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(なんて言って脅したの?/不二•三強)
9月下旬の週末。
立海大附属中学校は活気に満ち溢れていた。
校内は綺麗に飾り付けられ、客引きの看板を持った生徒や、他校の生徒の楽しそうな声が響いている。
そう、1年に1度の学校を上げての学園祭、海原祭が始まったのだ。
1日目。2年I組では、ゆめみが袴姿で忙しそうに動き回っていた。2年I組の今年の模擬店は和喫茶なのである。
「はい、あんみつと抹茶でございますね」
ゆめみがオーダーを確認していると、「きゃああっ」と言う黄色い声が教室内に響いた。
顔を上げてすぐにその理由を理解する。
浴衣姿の柳が立っていた。
柳は涼やかな表情のまま、教壇のあたりに設置された畳部分に座って、お点前の準備を始める。
30分に1回のペースで茶道のお点前を披露しているのだが、柳の回は毎回満席になる人気ぶりだった。
柳は準備が終わると、一度礼をして、流れるような動きでお点前を始めた。
柳の茶道の腕前は相当なもので、その難易度の高さが分からない素人でも、惹きつけられる。その動作一つ一つが美しくて、何度も見たことがあるゆめみも、思わず見惚れてしまう。
蓮二は相変わらずかっこいい。
「お嬢さん」
声をかけられて、ゆめみははっとした。急いで周りを見渡すと、1人の少年がにこにことゆめみを見ていた。
ゆめみの表情が驚きに変わる。
「不二くん、来てくれたんだ」
青学2年、不二周助が薄茶の長めの髪を耳にかけて、優雅な表情でそこに座っていた。
すでに机の上には飲み終わった茶器が置いてあり、接客済だと分かる。
「気がつかなかった、いつ来たの?」
不二はわざと大げさに「ボクはずっとキミだけを見ていたのに、傷付くなぁ」と言った。
そして「気がつくまで見つめていようと思ったけど、我慢出来なくなっちゃった」と付け加える。普通の会話なのに不二が言うと意味深に聞こえるから不思議だ。
「ねぇ、ちょっと抜け出せない?ボクとデートしようよ」
不二が魅惑的な笑みを浮かべてゆめみをそう誘う。その言葉に目の端でクラスメイト達がチラチラとゆめみ達の様子を好奇の目で伺っているのが見えた。
変な噂が流れそうで嫌だな、とゆめみは苦笑いをする。
「次の休憩まであと1時間以上あるんだけど」
不二なら1時間くらい待ってるよと言い出しそうだ。そう予想していたが、不二はにこにこと読めない笑顔を浮かべたまま、斜め予想上の行動に出た。
「ねぇ、そこのショートカットのキミ」
ちょうど休憩に入ろうとしたクラスメイトの女子に声をかけたのだ。その子は不可解な顔をして振り返ったが、不二の顔を見ると、すぐに社交的な笑顔を貼り付けてやってきた。
「私ですか?」
その瞳は期待に満ちている。ゆめみは嫌な予感がして、少し後ずさりをした。
「ゆめみちゃんと休憩代わってくれないかな?」
案の定である。なんて失礼な奴。
その子はチラリとゆめみを見た。ゆめみが全力で手を振ってそんなことする必要無いというサインを送ると、申し訳無さそうな顔をして「ごめんなさい、私約束があって」と言いかけた。
不二はぐいっとその子の腕を引っ張って、何かを耳打ちする。その子の顔色が見る見るうちに悪くなっていった。
最後に不二が「代わってくれるよね?」と聞くと、可哀想にその子は薄く涙を浮かべて頷いた。
一体何を言われたのか、気になるところである。
こうして、ゆめみは1時間以上も早く休憩に入ることになった。ゆめみは申し訳なさから断ったのだが、その子が「お願い、私の命を助けると思って休憩に入って!」と懇願してきたので、最後は受け入れてしまった。
ゆめみは袴姿のままで、学ラン姿の不二と活気ある校舎内を歩いていた。大正ロマン風の袴姿のため、不二の学ランと良くマッチしていた。
「なんて言って脅したの?」
「クス、人聞きが悪いなぁ、ちょっと丁寧にお願いしただけだよ」
そしてゆめみの耳元に顔を近づけて「キミもあの子の弱味を握りたいのかな?」と囁いた。
ゆめみは慌てて耳を手で隠して「やっぱり知りたくない」と言った。
ふるふると首を振るゆめみに、不二は「可愛いなぁ」とクスリと笑う。やっぱり不二は敵に回したくない。
ゆめみは気分を変えるために、くるりと回って見せた。
正直後味があまり良く無い形で休憩に入った訳だが、休憩は休憩だ。
めいっぱい楽しまないと損だ。
回転した先に、不二と向き合う形になる。不二は至極楽しそうに微笑んでいた。
「さぁて、何して愉しもうか?」
やはり不二が言うと意味深に聞こえる。
しかし、ゆめみはその笑顔に違和感を覚えた。なぜかいつもの不二と違う気がしたのだ。しかし、素直とは言いがたい不二のことだ。彼から話すまで、気が付かないふりをした方がいいのだろうな、とゆめみは思っていた。
ゆめみと不二はマップを片手に気になるお店を回って食べ歩きを楽しんだ。ゆめこのクラスのクレープ屋も覗いて見たが、タイミングが合わずに会えなかった。
2人は散々食べた後に、ドリンクだけを買って、屋上庭園へとやってきた。
屋上庭園は模擬店の出店が無いため、比較的空いていた。
今まで他愛の無い会話を楽しんでいた2人が隣同士に座ると、今日会って初めての沈黙が訪れた。
その沈黙に、何か話すべきかと思った不二が口を開いたが、ゆめみの表情を見てまた口を閉じた。
ゆめみは慈しむような、全てを受け入れたような表情で庭園を見つめて微笑んでいた。
その雰囲気に癒される。
決して話して欲しいと促しているわけでは無い。しかし、不二の憂鬱には気が付いている、そんな優しさがゆめみにはあった。
沈黙が続いているだけなのに、何を言われた訳では無いのに、不二は心が揺さぶられる。
今すぐゆめみに抱きついて泣いてしまいたい、と願った。
そして、そう願ってしまうこと自体が、ゆめみを好いている何よりの証だと気が付いていた。
ボクが今日真っ先にここに来てしまった時点で、ボクの負けだよ。
不二は軽く目を閉じた。
高貴な花の香りが鼻をかすめる。
不二はゆっくり目を開けて、ゆめみをまっすぐに見た。そして、弱音を吐くように笑う。
「ボクにとって悪い話と、キミにとって悪い話、どっちから聞きたい?」
ゆめみはその問いに首をかしげる。そして軽く「またそんなナゾナゾみたいなことを言って」と眉をひそめる。しかしすぐに穏やかに笑って「どちらでも」と言った。
不二は一瞬つまらなそうな顔をしたが、口を開いた。
「裕太、転校するんだって」
ゆめみは「えっ」と言って、不二の顔を覗き込む。不二はもう笑ってはいなかった。
「全寮制の学校でね、来月にでも家を出て行くらしい」
不二の顔には寂しさ、そして怒りの感情が滲んでいた。滅多に見せない素顔を見ている気がして、ゆめみはドキッとした。
「結局、今も無視されたままなんだ、その新しい学校に誘った奴に何かを吹き込まれているようでね」
不二の見せた怒りの感情がその裕太をそそのかした人物に向かっていることをゆめみは理解した。
6月にゆめみが裕太に会った時は、反発しつつも、心の底では不二のことを認めていた。あの時から少し関係が改善しそうだと言っていたのに。8月に会った時も、ここまで深刻な状況では無かった。
裕太が誰かに出会って、考えを変えたことは確かだろう。それで、不二がその人物を憎んでしまう気持ちは共感できる。
でも。
憶測で物事を話すべきではない、そう思いつつも、ゆめみにとって不二と裕太の話は、もう他人事では無かった。
「裕太くんにとっては、いいきっかけになるかも知れないね」
ゆめみの言葉に、不二は意外そうな顔をした。
「転校することで、不二くんを客観的に見ることになるだろうから。それに、不二くんのファンに付きまとわれることも無くなるだろうし」
裕太にとっては必ずしもマイナスにならないとゆめみは言う。それは不二にとって救いとなった。
少し考えて「そう、かな」と呟く。不二の表情から怒りの感情が消えたそして、寂しさだけが残る。
「でも」
ゆめみはそう言って、不二の頭にそっと手を置いた。その大きな瞳にはうるうると涙が溜まっている。
「不二くんは寂しい気持ちになっちゃうね」
不二は思わず目を見開いて、ゆめみを見た。また新しい気づきがあったのだ。
自分は裕太をそそのかした人物を許せないと思っていた、でもそれは違うのだ。ただ寂しかっただけなのかも知れない。
不二はなんだか泣きたくなった。
素直に「寂しい」とは言えなくて、でもゆめみが代わりにボクの気持ちを代弁してくれる。
世界中の人が誰もボクの気持ちをわかってくれなかったとしても、ゆめみだけはすくい上げてくれる。
想いが溢れそうになって、不二はそっと頭に乗せられたゆめみの手を掴んだ。
『キミが好きみたいだ』
不二は目を閉じて、そっとゆめみの手にキスを落とした。ゆめみは不思議そうな顔をする。
「キミにとって悪い話、してもいいかな?」
不二は切ないほどの真剣な瞳でそう聞いた。告白しようと思ったのだ。
ゆめみが自分を好きではないだろうことは知っていた。それでも可能性が0ではないならと思ったのだ。
「なぁに、不二くん」
ゆめみのピンクの唇がいつも以上に可愛く見えた。
このまま言ってしまえば良かったのに。
不二は何を思ったか、「と思ったけど、ゆめみも何かボクに話してよ」と口走っていた。
なんだか自分ばかりが弱さを見せているのが、悔しく感じたのだった。
ゆめみは少し考えてから「秘密だよ」と前置きして、ナイショ話をするように、不二の耳に右手を当てて、唇を耳元に寄せる。
何気ない動作にドキドキした。ゆめみの息が不二の耳にかかる。
しかし、次の瞬間、全てが凍り付いた。
「私、国光くんのこと好きになっちゃった」
何もかもが遅すぎた。
驚いて見たゆめみの頬はほんのり赤かった。
もし数分の時間が戻せたのなら。
不二は迷わず「好きだ」と伝えただろうと思った。
しかし、そんなことは起こらない。
水が上から下に落ちるように、時間は前に流れ続ける。
「ありがとう」
不二は皮肉を込めてそう言っていた。
「おかげで裕太のことが些細なことに思えたよ」
本心だった。
ゆめみはきょとんとする。その回転の速い頭がどういう意味だろうか、と考えている隙に、不二はそっとゆめみの顎を上に上げた。
そして、その唇を近づける。
キス?
ゆめみは慌てて口を押さえようとした。
ビーズ玉のように綺麗な瞳が近付いて、そして直前で閉じた。
ゆめみの手は間に合わず、キスされそうになる。思わずぎゅっと目を閉じた。
しかし、何も起こらない。
そっと目を開けると、不二が触れるか触れないかギリギリの距離にいた。その瞳は開いている。
「このままキスしたら、キミはどんな顔をするのかな」
その表情はとても切なげで、胸が締め付けられる。しかし、ゆめみは自分を守るために努めて怒った顔で「絶交だよ」と言った。
不二はクスッと笑って、距離を取ると「それは怖い」と言った。
その笑顔はいつも通りのからかうような感じで、さっき見せた表情は見間違いだったかもと思った。
ゆめみはまだドキドキしている胸を両手で抑える。
「もー、不二くんのその好奇心に忠実な性格嫌いじゃないけど、私にはほどほどにして」
「心臓壊れちゃうよ」と唇をとらがせるゆめみに、不二は意外そうな顔をする。
「ドキドキしたんだ?」
「当たり前でしょ」
不二みたいにカッコいい人に迫られたら誰でもドキドキしちゃうよとゆめみは思う。
ゆめみの反応に、不二は困ったように眉尻を下げて「キミって残酷だよね」と呟いた。
そんなこと言われたら、諦められなくなる。
よく聞き取れなかったゆめみは「え?何?」と不二の顔を覗き込む。
不二はすぐにニコッと笑って「今日は帰るよ」と言って立ち上がった。そして、入り口を指差す。
「お迎えも来ているようだしね」
「あ」
ゆめみが不二の指差す屋上庭園入り口を見ると、柳、幸村、真田が不機嫌そうな表情でそこにいた。
本来の自由時間に彼らと回る約束をしていたことをゆめみは思い出した。
「ごめん、私行かなくちゃ」
ゆめみも立ち上がり、3人に向かって歩き出す。
遠ざかる背中がどうしようもなく寂しいと不二は思った。
「ねぇ、ゆめみ」
不二はゆめみの名前を呼ぶ。
ゆめみは不思議そうに振り替る。
「また誘ってもいいかな?」
そんなことをいちいち聞いてくる不二は珍しいと思った。しかしすぐに笑顔で頷いた。
「もちろんだよ」
ゆめみの笑顔が光に弾けて、また可愛いと思ってしまう。
あーあ。
告白してしまえば良かった。
キッパリ振られたら、今ならキミを忘れることが出来たかも知れないのに。
不二は、3人に囲まれるようにして屋上庭園を出て行くゆめみを眺めていた。
するとゆめみは最後に振り返って、笑顔で手を振った。『またね』と唇が動く。
その表情がとても可愛くて。
不二は珍しく目を見開いて、その後小さく手を振り返す。
やっぱり無理かも、と不二は思った。
例え振られても、きっとボクはキミのその笑顔を忘れられない。
(180702/小牧)→116
彼は彼女を諦められない。