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(ほんまのことやんな/毛利)

その日、ゆめこはとぼとぼと帰路に着いていた。

いつも通りに始まった一日。当たり前のように通学し、これまた当たり前のように授業を受けて過ごしていた彼女の耳に届いたのは、信じ難い悲報であった。

幸村が再び倒れた。

10月末に一度救急搬送され、その後一度は学校にも復帰した彼だったが11月中は自宅療養を余儀なくなくされ、そして12月初旬の今日。彼はまた救急車で運ばれた。
家で意識を失い倒れていたところを母親が見つけ救急車を呼んだらしい。連絡を受けた学校側が幸村の母親の意思を尊重したことで、いつもの9人にだけその事実が告げられた。
ゆめみを中心に彼らは献身的に幸村のお見舞いに行っていたので、幸村の母親は何かあった時は真っ先にこの9人に伝えようと心に決めてくれていたらしい。

学校側の迅速な対応で9人は授業を中断し病院に向かった。集中治療室に運ばれていく幸村に投げかけられた真田の固い決意が何度も耳にこだまする。

「俺達は無敗でお前の帰りを待つ!!」

下を向いて歩いていたゆめこは、視界に映った地面がぼんやりと滲んでいることに気がついた。

また泣いちゃった。ぐす、と鼻をすすりゆめこは空を見上げた。冬になりすっかり陽が落ちるのが早くなったせいで、空がうっすらとオレンジ色に変わろうとしている。

青白い顔で運ばれた幸村を見て、みんな泣いていた。
どうして友達がこんな目に合わなければならないのだろう。

駅に着いてからも考え事をしながらぼーっと歩いていたゆめこは、目の前の電車を一つ見送った。少し走れば間に合ったのに、どうにも体が動きそうになかったのだ。

「はぁ」

ホームのベンチに腰を下ろし、ゆめこは息を吐き出した。
無力だな。彼女は柄にもなくそんなことを思っていた。
私でさえこんな感情になってしまうのに、ご家族やゆめみはもっと辛いだろうな。と、彼らの計り知れない気持ちを思うと、ゆめこはさらに鬱々たるオーラに包まれた。



再び到着した電車に乗り込んだところで、ゆめこはようやくスマホを見た。今日一日心ここにあらずで過ごしたゆめこは、自分がどうやって教室を出て、学校を出て、ここまで歩いてきたのか、ほとんど記憶に無かった。そのため今何時だろう?とふと疑問に思ったのだ。

スマホを開くと、新着メッセージが一件届いていた。
1時間以上も前に届いたものだった。
まさか幸村の容態が急変したのでは?とゆめこは青ざめながらメッセージアプリを開く。

"今日一緒に帰らへん?"

彼氏である毛利からのものだった。
ゆめこはなんだか無性にホッとして眉を開いた。のも束の間、1時間以上もほったらかしにしていることに気が付いて慌ててメッセージを打った。

"ごめんなさい!ぼーっとしてて、もう江ノ電乗っちゃいました"

驚くほどすぐに既読が付き"そっち行く"という返事がきた。普段毛利は通学に江ノ電を利用しないので、わざわざ赴いてくれるという意味だろう。ゆめこは少し考えたが、"七里ヶ浜駅で待ってます"と送った。
毛利には悪いが今更学校側に逆走する元気も気力も無かったのだ。



それから先に自宅の最寄りである七里ヶ浜駅についたゆめこは、ベンチに座りながら毛利の到着を待った。
20分程経って、改札から大きな人影が現れる。
ゆめこを見つけるなりにこにこと笑いながら手を振っていて、相変わらず大型犬みたいだな、なんて思いながらゆめこはくすりと笑みをこぼした。ざらついた胸の感触が不思議と消えていく気がした。

「待たせてもーた?」
「全然!早かったですね」
「藤沢まで出とったからね。急にごめんなぁ」
「大丈夫ですよ。もしかして何か用でもありました?」
「なんもあらへんで。ただ会いたかっただけ」
「ふふ、じゃあどこか行きます?」
「せやなぁ、もう遅いし今日は一緒に帰るだけにしよか」

毛利はにこりと笑うとゆめこの手を繋いで歩き出した。
その言動に、本当にただ会いたかっただけなんだな、とゆめこは拍子抜けして毛利を見上げる。
その視線に気付いた毛利は「今度またゆっくり遊び行こかや」と言った。



「ところで、なんでボーッとしとったん?」

歩き出してすぐそう聞かれ、ゆめこはぎくりと肩を揺らした。
幸村くんのこと、言っていいのかな?
ゆめこは悩んでいた。
あまり大事にはしない方がいいだろうし、かと言って毛利もまったくの他人という訳ではないので、内緒にするのもそれはそれで不自然だ。

しかし9人の中には毛利にあまり好意を持っていない人物もいる。
特に柳は、海原祭でゆめこを傷付けられたことをいまだに根に持っており、ゆめこが仲直りしたと言った時も不満そうな顔をしていたくらいなので、親友である幸村のことをあれこれ話されるのは嫌がるだろう。
ちなみにあの時は、ゆめみがうまく柳を説得してくれて再び付き合うことを許してくれたという経緯がある。

ゆめこはうーん、と眉間に皺を寄せあれこれ考えを張り巡らせた。しかしすぐに、

「無理して言わんでええけど」

なんて言われてしまい、ゆめこは「えっ、あ・・・はい」と消え入るような返事をした。
ゆめこが急に小難しい顔で悩み始めたので、毛利は気を回して詮索をやめたのだ。
幸村に無断で言い広めてしまうのも気が引けるな、なんて思ってたいたゆめこは正直ホッとしてしまった。
しかしすぐに、「そういえば昨日」と毛利が口を開いたため、またしてもゆめこの心臓がどくんと跳ね上がった。

「大丈夫やった?」
「はい。すみませんでした、電話出られなくて」

昨日はゆめこと仁王が映画を観に行った日だ。
そこで仁王が毛利からの着信をブチ切りしてしまったため、ゆめこは"家族と出かけてて、間違って切っちゃいました"などという嘘の言い訳メッセージを送っていたのだ。

「家族との時間邪魔してもーた?」
「大丈夫です」

ふるふるとゆめこは首を横に振る。
彼女は自分が嘘が下手だと言うことを自覚しているので、一刻も早くこの話題を終わらせたかった。
そんなゆめこに毛利は「そっか」とだけ返した。

しかしその視線はゆめこに向けられたままだ。
身長差のせいで表情は読み取れないが、前を向いて歩く彼女の頭を毛利はじっと見つめていた。

ゆめこ自身は気付いていないかもしれないが、この話題に触れた瞬間彼女の手にきゅっと力がこもった。
嘘発見器ならすぐにメーターが振り切れていたであろうそのリアクションに、思わず本音が漏れそうになる。

"ほんまのことやんな?"

そう確認してしまいそうになって、毛利は慌てて口を噤んだ。

大好きな彼女のことを信じてあげたいのに。
不安が疑心に変わる。
束縛をするつもりなんて無かったけれど、会っていない時も誰と何をしているか気になってしまう。

元カノとキスをした自分を許して受け入れてくれたゆめこ。
ビンタの一つくらい飛んでくることも覚悟していたので、あの時は彼女の優しさに救われた。
だからこそ、大切に、大事に、もう二度と傷付けないようにゆめこを守っていきたいと誓ったのに。
モヤモヤと広がった黒い感情が、まるで自分を飲み込むように押し寄せてくる。
毛利はそれを振り払うように首を数回横に振った。



「やっぱり少しだけ寄っていかへん?」

ちょうどいつも二人で会っている公園の前まで来て、毛利は足を止めた。
仁王とのこと、幸村の病気のこと、秘密が増える一方だな。なんて考え込んでいたゆめこは、急に足を止めた毛利に気付かず「わっ」と躓きそうになる。

「大丈夫かいな?」
「あはは、ごめんなさい」
「で、どないする?」
「寄っていきましょ。私、もう少し寿三郎さんと一緒にいたいです」

ゆめこの返事に、毛利は嬉しそうに目を細め「ん」と首を縦に振った。
彼女にとっては何気ない言い回しだったかもしれないが、たったそれだけで胸にかかった靄が晴れていくような気がしたのだ。

二人は並んでベンチに腰を下ろす。
12月の寒空の下、毛利は「さむ」と静かに口にした。

緩めに巻かれたネクタイに、第二ボタンまで空いているシャツ。そりゃ寒いはずだ、とゆめこは毛利の格好をまじまじと見る。

「寿三郎さん、マフラーどうしたんです?」
「んー・・・家にあるか、学校に忘れてきよったのかも」

寒そうに首をすくめながら曖昧な返事をする毛利に、ゆめこは相変わらずだなと思いつつも「風邪引きますよ」と忠告した。
暑がりの毛利とは対照的に、普段から冷え性に悩まされているゆめこは、ダッフルコートに学校指定のマフラーと完全防寒だ。
毛利はゆめこの服装をじとりと見て「あったかそやな」と妬ましげに言った。
視線に気付いたゆめこは「貸しませんよ」と笑った。

「マフラー、俺も入れてや」
「ふふ、いやでーす」
「ええやろ」
「あはは、やめてくださいよー」

マフラーを無理矢理取ろうとする毛利に、ゆめこはけらけら笑いながら抵抗する。
そうしてしばらく戯れ合っていた二人だったが、「もう、しょうがないですね」とゆめこが折れてマフラーを外した。
彼女は一度マフラーを大きく広げると、肩が触れ合う距離まで近づき自分と毛利の首元を一周するように巻きつけた。
ゆめこのマフラーに包まれた毛利は嬉しそうに破顔して「ゆめこの匂いや」とすんすんと鼻を鳴らす。

「それ恥ずかしいです」
「せやかてええ匂いやねんもん」

平気な顔でそんなことを言う毛利に、ゆめこはじわじわ顔を赤くさせながら「もう」と唇を尖らせた。
そのままこてんと首を倒して毛利の肩に頭を預ける。
毛利はすぐに後ろから手を回し、ゆめこの肩を抱いた。

「なぁ、俺んこと好き?」
「もちろん、好きですよ。どうしたんですか急に」

改まって聞いてくる毛利に、ゆめこはすぐ近くにある彼の顔を覗き込んだ。
「好き」と言われた毛利は小さく笑うと「ゆめこからちゅーしてや」と顔を近づけた。

「寂しい病ですか?」
「なんやねんそれ」
「だって、珍しいじゃないですか」
「俺だってたまには甘えたいねん」
「ふふ、変なの」
「で、してくれへんの?」

すかさず催促されて、ゆめこはゆっくりと唇を近付けた。
ちゅ、と触れるだけのキスをしてゆめこは顔を離す。

「もっと」
「変な寿三郎さん」

もう一度唇を寄せると、今度は後頭部をがしりと手でロックされた。
ゆめこは一瞬びくりと肩を揺らしたがすぐに順応して毛利の背中に腕を回した。
長い間キスをして満足したのか、毛利はゆっくりと顔を離すとゆめこを見つめた。
彼女はにこりと優しい笑顔で微笑んでいた。
こうして見つめ合っている時だけは心が満たされていく気がする。

「俺らもうすぐ付き合って4ヶ月やね」
「そうですね」
「ちゃんと覚えとった?」
「もちろんですよ、ばっちり手帳にも書いてますし」
「ほうか」
「寿三郎さんって意外とそういうの気にするタイプなんですね」
「多分ゆめこやからやと思うけどな」
「そうなんですか?」
「寝ても覚めてもゆめこのことばっか考えよる」

にやりと笑って、毛利はツンとゆめこの鼻をつついた。
ゆめこは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにふふふと笑い出した。
本当は「せやからゆめこも俺以外のこと考えやんせーね」と言いたかった毛利であったが、その台詞は喉の奥へと飲み込まれていった。

どんどん大きくなる独占欲が、自分でも恐かった。

「なぁ、クリスマスは一緒におれるん?」
「はい。どこか遊びに出かけましょうか?」
「ええなぁ」

ゆめこの提案に、毛利は「今から楽しみやわ」と笑った。





(220616/由氣)→139

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