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(異国での夜に!乾杯!/柳•幸村•真田)
ガタンゴトン、ガタンゴトン、規則正しく響く音を聞きながら、ゆめみは窓の外をひたすらに眺めていた。
真っ暗ではあるが、ぼんやりと見える建物は見慣れた日本のものとは全く異なっている。ボロボロの建物からは壮絶な生活感が滲み出ていて、昨日まで滞在していた華やかな北京との違いに、ゆめみは戸惑っていた。
ここは中国の寝台列車の中。夜11時を過ぎたところだ。
ゆめみ達は海外研修で3日前に中国の首都北京へと到着した。それから2日間は、北京で北京大学の学生と交流したり、万里の長城等の観光をした。そして次は内モンゴル自治区のフフホトへと向かうため、寝台列車に乗っていた。
寝台列車では男女別の車両を使用するため、ゆめみは同じ班の幸村、柳、真田と離れて他の班の女の子達と一緒に寝台列車へと乗り込んだ。
最初は少し緊張していたゆめみだったが、車内は比較的綺麗で、立海の生徒は1つのキャビンに固まっていたため現地の人もおらず、快適な環境であった。
三段ベッドが並んでいる、そんな感じの席である。意外と寝心地も良く、すぐに眠れそうだと思ったゆめみだったが、10分経っても20分経っても夢に落ちることは出来なかった。
寝る直前までおしゃべりをしていた女の子達も、1人また1人と深い眠りに落ちていき、ついには同じキャビンの中で起きているのはゆめみだけという状況になってしまった。それも全く眠れそうに無い。
ゆめみは大きくため息を吐いて、起き上がった。せっかく海外へ来ているのだ、このまま天井を見上げていても仕方がない。
そうして、冒頭へと戻る訳だが、ゆめみはそっとキャビンを抜け出して、客室と客室の間にあるスペースで、窓の外を眺めていた。
中国という国は、フランス以上にゆめみの価値観や思考に影響を与えていた。
煌びやかな塔のような豪邸に住む人がいる一方で、廃墟のような崩れかけた家に住む人もいる。
その事実を、ゆめみは学校の授業やニュース等をを通じて知っているつもりでいた、しかし本当の意味では何も知らなかったのだ。
寝台列車は、ちょうど貧困層が住む田舎を走っていた。ボロボロの家があるかと思えば、遠くには電光が輝くビルもある。
ゆめみはそれをぼんやりと眺めていた。
少しの時間そうしていると、ふと肩にふわりとカーディガンをかけられたことに気づき、ゆめみは振り返った。
幸村だった。
幸村は目が合うと優しく笑って「眠れないのかい?」と聞いた。ゆめみはこくんと頷いた。
「景色を見ていたら眠たくなるかなと思ったけど、逆効果だったみたい」
ゆめみの言葉に、幸村もゆめみと同じように窓の外を見た。そして、その光景を見て考えるような顔に変わる。
何かを言おうと口を開いたが、すぐに閉じた。2人は窓の外を眺め続けた。
短いトンネルへと入り、窓にいきなり2人の顔が映し出された。その表情があまりにも同じように深刻で、2人は同時に吹き出した。
「なんだろう、この雰囲気」
「うふふ、なんかシリアスな気分になっちゃったよね」
幸村とゆめみは口々にそう言って笑った。
「見て」
トンネルから抜けた後の遠くの空を幸村は指差した。白い煙で街全体が覆われていた。
よく見ると、列車が進んで来た方角だった。
「北京だよ」
幸村はそう言った。
ショックだった。排気ガスだろうか?確かに空気は良くないと思っていたが、客観的に見ると壮絶な光景である。あの厚い煙に覆われた街に、数時間前までいたのだ。
「あれを悪だと思うかい?」
幸村の問いに、ゆめみは即答出来なかった。ここに来て、北京に住む人達と交流する前ならば拒絶していたかも知れない、しかし今はこの国に一種の愛着のようなものが芽生え始めている。
「健康に良いとは言えないけど」
ゆめみは考えながら口を開く。
「でも禁ずることは出来ない、でしょう?彼らにだって幸せを追求する権利はあるはずだし、より良い生活をするために石炭を燃やす必要があるのなら、それは止めることが出来ないかなって」
ゆめみの優しい考えを聞いて、幸村は頷いた。
しかし、その上で自分の意見を述べる。
「それでも俺は反対だな」
「違う方法で発展する道もあると思うから」わざわざ体に害のある方法を選ぶ必要はない、と幸村は述べた。
ゆめみはそれを聞いて「精市ならそう言うと思った」と儚く笑う。
「その方法を惜しみなく伝える技術者を各国から派遣すればいいのかな?」
「今だってある程度支援はしているから、その内容を見直せば」
ここで日本人中学生が2人で論議しても、答えなど出るはずも無い。
しかし、そんな風に議論するのは楽しくて、2人はこの国に来て感じたことや考えたことを思い付くままに話した。
相手が違う意見を持っているだろうことは承知の上で、言いたいことを言い合えると言うのは貴重だと幸村は思った。
こうして2人で文化や世界の話をしていると、1年前を思い出す。毎日2人きりで、これまでの人生で最もゆめみとの距離が近かった時間。
最近は柳や真田が間に入ることが多く、忘れていたこの感覚。相性の良さを再認識せずにはいられない。
ゆめみといるだけで、俺はこんなにも幸せだ。
ゆめみはどうなの?
どう感じている?
幸村が見つめていると、ゆめみはふんわりと笑った。
「1年前を思い出すね」
その瞳には、蛍光灯の光がチカチカと光り、潤んでいるように見えた。
ゆめみも俺と同じ気持ちでいてくれている。それが何より嬉しくて、幸村はたまらずゆめみに近づいた。愛おしさから頭を撫でようと手をかざした瞬間。
「幸村」と野太い声が聞こえて2人はビクッと肩を震わせた。
顔を上げると、真田と柳が立っていた。ゆめみとも目が合うと、真田は「ゆめみも一緒だったのか」と嬉しそうな表情を見せた。
「いつまでも席に戻らないから何かあったのかと思ってな」
「すまない、ゆめみとの話に夢中になってしまってね」
柳の言葉に答えながら、幸村は歯磨きに行くと2人に断った上で、このスペースに来たことを思い出した。
チラリと時計を見ると、間も無く日付が変わりそうだ。どうやら30分以上も話し込んでしまっていたらしい。
「ゆめみ、1人でここにいたのか?」
柳は危機感の足りなさを非難するような言葉に、ゆめみは「席でぼーっとしてるのもつまらなくて」と小さな声で答えた。
「ここは日本では無いのだぞ、誰かに襲われたらどうするつもりだ」
柳の小言にしゅんとしていたゆめみだったが、ため息混じりで「そう言う時は俺を呼んで構わない」と続いた言葉に、ゆめみはぱっと顔を上げて嬉しそうに笑った。「次からはそうするね」と柳と笑い合うゆめみ。
そんな2人を幸村はじっと見ていた。いつも通りの仲睦まじいやりとりである。自分と柳では過ごして来た時間も、立場も違う。嫉妬しても仕方ないと自分に言い聞かせ、視線を外した。
「姑娘、少[D:29239]」
中国語で呼びかけられ、4人が振り返ると、車内販売のお姉さんが何か買えと言わんばかりにこちらを見ていた。
こんな深夜に買う人などいるのか?と疑問に思うも、ゆめみが興味深そうにワゴンの中を覗き込んだので、他の3人も同様に中を見た。
チップスやお菓子、そして飲み物が詰まっている。
「せっかく集まったし、何か買って乾杯する?」
ゆめみの提案に、3人は小さく笑って同意した。何にしようかなと考えるも、飲み物はビールかコーラ、そして緑茶の三択だ。
この時間にコーラを飲む気にはなれず、4人はお茶を購入した。女の子のイラストが描かれている、中国オリジナルブランドのようだ。半透明のペットボトルから見る限りでは、ただの緑茶のように見えた。
「では、異国での夜に!乾杯!」
真田の掛け声に、4人は笑ってペットボトルを突き出した。そして、一斉に飲む。
しかし、飲み始めた瞬間。
真田はゲホゲホとむせ出し、幸村は手を口に当てたまま硬直し、ゆめみは極めて変な顔をした。柳だけが普通にごくんと飲み込んで、他の3人の反応を冷静に観察していた。
「なにこれ甘い」
最初に言葉を発したのはゆめみだった。
「げ、解せん・・・!」
「この破壊力、すごすぎるね」
真田と幸村も青い顔でそう言った。柳は涼しげな表情でもう一口お茶を飲んだ。
そんな柳を3人は驚きの表情で見つめていた。柳はフッと笑う。
「こちらで販売されているペットボトルの緑茶は加糖が主流だと知っていた、ここに記載もされている」
柳はそう言ってペットボトルのラベルに書かれた文字を指差した。
「か、加糖だと・・・!?」
真田は受け入れられないようで、頭を抱えてしまう。平然ともう一口飲もうとする柳の手をゆめみは止めた。
「蓮二、美味しくないよね?」
ゆめみの問いに「そうでもないさ」と柳は答える。「初めからそう言うものだと理解していれば、問題は無い」と柳は続けた。
「ゆめみの好きなほうじ茶ラテのようなものだと思えばいい」
その言葉に、ゆめみは少し納得した。緑茶に砂糖を入れるなんて考えられないとも思ったが、日本でもたまに冷たいほうじ茶ラテを買って飲むことがある。
ゆめみはゴクリと唾を飲み込んで、もう一度飲んで見ようと口をつけた。
口いっぱいに広がる緑茶の香りと、甘み。慣れない味ではあるが、確かにこう言うモノだと知っていれば飲めなくも無いと思った。
「むしろ美味しいかも?」
恐る恐るもう一口と飲み始めたゆめみを見習うように、幸村も一口飲んでみた。
先ほどのような衝撃は無かったが、やっぱり変な顔をする。
「うーん、俺は苦手だなぁ」
そう言いつつも、何度も口に運んでしまう。怖いものみたさと同じような心理だろうか?
結局、ゆめみ、柳、幸村は少しずつではあるが緑茶を飲み進めていた。しかし、真田だけは決してそれ以上口にしようとはしなかった。
「弦一郎、先入観を捨てれば悪く無いぞ」
「そうだな真田、挑戦せずに捨てるなんてお前の武士道に反するのではないかい?」
頑なに拒絶する真田に、柳と幸村は楽しげにお茶を勧める。しかし真田はどうしても受け入れられないようで、青い顔をしたまま小さく首を振った。
「誰に何を言われようが、加糖の緑茶など受け入れられん!」
「誰にだって苦手なモノはあるよね」
そんな真田にゆめみだけがふんわりと笑って味方した後、「じゃあ弦一郎のお茶は私が飲むよ」と手を差し出した。
「ゆめみ、すまん」
真田は顔を赤くしながら、ペットボトルを差し出した。
しかしそのペットボトルはなぜかゆめみの手に渡る前に幸村と柳によって止められた。
2人はこのままだと真田とゆめみが間接キスをしてしまうことに気付いたのだ。
その後、地味にそのお茶は誰が飲むのかで無言の争いになったが、柳が「あと5分で先生の見回りが来る」と言い出したためにその場はお開きになった。
ゆめみは大急ぎで自分のスペースに戻り、目を閉じた。先ほどまでの3人との愉快なやりとりを思い出して、ゆめみは自然と笑っていた。そうして穏やかな気持ちで眠りに落ちていった。
翌日。
寝台列車は内モンゴル自治区の主要都市フフホトへと到着した。
大きな銭湯施設で入浴とランチを済ませた後、一行はバスに乗り、さらに内陸部へと進む。
ゆめみはバスの規則的な震度が心地よくて、すぐに眠りについた。少しの間眠った後、隣の席に座っていた柳に優しく起こされ目を開けると、見渡す限りの草原が広がっていた。
「馬に乗るコツは非常にシンプルです」
バスを降りて集められたメンバーの前で、現地の遊牧民が乗馬の見本を見せてくれていた。
その動きに合わせて、今回の研修の引率の先生である金先生が説明をしてくれる。
「1つ乗る、2つ手綱を持つ、以上です」
これ以上に無いくらいにてきとうな説明である。
「ポイントは手綱を離さないことと、決して座らないこと、座った者は1週間はまともに歩くことが出来なくなりますよ」
さりげなく脅しが入った後、生徒たちがまだ騒ついている中で、1人1人に馬が引き渡された。
「くーあい(可[D:29233])」
遊牧民に引きつられてゆめみの目の前に現れた馬を見て、ゆめみは可愛いと嬉しそうな声を上げた。
限りなく金に近い茶色い馬である。長いまつ毛が愛らしい。
「它叫什[D:20040]名字?」
ゆめみが中国語で馬の名前を聞いたものの、遊牧民の青年には意味が分からなかったようで不可解な顔をされる。
ゆめみは言い直そうと再度口を開くが、それよりも先に隣の馬に乗った柳が青年に声をかけた。
柳の口から出た言葉は中国語では無かった。恐らくモンゴル語だろうか、青年は柳の問いに興味無さそうに短く返事を返し、事務的にゆめみを馬に乗せる手伝いをした。ストン、と馬に乗った後、彼は他の生徒をサポートするために、その場を離れた。
同じ視線になった柳の顔をゆめみは見つめる。
「何だって?」
「馬は馬だと、名前を付ける習慣は無いようだな」
「ふーん」
ゆめみは柳の回答を聞いて「じゃあキャロルにする」と言ってにこっと笑った。そんなことを言うゆめみは相変わらず可愛らしい。
柳は目を細めながら「いい名前だな」と言った。
「蓮二のは?」
「ん?あぁ、ゆめみがつけてくれて構わない」
ゆめみはその大きな瞳で柳の馬を見つめる。どうやらゆめみと柳の馬は兄弟のようで、毛並みの色合いや顔つきが似ていた。
ゆめみの馬がキャロルなのだから、自分の馬はキャルロットかキャメロンか、などと思考を巡られていたが、ゆめみの「ふでお」と言う一言で全てが台無しになった。
「蓮二の愛馬と言えばふでおかなって」
「それはアルパカ牧場でのアルパカの名前だろう」
柳が思わず突っ込みを入れると、ゆめみは「覚えてた?」と嬉しそうに微笑んだ。
ゴールデンウィークに会ったアルパカと同じ名前を付けられた馬は、それでも嬉しそうにゆめみの「ふでお」の呼びかけに首を振った。
きゃあっと1年生の女子達から黄色い声が上がり、ゆめみと柳が振り返ると、黒馬に乗った真田と白馬に乗った幸村が見事なコントラストで並んで立っていた。
真田は戦国時代の将軍のようで、幸村はまさに白馬の王子さまと言った出で立ちだ。
先に馬を手に入れた2人はすでに少し歩いてみたようで、満足気な表情を浮かべていた。
「蔵の形が独特で苦労するかと思ったが、なるほどこれはこれで乗りやすいものだ!」
「頭のいい馬だな、よく訓練されている」
乗って数分ですでにそんな発言をする2人に、ゆめみはこのメンバーで乗馬初心者は自分だけだと悟った。
と言うゆめみも、父親の行きつけの乗馬クラブに一度連れて行ってもらったことがある。しかしそこの蔵は西洋式で、お上品に座っていれば誰かが引いてくれるというものであった。
「置いていかないでね」
泣きそうな顔でそう言ったゆめみに、3人は笑った。そして、幸村と真田が「もちろんだよ」「無論、共に走ろう」と声をかけながらゆめみ達を追い越す。
まもなく草原への旅が始まろうとしていた。ゆめみが不安気に柳を見つめると、柳は安心させるように穏やかに笑った。
「心配はいらない、キャロルが離れることを許さないはずだ」
「では出発、並足!!」金先生の掛け声に合わせて、馬が一斉に歩き出した。
すぐに柳の言葉の意味を理解する。
馬は集団で走る習性があるようで、何の指示を出さなくとも、ゆめみのキャロルも前を走る幸村や真田の馬に付き従うように歩き出した。
集団を囲むように、遊牧民の人たちが見守ってくれてはいるが、1人1頭の馬を操っている。
自由だ、とゆめみは思った。
ワクワクした。
視線が高い。どこまでも続く草原が綺麗だと思った。
A班であるゆめみ達は先頭を走っており、後ろを振り返れば、何十頭という馬の集団が付いて来ている。
「ゆめみそろそろ走るぞ、捕まれ」
後ろを見ていたゆめみに、柳は声をかける。
「もう少し前屈みで、両足でしっかりと蔵を挟め」という柳の指示に従って、ゆめみはぎゅっと足に力を込める。
蔵に座ってはいけないというのはなかなかに厳しいとゆめみは思った。常に立ち膝の状態で乗り続けることになるのだ。
「駆け足ー!」
慣れて来たところで、金先生がそう声を張り上げた。
グン、と馬が力強く地面を蹴る。
馬が走り出す。
その時、ゆめみは思った。
この馬という生き物は走るために生きているのだと。走っている、と言うよりも浮いている、そんな感覚に近い。
ゆめみは目を見開いた。
草原が輝いて見えた。
キラキラと輝いて、この草原は馬に乗って走っている時が一番美しく見えるのだと、なぜか妙に納得した。
初めは緊張していたゆめみだったが、すっかり馬に乗って草原を駆け抜ける爽快さに魅せられ、その瞳は輝いていた。
「並足ー!!」
草原を抜け、一部岩場になっている場所へとたどり着いた。足元が悪いため、ゆっくり歩くように、と金先生から指示があり、ゆめみも手綱を軽く引いてキャロルを落ち着かせる。
キャロルはゆめみの指示に素直に従い、速度を緩めた。
キャロルは走っている時にはぐれた柳の馬ふでおへと自然にすり寄って行った。
隣に来ると、柳は意外そうにゆめみを見る。
「ゆめみ、もう乗りこなしているようだな」
「うんん、キャロルが自分から来たんだよ」
ゆめみの回答に、柳はフッと笑う。
「なるほど、仲の良い兄弟なのだろうな」
「ふふ、なんかそういうの可愛いね」
ゆめみは愛おしそうにキャロルを撫でる。
「キャロルもお兄ちゃんに会えて嬉しそう、私も蓮二に会えて嬉しいな」
ゆめみの笑顔が可愛いと柳は思う。
「歌でも歌おっか」
「とお前は言う」
「リクエストはあるか?」という優しい柳の回答に、ゆめみは「もののけ姫!」と輝かしい笑顔で言った。
「じゃあ私から歌うね」とゆめみは宣言して、歌い始める。このように言った場合、ワンフレーズずつ歌うが暗黙のルールだ。
「はりつめた弓の ふるえる弦よ」
ゆめみの小さいけれど済んだ声が草原に響く。なんだかとてもこの情景にマッチしているように思えた。柳が続きを口にする。
「月の光にざわめく おまえの心」
とその時、幸村がゆめみと柳のすぐ後ろでその光景を眺めていた。
その仲良しっぷりに、穏やかではいられない。いつものことじゃないかと自分に言い聞かせるも、ドス黒い嫉妬と言う感情が渦を巻く。
『優先権は柳にある』
格好を付けて先に告白する権利を譲ったのは自分だ、しかし冷静にそう言えたのは、心のどこかでゆめみは承諾しないだろうと思っていたからだったと気付いていた。
『付き合おうと思ったの』
柳から告白されたら付き合うのか?と言う幸村の問いに、ゆめみはそう答えた。
幸いにも、まだ柳は告白をしていないようだが、それも時間の問題だ。
柳の告白を促したのは他でも無い、幸村本人なのだ。
自分で自分の首を絞めることになるとはね。
自虐的な笑みが漏れる。
「森の精もののけ達だけー」
ゆめみの優しい歌を聴きながら、幸村はやるせなさに目をぎゅっとつむった。
休憩を取りながら3時間ほど馬を走らせた後に、ゲルがたくさん設置された集落にたどり着いた。
ゲルとは遊牧民の伝統的な移住式の家である。テントような構造になっている。
そこで学生達は体を休め、一番大きなゲルで皆で夕食を食べた。ヤギ肉を使った質素な料理であったが、ここではご馳走である。
食事の後、ゆめみは真田、幸村、柳の宿泊するゲルに来ていた。
宿泊するゲルは男女別に分かれているのだが、就寝まで時間があったため、遊びに来たのだった。
10月の内モンゴルの夜は凍えるように寒かったが、ゲルの中は暖かかった。電気は通っておらず、蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。
ゆめみは真ん中に設置された鍋でミルクティーを温めていた。全部のゲルに配られたものである。
湯気が出ているミルクティーをおわんのような器によそって、真田、幸村、柳に手渡した。そして自分の分を手に持つ。
「ありがとう、ゆめみ」
幸村が丁寧にお礼を言うと、ゆめみは嬉しそうに「じゃあ乾杯しよっか」と笑う。
「これも独特な味付けがされていたりするのではないか!?」
寝台列車でのお茶がトラウマになったようで、真田が警戒するように言った。
「でも香りも良いし、すごく美味しそうだよ」
「山羊の乳が入っていると言っていたけど、そんなにクセはないんじゃないだろうか?」
それに対してゆめみと幸村がにこやかに返事を返す。しかし柳だけは「それは飲んで見てからのお楽しみだ、弦一郎」と意味ありげに薄く笑った。その柳の反応からただのミルクティーではないことは明らかだ。
しかし、ゆめみが明るい声で「乾杯!」と言ったために、全員おわんのような器に口をつけた。
一口飲んだ後の真田、幸村、ゆめみの表情は複雑そうだった。
「甘くない、ね」
「塩が入っているようだな」
「想像とは異なるが、飲めなくはない!」
ゆめみ、幸村、真田の順に感想を述べて、解説を求めるように柳を見た。
柳はフッと笑い「これはナイ茶と呼ばれる、固形の茶葉を鍋で煮出し、山羊の乳をまぜ塩で味付けされたものだ」と説明を始めた。
「冬は寒冷かつ乾燥地帯と厳しい自然環境だ、農作物は育たない、茶葉はビタミン、カフェイン、カテキンと貴重な栄養源だ、塩からはナトリウムも補給できる、生きるための知恵だろう」
柳の言葉に、3人は考えるような顔をした。
ゆめみはもう一口そのミルクティーを飲んで、微笑む。
「背景を知ると、慣れないこの味もすごく貴重に思える、教えてくれてありがとう蓮二」
ゆめみの頭を柳は優しく撫でた。そして柳の穏やかな「お前が何を感じているか、教えて欲しい」という言葉に、ゆめみは頷いた。
「日本が遠いなぁって」
物理的にも、精神的にもとゆめみは思った。
「日本では当たり前に手に入ることが、ここでは手に入らない」
ゆめみの言葉に、幸村も考えるような表情をして続けた。
「そうだな、いかに普段たくさんのモノに囲まれて生きていたか思い知ったよ」
ゆめみが頷いて同意する。
「うん、それが良いことだと言い切れないけど、私たちは恵まれているよね」
「だが、ここにしか無いものもあるだろう」
真田の言葉に、ゆめみは「私もそう思った」とにっこりと笑う。
「私はここが好きだよ」
ゆめみの言葉に、3人の表情も柔らかくなる。
トントンとドアを叩く音がして「ゆめみちゃん、そろそろゲルに戻ろう」という声が外から聞こえて来た。
昨年同じクラスだった真冬である。真冬も彼氏である春巻のゲルに遊びに行っており、一緒に戻ろうと約束をしていた。
ゆめみは名残惜しそうにしながらも「おやすみなさい、また明日ね」と言って、ぱたぱたとゲルを出て行った。
しばらく3人で話をしていたが、真田が寝ると言い出したので、3人は布団を敷いて横になった。
真田、幸村、柳の順である。
蝋燭の火を消すと、辺りは暗闇に包まれる。
すぐに左側から規則的な寝息が聞こえて来た。真田は相変わらず寝るのが早いな、と幸村は思った。
一度横になると、泥沼に沈むように体が重く感じた。慣れない乗馬や寝台列車での旅で肉体は疲れているのだろう。それなのに、目を閉じても興奮が解けないままだった。
真っ暗であるせいか、そして静か過ぎるせいか、あまり良くないことばかりを考えてしまう。幸村の今の最大の不安、つまりはゆめみと柳のことだ。笑い合う2人を思い出しては胸が引き裂かれるような気持ちになる。
幸村は眠れずに右から左へと寝返りを打つ。
「眠れないのか?」
その拍子に淡々とした低い声が聞こえて来て、幸村は「柳もかい?」と返した。
「ああ、体は疲れているのにな」
暗闇のため、柳の顔は見えない。しかし少し笑ったのを感じて、幸村も「不思議だな」と口元を緩めた。
柳の顔が見えないからだろうか。気がつけば幸村は言葉を投げかけていた。
「ゆめみに告白する件はどうだい?」
正確に言えば、幸村はゆめみが柳の気持ちに気付きかけたことを知っているため、なんらかのアプローチはしたのだろうなと予想を立てていた。
柳は少しの間沈黙した。真っ暗のため、それが気分を害したためなのか、考えているのか判別がつかない。相手は柳なので例え明るい太陽の下であっても分からなかったかも知れないが。
「すまない、気になってしまってね、もし話したくなければ強要はしない」
沈黙に耐えかねて幸村がそう言うと、「いや、お前には知る権利があるだろう」と前置きをして、柳は話し出した。修学旅行中に一度告白をしたが、ゆめみは友達としての好きと判断したこと。しかし、ゆめみの反応に若干の変化が見られること。
「精市に譲ってもらったにも関わらず、時間がかかってしまって申し訳ない」
「それは気にしなくて構わないよ、急かすつもりは無いんだ」
「いや、精市の好意を無にはしない、日本に帰るまでは真実を伝えてみせる」
幸村はその回答に落胆した。その心の変化から本当は『むしろこのまま告白して欲しくない』と願っていることに気がついた。
手塚との仲が気になって、その前にと思ったのだが、柳と付き合うくらいならフリーのままでいて欲しい。そんな自分勝手な考えが頭を支配する。
その時、幸村ははたと気がついた。
自分はゆめみが柳から告白されたら承諾するということを聞いている、本当の友人ならば、その事を告げて「だから頑張れ」と勇気付けるべきなのではないか、と。
そのことに気が付いた瞬間、幸村の体に悪寒が走った。言わなければ、言ってあげるべきだ、そう思うも、言葉が出ない。
まるで全身が言う事を拒絶しているようだった。
幸村の葛藤を察知してか、柳は静かに口を開いた。
「気遣いは無用だ精市、お前にとって酷な話であることは承知している」
幸村の心臓がドクンと跳ねた。
「俺の告白の勝率は高いのでは無いか、と最近では考えるようになった、ゆめみの性格を考えればわかることだが」
柳は構わず続ける。
「しかし恋人になれることと、ゆめみに真の意味で好きになってもらうことでは意味合いが異なる、このままゆめみの気持ちを無視して自分の気持ちを押し付けることに抵抗もあった」
「だが、精市にもらったチャンスだ、もう逃げはしない」柳はそう言い切った。
柳は勝率が高いことを知っていた、つまり幸村から伝える必要は無かった。それなのに、幸村の気持ちは更に重たくなった。柳が自分との約束を頑なに守ろうとしてくれている、その柳の誠実さが、今の幸村には逆に辛かった。
『俺は狡い』
そんな言葉が脳裏をよぎる。聞きたくない。それは正義感の強い幸村には否定したいことだった。
「精市?」
気がつけば幸村は耳を塞いでいた。
「精市、頭が痛むのか?」
暗闇に目が慣れて来た柳が、突然耳を塞いだ幸村に声をかけた。柳からは頭を抱えたように見えたのだった。
「いや、眠たくなってしまってね」
幸村はやっとの想いでそう言った。
暗くて良かったと思う。自分が今どんな顔をしているのか、自分でも怖くて知りたくないと思った。
「明日も早い、寝るとしよう」
柳は少し考える間があったが、静かにそう言った。
幸村は耳を塞いでいた両手を胸の前でクロスさせた。そして、自分自身を抱き締める。
寒い。
ゆめみがミルクティーを淹れてくれた時は暑いとすら感じたのに。
その悪寒が疲れのせいなのか、精神的なものなのか分からず、幸村は瞼を閉じて早く朝になって欲しいと願った。
ゆめみに「おはよう」と微笑みかけてもらえれば全て些細なことに思えるはずだ。
そんなことを考えながら、幸村はひたすらに目を瞑っていた。
(180818/小牧)→121
時間が戻せればいいのに。