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(12月24日は空いているか?/手塚)

海原祭から1週間後の日曜日。
10月のよく晴れた日だった。

ゆめみはみなとみらいの某ニューヨーク発祥のハンバーガー屋にいた。
数々の賞を受賞しているこのハンバーガー屋は、都内の店舗はどこも行列が出来ているのだが、みなとみらい店は穴場らしく、混む時間帯を避ければ比較的ゆっくりとすることが出来た。

ゆめみは窓際のボックス席に座り、ドキドキとスマホ画面へと目を移す。
画面に表示された時刻は13時45分。約束の14時まであと少し。
落ち着かなくて、人が行き交う外を眺めていた。1分1秒が長いと感じた。
ふと本当に今日この場所で間違い無いか不安になって、メッセージ画面を開いた。

画面に映し出されたメッセージは『では14時に店内で待ち合わせをしよう』という無機質なもので、その後に送られて来たリンク先はこのハンバーガー屋で間違いない。
ゆめみは少し安心して、ほっと息を吐いた。

メッセージの送り主の相手は手塚国光である。そうゆめみがこんなにもドキドキしている理由、それは待ち合わせの相手が片想い中の手塚だからであった。

9月中旬に、2人は定期的に会ってゆめみは手塚の腕のメンテナンスを、手塚はゆめみにドイツ語を教えることを同意した。
そう約束したのはいいものの、ゆめみはどうやって次の予定が決まるのか、全くイメージ出来なかった。やはりメッセージを送ってみるべきか、とモヤモヤしていたが、あっさりと手塚から誘いのメッセージが届いてその悩みは解決した。

集合場所はお互いの中間地点である、横浜みなとみらい。しかも今日は手塚の誕生日である。
わざわざ自分の誕生日を指定して来たことに関して、ゆめみはゆめこと大いに論議した。
少し天然な彼のことだ、おそらく深い意味は無い。たまたま予定が空いていた日曜日が誕生日だったという、それだけの理由だろうとゆめみは思ったが、ゆめこの考えは違った。
「ゆめみのこと、好きなんだよ」とはっきりそう断言したのだ。「下心が無かったらわざわざ指定して来ないよ」と自信たっぷりに言うゆめこにゆめみも半分くらいそうだったらいいなと思った。

そんな訳でゆめみは平常心を保つのが難しく、はやる気持ちを抑えて窓の外を眺めていた。

時間としては5分も経たない内に、薄紫色のシャツを着たイケメンがゆめみの眺める広場に現れた。手塚国光、本人である。
まるで彼だけが別世界の住人のようにカッコいいとゆめみは思った。
ドキドキと胸が高鳴って。ソワソワして仕方がない。

私、恋、してる。

ゆめみはぎゅっと目を閉じた。

「待たせたか?」

心地よい声がすぐ近くで聴こえて、ゆめみは慌てて目を開けた。すると、手塚が目の前に立っていた。

「うん」

ゆめみは少し焦ってそう答えてしまった。答えた後でしまったと思う。
時計はまだ14時10分前で、時間にすると5分ちょっとしか経っていない。ここはクールに「今来たところだよ」と答えるのが正解だったかもしれない。
ドキドキし過ぎてその5分間さえも長い時間に感じていたことは秘密にしないと。

「でも、少しだけだよ」

ゆめみが照れながらそう付け加えると、手塚は「そうか」と言った。
表情は相変わらず固いモノだが、雰囲気は柔らかく、ゆめみはなんだか心地よいと感じた。緊張がスッと消えていく。

2人はレジに並び、ハンバーガーとドリンク、そしてポテトを頼んだ。
手塚はさりげなくハンバーガーが乗せられたトレイを持ったまま、ゆめみを先に座るように促す。ゆめみがエスコートされるがまま先に座ると、左隣りに手塚が座った。
ボックス席なので、向かい合って座るのが通常だろう。これじゃあまるで、バカップルみたいだ。

ゆめみが不思議そうに隣に座った手塚を見ていると、疑問に気が付いた手塚が「この方が都合が良いだろう」と言った。
たしかに、マッサージをしたり、勉強を教えるのが目的なので、向かい合っていては何かと不便だ。
ゆめみは納得して「それもそうだね」と答えたが、心臓の音が聴こえてしまいそうでこっそり胸に手を当てた。

穏やかに食事をした後、ゆめみによる腕の状態確認とマッサージが行われた。
手塚は先月以降、ゆめみのアドバイス通りきちんと病院へ行っており、無理もしていないようで、手塚の腕は少し良くなっていた。もちろん完治には程遠いが、手塚のことだ、もしかしたら悪化しているかもと思っていたゆめみはほっと胸を撫で下ろした。

「良かった」

ゆめみの表情に笑顔が広がったのを、手塚はじっと見ていた。
ゆめみは今にも頭を撫でそうな勢いで「よく我慢したね、えらいよ」と嬉しそうに言う。その笑顔を眺めながら、手塚の中にも暖かい何かが広がったのを感じた。

「ゆめみのおかげだ」

ふと口からそんな言葉が漏れた。言い直そうとして、しかし事実だな、と思う。
今まではいくら医師から注意されても、守ることが出来なかった。ハードな練習は手塚の生活に溶け込んでしまっており、なかなかやめようと思ってやめられるものでは無いと思っていた。
しかし、定期的にゆめみに見せることを考えたら、自然と左腕を酷使しない練習へとシフトすることが出来た。

ふと視線を斜め下隣に向ければ、「お役に立てて良かった」とふわふわと機嫌良く笑うゆめみが目に入る。
そしてその後で、先月の泣き顔のゆめみを思い出した。

俺はこの子の泣き顔を見たく無いようだな、と手塚は理解した。
だからこそ、練習をセーブすることが出来たのだろう。
なぜこのような気持ちになるのだろう?とまで考えて、思考が停止した。
分からなかったのだ。

ひとまず、友人を悲しませたく無いと願うのは真っ当な考えだと思うことにした。
納得感は無かったが、そう理由付けなければ、次に進めない気がしたのだ。

「では、約束のドイツ語を教えようか」
「よろしくお願いします」

前回もそう思ったが、ゆめみは飲み込みが早い。普段から勉強しているのだろう。前回手塚が貸したおすすめの参考書を元に、ゆめみが疑問に思う点を質問して答えていく行く形式で進んでいったが、勉強し始めたばかりとは思えないくらいに、レベルの高い内容となった。
ドイツ語での会話はしていないので、会話レベルは分からないが、すでに日常会話程度ならば問題は無いだろうと手塚は思った。

2時間ほどハンバーガー屋に滞在して、2人はお店を出た。

時刻は16時を過ぎていた。
何となく、みなとみらい駅に向かって歩き始めたものの、2人ともどこかゆっくりとしている。
お互いにまだ別れるのが惜しいと感じていたのだ。
ゆめみに関しては、まだ用意してきたプレゼントを渡せていない。タイミングを見計らっているうちに逃してしまっていた。

「ゆめみが帰るには横浜駅の方が都合が良いのでは無いか?」

手塚の言葉に、ゆめみはパチクリと瞬きをする。確かにゆめみの最寄駅に行くためには、横浜駅で乗り換える必要があるので、それは事実であった。しかしここからだと横浜駅には歩いて20分くらいかかる。
ゆめみが考えているうちに手塚は「俺も快速があるため都合がいい」と付け加えて、横浜駅の方へと歩き出した。
「方角は合ってるか?」と振り返る手塚に、ゆめみはにっこりと笑って隣まで小走りで駆け寄った。「うん」と頷くゆめみは嬉しそうで、手塚は少し安心した。

自分でもどうしてこんな行動に出たのか説明がつかない。ただ、もう少しだけ一緒にいたいと思ったのだ。
2人はわざわざ遠い駅を目指して歩き始めた。

「明後日から中国に行くの」
「奇遇だな、俺も今週末に修学旅行で台湾へ行くぞ」
「えっ、いつ帰ってくるの?」
「来週の火曜だな」
「私も帰国日は火曜日だよ」

「空港で会えたりして」と楽しそうに笑うゆめみに、手塚も優しく相槌を打つ。
他愛の無い会話が心地よいと感じた。

手塚は軽く目を閉じた。10月初旬の夕方は暑くもなく、寒くもなくちょうどいい気温で、散歩にはもってこいだ。ふと、頬を潮風が撫でるのを感じた。湘南育ちの彼女は、俺が考えていた以上に海に囲まれて育ったのだな、などという考えが頭を過る。

「なんか不思議な感じ」

ゆめみの言葉に、手塚はゆめみの顔を覗き込んだ。

「国光くんが横浜にいるのが、不思議」

ゆめみはもう一度繰り返した。そして、少し早足で前を歩く。
その後ろ姿を見ながら、手塚は空が広いなと思った。

東京には無い、開放感。

「好きだ」

手塚の言葉に、ゆめみは振り返った。
その顔は驚きに満ちていて、その後で頬が赤く染まる。

手塚はその可愛い反応に、自分が言葉足らずだったことに気がついた。
これでは勘違いされても仕方が無い。
横浜が好きだと言い直そうとして、
手塚はようやく気がついた。好きだと思っているのは、この場所だけでは無いこと。
この場所に、ゆめみと一緒にいるからこそ、居心地が良いと感じていること。

手塚は自分自身も高揚していることに気がつく。心臓の音がドキドキと脈打つ。
その感覚は。

そうして、手塚はようやく理解した。

自分が、ゆめみに恋をしていることに。

手塚の口から自然に笑みが零れた。
今まで気が付かなかったことが可笑しかった。恋をしていると気がつけば、いろいろと合点がいく。

ゆめみが家に来ていると知った瞬間に、走って帰ってしまったことや、距離が近くて心臓が跳ねたこと、思い返せば何度も体のサインがあったのに。

自分でも驚くほどに鈍感だ。

手塚が笑ったのを見て、ゆめみも赤い顔のままで嬉しそうに笑った。

「私も横浜が好きなの、だから嬉しい」

ゆめみの導き出した答えはそれだった。まさか手塚が自分を好きだとは夢にも思わないゆめみは、少し考えたのちにそう解釈した。手塚が否定しようと口を開けた瞬間。
ポタ、と空から水の粒が落ちて来た。

「雨?」

見上げると、いつのまにか青空に暑い雲がかかっている。

「走るぞ」

手塚がゆめみの手を掴んでそう言った。ドキドキする間もなく、大粒の雨が次々と落ちてくるのを見て、ゆめみ達は走った。

なんとか近くの商業ビルに辿り着き、屋根のある場所へと駆け込んだ。
2人が入った瞬間、ザーッと音がして、正にバケツをひっくり返したような激しい雨が降り出した。

「危機一髪だったね」

そう言って手塚を見上げるゆめみ。顔に張り付いた髪が色っぽいと思った。
そっとハンカチを出して、ゆめみの髪を拭く。繊細な髪やきめ細やかな肌がすぐそばにある。ゆめみは目を伏せてされるがままになっている。
また頬が赤く染まる。

可愛い。
このまま、その肌を寄せて。キスしてしまいたいと願った。

自分の願いを認識したところで、手塚はハッと動きを止めた。これ以上拭いてあげることが出来ずに、手を止めた。
ゆめみは「ありがとう」と言って、今度は自分のカバンからハンドタオルを出して、手塚の顔に付いた水滴を丁寧に押さえた。

そんな些細なやりとりでさえも、心を乱される。
手塚はそっと手で胸を抑えた。軽く目を閉じて平常心を保て、と念じてみるがうまくいかなかった。

チャリ、と金属音がして、手塚はまっすぐにゆめみを見た。するとゆめみはふわふわと嬉しそうに笑っている。
違和感に首元に手を当てると、シンプルなシルバーのネックレスが付いていた。
手塚が不思議そうにゆめみを見ると、そのピンク色の唇が開いた。

「誕生日おめでとう、国光くん」

手塚は目を見開く。
誕生日・・・。忘れていた訳では無い、認識はしていた、しかし、ゆめみに祝ってもらえたことがあまりにも嬉しくて、手塚は動揺した。

手塚はその動揺を隠すように、頭に左手を置いて、軽く息を吐いた。ゆめみはそんな手塚を不思議そうに見つめていた。
手塚はやがて心を決めたように、まっすぐにゆめみを見つめて「ありがとう」と言った。
それだけで、ゆめみの頬は薔薇色に染まる。

「どういたしまして」

その可愛い笑顔を見ながら、手塚は考えを改めた。好きだと認識したのだから、その想いを伝えることは当然だと思っていた。
しかし、それは出来そうにない、と思い直したのだ。何も無くてもここまで心を乱されるのだ、彼女の答えがイエスでもノーでも、きっと自分は平常心を保てないだろう。

『今は全国制覇する事しか頭にない』

先月、彼女にそう告げたことを嘘にしたくは無い。
そう思った。しかし、自分の気持ちを完全に抑えることは難しい。手塚は少し考えた後、口を開いた。

「ゆめみ、12月24日は空いているか?」

12月24日、恋人達のクリスマスイブである。ピンポイントでその日を指定して来たことにゆめみは少し驚いたが、まだ予定は入っていない。ゆめみはあくまで普通を装って「入って無いよ」と言った。

「俺の通っているドイツ語教室のクリスマスパーティーがあるのだが、良かったら一緒に行かないか?」

手塚の言葉に、ゆめみは正直少しがっかりした。変な期待をしてしまった自分を少し恥ずかしく思いながらも、「喜んで」とふんわり笑った。
どんな名目でも、クリスマスに好きな人と過ごせるのは嬉しいと思ったのだ。

しかし、すぐにこのタイミングで12月末の約束をしたと言うことは、次に会うのは2ヶ月半も先になるのだろうかと不安になった。

「別れる前に、次に会う日を決めておこうか」

ゆめみの憂鬱を手塚が察知したかどうかは分からないが、手塚が事務的にそう言って、ゆめみは少し安心した。

2人は11月の中旬にまた横浜で会う約束をして、別れた。

東京に向かう電車に乗りながら、手塚は今日のことを思い出していた。
次に会うのは1ヶ月後。自分らしくも無く、ふわふわと浮かんでいるような気持ちになる。
気を引き締め無いと、と思うが上手くは行かなかった。手持ち無沙汰になった左手が首元のネックレスに当たり、チャリと音がする。

ふと視線を下に向けると、そのネックレスに文字が彫られていることに気が付いた。

『Sieg』

ドイツ語で『勝利』と言う意味である。

『今は全国制覇する事しか頭にない』

ゆめみもあの時の言葉を重く受け止めてくれたのだ、そう思うと嬉しかった。
同時に気が引き締まるのを感じた。

ゆめみの想いに応えるためにも。

手塚はそっとそのシルバーを握りしめて、祈るように優しく瞳を閉じた。





(180727/小牧)→120

全てが終わったら、必ずこの気持ちを伝えよう。感謝と共に。




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