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(内緒にしといてやるきに/毛利・仁王)
「ゆめこご機嫌じゃん、どうしたの?」
海原祭2日目。
模擬店の営業も終了の時刻となり、撤収作業も終わりが見えてきた頃。
ふんふんと鼻歌を歌いながらゆめこがエプロンを畳んでいると隣でスマホを弄っていた星梨が不思議そうに顔を上げた。
"ご機嫌" 、そう彼女が表現したようにゆめこは先程から浮かれていた。
この後行われる「後夜祭」で毛利とダンスをする約束をしていたゆめこは、今日一日それを楽しみに頑張ってきたのだ。
と言っても二人は真面目に踊るというよりはその場の雰囲気を一緒に楽しもう、くらいのテンションで約束をしたのだが、なんにせよ、好きな人と一緒に過ごせることに変わりはないので、ゆめこの機嫌はすこぶる良かった。
「この後寿三郎さんと待ち合わせしてるんだ」とゆめこが答えると、星梨は納得したような面持ちになった。
立海の後夜祭では毎年ダンスパーティーが開催されていて、その時間を一緒に過ごすというのはもはやカップルの定番コースとなっている。
シングルの人にとっても、想いを寄せている人をダンスに誘ったり告白するには絶好の機会で、後夜祭は恋する男女に取って欠かせないイベントなのだ。
「私ちょっと準備してくるね」
そう言ってゆめこはポーチとヘアアイロンを持つと教室を出て女子トイレへと向かった。
彼女が姿を消すや否や星梨は近くにいた丸井に「いいの?ブンブン誘わないの?」と声を掛けたが、丸井は「いや無理だろい」と苦い顔をした。
あそこまで彼氏と過ごすことを楽しみにしている彼女を横から誘う奴がいたとしたら、そいつは間違いなく勇者だ。と丸井は思った。
ゆめこが女子トイレにやって来ると中はそこそこ混んでいた。
みんな用を足しに来たというよりは鏡前で身だしなみを整えている感じだ。
個室がほとんど空いてるのが何よりの証拠である。
みんな後夜祭気合い入ってるんだなぁ、なんて自分のことは棚に上げ、ゆめこも空いてる鏡の前にやってくるといそいそと支度を始めた。
リップを塗り直し、ビューラーでまつ毛をカールさせ、最後に温めていたヘアアイロンで前髪と毛先だけ巻いた。
たったそれだけのことだが、彼女は元々整った顔立ちをしていることもあり十分華やかな雰囲気になった。
トイレを出たゆめこは一旦教室に戻り荷物を置くと、スマホだけポケットに入れて再び教室を出た。
そのまま昇降口を出てゆめこは中庭へと向かう。
立海の敷地の中でも一番の広さを誇る中庭が、後夜祭の舞台となっているのだ。
毛利とは直接そこで待ち合わせをすることになっていたが、中庭にやってきたところでゆめこは「しまった」と言わんばかりに足を止めた。
ただでさえ広い中庭に、今は後夜祭を楽しもうと多くの生徒が集まっている。
この中から見つけるのは難しいな、と思ったゆめこはきょろきょろと毛利の姿を探しながら、スマホを取り出し電話を掛けた。
しかし彼は出なかった。
仕方がない、探してみよう。とゆめこは足を進める。
もしかしたら着信に気付いて折り返してくれるかもしれないし、なんて思いながらゆめこは中庭の輪郭に沿うように歩いていた。
ふと前方を見ると、海風館の方にまで中庭が繋がっているのが見えたので、ここまで来たら行ってみようと彼女はさらに足を進めた。
ちょうど角を曲がったところで、前方に二つの影が見えてきた。
一人は並んだ木々の前にあるベンチに浅く腰掛けていて、もう一人はその人物と向き合うようにして立っている。
遠くの方でダンスの音楽も流れているのではっきりとは聞こえないが、二人は何か言い合いをしているようだった。
あ、恋人同士の修羅場か。
なんて察したゆめこは早々に引き返そうと思ったが、ベンチに腰掛けている人物が自分の彼氏だと気付いた瞬間、彼女はぴたりと足を止めた。
(え、寿三郎さん?)
辺りは暗く近付くまで分からなかったが、一人は確実に毛利だった。
もう一人は、と目を凝らしたところでゆめこの心臓がどくんと波打つ。ゆめこはその人物に見覚えがあった。
そこにいたのは、昨日も廊下で毛利と親しげに話していた女子生徒だった。
なんだか無性に嫌な予感がして胸がざわつく。
おもいきって話し掛けてみようか。そう気合いを入れ、ゆめこが一歩踏み出そうとした時だった。
「え・・・」
それは本当に一瞬の出来事だった。
女子生徒が座っている毛利の肩に手を置いて、顔を近付けた。
二人がキスをしている。
そのことに気付いた瞬間、ドンと頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
思考が追いつかない。
ゆめこにはその一瞬が随分と長い時間に感じられた。
その時ザッと土を踏む音が聞こえて毛利達は人の気配に気付いたのか、同時に顔を上げてゆめこを見た。
その瞬間、毛利はバッと立ち上がって目を見開く。
「ゆめこ・・・!」と彼はすぐに彼女の名前を呼んだが、ゆめこは「あ、」と消え入りそうな声を漏らすと一歩後退した。
私は今、確実に見てはいけないものを見てしまった。
暗いので目立たないが、ゆめこの顔がみるみる真っ青になっていく。
何やってるの!って問い詰めるべき?
私というものがありながら!とか言ってみる?
そんな考えが一瞬の内にぐるぐると頭を過るも、最終的にゆめこの口を突いて出たのは、自分でも驚く程情けないものだった。
「お、お邪魔しました〜!」
と、ゆめこはバッと直角にお辞儀をすると、瞬く間にその場から立ち去った。
後ろから「ゆめこ!」という毛利の声が聞こえてきたが、一度走り出したらもはや立ち止まることは出来ず、ゆめこはひたすら人混みを掻き分けて走り続けた。
そんな彼女を周囲の人達は好奇の目で見ていたが、中庭を飛び出して校舎を通り過ぎテニスコートの方までやってくると、その視線もぱたりと無くなった。
周りに誰もいなくなって、ゆめこは初めてその足を緩める。
そしてまさしく "とぼとぼ" という表現がぴったりな歩き方で、ゆめこはテニスコートへ続く階段のところまでやって来た。
部活の時間はあんなに活気があるテニスコートが今やしんと静寂に包まれている。
その光景をぼんやり眺めながら、ゆめこは階段の途中で力尽きた様に座り込んだ。
じわりと視界が滲んでいく。
だめだ、我慢できない。と諦めると、堰を切ったように涙が溢れてきた。
「ひっく・・・!」
自分の彼氏が他の女の人とキスをしていた。
そんなドロ沼な展開、漫画やドラマの世界にしかないと思っていた。
まさか自分が、しかもこの歳で経験するとは。
胸が抉られたように痛くて、苦しくて、ゆめこはひたすら泣いた。泣きまくった。
その時、ポケットに入れていたスマホがブーっと震えて、ゆめこは画面を見た。
毛利からの着信。とてもじゃないが、出る気にはなれなかった。
かと言って切ることも出来ず、ゆめこは電話が切れるまでじっと画面を見つめていた。
長いこと震えていたがやっと切れて、画面に "不在着信1件" の文字が映し出されると、ゆめこはそっとスマホをポケットにしまった。
しかしすぐにまた震え出した。
もういっそ電源を切ってしまおうか。そう思って画面を見るとそこには "仁王くん" の文字が表示されていて、ゆめこは悩んだ挙句通話ボタンを押した。
「っ、もしもし・・・」
ゆめこが嗚咽を噛み殺しながら電話に出ると、受話器の向こうにいた仁王は驚いて息を呑んだ。
泣いている。すぐにそう気付いた。
そもそも彼がゆめこに電話をしたのは、中庭で開かれている後夜祭で毛利が違う女子生徒と歩いていたのを目撃したからだった。
二人は何やら揉めているようで、足早に歩く毛利を女の方が必死になって呼び止めていて、それを見た仁王はゆめこもその揉め事に巻き込まれてはいないかと心配したのだ。
まさかな、と思いつつ電話を掛けた仁王だったが、どうやら彼の予想は的中してしまったらしい。
「ゆめの、今どこにいる?」
「ひっく・・・」
「泣いてちゃ分からんぜよ」
「っ、テニス、コートの前・・・」
「分かった。そこでじっとしときんしゃい」
仁王は泣いているゆめこから必要な情報だけ聞き出すと、ピッとすぐに電話を切った。
ツーという機械音が流れ、ゆめこはずるりと力が抜けたようにスマホを耳から離し、電源をオフにした。
じっとしてろと言うことは今から来るのだろうか。ゆめこは泣きながら頭の片隅で仁王の顔を思い浮かべた。
すると5分もしない内に仁王がやってきた。
珍しく肩で息をしている。
「ゆめの」階段の上から名前を呼んでゆっくりとゆめこの近くまでやってくると、仁王は隣に腰を下ろした。
ゆめこはまだ泣いていた。
目を真っ赤にして、ぐすぐすと鼻をすすっている。
彼女は一度だけちらりと仁王を見たが、「見ないで」と言って両手で顔を覆うとそのまま俯いてしまった。
きっとひどい顔をしている。
そう思ったゆめこは泣き顔を見られないようにしたのだ。
仁王はそんな彼女になんて声を掛けようか悩んだ。
ゆめこが泣いているところを見たのはこれが初めてで、彼も少なからず動揺していたのだ。
いつものんきにへらへらしている彼女とはまったくの別人に見える。
結局うまい言葉も見つからず、仁王は声を掛ける代わりにそっと彼女の背中に手を当てた。
ゆめこはぴくりと反応したが、特に拒否することもなくしばらくそのまま俯いていた。
少し経ってやっと落ち着いてきたのか、ゆめこはゆっくりと顔を上げると、
「寿三郎さんが・・・、他の人とキスしてたの」
とぽつりと呟くように言った。
突然話し出したことにも驚いたが、その内容もなかなか衝撃的で仁王は「え」と声を漏らした。
「びっくりして逃げてきちゃった。私、浮気されてたのかなぁ・・・」
「あの人に限ってそんな器用なこと出来るかのう」
「だって見ちゃったもん」
「どんな状況じゃった?」
「わかんない。二人がキスしてるとこ見たら頭が真っ白になっちゃって・・・」
話したらまた思い出してきたのか、再びゆめこの声が震え出した。
眉をハの字にして唇を噛み、彼女は必死に泣くのを堪えている。
そんな彼女の姿に、仁王はひどく胸が痛んだ。
ゆめこは毛利の浮気を疑っているようだが、彼は誰の目から見てもゆめこにご執心だったしおそらくその可能性は無いに等しい。
けれどどんな理由であれ他の女とキスをしたという事実に変わりはないし、現にゆめこは泣いている。
彼女にこんな顔をさせた毛利が憎い。
そしてそんな奴のためにゆめこが涙を流すのは許せない。
俺ならこんな悲しい思いをさせないのに。と、仁王は悔しさからぐっと拳を握った。
「ゆめの」
そう名前を呼ぶと、遠くを見ていたゆめこが仁王に視線を移した。
潤んだ瞳が不安そうに揺れている。
これ以上ゆめこの悲しむ顔は見ていられない。そう思った仁王は、そっとゆめこの頬に手を添えた。
「仁王くん・・・?」
「ゆめの、すまん」
仁王はそう短く謝罪すると、ゆめこに顔を近づけた。
「え?」とゆめこが聞き返すよりも先に唇同士が触れ合って、ゆめこは大きく目を見開いた。
唇から伝わる感触。
毛利以外の男性の香りがふわりと鼻を掠める。
私、今・・・仁王くんとキスしてる?
そのことに気付いたゆめこはバッと慌てて仁王の胸を押し返した。
「なん・・・で・・・?」
目を大きくしたまま仁王を見つめるゆめこ。
驚きのあまり涙も引っ込んでしまっている。
「毛利先輩も他の女とキスしてたんじゃろ?これでおあいこぜよ」
仁王はとても落ち着いた口調でそう言った。
頭の中では「なにその理屈?!」とすぐにツッコんだゆめこだったが、仁王にキスされた衝撃が余程大きかったのか、言葉には出来ないようだった。
状況を理解しきれていないゆめこの肩に、仁王はぽんと片手を乗せると、
「心配しなさんな、内緒にしといてやるきに」
と声を掛けた。
肩から振動が伝わり、固まっていたゆめこはハッとして「そういう問題じゃない!」と言い返した。
しかし仁王はすぐに「プリッ」と言って顔をそらしてしまった。
ねぇ、仁王くん。
どうして私にキスしたの?
聞きたいことはたくさんあったのに。
これ以上は何を聞いても答えてくれそうになくて、ゆめこもふいと仁王から視線を外すとそのまま黙って俯いた。
(180601/由氣)→117
書いてる間脳内でずっとCQCQが流れてた。