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(重大なことに気が付いてしまった/仁王)
12月2日、日曜日。
約束の日がやってきた。
時刻は13時を過ぎた頃、仁王とゆめこの二人は横浜駅の目の前にある商業施設にきていた。駅と連結していることもあり多くの人々が行き交っている。
アパレル店や、カフェ、レストランなどのテナントが数多く揃っているここには8階に映画館もあり、二人の姿はそこにあった。
「はい、仁王くん。チケット」
「ありがとさん」
発券機から出てきたチケットを仁王に渡し、ゆめこは「楽しみだねー!」と今にもスキップしそうな軽い足取りで歩みを進める。
今日は仁王の誕生日前祝いということで、彼が希望した映画を観に来たのだ。
巷で話題のゾンビ映画で、CMを見た時からずっと「見たい見たい!」と騒いでいたゆめこは、今日という日を心待ちにしていた。
もちろんゆめこが観たがっていたことを知っていた仁王の配慮なのだが、そんなことを彼女は知る由もない。
映画を提案した時「仁王くんもこういうの好きなんだね!意外」とゆめこはけらけら笑っていた。
「あ、仁王くん。ポップコーンとジュースも買おうよ」
売店に漂うキャラメルの甘い香りに誘われるように、ゆめこは仁王を手招きする。
「うーん」とメニューボードとの睨めっこもそこそこに、ゆめこは納得のいくものを見つけたのか次の瞬間にはパッと顔を明るくさせていた。
「キャラメルと塩のハーフでいい?」
「好きにしんしゃい」
弾けるような笑顔で振り返るゆめこに、仁王は思わず笑みがこぼれた。
一時はぎこちなかった二人の時間も今やすっかり元通りになっていて、仁王はそのことにも安堵していた。
わだかまりを解くためにあれこれ考えていた時期もあったが、一度二人で話してしまえばなんてことはない。水をかけられた雪のように気まずさはあっさり解けてしまった。
おどおどしているゆめこもそれはそれでレアではあったが、自然体でのびのびしている方が彼女らしくて魅力的だ。
そんなことを考えながら、仁王はゆめこの後につづいた。
お目当てのポップコーンとジュースを買うべく売店に並んでいる途中、仁王がさりげなく財布を取り出そうとするといち早く気付いたゆめこがその手を掴んだ。
「ダメダメ。今日は仁王くんが主役なんだから」
「そうは言っても、チケット代もお前さんが払ったきに」
「誕生日プレゼントだもん。いいでしょ?」
断固として譲る気配の無いゆめこに、仁王は「はぁ」と小さく息を吐き出す。
奢られっぱなしというのも気が引けるのう。
そんな風に思った仁王だったが、「今日は私にどーんとお任せあれ」なんて張り切ってるので、それ以上は何も言えなかった。
普段「ラッキー、奢って奢って」なんてみんな(主にジャッカル)におねだりすることが多いゆめこの珍しい意気込みなので、仁王はありがたく受け入れることにしたのだ。
それから無事にポップコーンとジュースを買って、二人は指定されたシアターへと足を進めた。
「こわいかな?ちょっとドキドキしてきた」
「どうじゃろうな。まー、年齢制限もついとらんし、平気じゃなか?」
「びっくりして大きい声出ちゃったらどうしよう」
口元に手を当てふふふと笑うゆめこ。
何気ない仕草がとてつもなく可愛らしい。
抑えきれない程の恋心に、仁王は「重症だな」と心の中で呟いた。
映画が始まってしまえばあっという間で、二人は一言も会話をすることなく鑑賞を終えた。
エンディングが流れている間ちらほら出て行く人たちがいたが、ゆめこ達は座ったままだった。
シアター内に明かりがつき完全に映画が終わると、ゆめこはようやく「はーーー!」と言って両手を上げておもいきり伸びをした。
「こわかった!」
「よう声出さんかったのう」
ゾンビがいきなり出てくる度にゆめこはびくりと体を揺らしていたので、仁王は人知れず笑いを堪えていたのだ。
「我慢したもーん」と得意気に言うゆめこの頭を仁王はポンポンと優しく撫でる。
途端に心地良さそうに目を細めて笑うゆめこはまるで猫のようだ。
仁王の手が離れると、
「お茶しに行こ」
とゆめこは明るく言って立ち上がった。
それから二人は同じビルの中にあるカフェにやってきた。
ボタニカルドリンクやスイーツがメインのお店で、なんとなくオシャレそう。というゆめこの意見でここに決まった。
先にレジで注文をするシステムだったので、ゆめこはカウンターでドリンクを待っている間、物珍しそうに辺りを見ていた。
店内は緑に溢れていて、色んな植物や花瓶が展示してある。花瓶には値札も付いているので、もしかしたら販売もしているのかもしれない。
そんなことを考えている内にドリンクが出来上がり、ゆめこと仁王はそれぞれ注文したものを受け取った。
ハーブや食用の花がふんだんに使われていて、そのカラフルな見た目にゆめこは「かわいい」と嬉しそうに言った。
窓際がガラス張りになっていて横浜の街並みが見下ろせる席があったので、二人は買ったものを持ってそこに腰を下ろした。
「幸村とゆめだが好きそうな店じゃな」
「私も今同じこと思った!今度みんなで来たいね」
ゆめこは自分で選んだフロートの写真を撮りながら「まぁ、いろいろ落ち着いたらだけど」と付け加えた。
その一言は幸村の病気を考慮してのものだった。
幸村が倒れてからもう1ヶ月程が経つが、幼馴染である柳情報によると、彼の病気は良くなるどころか日に日に悪化しているらしい。頻繁にお見舞いに行っているゆめみも最近はどことなく元気がないように見える。
せめてもの気分転換に、そんな想いも込めてゆめこはゆめみに写真を送った。
送り終えたところで、ゆめこは顔を上げて天井を見た。天井からも吊るされるように植物が飾られていた。
視界を埋め尽くすほどの緑が、店内のペンダントライトの灯りを浴びてキラキラと光り輝く。
「ゾンビ見た後には最適なお店だね、癒される」
先程観た血みどろパニック映画とはかけ離れた世界観に、ゆめこはリラックスしたようにそう言った。
「さっきの映画、ハッピーエンドってのは意外やったのう」
「ね!でも犠牲も大きかったよ。ああアンドリュー」
ゆめこは映画序盤で犠牲になった主人公の友人を思い出して悲しい顔をした。
「"俺が行く"って言った時点でフラグ立ってたけどな」
「あそこでわざわざ建物出て行くなんて一番やっちゃいけないやつだよねー」
「恋人を助けたかった気持ちは分かるが」
「ふーん」
「俺でも同じことをしたかもしれん」
「え、まじ?仁王くん真っ先に見捨てそうじゃない?」
きょとんとしてそんなことを言うゆめこに、仁王はムッと眉根を寄せる。そのリアクションを見てゆめこは慌てて「うそうそ冗談です」と笑いながら言った。
「悲しいのう。ゆめのには俺がそんな薄情な人間に見えとるんか」
「あはは、ごめんって」
悪びれもなくあっさりと謝罪するゆめこ。
しかし、「でも、じゃあ」と話が続いて仁王はちらりとゆめこを見た。
「仁王くんの彼女になった人は幸せ者だね」
ゆめこは満面の笑みで言った。
「じゃあその幸せ者にしてやろうか?」と喉まで出かかったがさすがに言える訳もなく、仁王は「どうかな」とだけ返した。
「あ、てかさ!話変わるんだけど。仁王くんって高校大学見学会参加する?」
映画の感想トークもそこそこに、ゆめこは思い出したように手を叩いた。
12月中旬、立海では希望者のみを対象に高校や大学の学部を見学できる機会が設けられている。
自由参加なのでゆめこは完全にスルーしていたが、同じクラスの丸井が参加すると言っていたのを聞いて少し焦っていた。
とはいえ参加申し込みは既に締め切られているので今更焦ったところで遅いのだが。
「参加予定ぜよ」
「えっ!」
「そんなに驚くことか?」
「だってー」
仲間を見つけたくて問いかけたつもりだったのに。
まさか仁王も参加するとは、ゆめこにとって想定外の返答であった。
「どこ見学するの?」
「工業高校の建築科」
「へー。あっ、そういえば仁王くんパパ建築関係のお仕事してるって言ってたもんね。もしかしてそこ意識してる?」
「少しはの」
「仁王くんはすごいなー、もう将来のこと考えてるなんて」
「ゆめのは?進路考えとるんか?」
「私やりたいことないや」
そう即答して、ゆめこはフロートを一口飲んだ。
立海の高等部に進んで今と変わらずゆめみと遊んで青春を謳歌する。当たり前のようにそう思っていた。
もしかして他のみんなも口に出していないだけで、心の内では目指すべき進路を見つけているのかもしれない。
そう考えたらなんとも言い難い複雑な気持ちになった。
「あえて言うなら専業主婦になってのんびり平和に暮らしたいかな」
「ゆめのらしいのう」
「やりたいことないのも考えものだね」
「そうか?焦る必要はなかろ」
「これから見つかるかもしれんし」とフォローされるも、ゆめこはうーんと頬杖をついて思い悩む。
「もし見つからなかったら、嫁にもらってやるぜよ」
「あはは!いいね、就職先決まったー」
仁王の魅力的な提案にけらけらと笑うゆめこ。
彼としては割と本気で言ったつもりだったのだが、ゆめこは冗談として受け止めていた。
「宝くじ当てるっていう野望はあるんだけどなー」なんて言いながらふざけるゆめこ。しかし急に何かに気付いたように真顔になった。
「どうした?」
「私重大なことに気が付いてしまった」
「言ってみんしゃい」
「工業高校ってことはさ、みんなと離れちゃうじゃん」
「そうやの」
「えー、寂しくないの?」
やけにあっさりしている仁王に、ゆめこはぶーと唇を尖らせる。
「校舎が違うってだけで、立海に変わりはないぜよ」
「そうだけどさ。マンモス校だもん、きっと会えないよ。いいの?」
いいの?と聞かれても。仁王は返事に困った。
寂しくないと言えば嘘になるが、それを理由に進路を変えることはないだろう。そもそも今だって、グループチャットで連絡を取り合って待ち合わせでもしない限り、偶然仲間達に遭遇することはほとんどない。そのくらい中等部は広いし人も多いのだ。
「お前さんも来るか?工業高校」
「行かない」
「そう言うと思ったぜよ」
ゆめこが即答すると仁王はにやりと笑った。
彼女らしい判断だ。
「高校が離れても、変わらないものがあるきに」
「ふふ、なに?そのなぞなぞみたいなノリ」
「なんだと思う?」
「んー?私たち9人の不朽の友情?」
「それも悪くないのう」
それ"も"ということは他に答えがあるのだろうか。ゆめこはうーんと首を傾げて考え込む。しかし彼女は諦めも早かった。
「教えてよ」
そう催促された仁王は怪しい笑みを浮かべ「聞いて驚くな」と前置きを入れる。ゆめこはうんうんと期待に満ちた顔で首を数回縦に振った。
「ゆめのの家と俺の家は、なんと隣同士じゃ」
「・・・で?」
今更何を言ってるの?ゆめこの視線はそう言っていた。
「その事実は変わらんじゃろ?」
「そう、だけどさ」
勿体ぶった割にごくごく当たり前のことを言われ、ゆめこは腑に落ちない顔をした。しかしそれは一瞬のこと。
「会いたいと思えばいつでも会えるぜよ」
そう続いた仁王の言葉に、彼女は目をぱちくりさせた。
何かがストンと胸に落ちてきたような、ちぐはぐだったパズルのピースがかちりと合ったような、そんな気持ちになった。そこでゆめこはようやく気付いた。
"寂しくないの?"
彼に問いかけたはずのクエスチョンは、もしかしたら自分自身に向けられていたのかもしれない。
仁王くんが別の高校行っちゃうの、やだな。
そんなこと言える訳もないし、言う権利もないのに。
心のどこかでそう思ってしまった自分がいる。
「俺はどこにも行かんよ」
「うん」
「ずっとゆめのの隣におる」
まるで魔法の言葉のよう、ざわざわとした胸の違和感がスッと消えていく。不思議だな、とゆめこは思った。
どう返事をしたら良いか分からなかったゆめこは、誤魔化すようにフロートを一口飲み込んだ。すっかり溶けてしまったアイスのせいか、買った時よりも甘い味が口いっぱいに広がる。
するとその時、テーブルの上に置いていたスマホがブブブと震えてゆめこはハッとした。
「あ」
画面を上にして置いていたこともあり、彼女はすぐにそれが着信だと気付いて声を出した。
固まったままスマホを見ているだけのゆめこを不審に思い、仁王も向かい側から画面を覗き込む。
そこに映し出された"寿三郎さん"の文字に彼の眉がぴくりと動いた。
「貸しんしゃい」
「え?」
返事をする前に仁王にスマホを取られ、ゆめこは「ちょ、ちょっと」と手を伸ばす。
しかしすぐにスマホを返されたので慌てて画面を確認した。
そこには既にホーム画面が映し出されていて、ゆめこは数秒考えた後、電話を切られたことに気が付いた。
「切っちゃったの?」
「今は俺とデート中じゃき」
しれっとそんなことを言う仁王にゆめこは「何その言い方!」とツッコんだ。
しかしその頬は赤く染まっている。
「ほう、そんなかわええ反応もできるんじゃな」
「もー」
"デート"
なんて単語を出され、ゆめこは変に意識してしまったのだ。頬を膨らませながら慌ててスマホを操作するゆめこを見て、仁王は愉しそうにくつくつと喉を鳴らす。
出る前に着信切りをしたことなど今まで一度も無かったので、寿三郎さんに変に思われる。と、ゆめこは焦っていた。
「メッセージ送っとく」
当たり障りの無い言い訳を打ちながらゆめこはそう言った。
あぁ、私また嘘ついてる。
先日仁王に言われた"俺との秘密は2つになったな"
という台詞がリフレインして、罪悪感がズンと重くのしかかった。
事故とは言え最初に裏切り行為をしたのは毛利だが、もしかして結果として彼よりも悪いことをしているのでは・・・?なんてゆめこは思っていた。
正直に話してくれた毛利と、こうして秘密を持ってしまった自分を天秤にかけてゆめこは胸を痛めた。
そうしてメッセージを送り終えたところで、もしかして今ならあのこと聞けるかも?とゆめこは顔を上げた。
勇気とタイミングが無くて先送りにしてきたあの話題。寝ても覚めても何度だって蘇る仁王とのキス。たとえ普段通り接していたとしても、彼女は決して忘れた訳ではなかった。
ゆめこはすーっと小さく息を吸い込むと「そういえばさ」と切り出した。仁王はゆっくりと顔を上げる。
「どうしてあの時キスしたの?」
ピリ、と僅かに空気が変わった気がした。
ゆめこの質問に、仁王の心臓がどくんと大きく波打った。ビー玉のように美しい大きな瞳が、真っ直ぐに自分を映し出す。
ガヤガヤとした店内の喧騒が急に遠くに聞こえて、まるでこの世界に二人だけが切り取られたような錯覚に陥った。
もし今ここで「好きだから」と答えてしまったら。
もしかしたら自分はスッキリして楽になれるかもしれないが、ゆめこはどうだ?
毛利とも仲直りできたようだし、彼女を困らせるようなことはしたくない。もっと言えば勝算もない。間違いなくフラれるだろう。
フラれて気まずくなって友達でもいられなくなる、そんな最悪のシナリオが頭を過ぎった。
一瞬の内にぐるぐると脳がフル稼働した結果、彼は自分の本音を胸の奥深くにある箱の中にそっと仕舞い込んだ。
「したかったから」
悟られないよう薄く笑った顔を貼り付け、仁王はそう言った。しばしの沈黙の後、思っていたものと違う答えが返ってきたからか、ゆめこは「なにそれ」と半笑いでツッコんだ。
彼女が笑ったことで、止まっていた時間が動き出したように周りの音が耳に入ってくる。
今はまだこれでいい。
仁王は自分自身にそう言い聞かせた。
「ゆめこちゃんがかわいく見えたきに」
仁王がふざけたように言うと、「あら今更気付いたのね」なんてゆめこも悪ノリしてしまって、結局話はそれ以上進むことはなかった。
どうやら深く追及されることもなさそうだ。張り詰めていた緊張の糸が緩み、仁王はほっと胸を撫で下ろす。
そうして安心しきった彼は、ゆめこが人知れずため息を吐いたことに気付かなかった。
(220611/由氣)→136
仁王くんって分かんないや