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(精市を揺らさないで/立海all)

「たるんどる!全くお前と言う奴は王者立海テニス部の恥だ!」

真田の怒鳴り声が海風に乗って、海を越えちゃうんじゃないかとゆめみはそんなことを考えた。

10月下旬。
ゆめみ達が中国から帰って来た翌週の金曜日。来週の月曜日から期末テストがあるため、部活は休みであった。
そんな貴重な日の放課後、ゆめみは立海テニス部2年生レギュラーである真田、幸村、柳、仁王、柳生、丸井、ジャッカルと1年生レギュラーの赤也、そしてゆめこと一緒にいた。
バスから電車に乗り換えるために、駅に向かって海岸横の一本道を歩いていた。

「お前は昨日もテニススクールでテニスをしていたらしいな!」
「へへっ、天才の俺も努力してるんスよ」
「たわけ!テスト前休みに勉強しない奴があるか!何のために部活が休みなのか考えてみれば分かるだろう!」

先頭を歩くのは真田と赤也だ。
このメンバーが一緒に歩いている理由。それ はテストに向けて一緒に勉強するためなのだが、一番は1年生エースの赤也の英語赤点を阻止するためなのである。
赤也は入学以来英語の赤点を取り続けており、そのことが真田の耳に入ったのだった。

「王者立海テニス部レギュラーが赤点を取るなど言語道断!」と真田は言い切り、「レギュラー全員でそれを阻止する!」と宣言した。
そうして、他のメンバーは巻き込まれる形でここにいた。もっとも週始めの日曜日に英語の課題を手伝わされたゆめこと丸井はことの深刻さを理解していたが、ゆめみはあまりピンと来ておらず、ただゆめこと柳が行くからという理由でついて来ていた。

「お前は文武両道という立海の理念をだな」

バスターミナルから駅へ続く大きな橋を渡っても、真田のお説教は続いていた。赤也は何を言い返しても無駄だと察知したのか、俯いて小さくなってしまっていた。
その後ろを柳、幸村が並んで歩いており、更にその後ろをゆめみとゆめこが歩いていた。
ゆめみは最初こそ真田が怒っている珍しさからその受け答えを眺めていたものの、飽きてゆめこと「テストが終わったら何して遊ぼうか」なんて呑気な話をしていた。

「ゆめみ、そろそろ止めてくれないか」

ふと柳が振り返ってそう言った。
ゆめみはその柳の言葉に、これは止めるべき事項なんだなと思う。きょとんとしているゆめみに、柳は「この調子では乗客に迷惑だ」と続けた。いつの前にか乗換駅に到着しようとしていた。

人も増えて来ており、たしかにこのままでは迷惑になるかもしれないとゆめみも思った。柳と幸村の間に入る。そして「弦一郎」と声をかけた。
真田はヒートアップしており、「全くお前という奴は」と大声で言いかけていたが、ゆめみの声が聞こえた瞬間にピタリと言葉を引っ込めた。
真田はすぐに後ろを向いてゆめみを見た。
ゆめみはにこりと微笑んだ。

「弦一郎の想いは十分伝わったと思うわ」

ふんわりと微笑むゆめみに、真田は少し頬を染めて。今は被っていない帽子を深く被り直すように自分の前髪に触れた。

「うむ、そのようだな」

簡単に怒りを収めた真田に、赤也は不思議そうな顔をしたが、今がチャンスとばかりに後ろを歩いていたゆめこと丸井、ジャッカルの後ろに隠れた。
その逃げるようなずる賢い行動は、真田の神経を逆撫でするものであったが、怒りを再び爆発させる前に、駅に到着した。
柳が半ば押し込むように真田を改札へとリードすると、真田は何か言いたそうにしていたものの、結局その口を閉じた。

ちょうど電車が到着して、メンバーは乗りこんだ。

ガタンゴトン、ガタンゴトン

規則正しく揺れる電車。1番後ろの車両に真田、幸村、柳、ゆめみが乗っており、少し離れてゆめこ、丸井、ジャッカル、柳生、仁王、そして真田に隠れるように赤也が乗っていた。

車内はほどほどに混んでおり、メンバーは全員立っていたが、一駅目で席が数席空いたため、柳はゆめみを座らせた。
ゆめみは申し訳無さそうにしながらも、「ありがとう」とお礼を言って、席に腰を下ろす。

幸村はそんなゆめみを真っ直ぐに見つめていた。ゆめみ越しの電車の窓から海が見える。その海が異様に眩しく見えて、幸村は目を細めた。

やけに頭がぼーっとした。幸村の目に映るゆめみはいつも通り。楽しげに言葉を紡いでいる。しかし、その内容が頭に入ってこない。

不思議で不快な感覚だった。
まるで自分だけが見えない水槽の中にいるようだった。

音が、光が遠くなる。
そして、息が、出来な・・・

「精市?」

幸村がハッと顔を上げると、ゆめみが不思議そうに幸村の顔の前で手を振っていた。

「俺、どうしてた?」

幸村の問いに、ゆめみは首を傾げる。

「ぼーっとしてたよ?」
「すまない、疲れているのかな」

幸村はなんでも無いようにそう答えたが、本当は戻って来れたことに心から安堵していた。
何故だかわからないが、もう二度とゆめみと同じ空間には戻って来れないような、そんな気がしたのだ。
ドクドク、と心臓が脈打つ。嫌な予感は消えなかった。
それでも心配かけまいと、幸村は「で、何を話してたんだい?」と話を振る。

「これから行く精市の家の話だよ、奈苗ちゃんに会いたいなぁって話してたの」

幸村は今まさに自分の家に向かっていることを思い出した。この人数で勉強会ということで、幸村が場所を提供することになったのだ。

「ななも喜ぶと思うよ」

幸村はそう返事をして、窓の外をもう一度見る。電車は本来ゆめみや柳、そして真田が降りる駅を通過していた。
窓の外に目を移すも、木々に阻まれて海はもう見えなかった。
あの眩し過ぎる光景は何だったのか。幸村はモクモクと膨れ上がる不安に気が付かないふりをして、軽く目を閉じた。

ゆめみは、そんな幸村を瞬きもせずにじっと見つめていた。
自分でも説明が出来ない。しかし、目を離してしまったら、消えてしまいそうだと、そんな予感がしたのだ。

「ゆめみ?どうした、怖い顔をして」

柳がゆめみの不自然な態度に気がつき、軽く肩を小突いた。
ゆめみはそうして、やっと幸村から目を離し、不思議そうに目をこすった。

「なんだかね、精市が」

続く言葉は『消えてしまいそうに見えて』だった。しかし、ゆめみはその言葉を発することが出来なかった。
幸村や柳、真田に配慮してのことではない。
ゆめみ自身がそれを言葉にすることで、それが本当になったらどうしようという不安が過ったのだ。

冷静に考えてみれば、それがいかに非科学的なことであるかはわかるだろう。
1人の人間が消えてなくなることなど、ありはしないのだから。
しかし、その不安を払拭出来ないほど、ゆめみの瞳には幸村は儚く、そして頼りなさげに映っていた。
どうして、そんな風に思うのか、ゆめみにも分からなかった。

『次はーー駅』

ゆめみの中途半端な言葉は、幸村の家の最寄駅に到着したアナウンスによって流された。
降り遅れ無いようにと、ゆめみは真田と柳に続いて足早に電車を降りた。
この駅で降りたのはたまたま彼らだけだったようで、1番端の車両に乗っていたゆめみが降りると、ゆめこ達は既に降りて改札に向かっていた。
じゃれ合いながら歩くゆめこ、丸井、ジャッカル、柳生、仁王、赤也の後ろ姿を眺めながら、ゆめみ達も歩き出す。規則的に全員お揃いのチェックのマフラーが揺れていた。

この駅に来るのは約1週間ぶりだった。先週の水曜日に学校を休んだ幸村のお見舞いに来たのだった。
あの時は心配で胸が潰れそうだった、とゆめみはそんなことを思い出して足を止めた。
前を歩く真田と柳との距離が開いて、ゆめみは幸村が視界にいないことに気が付いた。

先程の悪い予感がまた胸をかすめて、ゆめみは振り返る。
幸村は電車を降りていた。
そのことにほっとする間もなく、ゆめみは幸村にまっすぐに向き合って、その瞳を大きく見開いた。

また、だ。

急に幸村の存在そのものが、虚ろに感じられる。消えてしまいそうだ、とゆめみは再びそんなことを思った。
その瞳には何も映っていないようで、不安になる。

「精市?」

ゆめみは幸村の名前を呼んだ。さっきみたいに、なんでも無いように返事をして欲しいと願って。

しかし、幸村は返事をしなかった。代わりにその瞳を閉じて、ぐらりと前へ倒れた。

どさ、と嫌な音がして、幸村は前へ倒れた。
続けて肩に掛けていた重いスクールバッグが地面に落ちる音がホームに響いた。

その音で、前を歩いていたメンバーが振り返った。

「幸村!!」

数秒の後に、最初に大声を張り上げたのは真田であった。
真っ先に駆け寄って、その重たいスクールバッグを避け、幸村を仰向けにする。

その表情は蒼白く、生気が全く感じられないものであった。幸村は目を閉じており、眠っているようにも見えた。

他のメンバーは、すぐには状況が掴めず根が生えたように、その場に突っ立って幸村を眺めていた。
ゆめみも同じように動けずにいた。

真田は再び「幸村!幸村!!」と名前を呼んだ後、反応が無いことを見て、メンバーへと顔を上げた。

「早く救急車を呼ばんか!!」

その真田の具体的な指示に、事の重大さを理解する。
柳が素早く携帯を出して119を押した。
それと同時に、他のメンバーも動き出す。

皆が動き出す中、ゆめみだけは動けないでいた。現実を受け入れることが出来ずに、気が動転していた。

柳生、仁王、ジャッカル、丸井、ゆめこ、そして赤也が幸村の近くへと駆け寄った。
その中でも赤也が持ち前の瞬発力を生かして、一番に幸村にたどり着いた。

「幸村部長?幸村部長!!冗談っスよね!?」

半ば混乱した赤也は、幸村の肩をゆすり始めた。

「精市を揺らさないで」

その瞬間、ゆめみの悲鳴にも近い大きな声がホームに響く。やっとゆめみの脳が動き出したのだ。

普段穏やかなゆめみの大声に驚いた赤也は、ぱっと幸村から手を離す。そこをすかさず柳生が間に入り、「脳溢血や脊髄損傷の可能性のあるので、不用意に触れてはいけません」と補足した。
ゆめみはその隙に幸村の隣へと駆け寄り、「精市、精市」と耳元で呼びかける。表情と指先に変化が無いのを確認して、口元に顔を近付ける。呼吸があることを確認して、少しほっとしたように柳生を見上げた。

「呼吸有り、意識無し」

柳生はゆめみがその後、脈を確認し始めたことを見て、ゆめみの両親も医者であることを思い出した。柳生の親も医者であり、多少の心得があったのだ。
柳生は心細そうに見守るメンバーを見上げて、的確に指示を出す。

「丸井くん、ゆめのさん、駅員を呼んできたまえ!」
「ジャッカルくん、念のためAEDの準備を!」
「真田くん、幸村くんの両親に連絡、持病の有無を確認したまえ」
「仁王くんと切原くんは」

「わかっとる、誘導じゃな」柳生が指示を出す前に、仁王はそう言った。ホームにはチラホラと野次馬が集まって来ていた。
まだ呆然としている赤也を促し、仁王は駅員が通れるよう、ルートを確保した。
その隣では、柳が救急隊員に現状を伝え続けていた。

幸村が倒れてから、何分ほど経っただろうか。
5分から10分という短い時間だったにも関わらず、メンバーにはとても長い時間に感じた。

ようやく救急車が到着し、付き添いとして真田と柳が乗り込んだ。他のメンバーはタクシーに乗り込み、少し遅れて病院へと到着した。


ゆめみ達が病院へと到着すると、『処置室』と書かれた部屋の使用中ランプが点灯していた。
その前に長いベンチがあり、真田と柳が深刻な表情でそこにいた。

ゆめみが泣きそうな表情で駆け寄ると、柳は安心させるように、ポンとゆめみの頭を撫でる。

まだ何も分かっていなかった。

ゆめみ達よりも先に到着した幸村の母親が、処置室に呼ばれて入って行った後は、何の連絡も無かったのだ。
処置室前の空間は、静寂に包まれていた。
メンバーはベンチに座ったっきり、誰も言葉を発しなかった。

痛いほどの静けさだとゆめみは思った。

こんな時間が永遠に続きそうな、そんな気がしてきた時、処置室の自動ドアが開いた。

全員、飛び上がってドアの先へと視線を移す。
少し遅れて、車椅子に乗った幸村がナースに押されて出てきた。
その後ろには幸村の母親百合子が付き添っている。

全員、心配そうな真剣な表情で幸村を見つめていた。

幸村はみんなの顔を左から順に見渡した後、口を開いた。

「みんな、すまない」

一呼吸置いて、幸村はくしゃりと笑った。
申し訳なさそうな、少年らしい笑顔だった。

「ただの寝不足だったようだ」

幸村の予想外の言葉に、全員の時間が止まった。
みんなの呆気に取られた顔が少し可愛いと幸村は思った。

「ゆ、幸村、それはどういう」

困ったような表情で真田がそういうと、幸村はまた申し訳なさそうな表情を浮かべて。

「体は異常無しとのことだ、連日のテスト勉強を頑張り過ぎたかな、反省しているよ」

とゆっくりそう言った。
それを聞いて、やっと安心したのか、メンバーは口々に「良かった」「心配したぜぃ」「驚いたぜよ」と言葉を口にする。

「心配をかけてしまったね」

幸村は柔らかく笑って、全員の顔を見渡した。そして、最後にゆめみを真っ直ぐに見る。ゆめみは堅い表情のままだった。

「もう大丈夫だ」

「だからそんな顔をしないで」と続けた幸村に、ゆめみはやっとぱちぱちと瞬きをして。
やっと笑った。
でも泣きそうな笑顔だと幸村は思った。

「週末はゆっくりと休んでね」というゆめみの言葉に幸村は素直に頷いた。

「でも、本当になんでも無くて良かった」

ゆめみは最後に小さな声でそう言った。


幸村は手続きがあるとのことで、他のメンバーは病院から駅までの道を歩いていた。

どこか重い空気が漂っていた。
しかし、それを誰も気付かせないように振舞っている、そんな微妙な雰囲気だった。

鼻唄混じりで機嫌よく先頭を歩いている単純な赤也は、幸村の言葉を文字通り受け取っていたが、他の2年生メンバーはやはり心に引っかかるものがあった。

ただの寝不足で、あのように倒れたりするものだろうか?

顔は青白く、遠目に見ても異常な状態であった。
それに彼は他でもない、幸村精市なのだ。
中学テニス界最強、神の子と呼ばれる、王者立海大附属の絶対的なエース。

そんな彼だからこそ、にわかには信じがたいと心の中では思っていた。
しかし、この場でそれを口にする者は居なかった。
何の確証も無いのだ、本当にただの寝不足であればいいと皆思っていた。

「じゃあ、オレ走って帰りますんで!お先に失礼するっス!」

先に赤也がそう言って列から飛び出して行った。そんな赤也の後ろ姿に喝を入れた真田であったが、赤也は調子良く「任せてくださいよー」と言ってすぐに見えなくなった。

他のメンバーは電車に乗り込み、真田、ジャッカルと丸井の順に降りて行った。
そして、ゆめみの家の最寄駅に到着し、柳生だけを電車に残して、ゆめみ、ゆめこ、柳、仁王が電車から降りる。

「ゆめみ、大丈夫?」

別れ際に、ゆめこはゆめみの顔を覗き込んでそう言った。
ゆめみの性格上、仲の良い幸村が目の前で倒れたことでショックを受けていない訳が無いとゆめこは分かっていた。

ゆめみは一瞬目を大きく見開いたが、すぐに強がって微笑んで見せた。

「ありがと、大丈夫だよ」

その瞳には涙が溜まっていたことに、3人とも気が付いていた。
もしこの場に柳とゆめこしかいなかったならば、もしかしたらゆめみは素直に「怖かった」と泣くことが出来ていたかも知れない。

しかしゆめみはなんでも無いような顔をして「テスト勉強頑張ろうね」と言い、最後まで笑顔を崩さなかった。





(181023/小牧)→124

怖いと口にすることが怖いの。




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