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(不良娘、おはようさん/種ヶ島・仁王・丸井)
新年1日目、なんだかとても清々しい朝だな。
なんて思って目を覚めたゆめこはスマホで時計を確認すると「違う、清々しい昼だ」と心の中で訂正した。
時刻は13時を過ぎており、遮光カーテンの隙間からこれでもかという程の日光が"早く起きろ"と急かすように差し込んでいる。
昨日は毛利とカウントダウンイベントと初詣に行き、近くのファミレスで朝5時まで語り合った。
語り合ったという程内容は濃くないが、とりあえず何かは話していた。深夜3時くらいを過ぎた辺りで二人ともウトウトしてしまい、記憶が曖昧なのだ。
ドリンクバーのコーヒーを飲みまくったがあまりカフェインの効果も感じられず、最後の方にはゆめこも毛利も眠い眠いと繰り返すばかりだった。
しかしお互いが寝そうになるとどちらかがちょっかいをかけて起こしていたため寝落ちすることもなく、その度に二人はへらへらと笑っていたので朝まで楽しい時間だったことには違いない。
思い出し笑いをしながらゆめこはメッセージアプリを起動した。いろんな友達からのあけおめメッセージは未読のままに毛利のトークを探して開くと、朝7時くらいに「おやすみ」というメッセージが届いていた。
毛利と別れお風呂に入るやいなやベッドに潜り込んだゆめこは、既にその時間には爆睡してしまっていたようだ。
ゆめこは「おはよ」というプーさんのスタンプを送ると、のそりと起き上がってベッドから起きた。
既におはようと言う時間帯は過ぎていたが"もう起きてるよ"というニュアンスを込めてのスタンプだった。
今日は親戚の集まりもなく外出の予定も無いので、ゆめこはクローゼットから上下セットアップの部屋着を取り出すとそれに着替えた。
寝巻きとほとんど変わらない格好であるが、一日中家にいると決めた日は楽だからという理由でよく着ている。
ふわふわのパイル生地で着心地が良いのだ。
ゆめこはスマホだけ持って部屋を出ると、顔を洗うべく洗面所に向かった。
鏡と向き合い、大きなリボンが付いたピンクのヘアバンドを装着していざ水を出そうとした時。
「不良娘、おはようさん」
と後ろから声を掛けられ、ゆめこは顔を上げた。
背後に立っているだろう人物と鏡越しに目が合い、ゆめこは驚きから目を見開いた。種ヶ島が洗面所の入り口からひょっこり顔を出してにこにこしていた。
「ど、どうしてここに?」
目線は鏡の中の種ヶ島に向いたまま。色々聞きたいことはあったが、とりあえず一番気になった疑問が口をついて出た。
確かに彼は昨晩家に来ていたが、まさか日を跨いで居るとは。てっきり自分が帰ってくる頃にはもういないだろうな、と思っていただけに驚きを隠せずにいた。
「泊まらせてもろたから。てか拓哉さんが帰してくれんくて、昨日夜通し泣いてたで?」
「えー・・・」
あの後そんな事になっていたとは、ゆめこはドン引きして顔を引き攣らせた。夜通し、しかも新年を迎えるというおめでたい日にずっと兄に付き合ってくれていたなんて、申し訳ないにも程がある。しかも今は泣き疲れて寝てしまっているらしい。子供か。
ゆめこはくるりと振り返り種ヶ島に向き合うと「ご迷惑おかけしました」と深々と頭を下げた。種ヶ島はけらけら笑いながら「ほんまやで」とゆめこの肩を叩く。
かなりの迷惑を被ったはずなのに、笑って済ませてくれる種ヶ島の優しさにゆめこが感動して顔を上げたのも束の間。
「せっかく年越し合コン誘われとったのに〜」
「・・・」
初めて聞くパワーワードにゆめこは衝撃を受けて固まった。
忘れていた。彼はパリピだった。
完全に見た目だけの判断ではあるが種ヶ島のことをパリピ系チャラ男に認定していたゆめこは、改めてそのことを思い知らされた気分になった。
「なんなんですか?その胡散臭い集まりは」
まるで汚らわしいものを見るような目になったゆめこに、種ヶ島は誤魔化すように「ちゃい☆」とウインクを決める。しかしそんなことでゆめこの衝撃が消える訳もなく、
「・・・」
「・・・」
なぜか無言で見つめ合うという謎の時間が数秒続いた。
先に沈黙を破ったの種ヶ島で、彼は「ゴホン」とわざとらしい咳払いをすると「で、ゆめこちゃんはどやったん?」と話を逸らした。
そのことで引き戻されたゆめこはこてんと首を傾げた。
「どうって?何がですか?」
「彼氏と一緒に年越したんやろ?」
「はい」
「しかも朝帰り。年だけやなく一線も越えたんとちゃう?」
ニヤリと笑って下ネタと親父ギャグとセクハラを融合させたようなことを言ってのける種ヶ島に、ゆめこは冷ややかな眼差しを向けた。
以前の彼女だったら「どういう意味ですか?」なんてウブな反応を見せていたかもしれないが、彼氏持ち歴5ヶ月おまけに少女漫画式恋愛トレーニングを積み重ねてきた彼女には、彼の言う一線とやらに心当たりがあった。
「越えてませんけどなにか?」
「えっ、そうなん?」
心底意外そうな顔をする種ヶ島。
まったく、世の男が全員チャラいと思わないでいただきたい。寿三郎さんはそんな人じゃないもーん、とゆめこは腰に手を当て威張るようなポーズをした。
「私の彼氏、誠実な人ですから」
「さよか」
「ちゃんと私のペースに合わせてくれてますし」
これまで一度もそういった行為をしたことは無いし、誘われたことも無い。初めての彼氏だと伝えていたこともあってか、ゆめこには毛利に大事にされているという自信があった。
そして何より毛利寿三郎という男はすぐ体を重ねたがるような、そんな汚らわしい人ではない。
ふふんと得意げに鼻を鳴らすゆめこを見て、種ヶ島は「うーん」と言いにくそうに視線を彷徨わせた。
「それ我慢してるだけちゃう?」
しん、と訪れる沈黙。
威張っていたゆめこはまるでマネキンになってしまったかのよう、ポーズを決めたまま石化した。
そして「そんなこと、ない、ですよ」となんとかカタコトの日本語を絞り出した。
「いや、絶対そやって」
「違います違います」
「男はみんな狼やからな、いつ手ぇ出そうか虎視眈々と機会をうかがって、」
「わーーわーーー!もういいです!」
こわいこと言わないでください!
ゆめこはブンブンと体の前で両手を振って待ったをかけた。
確かにクリスマスの日にどエロいキスされましたけれども!と少し図星だったゆめこは赤面して慌てふためいた。
そんなゆめこに種ヶ島は「せやけど、」と更に言葉を続けそうになる。そんな幻想を抱いていたらもし現実に直面した時ショックを受けてしまうぞ。と、そう思った種ヶ島は兄心が働き一言忠告しておきたかったのだ。
しかしその時。ピコン、とゆめこのスマホからメッセージアプリの受信音が聞こえ二人はぴたりと動きを止めた。
「彼氏からちゃう?」
「そうかもしれないです」
噂をすればなんとやら。先程おはようスタンプを送っていたので毛利から返事が来たのかもしれない。ゆめこはスマホを開いてメッセージを確認した。
仁王からだった。
「初詣連れて行きんしゃい」
の一文。
小さい子供じゃないんだから、行きたいと思えば勝手に行けるだろうに。わざわざ連れていけだなんて、相変わらず友達いないのかな?などと失礼なことを考えていると、
「やっぱりほうか、顔ニヤけてんで」
種ヶ島にそんなことを言われ、ゆめこは「えっ」と顔を上げた。私どんな顔してたんだろ?まったく自覚の無かったゆめこはスマホを持っていない方の手で自分の頬を触った。
どうやら本気で彼氏からだと勘違いしているらしい種ヶ島は、「ええな、仲良くて」と微笑ましそうに言った。
「ほな、俺は拓哉さんの部屋で休ませてもらうで」
「あっ、はい。修二さん、兄のこと色々ありがとうございました」
「ええよ☆せやけど夜遊びと朝帰りもほどほどにな、不良娘」
種ヶ島はぽんぽんとゆめこの頭を撫でると、そのまま踵を返して二階へ続く階段を上っていった。
夜遊びも朝帰りもいつもしてる訳じゃないのに、"不良娘"なんて変なレッテルを付けられたゆめこは腑に落ちない顔で種ヶ島の後ろ姿を見送る。
しかしすぐに思い出したようにスマホに視線を落とした。仁王宛に「やれやれ」というスタンプを送った後、「14時家の前集合でよろ」と告げると、数秒で「了解ナリ」と返事が来た。
そうと決まれば急いで外出の準備をしなければならない。顔を洗い、化粧水を付け、鏡の中の自分と睨めっこする。
両手で頬を包み込み、化粧水をお肌に浸透させている間、ゆめこはぼんやりと仁王のことを考えた。
やっぱり今年も家族はいないのだろうか、一人で過ごす年越しは寂しかったんじゃないか、いろんなことが頭を過ぎる。
後で本人に聞いてみよう。そう決意した時、ゆめこは同時にあることに気が付いた。
待って。仁王くんと初詣行くのマズくない?
彼氏である毛利がムスッとした顔でこちらを見ている幻影が見えて、ゆめこはドキリとした。集団ならまだしも、二人きりは許してもらえなさそうだ。
とは言えもう既に仁王には返信してしまったし、こうしている間も刻一刻と待ち合わせの時間は迫ってきている。今更断るのも心が痛い。
ゆめこはうーん、とひとしきり頭を悩ませると「まぁいいか」と開き直った。仁王と行く神社は家のすぐ近くだし、万が一誰かに目撃されたとしても偶然会ったと言えばいい。
それに毛利は仁王のことを警戒しているようだが、ゆめこには「仁王くんとはそんなんじゃないし」などと言う謎の自信があった。
一時はキスをされたりもして、あれ?様子がおかしいぞ、なんて思うこともあったゆめこだったが、本人に問い質した際まるで気の無いような返事をされたので、
「仁王くんってもしかして私のこと・・・?」
なんて憂惧はきれいさっぱり消え去っていた。
むしろ1ミリでもそんなことを思ってしまった自分を恥じたい。「無理して親友と言わせてしまっていたんじゃないか」などといらない心配をしてしていたあの日々はゆめこにとってほぼ黒歴史同然である。
なんという思い上がり。自意識過剰にも程ある。
ゆめこはそんな風に思っていた。
頭に付けていたヘアバンドを無造作に取り、ゆめこは着替えをするべく自室へと戻っていった。
「お待たせー!明けましておめでと〜今年もよろしく〜」
あれから身支度を終えたゆめこが家を出ると既に門の前には仁王がいて、ゆめこは必要な挨拶を一息で言い切りながら彼に駆け寄った。
そんなゆめこを見て「相変わらずやかましい奴だな」なんて感想を抱きつつ、仁王は「はいはい、よろしく」と適当に返事をする。
「一人で初詣も行けないなんて、仁王くんって本っ当に私がいないとダメだよね」
口元に手を当てぷぷぷとわざと小馬鹿にしたように笑うゆめこ。仁王は「プリッ」と呟いてそんな彼女を肘で小突いた。
ちなみに今年は振袖を着る気力も体力も時間も無かったのでゆめこは私服姿だ。
「そういえばさ」と、神社へと向かう道すがらゆめこが口を開いた。
「今年も仁王くん一人だったの?」
「いや、今年は家族が家にいたぜよ」
「そうなんだ!」
良かった、一人じゃなかった。
孤独な年越しでは無かったようで、ゆめこは目に見えて顔を明るくさせた。「姉貴も帰ってきて騒がしかったのう」と愚痴をこぼした仁王の顔は歪んでいたが、おかげで寂しい思いはしていないようだった。
元旦になった今日、仁王以外の家族はみんなで四国に旅立ったらしいが、年越しの瞬間だけでも家族と過ごせたなら何よりだ。
にこにこ笑いながら「安心した」と息を吐くゆめこを仁王はじっと見つめる。
「なしてお前さんが嬉しそうにするんじゃ?」
「だって。年越しぼっちなんて孤独じゃん、寂しいじゃん!」
「そうでもないぜよ」
「えー、私だったらやだな」
「なら俺がぼっちだったとして、それを聞いたらゆめのは一緒に過ごしてくれたんか?」
「・・・・・」
「そこは悩んだらいかんぜよ」
考え込むように視線を宙に彷徨わせたゆめこを見て、仁王はすかさずツッコんだ。そこはきっぱりと毛利と過ごすから無理だと断らなければならないところだろう。
「え、でもさ」と反論しようとするゆめこに、この少女はどこまで本気なんだ?と仁王は眉を顰める。
もしかしたら誘ったら一緒に過ごしてくれたのだろうか、そんな淡い期待が頭を過った。しかし、「うーん」と悩みながら髪を耳にかける仕草をするゆめこをちらりと見た瞬間、その期待は見事なまでに打ち砕かれた。
左薬指でキラリと光る指輪。
ブレスレットとお揃いのようなそのデザイン。毛利からのプレゼントだということは火を見るよりも明らかだった。すらっと細いゆめこの指を引き立てる指輪は悔しい程彼女に似合っている。
仁王が目を離せずにいると、ふとゆめこが顔を上げてばちりと目が合ってしまった。「ん?」と微笑むゆめこが、なんだかとても大人っぽく見えた。
「それ」
「?なに?」
「毛利先輩から貰ったんか?」
「あっ、これ?そうなの〜、クリスマスプレゼントで。かわいいよね」
左手を宙にかざしにこにこと笑うゆめこに、心臓を鷲掴みにされたように痛みが走る。
分かっているはずなのに。
ゆめこが毛利の彼女であることも。自分が恋愛対象として見られていないことも。全て理解した上でゆめこを好きでいる道を選んだのに。たまに片想いの苦しさに呑み込まれてしまいそうになる時がある。
クリスマスの日も、たまたま家の前でゆめこと毛利を目撃してしまった時は息が苦しくて仕方がなかった。二人の姿を見ると急に辺りの酸素が無くなってしまったかのようにうまく呼吸が出来なくなるのだ。
その後観に行った映画だって、ろくに中身も覚えていない。
口から溢れそうになった溜め息をなんとか我慢したところで、「あ」とゆめこが思い出しように声を出し仁王は顔を上げた。
「クリスマスと言えば、仁王くん元気無かったよね?」
今まさに思っていたことを聞かれ、仁王はぎくりと肩を揺らした。エスパーか。普段は脳天気にへらへらしてるくせに、変なところで勘が良い。
「そんなことないぜよ」
「えー、ほんとに?ちょっと冷たくなかった?」
「ピヨッ」
「なんかあったら言ってよー?」
ぱしん、と思いきり背中を叩かれ仁王はふらりとよろめく。
「馬鹿力やの」
「仁王くんが軽いんじゃない?」
「ゴリラかと思ったぜよ」
「あはは!ねぇ、失礼過ぎでしょ。乙女にゴリラはナイわ〜」
「せめてチンパンジーにして」謎の言い分を主張しながら、ゆめこはけらけらとお腹を抱えて笑った。
「で?本当はなんなの?」
「・・・しつこいのう」
笑いながらも追求してくるゆめこに、仁王はやれやれと肩を竦める。まさか毛利といるところを見て絶賛ゆめこに片想い中の自分は傷付いてしまいました、などとは口が裂けても言えないので仁王は適当にゆめこを納得させる話をすることにした。
「ええっ!蓮二と柳生くんが?!それは修羅場だねー、私その場にいなくて良かった」
仁王が選んだのは、クリスマスの部活の時幸村のお見舞いを巡って柳と柳生が口喧嘩をした、という内容のものだった。仁王が仲裁に入ったことでその場はすぐに収まり、二人も仲直りしたのだが、彼女の言う通りあの場にゆめことゆめみがいなくて良かったと思ったのは仁王だけではないはずだ。
喧嘩が始まった経緯や二人の言い分など、一通り話を聞いたゆめこは「へー」「ほー」「まじか」「こわ」などと終始アホみたいな相槌を打っていたが、最終的に
「みんな幸村くんのことが好きなんだよね」
と結論付けていて、仁王はまぁその通りだな。と思った。
「仁王くんもよく幸村くんの病室でサボってるもんね」
「なんのことかな?」
以前ゆめこがゆめみと幸村のお見舞いに行った際。
「そうだ、ゆめのさん。これ仁王の忘れ物、渡しておいてくれないかな?」
と、幸村に"詐欺師の楽園"というタイトルの本を渡されたのだ。お見舞いに来てまで読書してんの?と、ゆめこが首を傾げるとそんな彼女の疑問に気付いたのか、
「あまりサボらないように、ゆめのさんから仁王に言っておいてくれるかい?」
幸村はにっこりと笑ってそう言った。
仁王の気持ちにほんのり気付いている幸村なりの気遣いだった。本気で本を渡すつもりなら、次に本人が来た時に渡すか、同じクラスのジャッカルに頼めばいいものを、幸村はあえてゆめこに託したのだ。
好きな子から渡された方が嬉しいだろう、彼はそんなことを考えていた。
ゆめこから本を受け取った仁王はそんな幸村の気遣いに少しむず痒さを覚えたが、素直に感謝しておくことにした。
「サボるのはやめたまえ」柳生の真似をしてエアー眼鏡をくいっとやったゆめこは全然似てなくてなかなかに面白かった。
そんな話をしている内に神社に到着し、二人は参拝の列に並んだ。去年と同じくらいの混雑状況だったので、そこまで待つこともないだろう。
「そういえば去年ブン太くんとジャッカルくんに会ったよね?今年も来てるかな?」
ゆめこはそう言って辺りをきょろきょろと見回した。ざっくり見た感じでは見当たらず、「ま、いいか」と彼女は早々に諦めた。その時列が大きく進んで、仁王は「行くぜよ」とゆめこの腕をぐいと引いた。
「懐かしいね」
腕を引かれて進んだゆめこはニヤニヤしながら口を開いた。
「何がじゃ?」
「覚えてない?去年ここで仁王くんとラブラブ恋人ごっこしたじゃん」
「あー、そんなアホなことしとったのう」
「先に仕掛けてきたのは仁王くんだよ?急に肩抱いて"ゆめこ"なんて言うんだもん」
からかわれた時のことを思い出して「ほんっと意地悪だよねー」なんてゆめこは言ったが表情は楽しそうだった。
そんなゆめこにつられるように仁王も自然と笑顔になる。
「また呼んでやろうかの?"ゆめこ"」
「あはは、じゃあ私も仕返ししちゃうよ"雅治〜"って」
仁王の胸元を人差し指でちょんちょんとつつきながらふざけるゆめこ。仁王は「やめんしゃい」とその指をつかまえた。
「離してー」
「嫌なり」
「また力入れるでしょ?痛いの反対ー!」
「どうかな?」
以前人差し指を掴まれて握られたことを思い出し、ゆめこはいやいやと首を横に振る。
「離して欲しかったらもう一度呼んでみんしゃい」
「え?」
「名前」
「雅治って?」
「そう」
改めてお願いされると恥ずかしいな。ゆめこはそんなことを考えながらゴホンと咳払いをして「あーあー」とオペラ歌手のごとく発生練習をして気合いを入れた。
仁王は思わずプッと噴き出しそうになる。
「雅治」
「なんじゃ?ゆめこ」
「・・・」
なんだろう、これ。
自分の心臓がドクドクと鳴っているような気がして、ゆめこは思わず黙りこくった。
にやりと笑った唇が綺麗に弧を描いていて、そのすぐ下にあるほくろに妙に色気を感じる。鋭いのに優しい瞳には自分だけが映っていて、ゆめこはごくりと唾を飲んだ。
急に黙ってしまったゆめこに、仁王はパッと手を離して小首を傾げる。
「どうした?ゆめこ」
それは自然に口から溢れ出た台詞だった。
言ってしまった後で、ついうっかり名前で呼んでしまったな、と仁王は思ったが、もじもじとしたゆめこが「なんでもないよ、雅治」と返事をしたことで、彼は「え」と素っ頓狂な声を出した。
ゆめこは「うん、そうだね。いいかもしれない」とぶつぶつ独り言を漏らし、自分に何か言い聞かせているようだった。
「雅治。うん、いいね、慣れてきた」
どうやら名前呼びが定着したらしい。
仁王は目を丸くしてそんなゆめこを見ていたが、次第に笑いが込み上げてきた。
「ほら、進んだぜよゆめこ」
そう声を掛けると、ゆめこは「はーい」と笑顔を咲かせて返事をした。
それから参拝を終えた二人が神社を出るべく出口に向かっていると、
「あ」
ばったりという言葉にふさわしく突如視界に入ってきた人物達に、ゆめこは間の抜けた声を出した。
向こうも同じように「あ」とゆめこ達を指差して目を丸くしている。
「やっぱり来てた!ブン太くん、ジャッカルくん明けましておめでとう」
「ビビった〜、あけおめ!え、てか。今年も二人で来たのかよい」
偶然会ったのは丸井とジャッカルだった。去年も今くらいの時間帯に来ていたので、今年も会うかもしれない。そんな予感が的中してゆめこはぱっと明るい表情になったが、すぐに丸井に仁王と一緒にいることをツッコまれてゆめこは「う」と首をすくめた。
ゆめこは「あのー、えっと」と目線を泳がせた後、
「偶然そこで会ったの」
と言った。
「いや、別に俺らには嘘つく必要ねーだろ」
しかしジャッカルに呆れたように言われ、ゆめこは「確かに」と真顔になった。
「なんだよー、だったら誘えば良かったぜ」
仁王と来ているなら自分にもチャンスはあったはず。
今年はてっきり毛利と初詣をするものだと思い込んでいた丸井は不貞腐れたように唇を突き出した。
クリスマスも一緒に過ごすと言っていたし、誘うだけ無駄だと丸井は最初から諦めていたのだ。
ジャッカルはまさか喧嘩でもしたのか?と、心配になり「毛利先輩はどうしたんだよ」とゆめこに問いかけた。
「昨日から会ってたよ、朝にバイバイした」
「朝?!」
「え、ブン太くん、何その反応」
「いやいや、朝って朝だろい?」
「うん、そうだよ。昨夜江ノ島のカウントダウンイベント行って、初詣で行って、終電も無いし朝まで一緒にいたの」
毛利とのデートの流れを説明すると、3人は途端に沈黙して顔を見合わせた。
ゆめこが毛利先輩と朝帰り。衝撃的過ぎる展開だ。
丸井は「まじかよい」と明らかにショックを受け、仁王は口元に手を当て何か考え込んでいる。
急にしんとなってしまったので、ゆめこは「なに?どしたの?」ときょとんとして問いかけた。3人のなんとも言えない視線が居た堪れない。
「まぁ二人は付き合ってるし、いずれこの日が来るとは思ってたけど・・・それにしても早くねぇ?」
「なにが?」
「あー、俺らのゆめこちゃんが汚れてしまったきに」
「いや、だから、なにが?」
「ゆめの、お前以外と・・・進んでるんだな」
「おーい、説明してくれー」
ゆめこのことは無視で急に井戸端会議を始める3人に、ゆめこは挙手して声を上げた。
しかし更に無視して話を進める3人の口から「5ヶ月は早過ぎる」だの「毛利先輩は意外と手が早い」だの下世話な話が聞こえてきてゆめこは全てを察した。
種ヶ島にも同じような勘違いをされたゆめこは、どうしてこうも男の子は朝帰りというだけでえっちな想像をするのだろう、とドン引きした顔をした。
「あの、盛り上がってるところ申し訳ないんですけど、ご想像するようなことは一切してませんからね」
ゆめこがぴしゃりとそう言うと、3人は「え?」と目を丸くして振り返った。
「初詣の後はファミレスで喋ってただけ」
「え、あ、そうなの?俺はてっきり・・・」
そう言いかけた丸井にゆめこは「てっきりなに?」とにっこりと笑って問いかけた。その有無を言わさぬ態度に、丸井は「な、なんでもない」と力なく答えた。
「まったく、丸井は早とちりやのう」
「雅治くんも人のこと言えないでしょ?」
「プピーナ」
すかさずゆめこがツッコむと仁王は気まずそうに視線を逸らした。
しかしそんな二人のやり取りを聞いていた丸井は「ちょっと待った」と割って入った。
ゆめこは今度はなに?と言わんばかりの表情で振り返る。
「今雅治って言った?」
「あっ、うん。さっきね、成り行きでそう呼ぶことにしたの」
結局呼び捨てにするのは何故か気恥ずかしく、"くん"付けにとどまったゆめこであったが、丸井にとってはそれでも十分違和感であった。
入学当初からずっと彼女の口から「仁王くん」という呼び名を聞き続けてきたし、テニス部にも学校にも仁王を下の名前で呼んでいる人物は見当たらない。
その事実がより一層「雅治」という呼び方を際立てていた。
「仁王、お前・・・、さては毛利先輩にケンカ売ってるだろい?」
「なんのことか、さっぱりじゃ」
ニヤリと笑う仁王に、丸井は内心「こわ」と思った。
丸井自身もゆめことはお互い名前で呼び合う仲だが、それは毛利と出会う前からのことなのであまり問題とは捉えられないだろう。
しかし彼女が「雅治くん」なんて呼んでるところをあの嫉妬深い先輩が聞いたらどう思うか。
ニブチンなゆめこはともかく仁王が気付かない訳が無い。丸井は「お前なぁ」と呆れたように肩を竦めた。
「ゆめこも言ってたじゃろ?ただの成り行きぜよ」
実際仁王もまさか名前呼びが定着するとは思ってなかったので嘘ではない。
しかしちゃっかり仁王も「ゆめこ」と呼んでいて、丸井は納得のいかない顔をした。
「お前あれ見ただろい?」
ゆめこがジャッカルと話始めたのを確認して、丸井はこそこそと仁王に耳打ちする。
ゆめこの方に視線を向けたまま、自分の左薬指をトントンと指差すジェスチャーをする丸井に、仁王はすぐに指輪のことだと気が付いた。
クリスマスイヴに会った時は嵌めていなかったので、おそらくクリスマスプレゼントでもらったのだろう。と丸井は推測していた。
「ゆめこは俺のもの」ゆめこの左薬指でキラリと光る指輪からは、毛利のそんなアピールが感じられた。
「あれぜってー俺らに釘刺してるよな」
丸井は指輪を見つめたまま苦い顔をした。
そんな丸井につられて仁王もじっとゆめこに視線を向けていたが、「ねぇねぇ!」とゆめこが急に振り返り、二人はビクッと大きく肩を揺らした。
「ブン太君たちの参拝が終わったらさ、みんなで何か食べていかない?」
ゆめこは奥の方にずらりと並んでいる屋台を指差してそう言った。その笑顔はキラキラと輝いている。
「ジャッカルくん、どんどん焼き知らないんだって」
「なんじゃそれ」
「えー、仁王くんも知らないの?あの箸にくるくるってなってるやつ、美味しいよ。みんなで食べよ」
ゆめこがそう提案すると丸井は「楽しみだろい」と途端に笑顔になった。仁王は丸井のそんな単純な性格が少しだけ羨ましかった。
自分はあの指輪を見た時あんなにダメージを受けたというのに。
仁王は「はぁ」と盛大なため息を吐き捨てると、「ゆめみ達も呼んじゃう?」なんてわいわい話を進める3人の後ろに続いた。
(220710/由氣)→148
柳と柳生のケンカが気になる方は夢主2サイド143話参照。