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(幸村には飯ごうを爆発させる才能がある!/幸村•立海all)

『今日は来ないで欲しい』

そのメッセージに気が付いたのは、水色のドレスを着て、ママに髪の毛を結い上げてもらっている時だった。

今日はクリスマス。
昨日のイヴは手塚とドイツ語教室のクリスマスパーティーに参加し、夜は真田の家のクリスマス食事会に招待してもらいクリスマスを楽しんだ。
中学生であるゆめみはすでにサンタの正体を知っているが、ゆめみが朝起きたら枕元にはプレゼントが置いてあった。
プレゼントはハンディタイプのプロジェクターで、ゆめみが密かに欲しいと思っていたものだった。ホワイトの丸みを帯びた形がかわいすぎる。ねだった覚えはないので、蓮二かゆめこから情報を得たのだろう。
何歳になってもサプライズのプレゼントは嬉しいもので、ゆめみはウキウキとした気持ちだった。

菜苗のバレエの発表会の日でもあり、今はその準備のために、母親に髪を結い上げてもらっている。

「ママ、プレゼントありがと」とゆめみが言うと、ゆめみの母親は「ママからじゃあないわよ、サンタさんからじゃないかしら」ととぼけた。

「はいはい、そういうと思ったー」
「髪型どうする?」
「クラシックバレエを見に行く女の子風スタイルで!」
「おっけー」

母親が張り切って全部アップにしようとしているのを見てゆめみは「あ、やっぱりちょっとまって、バレエ見に行った後精市のお見舞いに行くんだった」と言ったので、派手すぎないハーフアップにしてもらうことになった。

「ママ上手ー」と母親に感謝していると、ピロリン、とスマホが鳴った。

ゆめみはポップしたメッセージを見て、一瞬固まってしまった。

『今日は来ないで欲しい』

それは精市からのメッセージだった。








時は前日のクリスマスイヴに遡る。
入院中である幸村のクリスマスイヴは、病室で過ごすこととなった。それでも日中は家族がプレゼントを持って訪れて、楽しい時間を過ごした。

家族が帰って、幸村は一息ついた。

ふと思い出して、数ある書籍の中から、ゆめみの書いたフランス語の詩集を開いた。
めくりながら、どうしても顔が綻ばずにはいられず、幸村はついにフフと声に出して笑ってしまう。

ゆめみが昨年のフランス研修でフランス詩にハマったことは知っていた。
よくノートにフランス語を書き綴っている場面に遭遇したものの、いつも見せてとお願いしても見せてくれなかった。
それがクリスマスプレゼントはゆめみの詩集がいいな、とお願いしたら、ついに持って来てくれたのだった。
22日にこれを渡してくれた時のゆめみの恥ずかしそうな顔は忘れられない。
顔を真っ赤にして「私のいないところで読んでね」と言ったゆめみ。可愛すぎて、その場面を切り取って俺のゆめみコレクションの1つにしたいくらいだった。

次のページを開くと、クレープの詩だった。
ただひたすらにクレープが美味しいと讃えるもので、フランス語的には女性名詞であるクレープと同じ発音である男性名詞の織物のクレープの押韻が巧みに使われており、リズムが美しい。
日付を確認すると、フランス研修の最中だ。幸村はあの店のクレープだな、と思い当たり、それがこんなに気に入ったのかと思うと可愛かった。

詩集は作成日がわかるので、日記のようだと思った。過去の日付と照らし合わせると、幸村と過ごした瞬間の詩を歌っていることもあり、その時その時のゆめみを感じられる。

季節や景色、感情を唄った文章はどれもまっすぐで、感受性が豊かで、とことん素直で純粋な子なんだな、と思った。

また次のページを開いて、幸村はフフと吹き出した。次のはモンブランの詩だった。

「可愛いな、もう」

幸村か1人で笑っていると、ガラッと病室のドアが空いた。
慌ててゆめみの詩集を枕の下に隠すと、そこには仁王と柳生が立っていた。
その手には有名な鶏肉店であるKFCと書かれた袋を下げている。

「お楽しみのところ邪魔したかのう?」

慌てた幸村という珍しい場面に遭遇した仁王は、にんまり笑ってそう言った。

「ノックもせずに失礼しました、部長も男の子ですねぇ」

柳生の言葉に幸村はたまらず「柳生の考えているようなものではないよ」と弁解した。
柳生は「冗談ですよ」と笑った後、仁王と声を揃えて言った。

「メリークリスマス!」

幸村は嬉しそうに「メリークリスマス、よく来てくれたね」と言った。

「幸村の好みに合わせてフィッシュアンドチップスにしようかという案も出たんじゃが」
「クリスマスと言えばこれかと思いまして」

チキンを出して来た2人に幸村は「嬉しいよ、魚料理は家族と食べたからね」と笑う。
クリスマスパーティーを楽しんだ。


しばらく部内のメンバーの話で盛り上がっていると、コンコン、と病室のドアが叩く音がした。
「どうぞ」と幸村が声をかけると、担当ナースの天野川華子が入ってきた。

「幸村くん、リハビリ室が空いたのだけど、どうしますか?お友達が来ているのならまたにしても」
「いえ、使用させてください」

幸村はきっぱりとそう言った。天野川は頷くと、車椅子の用意のために一度退出した。
幸村の体は薬の効果で確実に改善してはいたが、まだ立つことが出来ずにいた。
少しでも早く以前の体に戻りたい、その一心で、通常の幸村のために当てられたリハビリ時間を超えて、リハビリをさせて欲しいとお願いしていたのだった。
病院側もそれを受け入れ、リハビリ室に空きが出たら幸村に知らせる流れとなっていた。

「せっかく来てくれたのにすまない、リハビリのチャンスを逃したくないんだ」

時刻は7時を過ぎていた。面会時間は8時までなので、戻って来れるか分からない。

「時間が読めないんだ、帰ってくれても構わないよ」
「お気にならさず」
「テキトーにするきに」

柳生と仁王の答えに幸村は天野川の用意した車椅子に乗りながら「好きな物を食べてもいいけど」と言うと、仁王がすかさず「いらんぜよ、丸井とは違うナリ」と突っ込んだ。

「来てくれてありがとう柳生、仁王も、今日はちゃんと休みの日に来てくれたね」

幸村は自分で車椅子を操作しながら部屋を出て行った。幸村の病室に仁王と柳生の2人きりとなる。幸村の最後の言葉を聞いて、柳生は仁王が時々サボってここに来ていることを察した。

「仁王くん、貴方って人は」

小言を言われるのを察した仁王は来客用ソファーに寝っ転がって「さぁの」と全力でシラを切ることにした。そのまま寝たふりを始めた仁王に、柳生はため息をついた。手持ち無沙汰になった柳生はなんとなく部屋を見渡した。
ふとベッドの横のサイドチェストの上に卓上カレンダーが置かれていることに気付く。隠すように置かれていたので、余計に興味が湧いた。その日付のところに赤丸がついている日とついていない日があった。毎日付いている時期もあるが、だいたい2日おきくらいの間隔だ。22日は丸で、23日24日が無印で、25日にまた丸が付いている。

「何の印でしょう」
「柳生、野暮なことを詮索しなさんな」

意外とこういうことには鈍い柳生ではあるが、親友である仁王の反応に気がついたようでにまにまと笑った。

「ははーん、なるほど、幸村くんも隅に置ませんね」
「何が分かったんじゃ?」
「ズバリ!彼女の訪問日でしょう、知りませんでしたよ、交際相手がいたとは」
「お前さん、本当にミステリー好きなんか?」
「私の推理に穴があるようですね」
「ピヨッ」

仁王は幸村の枕元に半分だけ隠されたゆめみの詩集を指差した。

「見ればわかるじゃろ?」
「驚きました」

柳生は眼鏡をくいっと上げた。

「おかしいですね、確か記憶では彼女は柳くんの想い人だったかと」
「人の気持ちに蓋は出来ん」
「部内で三角関係とは風紀が乱れるではないですか、困ります」
「プリッ」

柳生は仁王と丸井の気持ちにも気付いているはずであるが、真面目か冗談かわからない言い回しでそう言った。2人はそのあと少し病室で時間を過ごしたが、幸村は戻って来なかったので、帰ることにした。



1階まで階段で降りていた仁王と柳生は、5階で車椅子に乗った幸村と会った。どうやらリハビリは終わったようであったが、上手く行かなかったのだろう、その表情は冴えない。
それでも2人を見つけると、移動してこちらに来ようとしてくれた。しかし、ちょうど、幸村が通路側から見て死角に当たる位置に来た時だった。運が悪かったとしか言いようがない。

反対側から白衣を着た医者と、幸村担当のナースが話しながら歩いているのが聞こえた。

「幸村くんは今日も立てなかったのか・・・体の状態は問題無いはずなのに何故だろう、
テニスをしていると聞いていたのにメンタルが弱いんだろうな、テニスももう無理だろう」

医師と看護師は何も気が付かず、仁王と柳生の隣を通り過ぎて階段を下へと降りて行った。はっきりと聞こえた。それならば、幸村にも聴こえてしまったかもしれない。
仁王と柳生はぱっと幸村を見た。

その表情はショックを受けていた。2人はどうしていいか分からなかった。
足に根が生えたように、硬直していると、幸村は車椅子を操作して、くるりと後ろを向き、エレベーターへと進んで行った。仁王と柳生は追いかけたが、間に合わない。エレベーターのドアは閉まった後だった。

仁王と柳生はやはりどうしていいか分からなかった。それでも傷付いた友人をそのままにしておくことはできず、階段をまた登って幸村の病室へと急ぐ。

病室の前まで辿り着いたものの、病室のドアは閉じていた。

「今日はもう帰ってくれないか」

幸村の声が聞こえた。
柳生と仁王は何も出来なかった。

部屋の中からは押し殺すような泣き声が聴こえて、結局ドアを開けることは出来なかった。




時間は翌日25日クリスマスの朝へと戻る。

幸村のメッセージに驚いたゆめみであったが、時間がギリギリだったこともあり、ゆめみはそのまま電車に乗って菜苗のバレエ発表会会場がある横浜へと出てきた。

ゆめみはスマホで通話をしている。相手は幼馴染てある柳蓮二だ。幸村のメッセージは真田、柳、ゆめみの4人が含まれているグループチャットへの投稿であった。

「蓮二、メッセージ見た?」
「あぁ」
「精市、何かあったのかな?」
「個別のメッセージは送ってみたか?」
「送ったんだけど、未読スルーだよ」
「俺も弦一郎も同じ状況だ」
「ごめん、ちょっと待ってて」

ゆめみは話しながら花屋に着いたので、店員さんに「予約していたゆめだです」と声をかけ、またスマホを耳に当てた。
店員さんが、籠に入ったアレジメントの花を丁寧に袋に入れてくれようとしている。菜苗に送る花だった。

「蓮二は今日も夕方まで練習だよね?」
「そうだ、答えは分かっているが、念のため聞こう、ゆめみはどうする?」

その質問の意味がバレエの発表会を抜けて幸村の病室に行けるか?と言う意図だとは分かっていた。
ゆめみは迷った。
もしかしたら、精市の元に早く行くことが正解なのかも知らない。

ゆめみは手に持つ手作りの招待状を再度見た。
菜苗がずっと練習してきた発表会だ。絶対観に行くと約束していた。

「ごめん、行けないよ」
「分かっていた、俺たちも練習を休んでまで行ったところで精市に怒られるだけだろう」
「じゃあ予定通りに17時に病院最寄駅でいい?」
「承知した」

ゆめみは通話を切って、花屋の店員さんからお花を受け取りながらもまだ迷っていた。

辛い時は側にいたいと思っていたのに。この選択は精市を裏切ることになるのではないか。でも。


柳が電話を切ると、隣で様子を伺っていた真田が「ゆめみは何と?」と声をかけた。
2人がいるのは立海大付属テニス部の部室で、この部屋はレギュラー専用のため、2人の他には奥の方で丸井とジャッカルが準備をしている他には誰もいない。

「ゆめみは予定通り菜苗ちゃんのバレエを観に行くとのことだ」
「そうか、致し方無いだろう」

ちょうどその時、「おはようございます」と柳生が部室に入って来た。
その表情は暗い。確か昨日幸村のお見舞いに行くと言っていた。柳は何か知っている可能性が高いと直感した。

「弦一郎、先に行っていてくれ」と真田に声をかけて、柳は部室の奥に進んだ柳生を呼び止めた。

「柳生、精市から気になるメッセージが届いたのだが、何か心当たりがあるのではないか」

柳生は一種迷ったようだったが、周りを見渡し、秘密が守られることを確認した上で「私もちょうど柳くん、貴方に話したいと思っていたことがありました」と話し出した。
昨日、仁王と供に幸村の病室を訪れたこと、その時に医師の話を聞いてしまったこと、どうやら幸村は体が治っているにも関わらずまだ立つことが出来ないこと、その後病室に入れてもらえなかったこと。

「機能的に問題が無いのに、出来ないということは」
「ええ、イップスの一種と考えるのが妥当でしょう」

柳生の言葉をいつのまにか丸井とジャッカルも聞き入っていた。

「幸村くんがイップス・・・?」
「そんなはずねぇだろ、だって幸村は」

『それを武器に戦ってきたじゃねぇか』その続きをジャッカルは飲み込んだ。皮肉なものだと思ったのだ。

「今日はゆめださんが幸村くんの病院に行っているのでしょう?自信を取り戻すようなサポートを行うよう助言するべきではと思いまして・・・私から伝えても良いのですが、幼馴染の柳くんから伝えた方がより良いと思い、お願いしようと考えていました」

柳生は昨日のカレンダーの丸印を思い出しながらそう言った。確かに25日には丸がついていた。

「ゆめみは夕方、俺と弦一郎と供に訪問予定だ」
「夕方?彼女は今日は休日では?」
「ゆめみにも予定がある」

柳生の言い方が気に入らず、柳は少しイラッとした。しかしそのイラつきに柳生は気づかなかったようで、大げさにため息をついた。

「イップスを克服するのに必要なことは、小さな成功体験を積み重ねること、そして自信を取り戻すこと、そのために必要なことはやはり好きな子からのサポートが1番でしょう、今朝幸村くんからSOSがあったと伺いましたが、そこは何を差し置いても幸村くんをサポートすべきだと導くのが貴方の役目ではないのですか?」

柳生は一息で全てを言い切った。柳生自身も昨日その場面に遭遇していたにも関わらず何も出来なかったという無力感からイラついていた。
ゆめみのことを幸村の『好きな子』と言った柳生に、ジャッカルはおいおいと思う。ジャッカル自身もうっすら気付いてはいたが、気のせいだと思うことにしていたのに。いきなりの暴露とはジェントルマンとしてどうなのか。

柳はいつもの涼やかな表情では無かった。ゆめみのことを遠回しに配慮が足りないと言っているように感じ、頭に血が昇る。

「ゆめみはすでに多くの犠牲を払っている、そのゆめみにこれ以上のことを求めるのは道理に合っていない」
「私だってゆめださんの献身的なサポートには感謝しています、しかしだからこそこのような緊急事態に、力を貸して頂けないかとお願いすることが必要なのではないでしょうか」
「お前のお願いは強制の意と同義のように聞こえるが」
「なぜそんなに頑なになるのですか?分かっているはずです、ゆめださんならお願いするば応えて頂けること」
「なぜ当然のようにゆめみの優しさを利用しようとするのか」

もはや喧嘩である。
丸井は流石に止めるべきだと思った。
しかし止めに入る前に柳は一息ためてから言い放った。

「ゆめみは精市の彼女ではない!」

言ったあとで柳は思った。これが本音だと。

「そこまでじゃ」

2人の仲裁に入ったのは、丸井では無かった。今飄々と部室に入ってきた仁王である。

「お2人さん、クールになりんしゃい」

仁王の言葉に柳生と柳はお互い一種目を合わせたが、すぐに視線を外す。

「外まで聞こえていたぜよ、まず喧嘩をふっかけた柳生が悪い、謝りんしゃい」

柳生はう、と思ったが、確かに言いすぎたと反省したのか、咳払いをしてから「熱くなりすぎたようですね、申し訳ありません」と謝った。

「それから参謀、そんな言い方をすれば柳生がヒートアップすることくらい分かるじゃろ?ゆめだは今日は幸村の妹が主役の発表会と聞いてるぜよ、幸村が自分が行けない分ゆめだに行ってほしいと思っとることを説明したんか?」

柳は気まずい顔で「否、言葉が足りなかったようだ、申し訳ない」と謝った。
仁王はゆめこから幸村の妹の発表会のことを聞いて知っていた。

「皆勘違いしているようだが、幸村の問題は幸村が解決する、心配はいらん」

仁王の言葉に全員が確かにそうだ、と思った。あの幸村が、自分で乗り越えられないはずがない。

「あー、時間がもったいないのぅ、素振りでもした方が百万倍有意義というものじゃ」
「最後に来たお前が言うなよなぁ」
「プリッ」

何事もなかったかのように、ロッカーへと進む仁王に丸井がツッコミを入れた。
丸井は正直仁王を少し見直していた。きっと自分が仲裁に入ったら、柳生の味方をしていただろうと思ったのだ。

「皆同じ方向を向いている、そのことを忘れちゃいかんぜよ」

仁王は最後にそう呟いた。

「赤也ぁ!たるんどる!クリスマスまで遅刻かぁ!?」

外から真田の怒鳴り声が聞こえてきて、全員大急ぎで部室を出た。





時間は進み、夕方。
ゆめみ、柳、真田の3人は病院の前にいた。

「いざ、出陣!」

真田の妙な掛け声にゆめみと柳は頷いた。
結局朝幸村から『今日は来ないで欲しい』というメッセージがグループチャットに届いた以降はメッセージを送っても全て未読スルーされていた。
幸村が今どういう状態か分からないが、昨日のことは柳から簡単に真田とゆめみに共有されていた。

誰にも会いたくないのかもしれない、と3人は思ったが、それでも会いに行かないという選択肢は無かった。
ここまで辛い時も苦しい時も一緒に乗り越えてきた仲間である。それが個人的な話であっても、出来れば一緒に乗り越えたい、それが3人の共通の願いだった。

エレベーターに乗り、7階で降りて、ナースステーションを過ぎて幸村の部屋の前へ。
いつも歓迎してくれるナース達は、今日は微妙な空気を出していた。

先を歩いていた真田がノックをしようとした瞬間。

「来ないでほしいと伝えたはずだよ」

幸村の声が聞こえた。その声は、いつもの穏やかな声ではなく、まるで別人の様だな、とゆめみは思った。

「幸村、そのメッセージのことだが」

真田は言葉を途中で切った。何かを伝えようとしていることは十分伝わってきたが、なんと伝えていいのか分からないようだった。
真田が考えすぎて何も言えなくなっている間に、柳も声をかける。

「精市、俺たちはただ時間を共有したいだけだ」

幸村からの返事は無かった。柳は「開けるぞ」と声をかけて、中へと入った。
幸村はベッドに入ったまま、座っていた。
相当自暴自棄になっているのだろう、本類は全て床に落ちており、クリスマスに向けて作った装飾も全て剥がされており、一緒に作った松ぼっくりのサンタ人形も床に落とされていた。
その瞳は窓の外に向けられており、こちらを見ようとはしなかった。

「幸村・・・」

真田が声をかけたが、幸村は無視している。
ゆめみは後悔していた。昨日、ここに来なかったこと、今朝、ここに来なかったこと。
こんな状態の精市を1人にしてしまっていたこと。
ゆめみは思わず、床に散らばったものを片付けようと、近くに落ちていた教科書類を拾おうとした。

「やめてくれないか」

ゆめみはビクッと肩を震わせて、動きを止めた。幸村はこちらを見ていた。
その瞳は暗く、冷たい。

「柳、さっき時間を共有と言ったね?それで、何が変わったんだい?」

柳は思った。何も言っても通じないであろうと。それでも想いを伝えようと口を開く。

「俺たちには何も出来ないことはわかっている、だが、時間を共有することで、精市の苦しみを」
「俺の苦しみ?分かるとでも?」

幸村の声はほぼ怒鳴り声となっていた。

「分からない、分かるはずがない、お前たちはテニスができるんだから」

真田も柳もゆめみも、返す言葉が無かった。
ただ悲痛な表情で幸村を見ていた。

「俺はテニスができないんだ」

そう口にした幸村の心の痛みはどれほどだろう。ゆめみは思わず幸村に駆け寄った。

「精市、そんなこと言わないで」

幸村は止まらない。

「俺からテニスを取ったら何も残らないのに」

ゆめみの目からは涙がこぼれ落ちていた。

「そんなことない」
「嘘だよね、ゆめみ、キミだってテニスが出来ない俺には愛想を尽かすはずだよ」

ゆめみは大粒の涙を流しながら「そんなことあるわけないよ」と言った。
それでも幸村の心にはなにも響かなかった。

「俺には生きている価値がない」

その時だった。

「ゆぅきむらぁー!!!」

パチーン!
と何かを叩く音がした。

一瞬の出来事で、ゆめみは何が起こったのか把握するのに時間がかかった。

真田が幸村に鉄拳をくらわせたのだ。

「絶対口にしてはならん!何があってもだ!幸村、お前の強さは俺が知っている!」

幸村は叩かれた頬を押さえていた。

「もう帰ってくれないか」


そうして、ゆめみ、柳、真田の3人はカフェテリアで反省会をすることになった。
ゆめみはショックでしばらくメソメソ泣いていたが、とりあえず3人でとんかつを食べることにした。
このカフェテリアの日替わりメニューがとんかつだったからだ。

クリスマスの夜に病院のカフェテリアで食事をする者は珍しいらしく、ほぼ貸切状態であった。

「ひとまず鉄拳はやめた方がよかったのではないか」

落ち着いた柳がそう言うとゆめみも「痛かったよ、絶対」と言った。

「うむ、そうだな、すまん」
「弦一郎の気持ちは理解するが」
「そうよね、絶対聞きたくない言葉だったもんね、でも、本心じゃないわ」

ゆめみは思い出しながら続けて「今までが異常だったのよ」と言った。真田は不可解な顔をする。

「どういう意味だ?」
「これが普通なんだろうなって思ったの、精市、11月の初めに痺れが出た時から一回も弱音を吐かなかったでしょう、ずっと穏やかで心配する私たちのことを気遣ってくれてた、でもそんなの普通じゃないよ、だって精市だって私たちと変わらない中学2年生なんだから」

ゆめみの言葉を聞いて、柳も頷いた。

「俺も同じことを考えた、荒れる精市を見ながら、こんな風に感情を爆発させることも必要なのではないか、とな」
「そ、そういうものなのか」

そんな幸村を殴ってしまったのか、と真田はショックを受けたが、ゆめみが優しく「弦一郎の気持ちはわかってくれてるから大丈夫」と慰めた。

「とりあえず精市の気持ちが落ち着くまで何回でも来て、罵倒され続けるのはどうかしら」

ゆめみがそういった。意外とたくましい女性だな、と真田は好ましく思う。
柳は「ただ罵倒されるのでは学習が無い、次に同じことを言われた時に反論できるよう準備するのがいいだろう」と言った。
ゆめみは論点がズレている気もしたが、そのまま話を聞くことにした。

「うむ!では幸村のテニスを取ったら何も残らないへの反論を考えるとしよう!」

「うーん、これは普通にいっぱいあるよね」
「そうだな、まずはやはり『植物博士』ではないか、花の配合についても詳しいとは趣味の域を超えている」
「同意だ!横文字の花の名前も一字一句覚えておるとはあっぱれだ!」

「後は『印象派評論家』とかはどうかな?ルノワールとかモネとかに詳しいよ」
「それに関連して『水彩画画家』も追加しておこう、毎年賞を受賞している」
「同意だ!幸村の筆遣いは書道にも通じるはずだと考えている!」

「あとはねー、うーん『正義感が強いリーダー』とかは?ほら悪口嫌いだし、リーダーシップもあるでしょ」
「リーダーシップと絡めて『ファッションリーダー』とも言えるのではないか?精市の肩かけジャージが今流行っている」
「同意だ!部員から女子生徒まであのスタイルをしている者をよく見かける!さすがは幸村だな!」

真田、ゆめみ、柳の順に会話を進めていたが、真田だけは同意しているだけであった。ゆめみが「弦一郎も何か考えて」と言ったので、うーむと考えた。その果てに出した答えはこれだった。

「幸村には飯ごうを爆発させる才能がある!」

これにはゆめみと柳は大爆笑だった。
忘れもしない、1年生の林間学校の時の話だ。後にも先にも飯ごうを爆発させた人の話など聞きはしない。
実は仲良し10人メンバーの中でもこの時の話は鉄板ネタになっているのだった。

3人で笑いながらその時の思い出話へと発展した。笑って話しながらゆめみは思った。なんでここに幸村がいないんだろう、と。
クリスマスという特別な日に、彼は荒れた病室に1人でいるのだ。

「さて、そろそろ面会時間も終わりだ、また明日出直すとしよう」

立ち上がって帰ろうとする柳に、ゆめみは手を小さく振りながら言った。

「2人とも気をつけて帰ってね、私、ママと一緒に帰るから」

嘘だった。本当は母親は今日は夜勤で、夜は帰らない。しかし柳はそれを知ってか知らずか「承知した、ゆめみも気をつけるんだぞ」とゆめみの頭を優しく撫でた。



消灯時刻を知らせるアナウンスが鳴っていた時、幸村は自己嫌悪に陥っていた。

せっかく来てくれた友人達に酷いことを言ってしまった。

ぱっと部屋の電気が一斉に消えて、ベッドライトをつけていなかった幸村の部屋は真っ暗闇に包まれた。すぐに今日のゆめみの泣き顔を思い出す。

泣かせてしまった、俺が。

この2日間、ずっと会いたくて仕方がなかったのに。せっかく来てくれたのに。

「はぁ」

何度目かわからないため息が口から漏れた。
と、その時だった。
スーッとドアが開く音がした。
そして、何かが入ってくる気配も。

幸村は体を強張らせる。看護師や医者ならば、必ずノックをして声をかけてくるはずだ。
まさか、おばけ・・・?

しかし、その何かは、床に落ちていたもので足を滑らせたようで、バッターン!と音を立てながら、こちら側に倒れてきた。思わず支える、と同時にふわりと花の香りがした。
幸村はその柔かな感触と、落ち着く香りに誰かすぐに分かった。

「幸村くん、大丈夫?」

不審な音に気がついた担当ナースの天野川
木子が懐中電灯を持って部屋の中に入ってこようとしていた。
幸村は大慌てでその何かを布団の中に引き入れた。

「すみません、物を落としてしまいまして」

ナースは部屋の中を懐中電灯で照らす。
部屋に散らばった色々なものを見て、顔をしかめて「明日は片付けないとダメよ」と注意した。
その間も、幸村の体の上には、おばけではない何かが乗っており、幸村はドキドキして仕方が無かった。
早く行ってほしい、と願うが、天野川は続けて確認した。

「今朝も言ったけど、面会謝絶にすることも出来るんだからね、無理して会わなくてもいいのよ」
「はい、知っています、もう明日は大丈夫です」

幸村はそう確信していた。続けて「おやすみなさい」というと、天野川はようやく帰って行った。

幸村はベッドサイドのライトを付けた。
そして、布団をめくる。

「メリークリスマス、ゆめみ」

ゆめみが幸村の胸の上にちょこんと乗っていた。申し訳無さそうな表情であるが、やっぱり可愛い。幸村は優しく頭を撫でた。

「相変わらずおてんばがすぎるね」

ゆめみは不思議そうに「怒ってないの?」と聞いた。幸村は「呆れたよ、俺の負けさ」と言った。

「じゃあ、私の話、聞いてくれる?」

幸村が頷く。ゆめみの話は、自分を慰めて鼓舞する内容だと予想していた。今は立てなくても徐々に練習すればできるようになる、などの看護師から散々もらったようなそんな言葉。
しかし、そうではなかった。

「あのね、どうしても精市に会いたくて、蓮二に嘘ついて病院に残ったまでは良かったんだけど、8時半くらいにカフェテリアの電気も消えちゃってそのあとどうしていいか分からなくて」

ゆめみはなんと30分間も階段で1人で隠れていたらしい。その間警備員や看護師が階段を使用するたびに上や下に逃げて、なんとかやり過ごしたらしい。この温室育ちで怖がりのゆめみが薄暗い階段に隠れていたなんて。

「怖くなかったかい?」
「怖かったし、寒かったの」
「それは大変だったね」

ゆめみは確かに冷たかった。幸村は「温めてあげよう」とゆめみをぎゅっと抱きしめた。ゆめみは幸村の胸に耳を押し当てていた。
なんて幸せな状況なんだ、と幸村は思った。
さっきからドキドキして仕方ないが、この状況でなら心音が聞こえるのは普通のことだろう。

「精市、ごめんね」

ゆめみはポツリとそう言った。
それは俺のセリフだと思った。

「俺も、すまない」

ゆめみは首を動かして俺を見上げた。
上目遣いが可愛すぎる。

「じゃあ、これで仲直りね」

ゆめみはそう言って笑った。その笑顔はいつもの花開くような、ほっとするもので、幸村は心から安心した。

「これからどうするつもりだい?」
「このまま朝までここにいたいなと思っているの」

ゆめみの回答に幸村は心乱される。

「それはさすがに」
「実はさっき階段で逃げてる時にうるさいから靴を脱ぎ捨てたの」
「両足とも?」
「両足とも!」

なぜか武勇伝を語るようにキラキラした瞳で教えてくれるゆめみ。

「だから、帰れないの!朝5時くらいになったら靴を見つけられるようになると思うから、そしたら靴を見つけてこっそり階段で下まで行って、電車に乗って帰るわ!」

なんでこんなに嬉しそうなんだろうか。
靴を階段に落として来るだなんて、シンデレラみたいだと幸村は思った。それを自分で取りに行こうとしているなんて、なんて自立しているお姫様だろうか。そんなことを考えたら、面白くなって吹き出した。
笑った幸村に、ゆめみはさらににこにこした。

「ご両親は知っているのかい?」
「ママは夜勤だからバレないし、パパにはゆめこの家に泊まるって言ったの!ゆめこにもおっけー取り付けたし、完璧よ」

ゆめのさんもこんなことに加担させられて大変だな、と思った。

「ベッドが1つしかないけど・・・」

簡易ベッドを依頼すれば取り付けてもらえるが、常設している訳では無い。ゆめみはその不都合にも、キラキラした瞳で「大丈夫!」と言った。

「私寝ないから!」
「徹夜するのかい?経験は?」
「何もかも初めてなの、病院に泊まるのも、徹夜するのも、裸足で逃げ回ったのも!」

ゆめみが楽しそうにしている理由が幸村にはやっと分かった。それは自分にもある感情だった。

「悪いことは楽しいよね」

幸村の言葉に、ゆめみはニヤリとした。

「精市と一緒なら、良いことだって楽しいけど」
「分かったよ、そこまで言うならゆめみに付き合うことにする」

もうこんな時間に1人で返す訳には行かないし、元はと言えば俺が自暴自棄になったことにも原因がある。
ゆめみには悪いけど、明日の朝ゆめだ先生に知らせて夜勤明けに一緒に帰ってもらえばいい、そう思った。

「じゃあ、精市に認めてもらったところで、服を脱いでもいいかな?」

ゆめみの爆弾発言に、幸村は「困るよ」と思わず顔を赤くした。
何か変な妄想が頭をよぎったが、ゆめみをあらためて見て納得する。ゆめみはドレス姿だったのだ。確かに疲れるし、皺になってしまうだろう。

幸村はゆめみにパジャマを貸すことにした。幸村のキャビネットの中には予備のパジャマが常に数組入っている。


「それでね、横浜ヨドバシの6階に行ったら、小学生に混ざって弦一郎と蓮二が真剣にガチャポンをしててね、それがなんか可笑しかったの」
「フフ、想像しただけでおかしいね」

ベッドのリクライニングを操作して、ベンチの形にし、ゆめみと幸村は2人で並んで座っている。
ゆめみは髪をとき、そのふわふわの髪はそのまま下ろしている。
いつもまとめていることが多いから、それがとても新鮮で、いつも以上に可愛く見えた。
それに身に纏っているのは、幸村のパジャマで、大きいから袖を捲っているのも、男心をくすぐる。
さらに問題なことに、幸村はゆめみのことが好きだった。幸村は果たして無事に朝まで理性を保てるだろうかと不安に思う。
電気をつけていると、見回りの看護師から声をかけられてしまう可能性があるので、電気は消して、代わりにカーテンを開けていた。
月明かりがあり、お互いの顔を見る分には十分であった。

「あっ、そうだ!今日の菜苗ちゃんのバレエ、精市に見せようと思って、撮影して来たの」

本来なら撮影禁止であったが、ゆめみは事情を話し、撮影許可をもらったのだった。精市は照れたように「それは嬉しいよ、菜苗に恨みを言われてしまっていてね」と言った。
ゆめみはジャーン!と言って、鞄から、デジカメよりも少し大きいくらいの電子機器を出した。真っ白で丸いデザインが可愛い。

「小型プロジェクターだよ、今朝サンタさんにもらったの」

ゆめみはドヤ顔でそう言ったものの、初めて使うように「あれ?」とか「はて?」とか言いながら試行錯誤した。Bluetoothがよくわからないようだ。幸村はそんなゆめみの様子が可愛くて、くすくす笑いながら「有線でスマホを繋ぐといいよ」と充電器のコードを差し出した。
プロジェクターとスマホをつなげると、電源を入れてだけで、無事に投射された。こんなに簡単だったなんて。真っ白い奥側の壁に、バレエの発表会の様子が映し出される。

「ほら、見て!すごく素敵でしょう?」

ゆめみはシーン毎に手を合わせて、菜苗がどんなに可愛かったかを熱弁する。
幸村は観ながら後悔していた。菜苗のバレエをその場で観れなかった後悔、と言うよりも、ゆめみと一緒に観ることが出来なかった後悔だ。
隣で一緒に観られたなら、どんなに感動したことだろう。

幸村の中で、スン、と願いの種がまた芽吹くのを感じた。もう何もかもどうでも良いと思っていた、砂漠のような気持ちが潤っていくようだった。

来年はゆめみと菜苗のバレエを観に行きたい。
前みたいにゆめみの隣を歩いたり、
ゆめみと出かけたり、転びそうになるゆめみを抱きとめてあげたり、そんなことをしたい。

そして、ゆめみに3連覇を捧げられたら。

最後に行き着く先はやはり、テニスだった。
俺の心からの願いはやはり立海3連覇で、3連覇をゆめみに見届けてほしい。
それだった。

「テニスがしたい」

幸村の願いが口から飛び出た。
幸村の目から涙が溢れていた。

ゆめみは隣でそれをただ見ていた。綺麗な涙だと思った。
ゆめみは無言で幸村の涙を優しく指で拭った。

「テニスが俺の全てだったのに」

止まらなかった。
ゆめみの優しさに甘えて、幸村は何度も弱音を吐いた。

「どうして俺なんだろう」
「何をしたんだ」
「皆綺麗事ばかり」
「テニスが出来る人には絶対に俺の気持ちは分からないよ」

ゆめみは何も言わなかった。
ただただ幸村の涙を拭って、優しく微笑んでいた。ゆめみの瞳にも涙が溜まってはいたが、流れることは無かった。

「ゆめみ、キミはどうなの?テニスが出来ない、3連覇出来ない俺でも同じように接してくれるのかい?」

幸村はそう言いながら、自分はずるいなぁと思った。
ゆめみの回答は分かりきっていたからだった。

ゆめみは「もちろんよ」と頷いた。

「私にとって大切なのは精市自身なの」

ゆめみの瞳から初めて一粒涙が流れた。幸村はたまらずゆめみの肩に顔を押し付けた。愛しすぎてたまらなかった。
ゆめみはふわりと幸村の髪を撫でた。

「でも3連覇はしてほしいけど」

幸村はぱっと起き上がってゆめみを見た。ゆめみはイタズラする時のような、無邪気な笑顔だった。

「台無しだよ、そこはテニスはどうでもいいと言ってくれるのかと思ったのに」

幸村が唇を尖らせて不満をいうと、ゆめみはくすくす笑って「だって精市なら出来ちゃうんだもん」と言った。
ひとしきり甘えて、泣いたからか、心はスッキリしていて、今までどんなに同様の慰めを聞いても動かなかった心が動くのを感じた。
やっぱりゆめみは俺にとって特別なようだ。

「でも立てないんだ、何度トライしても変に力が入ってもつれてしまう」

素直に悩みを口にできた。
ゆめみはそうね、と少し考えた後、「マッサージしてあげようか?」と言った。

「いや、でも、うーん」と幸村は葛藤した。高揚感と羞恥心が互角のバトルを繰り広げる。でもこんなチャンスもうないな、と思った幸村は、小さな声で「お願いしてみようかな」と言った。

「本当は足湯を先にした方が効果があると思うんだけど」

と言いながら、ゆめみは幸村の足を丁寧に揉み始める。
ふくらはぎから指の先まで、滑らかに動く白くて綺麗な指が通るたび、快感が幸村を刺激する。
幸村はずっと両手で顔を押さえていた。そうでもしなければ、緩み切った顔をゆめみに晒すことになる。ゆめみはマッサージに集中していたので、幸村の顔は全く見ていなかった訳だが。
幸村はもし今死んでも後悔は無いし、死因は快楽死で間違いない、などとくだらないことを考えていた。

「どうかな?」

ゆめみの声が聞こえて、幸村がそっと両手を外すと、ゆめみが期待した瞳で幸村を見上げていた。

「すごく良かった」

思わず本音が漏れて、幸村は赤面する。「もちろん効果がありそうという意味だよ」と言い直した。まさかゆめみの行為自体に萌えていたとは絶対に悟られてはいけない。

「良かった、精市の足は特別な良い足だよ」

ゆめみはそっと足に熱を送るように触りながらそう言った。ゆめみにそう言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だった。

「立ってみようかな」

自分の口からそんな言葉が出ていた。なぜ出来るかもと思えたのかがわからなかった。
本当なら、ゆめみの前で失敗することは避けたいはずなのに。
ゆめみはにこっと笑って「やってみよっか」と言った。そして、そっとベッドの下に落ちていた本類を拾って、横に寄せた。
人が1人立てるくらいのスペースが出来る。

幸村はその場所の上に座った。このまま立ち上がるようにベッドから降りれば立てるだろう。通常であれば。

最近の自分であれば、そのままもつれてまたベッドにダイブだな、と思った。

やると言いながら、幸村は行動に移さず、時間だけが過ぎた。

「倒れるなら後ろに倒れてね、私が抱きしめてあげるからね」

ゆめみは幸村の後ろに座ったまま、そんなことを言う。

「それは倒れたくなるよ」
「うふふ」
「立てた場合のご褒美は無いのかい?」

ねだるような幸村に、ゆめみは可愛いなと思った。後ろから「ご褒美は何がいいの?」と聞こえて、幸村は振り返った。
すぐ近くにゆめみの顔があった。

キス、しか思いつかない。自分の下品さに飽き飽きした。

「海原祭でゆめみと踊る権利がほしい」

幸村はそう言っていた。普段の自分なら絶対言えない言葉が、今は自然と口から出た。
ゆめみは少し目を大きく開けて驚いた。ずいぶんと先の話だと思ったのだ。
しかしすぐににっこり笑った。

「喜んで」

幸村はゆめみの最後の一文字が口から発せられる前に立っていた。
昨日までの自分が嘘のように、ストンと綺麗に立つことが出来た。

褒めてほしくて振り返ろうとしたその前に、後ろからゆめみに抱きしめられた。

「精市、頑張ったね」

ゆめみの声は震えていた。
幸村は思った。

またこの子に返せないほどの恩が出来てしまった、と。

その後、幸村とゆめみはお互いに眠くならないように、手を繋いで話をすることにした。
しかし朝を迎えた時には、寄り添って眠る2人が見つかり、ゆめみは母親に怒られることとなった。





(220704/小牧)→144

また一緒に悪いことしようね。





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