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(美味しそうやったから、つい/毛利・仁王)

「明日からか〜」

椅子に浅く腰掛けなら、両手を後頭部の後ろで組み、毛利はぼんやりとした表情で口を開いた。
室内は騒がしくてよく聞き取れなかったのか、ゆめこは「ん?」と隣に座っている毛利を見た。
毛利は天井を見たままだ。
そうして先程からマイクを放棄している彼に、

「何歌うか決まったんですか?」

とゆめこは尋ねた。
彼女達は今、カラオケにやってきていた。
全国大会が終わり毛利は部活を引退したので、帰宅部のゆめことはほぼ毎日のように一緒に帰っている。
その中で、予定が合う時はこうして放課後デートを楽しむようになっていたのだ。

今日はたまたまカラオケだが、3日前はボーリングに行った。
三年生の毛利はそろそろ受験勉強に励むべきなのだろうが、のんびり屋な彼はまだ自分が受験生だという自覚は無いようだ。
とは言え立海はエスカレータ式なので、余程の落ちこぼれじゃなければ高等部に進める。ゆめこもそのことを知っていたので、特に口うるさく言うことは無かった。

ゆめこにマイクを渡されそうになった毛利は「まだ決まってへん」と返事をして、上体を起こした。
ゆめこは「そうですか」と返事をすると、行き場を無くしたマイクをゴトンとテーブルの上に置いた。
お互い既に5曲くらいずつ歌ってるし、そろそろ休憩してもいいか、と彼女も思ったのだ。

「ほんまに行ってしまうん?」
「どこにですか?」
「沖縄」
「ああ」

"沖縄" という地名に、ゆめこは納得した面持ちになった。
先程から浮かない顔をしているな、とは思っていたが。「寂しなるなぁ」とぼやく毛利に、ゆめこは「たった二日間ですよ?」と苦笑を浮かべた。

明日から二年生は一泊二日で修学旅行に行くことになっている。
行先は沖縄、北海道、京都の3つから自由に選べて、ゆめみや柳が沖縄にすると言っていたこともあり、ゆめこは迷わず沖縄を選んでいた。
基本的にはクラス内で決めた班行動にはなってしまうが、泊まるホテルはみんな一緒なので、時間があればゆめみ達に会いに行けるかも、と思ったのだ。

「お土産買ってきますね」

なんてうきうきとした口調で言うゆめこを、毛利はじっと見つめた。
自分はこんなに寂しいと感じているのに、ゆめこの全身からは "今から楽しみです!" と言わんばかりのオーラが滲み出ている。

「浮気したらあかんえ」
「あはは!する訳ないじゃないですか」

真顔でそんなことを言う毛利をゆめこは笑い飛ばした。
彼は割と本気で言っていることなのだが、どうやらゆめこは冗談だと捉えているらしい。

「無事に着いたら連絡してや」
「はい、分かりました」
「夜は電話もしてな」
「まぁ、時間があったら」

そんな曖昧な返事をするゆめこに、毛利は人知れずため息を吐いた。
自分でも行き過ぎた心配をしてることは分かっている。それでも時々不安になってしまうのだ。
告白をした時、彼女は「私も毛利先輩のことが好きです」と言ってくれた。
けどきっと、自分がゆめこを好きな気持ちの方が大きい。
愛の大きさを測ることなど出来ないが、仮にお互いの熱量を数値化出来たとしたら、その差は一目瞭然だろう。
本人に言ったら「そんなことないです!」と全力で否定してくれそうだけど。
そんなことを考えながら、毛利はすっとゆめこの肩に腕を回し、彼女の体を引き寄せた。
「わ」とゆめこの間抜けな声が漏れる。
そしてそのまま彼女の唇を奪った。
唇が離れると「もう。毛利先輩ってばいつも急なんだから」とゆめこは小言を漏らしたが、その顔は真っ赤になっていて、毛利はかわいいな、と思った。

「なぁ、その毛利先輩ってのやめにせぇへん?」

肩を抱いたまま毛利がそう言うと、ゆめこは目をぱちくりさせた。

「名前で呼んでみ?」
「寿三郎先輩」
「長いわ」
「えっと、じゃあ・・・寿三郎さん?」

あまり "寿三郎先輩" とあまり変わらない気がするけど、と思いながら、年上なので呼び捨てにもできずゆめこはそう呼んだ。
すると毛利はにっこりと満足そうな顔をして

「なんや?ゆめこ」

と彼女の名前を呼んだ。
突然の呼び捨てに、どきりとゆめこの心臓が高鳴る。
ゆめみや柳、それから丸井や星梨にだって名前で呼ばれているのに、それとは全く違う感覚だった。

「なんか、恥ずかしいです」
「慣れや、慣れ」

毛利はもう一度顔を近づけると、彼女の耳元で「ゆめこ」とまた名前を呼んだ。
くすぐったさの他にぞくぞくした感覚もあって、ゆめこはたまらずぎゅうときつく目を閉じる。
毛利はそのまま肩に回していた手で、ゆめこの髪をかき上げると、彼女の真っ白なうなじにキスを落とした。
ちくりと痛みが走り、ゆめこは顔を顰める。

「今何したんですか、毛利先輩」
「名前、戻ってんで」

毛利に指摘され、ゆめこは「あっ」と声を漏らした。
慌てて「今何したんですか?寿三郎さん」と呼び名だけ変えて言い直すと、毛利はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「ゆめこが美味しそうやったから、つい」

つい、なんだ。とゆめこは首を傾げる。
毛利は今キスマークをつけたのだが、未だかつてキスマークなどつけられたことが無いゆめこは、先程のちくりという痛みがまさか吸い付かれたことによる痛みで、今自分の首筋に真っ赤な内出血が出来ていることなど知る由も無かった。
「噛んだんですか?」なんて見当はずれなこと言うゆめこに、「分からんならもう一回したろか?」と毛利はにやにやと口元を歪ませた。

「・・・いいです」
「ほー、そら残念やわ」

ゆめこが警戒して手を盾にして突き出すと、毛利は笑ったままそう言った。
その後すぐ部屋の電話が鳴って10分前だと告げられたので、二人は若者の男女デュエットとして有名な曲を一曲だけ歌うと、そのまま会計札を持って部屋を出た。
受付階へ行くために乗ったエレベーターの中で、ゆめこは思い出し笑いをしたのか「ふふ」と急ににやけ始め、毛利は「どないしたん?」と彼女を見た。

「寿三郎さん歌めちゃくちゃうまかったなぁ〜って思って。あんなの聴かされたら女の子はイチコロですよね」

毛利が一曲目を歌い終わった時からその歌唱力をゆめこは絶賛していたが、最後に歌った曲も彼の音域にマッチしていて、一緒に歌いつつもゆめこはその美声に魅了されていた。
特に彼は普段方言訛りの話し方をするので、標準語で綴られた歌詞を歌う彼は別人に見えたのだ。

「ゆめこちゃんこそ歌上手いやん!」
「私は普通ですよ」
「いやいや、着うたにしたいくらい良かったで」
「あはは、言い過ぎ」

大袈裟な彼の褒め言葉に、ゆめこは手を叩いて笑う。

「また寿三郎さんの歌聴かせてくださいね」
「おう、なんぼでも聴かせたるわ」

そんな会話をしながらエレベーターを降りると二人は会計を済ませ、外に出て、そのまま藤沢駅に向かって歩き出した。
藤沢駅は学校の最寄り駅である辻堂駅のすぐ隣で、しかもちょうど二人の家の間の場所ということもあり、放課後は決まってこの辺りで遊ぶことが多くなっていた。
と言っても学校から一番近くて、ゲームセンターやカラオケ、ファミレスなどありとあらゆるアミューズメント施設が揃っているのが藤沢駅なので、ゆめこ達が特別と言う訳でもなく、立海大の生徒の多くがこの辺りで遊んでいる。
もちろん通学のために利用している生徒も多い。
ちなみにゆめこは江ノ島駅からバスで学校の前まで通っているので、普段は利用しないのだが、毛利と付き合うようになってから頻繁に訪れるようになった。

そうして二人は慣れた足取りで駅の入り口までやってきた。
江ノ電の藤沢駅とJRの藤沢駅は少し離れているので、毛利が江ノ電の乗り場までゆめこを送る、というのが二人の間の決まり事になっていた。
改札の前で、

「家着いたら連絡してな」
「はーい」

なんてやり取りをしていると、ふと見慣れた姿が横切っていき、ゆめこは条件反射のように「仁王くん!」とその人物を呼び止めた。
背を向けていた毛利は気付かなかったのか、ゆめこの視線を辿るように振り返った。
仁王も驚いて足を止めている。

「こんなところで何してるの?」

仁王の近くまで歩み寄って、ゆめこはそう尋ねた。
彼もゆめこと同様、学校から江ノ島までの区間はバスで通っているので、普段ならこの駅を利用することは無いので、ゆめこは気になったのだ。
聞くと彼は部活帰りにスポーツショップに寄っていてこれから帰るところらしい。
その説明を聞いて納得した表情になるゆめこに対し、毛利は顔を曇らせると、ぽんとゆめこの肩に手を置いて口を開いた。

「やっぱ家まで送るわ。外暗いし、心配や」
「えっ、大丈夫ですよ。仁王くんもいますし」

だから心配やねん。
毛利は心の中でそう言い返した。
名前を出された本人である仁王は、鳩が豆鉄砲を食ったように目をパチパチさせている。
誰も一緒に帰るとは言っていないし、しかもそのせいで目の前の先輩はじっとりとヘビのような目をこちらに向けている。
全く状況を理解していないゆめこは、

「じゃあ寿三郎さん、また!おうち着いたら連絡しますね〜」

と言うと、仁王に「行こ」と小さく声を掛け、そのまま改札に向かってずんずんと歩いていったしまった。
仕方なくついて行った仁王がちらりと後ろを振り返ると、毛利は複雑な面持ちでそこに立ち尽くしていた。



「・・・ええんか?」

電車を待っている間、仁王はゆめこにそう尋ねた。
「何が?」きょとんとして聞いてくる彼女に、仁王は呆れたように息を吐く。

「普通は自分の彼女が違う男と帰るって言い出したら良い気はせんじゃろ?」

諭すように仁王が言うと、ゆめこは一瞬ぴたりと動きを止めたが、すぐに

「えー、でも仁王くんだよ?見ず知らずの人だったらまだしも、仁王くんは共通の知り合いじゃん」

と平然とした顔で言った。
その発言に、仁王は少なからず毛利に同情を寄せた。
こんなに危機管理のなっていない彼女を持つのは随分と気苦労が絶えないだろうな、と。
しかし言い換えれば、それだけゆめこが仁王を安全な人物だと認識していて、もっと言えば、異性として見ていないということに繋がる。
まざまざと現実を突き付けられた気がして仁王の心は沈んだ。

「ゆめの、お前にとって俺はなんだ?」
「え?何って・・・友達でしょ?あっ、違うか。親友か!」

と言ってへらりと笑うゆめこに、心臓がきゅっと握られたように痛み出す。
毛利先輩は彼氏で、自分は親友。
分かってはいたが改めて言葉に出されると、その差を思い知らされる。
俺の方がずっと前からゆめのを見てきたのに。
人を好きになることが、片想いが、こんなに辛いなんて。
仁王は行き場の無い気持ちをぶつけるようにラケットバックを持つ手にぎゅっと力を込めると、ゆっくりと顔を上げた。

「そうじゃな。俺とゆめのは・・・、親友ぜよ」

仁王がそう言うと、ゆめこはにっこりと笑って「うん!」と大きく頷いた。





(180529/由氣)→109

だ〜からお願い〜僕のそばに〜いてくれないか(熱唱)




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