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(山ガールなんて珍しいと思わないかい?/手塚•不二•柳)
「はぁ、相変わらずのすごい絶景ね」
ゆめみはバスを降りて、歩きながらため息をついた。
11月末の祝日に、ゆめみは鎌倉にいた。
1人である。
幸村の病状は悪化の一途を辿っていた。
1週間前に真田と柳と幸村の家を訪れてから、幸村は手が不自由になった。
昨日訪れた時は、ただベッドに座っているだけの状態だった。
そんな状態になっても、幸村は変わらなかった。
穏やかにゆめみを受け入れて、ゆめみのするガーデニングの花や、フランスの話に相槌をうってくれた。
その胸にどんなに大きな悲しみや、苦しみを抱えているのだろう。
どうやってそれらを押し込めて、微笑んでくれているのだろうと考えると、胸が張り裂けそうになる。
自分が『病気の話はしなくていいの、楽しい話をしよう』と言ったことで、幸村に負担をかけているのではとも思った。
外はこんなに綺麗な世界が広がっているのに、部屋から動けない幸村のために、ゆめみは秋を届けてあげたいと思って、ここまで来たのだった。
紅葉した葉を集めてタペストリーにしたら素敵だろうと。
ちょうど1年前に、幸村と柳と3人で訪れた思い出の鎌倉に。
たった1年しか経っていないのに、ずいぶんと昔のことのような気がした。
あの時は何の悩みもなく、無邪気でそんな毎日が貴重で大切だったことにも気がつかなかった。
スマホが何度も鳴っている。
チラリと見ると、ほとんどのメッセージは柳からであった。
内1通はゆめこからで、スパイダーマンとのツーショットが送られて来て、ゆめみは笑顔になった。ゆめこは意外とマッチョ好きだったことを思い出す。
家族での大阪旅行を楽しんでいるようだ。
心が少しだけ軽くなる。
柳からは『どこにいるのか?』という場所を問うメッセージであった。
今日は通常通り部活に勤しんでいる柳に、ゆめみはここに来ていることを秘密にしていた。
言えば、一緒に行くと言ってくれるだろう。
でも、それはなんだかちょっと違う気がしたのだ。
精市に紅葉を届けた時、今年は蓮二と2人で行ったのと伝えたら、寂しい気持ちになるかもしれない。
ゆめみは柳に『ちょっと秘密のおでかけ、部活終わったら会おうね』と送って、マナーモードに変えた。
おそらく蓮二のことだ、私がここに来るかもしれないことを察したのかもしれない。
そして、心配してくれているのだろう。でも私だってもう中学2年生だ。
祝日で、歩いている人も多いので、危険は無い。大丈夫!
そう意気込んで歩き始めた。
綺麗な葉を集めることが目的であるので、こだわりはないが、
目指すはとりあえず山頂である。
「だいぶ離れちゃったね、急いだ方がいいかい?」
同じく鎌倉。
不二は隣の人物に問いかける。
「いや山頂で休息をとる予定と聞いている、山での無理は禁物だ、このままのペースで行くとしよう」
そう答えたのは、細い眼鏡の手塚国光である。山道を登っていると言うのに、息一つ乱れてはいない。
しかし山にいることで少し厳格な雰囲気が和らいでいた。
「わかった、巻き込んだキミには申し訳ないけど」
「問題ない」と返した手塚に、不二はにこと笑った。
青学は今日遠足で鎌倉に来ていたのだった。
不二の班の生徒が足を挫いてしまったため、この遠足の責任者生徒会長である手塚と一緒にその生徒をバスまで送り届けたところだった。
クラスメイト達とはだいぶ距離が離れてしまっていた。
これは山頂まで追いつくことは無いだろうな、と気楽な気持ちで山を登り始めた。
生徒会長である手塚は先生と連絡の取れるトランシーバーを持っており、何かあっても対応出来る。
手塚も不二もおしゃべりな方ではないため、特に話すこともなく、進んでいく。
すると、ずいぶんと先に、女の子が1人で登山している姿が目に入った。
ピンクの登山服が可愛いらしい雰囲気だ。
その足取りは少しふらふらと危なっかしい。
「彼女、1人で来たのかな」
不二は独り言のように呟いた。手塚も同じことを思ったようで短く「ああ」と返事をした。
その瞳は厳しく、単独登山の危険を知らないのかとでも言いたげた。
珍しく女性に興味を示した手塚に、不二は閃いた。
その子は歩くのが遅く、少しずつ距離が縮まっている。
「ねぇ、話しかけてみたらどうかな?」
手塚は「学校行事の最中だ」と呆れたような目線を不二に向ける。
「山ガールなんて珍しいと思わないかい?キミと話が合うかもしれないよ」
可能性は低いことは承知の上で、不二は手塚に彼女でもできればいいなと考えていた。
そうすれば失恋したゆめみを慰めることが出来るのに、とも。
そんなことを考えていたから、判断を誤った。
それは一瞬のことだった。
少し前を歩く彼女が足を滑らせたのだ。
そして、その瞬間、不二は女の子の正体に気がついた。
しかし体が動くより先に、手塚が走って行くのが見えた。
そんなに熱くなるなんて、キミらしくないよ
不二は自分の判断ミスが悔しくて、そう思った。手塚がふわりと受け止めた彼女は、ゆめみだった。
その大きな瞳に、涙をいっぱい溜めて、泣いていた。
しかし助けてくれた人が手塚だと分かると、驚いたように目をパチパチさせる。
「国光くん?」
手塚は無言でゆめみをまっすぐ立たせた。
そして、ハンカチを差し出した。
その姿はまるで王子様のようだった。
しかしゆめみは意味が分からなかったようで、不思議そうに手塚を見上げるだけだった。
不二はぐっと2人に寄って、手塚の手に握られた薄紫色のハンカチを取ると、優しくゆめみの涙を拭いた。
「大丈夫?ゆめみちゃん」
にっこりと優しい笑顔を浮かべる不二をゆめみは見て「不二くんも?」とさらに驚いた。
そして拭かれた涙の後を少しさわって、「あれ、私、泣いてたんだ」と呟いた。
その言葉に、ゆめみの深刻さを察知した2人は少し固まった。
本人は「なんか視界がぼやけるなって思ってたの」と呑気にそう言ったが、ゆめみをよく見ると、目の下にクマは出来ているし、顔色も良いとは言えなかった。
それでも心配かけまいと「あまりの景色の美しさに感動しちゃったのかな」と微笑んだ。
本当は昨年一緒に歩いた幸村のことを思い出しており、もう二度と幸村とここに来たりは出来ないのだろうか、なんて考えていたら泣いてしまったと言うのが事実なのであるが、ゆめみはそれをいうことは出来なかった。
手塚と不二が関係ない青学の生徒というのもあるが、それだけではない。
ここ1週間は、幼馴染の柳やゆめこにもあまり幸村の話をしなくなった。
言葉に出して、それが本当になったらどうしようという不安が大きくなっていた。
そして誰にも吐き出せない悲しみやストレスが、確実に溜まっていっていた。
「2人で登山に来たの?」
ゆめみの状態に呆気に取られていた手塚と不二は、ゆめみの問いに引き戻される。
不二は先に涙の理由を聞きたかったが、ゆめみが答わない雰囲気を出していたため、質問に答えることにする。
「青学の遠足でね、いろいろあって最後尾を歩いていたんだ」
「遠足かぁ、いいね」
不二はゆめみの「一緒に行かない?」の言葉を待っていた。しかしゆめみの次の言葉は「じゃあね、鎌倉の秋を楽しんでね」だった。
ふんわりと笑った顔はいつもより儚げに見えて、その体も小さく細く見えた。
何かあったことは明確なのに、それを一言も言わない彼女には、神秘的な魅力があった。
もしこれを計算でやっているのなら脱帽ものだが、おそらくそうではないだろう。
不二は心の底から『守ってあげたい』という想いがあることに気が付いた。
そう思うのは、自分がゆめみを好きだからなのか、よく分からなかったけど。
一緒に行こう、そう言ったら、頭の固いキミは反対するのだろうね。
不二は手塚の様子をチラリと横目で見た。
しかし手塚は何も動じる事もなく「山頂まで行くのだろう?一緒に行けばいい」と言った。
不二は開眼した。先ほど学校行事だとボクの案を一蹴したのはどこの誰だったかな?
そう思ったが、不二にとっても好都合なので「ボクは構わないよ」と続いた。
ゆめみは目に見えて困った顔をした。
きっと1人でここに来たのには何か理由があったのだろうな、と思った。
しかし、なんだか儚い雰囲気のゆめみを1人山の中に残すわけにはいかず、最終的には不二の「もしかしてお姫様だっこして欲しいのかな?」の一言に、ゆめみは申し訳無さそうに「私遅いけど、本当に大丈夫かな」と言った。
「問題ない、何かあればおぶってやろう」と言い切った手塚に、不二は手塚を二度見した。
その顔は真顔で、『規律を乱す事は許さん』と言っている時と同じ顔だったので、不二は空耳だったかもしれないと思った。
手塚、混乱するよ。
しかしゆめみはすぐに真っ赤になって「大丈夫、頑張って歩くから」と言ったので、不二は幻聴じゃなかったことに驚いた。
手塚、グランド走らせてばかりのキミの規律はどこに行ったんだい?
話がまとまったところで、3人は歩き始めた。
一瞬手塚の謎な発言で赤面したゆめみだったが、歩き始めるとまた少しぼんやりとしていた。
「先週の用事は済んだのか?」
沈黙を破ったのは、珍しく手塚だった。
その質問にゆめみは少し考えるそぶりをしたが、すぐに思い当たったようで「先週は約束していたのにごめんね」と謝った。
ゆめみと手塚は毎月手塚の腕の状態を確認するために会う約束をしていたのだった。
11月は先週末の約束だったのだが、幸村のことがあり、ゆめみは断ってしまっていた。
「謝る必要はないさ、ただ」
手塚は不自然に言葉を切った。
ゆめみが手塚の顔を覗いて言葉の続きを待っていると、手塚もゆめみを見て言った。
「ただ、残念だった」
それは寂しかった、という甘い響きに似ていて、ゆめみはぎゅっと胸を押さえた。
トキメキを抑え込もうとしたのだ。
ゆめみが赤くなってわたわたするいつもの様子に変わったのを見て、不二は逆に冴えてきた。
手塚、ボクはキミのことを理解出来ていなかったんだね。
不二にとって、手塚は中学入学時から道標であり、興味の対象であった。
一歩先を歩く手塚のことを観察して理解してきたと思っていた。
1年以上ゆめみとの関係を続けてきた不二であるが、手塚とゆめみのやりとりを近くで聞いたのは初めてだったな、と思った。
手塚もゆめみを好きかもしれない、と疑ってはいたが、こんなに露骨に態度に出しているとは思い付かなかったのだ。
これは間違いなく、両想い、いや両片想いだ。
そう気がついた不二であるが、当然引く気なんか無かった。
2人を観察するのにも飽きてきたので、さりげなく手塚とゆめみの間に割って入ることにした。
「ところでゆめみちゃん、もしかして葉っぱを集めているのかい?」
ゆめみの手には布製の簡易バックが下がっていた。
ゆめみは少し嬉しそうに、「綺麗でしょ」とバックを開けて中を不二に見せた。その中に色とりどりの葉っぱが入っていた。
「何か作るのかい?」
「そうよ、大きな布に貼って、葉っぱのタペストリーみたいにしたいの」
「へぇ素敵だね、手伝ってあげようか?」
不二はそう言って、空中でパチン、と手を閉じた。
「はい、1枚どうぞ」手を開くと、そこには紅い艶のある葉っぱが入っていた。
「すごい、魔法みたいね」
ゆめみは笑顔になった。
ここまでの笑顔は今日初めてのもので、不二の自尊心が満たされる。
ゆめみを笑顔にしたのは、手塚じゃなくてボクだよ、と。
ゆめみは受け取った葉っぱをくるくる回りながら「こんなに綺麗なものもあるのね」と言った。
不二はまたパチン、と空から落ちてきた葉を掴んだ。
「はい、どうぞ、地面に落ちる前の葉が1番綺麗だと思うよ」
「ありがとう、不二くん」
ゆめみは今度はカラクリが分かって、自分もやってみようと歩きながら空を見ていた。
しかし、なかなか見つけられないし、捕まえられない。落ちる葉を捕まえると言うのは、とても難しいと言うことが分かった。
「これでいいのか?」
2人のやり取りを見ていた手塚は、不二に習って落ちてきた葉を容易に捕まえた。
さすがである。
ゆめみが「ありがとう」と可愛く笑うので、手塚も不二もどんどんキャッチした。ゆめみも地面に落ちたばかりの綺麗な葉を見つけては袋に入れた。
登山を楽しみながらも、山のものを集めるのはとても楽しかった。
ゆっくり集めたつもりだったが、みるみるうちに袋は葉っぱでいっぱいになった。
「ありがとう、これくらいで十分だと思う」
ゆめみは嬉しそうに袋の中を覗き込んだ。
「葉っぱだけでいいのかい?どんぐりや松ぼっくりも落ちているよ」
「んー、でも虫さんが出てきたら嫌だから」
「なるほど」
不二の提案に、ゆめみは首を横に振る。
しかし手塚が「煮沸消毒すればその心配は無い」と言ったので、3人は歩きながら綺麗などんぐりや松ぼっくりを拾うことにした。
「教えてくれてありがとう、国光くんもどんぐりで工作をしたことがあるの?」
そう言って笑うゆめみはいつものゆめみで、手塚は安心した。
「ああ、小学生の頃の話だが
俺は一度失敗して、その後調べて得た知識だ」
「虫さんと会っちゃった?」楽しそうなゆめみに頷いてみせると、「小さい国光くんびっくりしたね」とさらに大きな口で笑った。
それが嬉しくて、手塚はさらに言葉を続けた。
「煮沸する以外にも冷凍庫で凍らせる方法もある、2週間くらいは置いた方がいいだろうが、楽ではあるな」
新たな知識と喜んでくれることを予想して、隣を見た。しかし、ゆめみは手塚の予想とは違う表情をしていた。
またその瞳に涙が溜まっていたのだ。
大粒の透明な涙があまりに綺麗で、手塚は一瞬時が止まったように感じた。
ゆめみはゆめみで、2週間という言葉に、また幸村を思い出していた。
タペストリーは幸村のために作ろうとしているものであった。それを2週間待ってから作ったらどうなるだろうか、と想像してしまったのだ。
ほんの2週間でほぼ寝たきりになってしまった幸村。次の2週間後にはどうなっているのだろう、と考えたくない、でも考えてしまう。
悲しいことばかり浮かんでしまう。
フリーズした手塚に対して、不二は全く違う衝動に駆られていた。
ゆめみの涙が綺麗で、甘そうで、魅力的に映っていた。
あぁ、もう止められない。
不二はそっとゆめみに近づいた。そして、少し屈む。
その後、ぺろり、と目の下を舐めた。
「!!」ゆめみが驚いて不二を見た。
不二は楽しそうな顔で唇をぺろりと出して「ごめん、甘くて美味しいね」と言った。
その笑顔は悪びれ無くて、ゆめみは混乱する。
「ゆめみ!」
ゆめみの涙にフリーズする手塚、
涙を舐めた不二にフリーズするゆめみ、
1人満足した不二、
と言うカオスな状況で、割って入ってきたのは、やはりと言うか、この男だった。
「ゆめみ、ここにいたのか」
淡々とした口調でそう言ったものの、珍しく額には汗をかいており、全力で走って来たのが伺える、柳蓮二であった。
その姿は立海芥子色ジャージであり、部活終わりに慌ててここに駆けつけたことがわかる。
遠くからここまでくる間は、ゆめみしか見えていなかったようであったが、近くに来て初めて青学の2人がいることに気がついて、眉間に皺が寄った。
と言ってもその表情の変化は微々たるもので、青学の2人が気づいたかは定かではない。
今年の青学2年の遠足が鎌倉であることを情報として知っていた柳は、特別驚きはしなかった。ゆめみと過ごしていただろうことは気に入らなかった。
しかし、泣いた跡のあるゆめみを見て、また泣いたのだな、と思った。
ふらふらのゆめみを助けてくれたのならば、感謝しなければ、と思い直す。
「うちのゆめみが世話になったようだ、礼を言う」
本当は『俺のゆめみ』と言いたいところであったが、ゆめみも聞いているところでそう言う勇気は無かった。
「いや、お前から感謝されることは何もしていない」
手塚がそう答えた。側から聞いたら嫌味のように聞こえるが、手塚は心からそう思ったのだ。
「お迎えが来たようだね、あとは任せたよ、ボクのゆめみをよろしく頼むね」
クス、と笑ってそう言う不二。こちらは嫌味のつもりで言っているので間違いない。
柳はため息を吐いた。
そして「ゆめみ、帰ろうか」と声をかける。
ゆめみはこくん、と頷くと、最後に「手伝ってくれてありがとう」と微笑んで、手塚と不二に手を振った。
その笑顔は無理しているようで、心が痛む。
ゆめみと柳は、少し会話をして山頂まで行かずに帰ることを決めたようだ。
遠のいていく後ろ姿を、手塚は時々振り返って見ていた。
何があったのか。
ゆめみに何か大きな悲しみが押し寄せていることは間違いがない。
自分には何も出来ないことが歯痒かった。
頼ってもらえなかったことにも。
先週末に約束をキャンセルされた日に、ゆめみの家までいってみれば良かった、と手塚は思った。
何も出来ないとしても、傷付いた好きな子のただ近くにいたい、と思うのは、自然なことだろう。
不二も時々、振り返ってゆめみの後ろ姿を見た。
怒らなかったな。
ゆめみの先程までの儚い笑顔が思い浮かぶ。
そして、3週間前の大きな口で笑う天真爛漫なゆめみを思い出す。
3週間前の彼女とは全く違う雰囲気だった。
涙を舐めたのに、怒らなかったことが、ショックだった。
つまらないな、と思った。
手塚と不二はこれから何回もゆめみの涙と儚げな笑顔を思い出すことになる。
その度に何も出来ないことにショックを受けるのだった。
ゆめみと柳はバスに乗っていた。鎌倉の紅葉が遠ざかる。
ゆめみはそれをぼんやりを見つめていた。
青学の2人と分かれた後は、いつもと変わらないゆめみだった。
もちろん、その内に秘めた感情を理解しつつも、拾った葉っぱを見せてくれたり、今日の練習の話を楽しそうに聞くゆめみを止めることはしなかった。
「余計なことだったか?」
柳の言葉に、ゆめみは振り返って柳を見つめた。
ふわり、と「なんのこと?」と笑う。
最近よくするようになった、この儚い笑い方が、幸村によく似ている、と柳は思った。
「1人で葉を集める気だった確率は100%だったからな」
「言わなくても蓮二が分かってることを説明した方がいい?」とゆめみは笑った。
そう言われて、確かにそうだと柳も思う。
ゆめみが幸村のために紅葉の葉で何か作ろうとしていたこと、それが幸村の気遣いから1人でやろうとしたこと、でも迎えに来てくれたことは嬉しいこと、全部柳は知っていた。
無言の柳に、肯定だと思ったゆめみは、そっと柳の手を握った。
「来てくれて嬉しかったよ、ありがとう」
続けて「秘密にしててごめんね、蓮二がいるから無茶できるのよ、ありがとう」とゆめみは言った。
暖かい気持ちになる。
言葉にして欲しかったのだと自分の気持ちを再確認した。
最近のゆめみは、違う男のことばかり考えているから、それが少し寂しかったのだろう、と自己分析した。
「最近こんなのばっかりだね」と笑う。
そう言えば最近俺がゆめみを迎えに行ってばかりだな、と柳も思った。
それはゆめみが今にも消えそうだからだ。
悲しみに沈んで消えてしまわないか心配だからだ。
そう思ったが泣かせてしまいそうで言えなかった。
ゆめみは最近ネガティブワードに弱い。
「ごめんね、蓮二」
何も言葉にしていないのに、ゆめみの目はうるうると潤んだ。
『ゆめみが生きていればそれでいい』
そんな言葉が浮かんだが、これも言えなかった。そんなことを言ったら、幸村を思い出させて更に泣かせることだろう。
しかし本心であった。
悲しみに、日に日に儚い印象に変わって行くゆめみを見ていたら、ただ生きていてくれればいいと思ってしまう。
ゆめみの肩をそっと抱きながら、幸村に何かあったら、ゆめみも消えてしまうのではないかと思った。
ゆめみを好きだと言うのなら、大切だと言うのなら、早く回復してくれ精市、と願った。
出来れば泣かせたくは無いが、それでも伝えないといけないことがあった。
今日幸村の母親から聞いた話だ。
「ゆめみ、精市の病気についてわかったことがある」
ゆめみは両手を口に当てた。
怖がっているようにも見えたし、期待しているようにも見えた。
「免疫系の病気、とのことだ」
ゆめみの第一声は「やっぱり」だった。
柳とゆめみでいろいろ調べる中で、免疫系かも知れないという結論に至っていたからだった。
特にギラン・バレー症候に症状が似ていると話していた。
「病名は分からないの?」
「詳しいことはまだのようだ、今血液を専門の検査機関に送って詳しく調べているとのことだった」
「入院することになるの?」
「結果が来て治療法次第だが、入院することになる確率が高い、今でも入院を勧められているらしいが、治療法が定まっていないため入院しても何も出来ないから自宅療養にしているとのことだ」
「そっか」
ゆめみはとん、と柳の肩に頭を乗せた。
「でも一歩進んだ、きっと系統が分かれば使える薬も出てくるはずよね」
少し嬉しそうだったが、予想通りゆめみのほほに一筋の波が流れる。
ゆめみは祈るように目を閉じた。
柳はそんなゆめみの肩を優しく撫でる。
「寝てもいいぞ、着いたら起こしてやろう」
あまり寝てないのだろう?とゆめみに言えば、ゆめみは肩に乗せた頭をさらに柳に寄せてベストポジションを探す。
「起こしても起きないかも」
寝る気まんまんなのに、目を瞑ってそんなことを言うゆめみ。
「その時は抱きかかえて帰ってやるから心配するな」
優しく前髪を撫でると目を閉じたまま、くすぐったそうに笑った。
「蓮二、大好き」
そう小さく言って、ゆめみは眠りの中へと落ちていった。
こんな時ばかりそんなことを言うゆめみが、愛おしくて小憎らしい。
そのほっぺを触っていたら、不用意に唇に触れてしまった。
ドキッとする。
いつもいつもこんな距離感で、俺がどんなに我慢しているか、ゆめみは知らないのだ。
悪いと思いながらも、そっと唇を撫でた。
可愛いピンクの唇が気持ちいい。
我慢出来なかった。
柳はそっとゆめみの唇に自分のを寄せて。
キスをした。
柔らかな感触が気持ちいい。
「っ、俺は何を」
我に返って赤面する。
ここは公共交通機関のバスの中だぞ。
自分のしたことに慌ててゆめみを見た。
しかしゆめみは幸せそうに寝ているだけであった。
一度してしまえば、少しは収まると考えていた欲は、さらに大きくなった。
何度でも唇を重ねたい、と思う。そして、舌を入れるような情熱的なものも。
「どうかしているな、柳蓮二」
そのあとは極力ゆめみを見ないようにし、日本語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、英語で1000まで数えると言う作業に没頭することにした。
(220610/小牧)→135
精市との約束を無にしてしまった