出し窓があり、中庭と繋がっていた。手塚はゆめみがそこから出たのか、と納得した。

「悪かったね、娘には国光くんを巻き込んでしまったことを反省しなさいと伝えてある」

反省?その言葉に違和感を覚える。

「失礼します」と手塚は診察室を後にした。彼女は何を反省するべきなのだろうか。
反省する必要があるのは俺の方なのではないだろうか。手塚には『あの時自分がきちんと病院の玄関まで送っていればこんなにはならなかった』という後悔が強く残っていた。

自然と中庭へと足が向く。渡り廊下から、中庭を覗き込んだ。

中庭には初夏の花々が咲き誇り、暖かな日差しが降り注いでいる。穏やかで優しい時間が流れているように感じた。
奥の方のベンチの端にコットンの白いワンピースを着た少女が座っているのを見た。一瞬、泣いているかと思ったが、また泣いてはいなかった。
ゆめみはただ前を向いて、花々を舞う蝶をぼーっと見つめていた。顔色が若干良くなっており、手塚は少しホッとした。
しかし、何故2回も泣いていると思ったのだろう、と手塚は考えた。
高校生に囲まれていた彼女の顔は青ざめており、今にも泣き出しそうであったから。
本当は泣きたいのではないかと思った。泣きたい時は泣いた方がいい。しかし、それに気づいたところで、手塚にはこんな時、どう接したらいいのか全く検討がつかなかった。

そのまま立ち去ろうと思ったが、何故だか足が動かず、手塚は少しの間じっとゆめみを見つめていた。



(180323/小牧)→10

ここで2人は出逢ってしまった。




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