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(乾貞治と私、どっちが好き?/柳)
12月半ばの第3日曜日。
時刻は昼過ぎの13時半。
柳蓮二の家の台所には、明るい声が響いていた。
柳の母親の翠(みどり)、姉の一風(いちか)、祖母とそれからゆめみが女同士できゃいきゃいとおしゃべりをしながら作業をしていた。
その様子を柳と父親の栄一(えいいち)は横目に見ながら、大型家電等の階段下倉庫の整理を黙々としていた。祖父は屋外の清掃に精を出している。
本日は柳家の年に一度の大掃除の日なのだ。
棚の中にあるものを一度出して、拭いてから戻すという作業であるが、柳の家にはゆめみの興味をそそるものがたくさんあるので、ゆめみはこのイベントを毎年楽しみにしていた。
特に柳の母親は茶道家でもあり、茶道道具や和菓子作りの器具、華道の道具などがたくさんあった。
「可愛い!芸術品みたい!」
ゆめみは和菓子製作に使用する梅柄の木彫板を丁寧に拭きながらうっとりとした。
隣にいた翠は、「でしょう、やっぱり木製が1番なのよ」と嬉しそうだ。
「どうやって使うんですか?」
「生菓子に押し当てて形を作るのよ、そういえば最近作って無かったわね」
更にキラキラした瞳で「どんな模様が出るんだろう」と言ったゆめみに翠は「今度一緒に作ってみる?」と誘った。
ゆめみと一風は嬉しそうに「やったー」と声を重ねる。
そして一風が「って可愛いゆめみちゃんなら言うわよね」とウインクする。
「私も嬉し、美味しい和菓子大好きだから」
「一風もやってみたら?お菓子作りは楽しいわよ」
「答えはノーだな、興味なし、蓮二にやらせよう」
全くお菓子作りに興味を示さない実の娘に、翠はため息をついた。「もううちの味はゆめみちゃんに継いでもらうしか無いわね」と。
「蓮二には美味しいお抹茶淹れてもらいたいなぁ」とゆめみがいえば、祖母が嬉しそうにいかに蓮二の茶道の腕前がいいかを話し出した。蓮二の茶道は世界水準だ、とか。
マッカーサーもびっくりして腰を抜かす、とか。
それがあまりに贔屓目が入っていたので、3人は大笑いした。
楽しい話に花を咲かせながら、台所の棚にあったお菓子作りの道具や茶道の道具を全部洗って、干して、丁寧に拭いて、並べた。
「一風、ゆめみちゃんお疲れ様!先に休憩していいわよ」
翠に促され、一風とゆめみは家族の憩いの場である和室に入った。
まだ誰も来ていない。
ゆめみは窓際へと歩いた。
窓際には、柳が世話をしている苔玉が置いてある。丸いシルエットが可愛いと思った。
苔玉の後ろの窓から庭が見えて、ちょうど柳が通り過ぎた。
窓を少し開けてみた。冷たい風が吹き込む。
日本庭園が今日も綺麗だな、と思った。
外では、階段下の掃除を終えた柳と父親が、庭にある倉庫の物の整理へと移っていた。
「蓮二、何か手伝う?」
ゆめみが控えめに開けられた窓から聞くと、柳は小さく笑って「こちらはまもなく終わるから問題ない」と告げた。
更に窓から少しだけ顔を出して、働く蓮二を見ていると、「寒いだろう、閉めておけ」と言われたので、ゆめみは諦めて窓を閉めた。
「ゆめみちゃん!わらび餅食べよー」
窓を閉めた後も、ゆめみは柳を見ていて、柳もゆめみを見ていた。しかし、一風の呼び出しに、ゆめみの興味はわらび餅へと移る。
翠が持ってきてくれたようだ。
柳の母親翠の手作り和菓子はとても美味しいので、ゆめみはうきうきしながらその半透明の丸いわらび餅を器によそった。
さっそく食べ始める一風を見ながら、自分も食べようと思ったが、やっぱり蓮二のことが気になって、ゆめみは一度持った楊枝を机に置く。
その様子を一風がにやにやしながら見ていた。ゆめみは一風が何か言いたそうにしているので、少し恥ずかしくなった。
「一風ちゃんってさー、なんで立海の高校に行かなかったのー?」
ゆめみは何か話題を、と考えてそう切り出した。3学年違いの一風は立海大付属中学校の出身で、そのまま行けば立海大付属高校に進むはずだった。
もともとゆめみが立海大付属を目指した理由も、蓮二が受験するから、というよりは、一風ちゃんの学校に行きたい、という気持ちが強かった。
一風は昔から綺麗で、美人で、頭もスタイルもいい、スーパーレディで、ゆめみの憧れであった。元々先に仲良くなったのは柳では無くて、一風の方だったのだ。
ゆめみの合格発表の翌月に、一風が東京の高校を受験して、合格したという話を聞いた時は、おめでとうと言いながら大泣きしてしまったくらいだ。
「一風ちゃんと通いたかったのに」
一風は「もー、ゆめみちゃんかわいいー!」と言った後、少し真面目な顔をした。
「私は受験勉強しかやりたいことを見つけられなかったの」
一風は言った。付属校特有のぬるい雰囲気が合わなかったと。
「蓮二やゆめみちゃんみたいに、やりたいことがいっぱいある子には、立海は最高の学校だと思うんだけどね」
「蓮二は明確だけど、私はどうかな、やりたいこと特に思いつかないけどな」
ゆめみは首を傾げた。
「受験勉強じゃないお勉強が好きでしょう、海外にも興味があるんでしょ、立海は国際的な学校だもんね」
一風に言われて、そうかも、と思った。
最近の自分ときたら、なぜか語学の勉強ばかりしている気がする。それに花の名前や育て方を知ったりするのも好きだ。
元々はそんなに勉強が好きってわけでは無かったのに。
「もちろん、受験してもいいと思うよ、東京にも魅力的な学校はいっぱいあるし、青春学園とかどう?セーラー服可愛いし、大学まで進めば国際学部が有名よ」
いきなり予想しなかった学校名が出て、ゆめみは驚いた。
そっか、もし青春学園高等部を受験すれば、国光くんと同じ学校に通うことが出来るんだ。
ゆめみはドキドキした。
青春学園に行くたびに思っていた、羨ましいなと。
テニスコートでテニスをする国光くんを毎日見れていいな、生徒会長として発言する国光くんを見れていいな、
国光くんなら、きっと高校でも生徒会長になるかもしれない。
そしたら、私も生徒会に入りたいな。
仕事をする彼を遠くからそっと見守りたい。
そんな妄想が次々と浮かんで、ゆめみはぼーっと考え込んだ。
「やっぱりセーラー服がいいよね」
手塚のことを知らない一風は、セーラー服に惹かれたと思ったようでそう言った。
一風の通う学校は、その大半が日本で一番偏差値の高い大学を受験するという超進学校で、服装は自由であった。
そのため、一風は好きなセーラー服をアレンジして着て行っているのだ。
「立海の制服も可愛いもん」
現実に戻ってきたゆめみが唇を尖らせてそう言った。
「私、立海が大好きだから、このまま大学までずーっと立海でいたいな」
妄想するのは楽しいけど、とゆめみは思った。
現実問題、仲良しのゆめこやみんなと離れるなんて考えられない。
「蓮二もいるしね」
一風の言葉に、ゆめみも「そうそう、蓮二とずっと一緒がいいもん」と笑う。
「姉上、ゆめみに変なことを吹き込まないでくれ」
その時、襖が開いて蓮二が現れた。
その後ろから、母親、父親、祖母、祖父が現れて、みんな机の回りに座った。
年に一度の大掃除がひと段落ついて、みんな晴れ晴れとした表情をしている。
「はい、蓮二の分どうぞ」
ゆめみは柳のためにわらび餅を器によそった。
柳は一風の空の皿と、まだ手をつけていないゆめみの皿を見て、自分を待っていたのだなと理解した。
『待っていてくれたのだな、ありがとう』そう言えば、謙虚なゆめみは『そんなつもりは無いよ』と言うだろう。
柳は代わりに「一緒に食べられるとは嬉しいものだな」と言うことにした。
ゆめみは嬉しそうに微笑んだ。小さな花が恥じらうように頬が桃色に染まる。
あぁ、可愛い。
わらび餅を食べながら、穏やかに話が進んで行った。
自分の家族の中に完全に溶け込んでいるゆめみ。
いつもの光景であるが、決して永遠に続くものでは無い。
俺かゆめみに、お互い以外の恋人が出来たのなら、関係は簡単に変わるだろう。
付き合えなくてもいい、
青春を全て片想いに捧げても、
ただ結婚してくれないだろうか、
そんなことを思った。
多くの女性が心配する、姑小姑問題は起こらないことを約束しよう。
俺にあげられるものはそのくらいしかないかもしれないが。
柳はそんなことを大真面目に考えていた。
「あなたと蓮二は本をなんとかしてね、一風は服をなんとかするのよ、私も頑張るから!」
わらび餅を食べ終えてひと息ついた後、母親の翠は指示を出した。
共有部分の清掃の後は、自室の掃除へと移る。
柳は、自室の本棚から溢れた本を手に取り、ため息を吐いた。
手元におきたいと考えたからここにあるのに、手放すものを選ぶ必要があるとはな。
一冊ずつ、本当にここにあるべきかを考える。
ちなみに1人だ。
ゆめみは、お手伝いのため祖母の部屋へと向かった。
祖母は毎年膨大な着物の整理が必要で、毎年ゆめみはそれを手伝っていた。
祖母が持つ着物は美しいものばかりで、ゆめみはそれを見られるだけで楽しいと思っていた。
「蓮二ー、またお小遣いもらっちゃったのー」
ゆめみはノックもしないで柳の部屋に入ってくるなり、柳に1万円を押し付ける。
「気にしないでくださいって言ったんだけど・・・蓮二から返してくれるかな?」
「俺は受け取ればいいと思うが、ゆめみが受け取らないことはわかっている」
「ありがと、蓮二」
祖母はお手伝いをするとお小遣いをくれるのだが、ゆめみはそれをいつも受け取らなかった。しかし、いつも祖母に押し負けて受け取っては、柳に返してねとお願いしていた。
「ゆめみちゃーん、ちょっと手伝ってー」
外から一風の声がして、ゆめみはバタバタと部屋を出て行った。
柳はそのお金を木箱の中へと入れる。
可愛い孫たちにお小遣いをあげることで喜んでいる祖母に返すことなど出来るはずもなく、柳はゆめみから預かったお金をずっと貯めていた。
いつかゆめみに何か買ってあげたいと思いながら。
「蓮二、見なさい!」
また本の整理に戻ろうとすると、一風の声がして、柳はまた開かれた引き戸の方を見た。
そこにいたのは・・・
ビキニ姿のゆめみであった。
柳は一緒硬直し、そのあとすぐに自分が着ていたシャツを羽織らせる。
「じゃあ、若いお2人さん、ごゆっくり」
一風は今日イチニヤニヤして、スキップしながら自室へと戻っていった。
やられた、俺への嫌がらせだ。
ゆめみは大きな瞳で柳を見上げる。
「もしかして、似合ってない?」
柳はなんと答えていいか分からず、再度硬直した。
「一風ちゃんがもう着ないからくれるって言うんだけど、可愛くない?」と言うゆめみ。
可愛いに決まっている。と柳は心の中でそう言った。
真っ白いビキニが、ゆめみの白い肌を引き立てている。
たしかにいつか一風が着ていたかもしれない、姉がビキニを着ていてもなんとも思わないのに、ゆめみのは絶対にダメだと思った。
こんな姿は誰にも見せるわけにはいかない。
「俺は可愛いと思うが、露出部分が多すぎるけしからん!と弦一郎が言う」
とっさに初心な親友の名前を出してしまったことに罪悪感を覚えが、致し方ない。
「確かにそうね、弦一郎はそう言うかも」
ゆめみは納得したように笑った。
「じゃあ蓮二の前でだけ着ることにするね」
と言う言葉に再度心を乱される。
2人で何をすると、言うのか。否。
「着替えてくるといい」
これ以上近くにいたら、何かが起こる、と柳は思った。
ゆめみをなんとか部屋の外に押し出すと、柳はその場に座り込んだ。
心臓の音がバクバクと耳まで聞こえる気がした。
胸なんて、無かったはずだ、ついこの間までは。しかし、今日はしっかり谷間も出来ていた。
思い出してしまい、柳は頭を抱える。
柳蓮二!忘れるんだ、全部忘れてしまえ!
自分に暗示をかけて、深く深呼吸をした。
やっと落ち着いて、今度こそ本の仕分けが出来ると思った。
しかし外からゆめみの声が聞こえて集中出来ない。
「ゆめみちゃーん、携帯鳴ってたよ」
「ありがとう!あれ?非通知だ」
一風からスマホを受け取るとゆめみは誰だろうと言いながら、画面をスライドさせた。
「きゃっ、うふふ、やっぱり不二くんだったんだ」
柳はガラッと引き戸を開けた。
「ゆめみ」
相変わらずのビキニ姿のゆめみがキョトンとしている。
こんな姿で電話をするなんて、犯罪だな、と柳は思った。
「貸してもらおう」と言って、ゆめみからスマホを奪うと、柳は言った。
「すまないが機会を改めてくれないか?ゆめみは今電話を出来るような格好ではない」
口走っておいて、ものすごい誤解を生みそうな表現だな、と柳は思った。
『その声は立海大付属の柳くん、かな?クス、ゆめみは今どんな格好?そそるね』
ゆめみが不二の中で汚された気がして柳は不機嫌そうに「お前の想像できる姿では無い、切る」と言った。
『残念』と言う不二の声が聞こえて、回線が切れた。
ゆめみは「不二くん何の用だったの?」と聞いたが、柳は答えなかった。
先月鎌倉で会ってから、不二は頻繁にゆめみに電話をかけるようになった。
彼なりにゆめみを励まそうとしているのだと分かってはいたが、やはり気に入らない。
柳は無言のまま、部屋へと戻った。
「蓮二?」
ゆめみも、柳に続いて、部屋へと入る。
「ゆめみ、着替えてくるといい」
柳は後ろを向いたまま再度注意した。
振り返ったら、止められないとわかっていた。
しかし、ゆめみはずんずん進んで、柳の正面へと回り込む。
「蓮二、何か嫌なことを言われたの?」
心配顔のゆめみの顔が近くに見えた。
そのピンクの唇がやけに艶っぽい。
「不二くんはちょっと意地悪なところもあるけど」
「ゆめみ」
その格好で、他の男の名前を呼んで欲しくないと思った。
気づけば、壁際へと追い込んでいた。
靴を履いていないから、ゆめみの体はいつもより小さく、柳の体にすっぽりと収まる。
「蓮二?」
見上げるゆめみは可愛くて、柳は理性と欲の狭間で揺れ動く。
このまま、キスしてしまったら。
どうにかなるだろうか。
頭がやけにぼーっとして、次の展開を考えられない。
ゆめみの大きな瞳に、自分が映っているのがわかる。
ピンクの唇しか、目に入らない。
2人の距離が近づく。
その唇に、触れそうになった。
「へっくち」
その時、ゆめみはくしゃみをした。
柳は我に返り、ゆめみから距離を取る。
「へっくち、ごめん、何か言おうとしてたのに」
柳はため息を吐いた。
そして、ゆめみを再度出口へと促した。
「言った通りだろう、早く着替えてこい」
ゆめみはこくん、と頷くと、一風の部屋へと進んでいった。
「はぁ」
柳はその場に座りこむ。
そして、自分の唇を押さえた。
危機一髪だった。
あのままキスしていたら。
俺はキスだけで収めることが出来ただろうか。
否。
ゆめみへの気持ちが日に日に大きくなっていく。
まるで体の中に台風が巻き起こるようだと柳は思った。
だめだと理性では分かっているのに、体が感情が抑え切れない時がある。
「はぁ、参った」
柳はしばらくの間、その場に座っていた。
「蓮二、進んでる?」
しばらくすると、ゆめみはまた柳の部屋へと戻ってきた。
その姿はセーラー服だった。
ゆめみは嬉しそうにくるり、と回る。
「一風ちゃんの貸してもらったの!可愛いでしょ」
柳はもちろん可愛いと思ったが、可愛いとは言えなくて「似合っている」と言うにとどめた。
ちなみに先程の余波から今ようやく立ち直ったところで、柳の書籍の整理は全く進んでいなかった。
ゆめみは散々一風にモデルとして遊ばれたようで、その手には数枚の服がかけられている。
「蓮二は本が大好きだもんね」
ゆめみはそう言って、部屋の奥に入り、座布団を敷いて座った。
そして一風にお下がりとしてもらった服をにこにこしながら眺めて、丁寧に畳んだ。
その中には、一風が絶対着ないような可愛らしいデザインのものも含まれていて、一風が最初からゆめみにあげたくて買ったものだな、とわかった。
我が姉ながらに感心するものだ。
普通にプレゼントしても受け取らないゆめみにこうしてプレゼント出来るとは。
服を畳み終わると、ゆめみは部屋の端に置かれた自分の鞄に手をかけた。
中から一冊のノートを出して、机の上に広げ、その中の文字を指で追いかける。
近づかなくてもわかる、それは俳句が書かれたノートであった。
午前中に、ゆめみは生まれて初めて柳と俳句の会に参加した。
柳が初めて俳句の会に参加したのは、1年生の6月のことで、それ以来毎月ゆめみを誘い続けていたが、毎回断られていた。
それが先月俳句の会に元生徒会長の白百合あやはが現れたことで、ゆめみの気持ちが変わったのだった。
そう言う意味では、白百合あやはに感謝しなければと柳は思った。
ゆめみと参加した俳句の会はとても充実した時間であった。今日は白百合あやはは来なかった。
柳は句会でのことを思い出し、頬が緩む。
一生懸命に作句する姿も、俺を頼ってくれたことも、俺の詠んだ句を誉めてくれたことも、全てが夢のようだった。
ゆめみは楽しかった、と言ってくれた。
こうして終わった後も再度ノートを広げているところを見ると、また来月も付き合ってくれるのではないかと期待する。
もともとフランス文学では詩が一番好きで、自分でも詩を作ったりしているゆめみと俳句の相性は良いだろうと予想していた。
ゆめみは今日作った俳句を見ながらうーん、と考えた。
今日の初めてゆめみの詠んだ俳句は
『初めての句会ベロアの髪飾り』
というものであった。
午前中のゆめみの髪にはベロア生地のリボンの髪飾りがついていた。
ベロア生地の髪飾りが、季語となって、初めての句会に臨む緊張感が伝わってくる、良い句だなと思ったが、ゆめみは満足出来なかったようだ。
「なんだかみんなが詠んだ句に比べて俳句らしさが足りないなって」
「切字を使うのはどうだろうか」
「切字ってたしか、かなとか、けりとかよね?」
そういえば柳が今日詠んだ句にも使われていたな、と思い出す。
柳はNNK俳句の今月号の1ページを広げて「ここに詳しく書いてある」とゆめみに渡した。
それは初心者向けの説明で、ゆめみも理解することができた。
「なるほど、理屈は分かったかも」
ゆめみはうーんと言いながら、俳句の本を指差してで追った。
しかし表情は冴えない。ついに諦めたように本を閉じると、また柳にSOSを出す。
「嫌かもしれないけど、蓮二の詠んだ句で勉強したいの、ダメ?」
ゆめみから俺の句が見たいと言ってくれる日が来るとはな。
当然嫌などと言うことはあり得ない。
柳は光の速さで自作の俳句集を手に取ると、ゆめみへと手渡した。
ゆめみはキラキラした瞳で、その本を開く。
「うわぁ、素敵!私この句が好き
睡蓮や聞き覚えある多弁かな
蓮二の庭の睡蓮でしょう、確かに水の音が賑やかよね、夏の素敵な情景が目に浮かぶなぁ」
好きな子の声で自分の俳句を読んでもらえるのは、幸せなことだな、と柳はしみじみ思った。
「って夏の俳句?最近のは無いの?」
「最近のものは精市の病室にある」
「今度取り返さないとね」
ゆめみはくすくすと楽しそうに笑った。
「難しそうでずっと嫌煙してたけど、俳句も素敵ね、やっぱりフランス詩と通じるものがあるわ」
「そうだろう、どちらも人の心の動きを表現したものだ」
柳がそう言えば、ゆめみは「本当にそう思う!」と前のめりに同意する。
「詩を書くために、いろんなことに挑戦して経験をつみたいって思う」
「それと同時にゆめみは思う、小さなことにも気がついて心動く自分でいたいと」
柳の言葉に、ゆめみは大きく頷いた。
「さすが蓮二ね、蓮二もそう思う?」
「当然だ」
柳はいつのまにかゆめみの隣に来ていた。
「来月の句会も供に行ってくれるか?」
ゆめみは少し考えて「良い句ができたらね」とふんわり笑った。
その回答は是の意だと柳は知っていた。
満足した柳は、またゆめみの元を離れて、本の仕分けに戻る。
しかし、ゆめみが引き続き柳の俳句集を見ているため、書いた本人としては、反応が気になるところだ。
柳の手が止まっていることに気づいたゆめみは、俳句集を丁寧に閉じて、立ち上がった。
そして、柳の方に歩いてくる。
「蓮二、手が止まってるけど、計算中なのかな?」
にこにこしながらそう言われる。
まさかゆめみを見つめていた、と言うわけにもいかず「この柳蓮二の本棚に何冊残すべきかと考えてな」と言った。
「またいっぱい買っちゃうんだから、少しは余裕を持たせないとね」
と言いながら、ゆめみはスペースが無いかと、柳の押入れを開けてみた。
たくさんの巻物が無動作に積み上げられていた。
テニス関係のデータを書き留めたものだろう。
普段学校の板書も縦書きで取っている柳は、ノートの代わりに巻物も使用していた。
「ここが少しは空いたら楽なのにね」
ゆめみはそう言った。
セーラー服の可愛いゆめみの動作に心が乱される。
「ねぇ、蓮二、聞いてる?」
返事のない柳に振り返ってそう言うゆめみ。
「たしかに、すでに頭に入っているデータも含まれているな」
「整理するか」と言った柳に、ゆめみは「じゃあ私が出すから、蓮二は仕分けてね」と上の方から巻物を取ろうとした。
爪先立ちになった拍子に、セーラー服が上に行き、腹チラ状態になる。
「ゆめみ、高いところは俺に任せてくれ」
柳が慌ててゆめみを止めようとした。
「きゃっ」
急に声をかけられたゆめみは、バランスを崩して、巻物に手をかけたまま、後ろに倒れた。
柳がゆめみを受け止めはしたが、たくさん積み上げられていた巻物はガラガラという音を立てて、落ちてきた。
「ごめんね」
ゆめみは泣きそうになって、起き上がる。
「蓮二の大切なものなのに」
『この柳蓮二の大切なものはお前だけだ』というキザな言葉が脳裏に過ぎった。
「問題ない、出そうとしていたのだから、むしろ効率的だったと言えよう」
「え、でも」と涙目のゆめみが可愛くて、また頭がぼーっとする。
その涙を舐めたいとさえ思う。
しかし、そんな行動を起こす前にゆめみは「あ、これ!」と床に落ちていた何かを拾った。
それは写真だった。
ALOHAとかかれたハワイ土産のフォトフレームに2人の少年が写っている。
首からメダルが下がっており、ゆめみはこの写真はいつか聞いたジュニア大会のダブルスで優勝した時のものだろうとピンときた。
1人は柳でちょうどゆめみと出会った時と同じ年くらいの柳が写っていた。
そして、もう1人は・・・ゆめみの知っている人物であった。
「これ、乾貞治、だよね?青学の!」
ゆめみが乾を呼び捨てにして、前のめりで聞いてきたので、柳は少し驚いた。
「あぁ、そうだ」
「転校する前にダブルスパートナーだった?」
「そうだが」
「シングルスの決着がついてなくて、再戦の約束をしている?」
「そうだったな」
「教授、博士って呼び合ってたっていう?」
「よく覚えているな」
矢継ぎ早にくる質問に、全て肯定で返すと、ゆめみは「やっぱり」と言って唇を噛んだ。
明らかに怒った様子のゆめみに、柳は首を傾げる。貞治とゆめみとの接点は、確か9月の立海大付属高校の説明会だったな。
と柳は頭の中の情報を整理する。
ゆめみが他校の生徒に変な心理テストに答えさせられた、と不思議そうにしていた。
すぐに貞治だとはわかったが、特に大きな問題では無いと判断しほうっておいたが。
よっぽど嫌だったのか?
温厚なゆめみを怒らせられるとは、やるな貞治。
珍しいゆめみを見つめていると、ゆめみは柳を真っ直ぐに見て言った。
「蓮二、正直に答えて」
続きがわからなかった。
こんなことは初めてかもしれない。
「乾貞治と私、どっちが好き?」
大真面目に聞かれて、柳は一瞬言葉に詰まった。決して迷った訳ではない。予想出来なかったからだ。
「・・・ゆめみだ」
ゆめみだと答えたのに、間が空いたからだろう、ゆめみはむーっと頬を膨らませて「本当?」と再度確認してくる。
これはどういう状況なのだろうか。
「この柳蓮二、命にかけて誓っても構わない、ゆめみの方が好きだ」
当たり前だ。
きちんと回答したからか、ゆめみは「わかった」と納得してくれた。
これはおそらく、嫉妬だろうか?
そう思った瞬間、顔が熱くなるのを感じた。
男に嫉妬されるのは理解出来ないが、それだけゆめみが俺を好いていてくれる、と言うことだろう。
貞治とは、再戦の時までは馴れ合わないと決めていたが、その後は連絡取り合うのも悪くないと思った。
嫉妬する可愛いゆめみを見るのがクセになりそうだ、とも。
ゆめみはその写真の中のメガネの男を睨みつけた。
高校説明会ではよく分かっていなかったため回答してしまったが、乾が自分にした心理テストは柳を倒すためのものだったのだろうとピンと来たからだった。
柳に不利になるかもしれない情報を与えてしまったことがショックで、騙されたことが悔しかった。
(220625/小牧)→141
蓮二は私が守ってあげるからね!