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(日本人の察する力は本当にすごいな/徳川•幸村)

ゆめみは途方に暮れていた。

「サスティナブルの社会実現に向けて、俺達が取り組めることってさ」
「SDGsを達成するために、企業に働きかける活動を」

隣で念仏のように意識の高い系の話をする高校生男子2名に挟まれて、ゆめみは不自然にならない程度に相打ちをうっていた。
あぁ、早く解放されて欲しい、と願いながら。

どうしてこんな状況になっているかといえば、始まりは前日の1月3日に遡る。
1日休みの取れた両親と、都内の父方の祖父の家で新年の宴会をしていた時だった。従兄弟達ともらったお年玉の額をこっそり教えあったりしている時に、突然父親のスマホが鳴り出したのだ。

「突然だけど、今日泊まっていこうかな」と言い出した父親。話を聞くと、明日六本木に行かないと行けなくなってしまったらしい。確かに神奈川の自宅に戻るより、目黒区のここから行った方がずっと近いだろう。

最初は「分かったわ、じゃあ私はゆめみと先に帰ってるからね」と言ってくれた母親であったが、その内容を聞いたらコロリと「ゆめみも連れて行ってくれる?」と意見を変えたのだ。

その内容というのが、『ピンクリボンウォーキング』というガンの検診を促す活動に参加することだった。目立つピンク色のものを身につけて長距離を歩くことで人々の意識を変えることを目的としたボランティア活動である。
ゆめみの母親は教育熱心で、情操教育とかが大好きなのだ。ボランティア活動は子供の心の発達にいいと考えたのだろう。
東京医師会からの要請で総合病院に声がかかり、本当は外科の先生が参加予定だったらしいのだが、急なオペが入り、父親に話が来たらしい。

当然ゆめみは抗議した。
せっかくの正月休みに寒い中歩きたくは無い。
「明日はゆめこと約束が」と言えば「ゆめこちゃんはご親戚が来る予定でしょう」と言われ、「蓮二と約束が」と言えば「テニス部は1日練習でしょう」と返され、完全にゆめみの友人関係の予定を把握している母親には勝てず、最終的にはゆめみもこのボランティアに参加することになったのだった。

そうして、翌日の1月4日、ゆめみは六本木ヒルズアリーナから霞ヶ関に向けて歩いていた。この後は日本橋で折り返し、虎の門、麻布十番を通って再び六本木ヒルズアリーナへ戻ってくるのだ。14キロ、スマホアプリのマップで調べたら3時間と表示された。
信じられない。
3時間も歩き続けられるものなのだろうかと不安に思ったが、とにかくスタートしてしまったものは仕方がない、土地勘の無いゆめみははぐれたら最後だと思い、父親の側をピッタリくっついていた。
しかし、すぐに父親は同じ医者仲間に会ってしまい、ゆめみの知らない医療の話を始めてしまう。ゆめみは居心地の悪さを感じて、「私自分のペースで歩くね!」と少しずつ距離を取ることにしたのだ。
見える位置を歩けば問題無いし、そもそもたくさんの人が同じピンクのシャカシャカ素材のナイロンパーカーを着て歩いているので、よっぽどのことが無い限りは迷う心配もないだろう。

皆誰かしらとわいわい歩いている中、1人でいるのは寂しい気もしたが、気楽でいいと思うことにした。

そんな時間もつかの間、同じくピンクのパーカーを着た高校生男子に挟まれたのだった。


そうして、物語は冒頭まで戻る。


また左隣のインテリ眼鏡先輩が「ESG投資の活発化が」どーたらこーたらと話し出した。
先ほどから問題提供をしている風に見えて、話すことの悦に浸っているようにも感じていた。
湘南育ちのゆめみは、当然環境問題には興味があり、授業でも取り上げられていたために、一定の理解と意見を持っていた。
しかし、彼らにはそれを議論するつもりが無いのだ。年下であるゆめみが一方的に情報弱者だと決めつけているようにさえ思えて、ゆめみはここでこの2人と議論したいという気持ちになれなかった。

あー、早く解放されたい、何か刺激せずに距離を取るいい方法はないか、とゆめみは考えていた。

と、その時だった。前を歩く集団の中に、1人頭が飛び出た高身長の高校生が目に入った。

もしかして、とゆめみは思った。
確信はなかったが、おそらくゆめみの知っている人であった。

ゆめみはその人をじっと見つめる。
すると、彼は後ろを振り返り、こちらをチラリと見た。その瞬間、推測は確信に変わった。
じっと見つめ続けて、SOSを送る。助けてくれるかも、と期待したが、彼はすぐにまた前を見てしまった。
ゆめみはがっかりした。

六本木の駅前の大通りをひたすら歩き、いつの間にか標識は赤坂へと表示が変わっている。

「アクションプラン2019については」

終わることの無いうんちくに、次の交差点でお腹が痛いふりをしよう!と決めた。
前を見ると、さっきまでずいぶんと先を歩いていた、ゆめみの知り合いの彼がすぐ目の前まで来ていた。

なんなのだろうか?
気づいているのか、気づいていないのか、
天然なのか、確信犯なのか、
期待していいのか、無駄なのか、
ゆめみはモヤモヤした。

これが彼ではなくて、ゆめみの仲のいい柳や幸村なら、絶対絶対絶対すぐに助けてくれるのに、と思ったが、それは傲慢な考えだとすぐに思い直す。
優しい友人たちの影響で、助けられるのが当然のように思ってしまった。
悪いことだ、やっぱり自分のトラブルは自分で解決する努力をしないと、と思った。

しかし、また今度はすぐ前を歩いていた彼が振り返ってゆめみを見る。
ゆめみはなんだか腹が立って、ふん、と顔をそらした。彼がショックを受けたような顔をしたのを目の端で捉えた。

「キミはSDGsの達成に向けた具体的な取り組みアイディアがあるのかな?」

また左隣の高校生からの質問が飛んできた。今こそハライタ攻撃をする時だ!

「彼女は湘南、江ノ島の育ちだよ、君たちより環境問題には深い見解を持っている」

しかし、ゆめみがハライタ攻撃を仕掛ける前に、低く温かみのある声が前から聞こえた。
ついに、ゆめみを助ける気になったらしい。

ゆめみの知り合い、徳川カズヤはスピードを落として、ゆめみの左隣に入り込んできた。

「生徒会長?」
「徳川の知り合いなのか?」

2人は顔を見合わせて、気まずそうに少し徳川と話をした後、スピードを上げて遠ざかって行った。話の内容からして、どうやらインテリ先輩達は徳川と同じ高校の1年生で生徒会のメンバーだったようだ。

あっという間の出来事に、ゆめみは呆気に取られる。そして生徒会長だったんだ、とそちらも驚いた。高校1年生で生徒会長ってあり得るんだ。

2人が完全に遠くに行った後、徳川はゆめみの顔色を伺うように「ゆめみちゃん、久しぶり」と言った。
助けてくれたのに、ゆめみはなんだか素直になれなかった。にこりともせずに「私はすぐにカズヤくんのこと気が付いたのに」とそっぽを向いて言った。

徳川はヘソを曲げている年下の女の子に、困った顔をした。申し訳なそうに弁解をする。

「俺もアリーナで見かけてすぐに気付いたよ」

え、とゆめみは驚いて徳川を見る。すると、徳川の背が高すぎて、横を向いただけでは胸しか見えなくて二度驚いた。
見上げるような形になり、やっと徳川の顔が見えた。
この間はこんなに身長差無かったのに、と不思議に思うが、ゆめみは今自分がスニーカーだからだと気づいた。
ゆめみと徳川の身長差は30センチ以上ある。

その表情は真剣で、本当なんだな、とゆめみは思った。アリーナとは出発地点だ。
ゆめみが徳川に気が付いたのは、さっきなので、その事実だけで言えば分が悪い。 

「うちの生徒会の連中が悪いことをしたね、ゆめみちゃんが迷惑しているのか、楽しんでいるのか、判断に迷ってね」

なるほど、と思った。
確かに遠くからみたら判断出来ないかもしれないな、とゆめみは思った。ゆめみは拒否したわけでも泣いていたわけでも無かったから。
ゆめみが彼らと話すのを楽しんでいるのかもしれない、と様子を見ていたという徳川の説明は納得のいくものだった。
相変わらず良い人だなーと思った。
てもやっぱり気に入らない。

「六本木アリーナで気付いた時にどうして声をかけてくれなかったんですか?」

ゆめみは小さい声で聞いた。
まだ不機嫌そうな態度に、徳川は困惑していた。この小さい女の子の機嫌を直す方法が分からなかったからだ。

「気づいて、ゆめださんには会釈したんだけど、ゆめみちゃんが反応を返してくれなかったから、他人のふりをした方がいいのだろうなと思ってね」

父親も気付いていたらしい。パパもなんで教えてくれなかったのだろう。

「私、その時は気付いて無かっただけです」
「そうだったのか、ゆめみちゃんは思春期だから、男から話しかけられるのは嫌なのかなと思ったんだけど」

ゆめみはついに気付いた。素直になれない理由を。それは。

「子供扱い・・・」

完全に子供だと思われているのが気に入らないのだ。
唇をちょっと突き出して、むーっと自分を見上げるゆめみは子リスみたいだと思った。
徳川はついにははと吹き出した。徳川から見れば、身長も低い、小さい頃を知っているゆめみは可愛い小さな子供にしか見えない。
しかし、それが嫌だと言われてしまえば答えは1つだ。

「してないよ、キミはもう立派なレディーだ」

その言い方も小さな女の子をおだてるようで気に入らなかったが、ゆめみの気持ちは少しマシになった。
ついに霞ヶ関をすぎて、皇居が見えてきたからかもしれない。

お堀に囲まれた皇居は綺麗だし、神聖な感じがして好きだなと思った。

ゆめみの表情が変わったのを見て、徳川はホッとした。

「カズヤくん、助けてくれてありがとう」

ゆめみはついににこっと笑ってお礼を言った。
その頬にはえくぼが見えて、無邪気な本性が現れたように感じた。

「気にすることはない」

徳川が返事を返すと、ゆめみは真っ直ぐ前を向いて皇居を眩しそうに見つめた。その頬は赤みを帯びて、口元は楽しそうだ。

徳川はゆめみのキラキラとした瞳から目が離せないと思った。

先ほどまでは、正直言って前回とのギャップに驚いていた。

11月に会った時には、天真爛漫で、湘南の風のように自由な子だと思ったのに、
今日見かけた時には、まるでこの官僚街を歩く都会の子のように冷静沈着な子に思えた。

ゆめみは初めての道を歩くことで緊張していただけだったのだが、徳川にはまるで別人のように見えていた。
今は徳川という知り合いが隣にいることで、リラックスを取り戻しつつあった。

徳川は、どちらが本当の彼女なのか気になった。前回が無理をしていたのか、どうなのか。
ゆめみはずっと景色を見て楽しそうにしている。何か会話をしないことには知り得ないと思った。
何か話題を、と考えてみるが、徳川はゆめみのことをほとんど何も知らないことに気付いた。

「何か言いたいことは無いのか?」

徳川は話題を見つけることが出来ずについにゆめみにそう聞いた。
ゆめみは一瞬不思議そうな顔をして徳川を見上げたが、「そうですね」と少し考えて言った。

「そのパーカー、似合わないですね」

答えは「そうか」だった。
ボランティア用の目立つことだけを目的としたピンクのナイロンパーカーだ。確かにダサい。しかしゆめみも同じものを着ているのだが、それがダサいとは思わなかった。
何を着ても似合うとはこのことだなと思う。
ゆめみはにこっと笑って「でもピンクで可愛いです」とフォローした。その後また視線は前に戻る。
会話が終わってしまった、と徳川はがっかりした。

「何か聞きたいことは無いのか?」

徳川は今度は質問を変えてみた。
ゆめみは徳川を見上げながら、「んー、そうですね」とまた少し考えて言った。

「生徒会長なんですね」

答えは「そうだ」だ。
ゆめみは「高校1年生で生徒会長ってすごいですね」と微笑んだ。そしてすぐにまた前に広がるビル街を眺める。
皇居を過ぎて、大手町から常盤橋へと続く道を歩いていた。
綺麗なビルがまるでレゴブロックのようにピッタリ並んでいて、美しいと思った。ゆめみは上ばかり見上げて歩いていた。

一方で徳川は落胆していた。また会話が一言で終わってしまったからだった。

「難しいな」

徳川の口から漏れた言葉を、ゆめみはちゃんと聞いていた。

「もしかして、生徒会の人間関係で悩んでいるんですか?」

ゆめみがいきなり顔だけでなく、体ごと徳川へと向けてそう聞いた。
全く心当たりは無かった。徳川にとって生徒会はただの学校運営の仕事で、人間関係など不要とすら思っていたからだ。
しかしゆめみがあまりに真剣な目をしていたために、「悩みというほどではないが」と同意してみた。

ゆめみの目がキラリと光る。

「その可能性について、考えてました。カズヤくんは外国育ちだから、日本人の特性に疎いのかもって。フランス語のレアル先生が書いた日本に来た留学生向けの指南書があるのですが、それがもしかしたら参考になるかも」

ゆめみは一生懸命に日本人の特性について説明をする。

「その指南書には『日本人と時間を共有することを大切にしなさい』という項目があって、私は日本育ちだから特に気にしたことは無かったけど、言われてみれば納得だなって思いました。
多くの時間を共有した人に親しみを感じる民族なのかも。レアル先生は授業が終わった後、チャイムと共に教室を出るのではなく、生徒が半分くらいいなくなってから帰りなさいと教えてました」

勘違いから始まった会話であったが、ゆめみの話す内容は徳川も興味深いと思った。

「つまり、教室に残って、メンバーと議論する時間を作るということだな」
「ノンノン、議論しちゃダメです」
「そうなのか?」
「いるだけでいいんですよ、授業が終わっても一緒に少しの時間を共有するだけで少し仲良くなれるんです」

「変わっているな」と徳川は答えた。
休憩時間は自分の好きなことに時間を使いたい派だったからだ。
しかし、徳川も中身が完全な外国人という訳ではない。海外育ちとは言え、日本人学校に通っていたからだ。ゆめみの言うことにも納得出来た。

「日本には言わなくても分かってほしいという人が多いよな」
「仲良くなると、実際言わなくても分かる超能力が使えるようになりますよ」
「すごいな」
「私の幼馴染なんか言わなくても分かってくれるし、言う言葉さえ予知することが出来るんですよ」
「日本人の察する力は本当にすごいな」

ゆめみは柳とゆめこを思い出しながらドヤ顔でそう言った。徳川は素直に感心した。
ゆめみは嬉しくなってふふっと笑った。
徳川は少し困った顔で「俺にはそれは難易度が高い」と言った。

「ゆめみちゃん、俺にはハッキリストレートになんでも言ってほしい、助けて欲しい時は名前を呼んで助けてと言って欲しい」

さっきのこと、まだ気にしてくれていたんだな、とゆめみは思った。そして、確かにすぐに助けてくれなかったことで徳川に八当たりしたのはよく無かったなと反省した。

「ごめんなさい、これからはちゃんと言いますね」

ゆめみは素直に謝った。

「さっきは助けて欲しかったです、あの人達が嫌でした、だからカズヤくんが来てくれて嬉しかったです」

ゆめみの謝罪の言葉に、徳川は「いや、謝らなくていい、責めるつもりは全く無かった」と慌てる。
ゆめみが不思議そうにしていると、徳川は言葉を選ぶように説明する。

「やっぱりゆめみちゃんはそのままでいいよ、俺がもう少しキミのSOSに気付けるようになればいいだけだったな」
「あれ?なんかさっきの話と違う様な」
「俺が悪かった、だから謝らないでくれ」

徳川は困ったように眉間に手を当てながらそう言った。ゆめみに謝られることが、耐えられないと感じたのだ。
それはもともとゆめみが徳川の恩人であることに起因している、と徳川は理解した。

「私のこと、甘やかし過ぎですよ」

ゆめみはふふと穏やかに笑った。
そして少し考えた後に、「でもお願いがあったら言ってもいいのよね?」と上目遣いで確認する。
徳川は少しドキッとした。

「俺が叶えられる願いであればな」
「ふふ、あの建物の名前を知っていたら教えてほしいです」

徳川は「お安い御用だ」と言って、日本銀行、COREDO室町、日本橋三越、と教えてくれた。

洗練されたされた街を背の高い徳川と歩くのはまるで本当に大人のレディーになったみたい、とゆめみは思った。

その後も徳川が海外で感じた日本人の特性の話をしてくれて、ものすごく興味深く感じた。
2つ年上の徳川は紳士的で博識で、自然と尊敬できた。


と、その時立て続けにスマホがバイブした。
ゆめみはボランティア中なのに、と思いつつも、スマホを開いた。

一瞬にして、その顔が曇った。

「大丈夫かい?」

何かがあったのは明確である。
ゆめみはにこりと笑った。その笑顔は先程までの天真爛漫な笑顔では無かった。

「ごめんなさい、急用ができてしまったのでここで失礼します」

丁寧にお辞儀をして、顔を上げたその姿は他人行儀であった。
おそらく理由を聞かれたく無いのだろうな、と察する。
しかし、家まで送ろうか?と徳川が提案すると、ゆめみはなぜか泣きそうになった。
ふるふると顔を横に振って「カズヤくんは私の分まで頑張ってほしいです」と言った。
きっと心細いのだろう。
先程はその気持ちを押し込めて微笑んだのだろうか。
そんな風に思ったら放っておけなくて、徳川は新橋駅まで見送ることにした。

「また会おう」

徳川はそう言った。ゆめみは社交辞令だと受け取ったのか、またにこりと笑って「また会えるのを楽しみにしていますね」と言った。

別れた後で、徳川は六本木アリーナまでの道のりをずっとゆめみのことを考えていた。

少しは仲良くなったと思ったのに、最後はどうしてあんなに他人行儀だったのだろう、と。そこまで考えて、まだ連絡先を交換していないことに気が付いた。
それは社交辞令だと受け取られても仕方がない。

結局お互いに言いたいことが言えないままだな、と徳川は思った。
でもきっとまたすぐに会える、徳川はそう『予感』していた。



ゆめみは江ノ電のホームを滑るように駆け下りて、少しだけ坂道になっている道を走った。
ゆめみの進む方向には、幸村の入院する病院があった。

先ほどの連絡は、幸村の妹の菜苗ちゃんと母親からの2人からそれぞれ届いていた。
どちらの内容も同じで、幸村が高熱を出したというものだった。

このタイミングでの体調の悪化、それは病院外への外出の失敗を意味する。

1月2日に幸村は入院してから初めての外出を許され、真田の家を訪れていた。
皆で書初めをして楽しい時間を過ごしたが、やはり幸村の体には負担だったのかも知れない。
ゆめみはもっと自分が注意してあげられたら良かったなと思った。
それから幸村の主治医は決して悪い人では無いのだが、少し無神経なところがあるのでそれでまた幸村が傷付かないか心配だった。
とにかく早く幸村のそばに行きたくて、ゆめみは早歩きで病院へと入って行き、顔パスで病棟行きのエレベーターに飛び乗り、7階で降りる。

病室へと歩いて行くと、菜苗と幸村の母親の百合子が部屋から出てきた。百合子は息を切らしているゆめみを見て、申し訳無さそうな顔をした。菜苗は無言でぎゅっとゆめみに抱き着いた。

「ゆめみちゃん、お正月にごめんなさいね、菜苗から連絡したと聞いて」
「いえ、精市くんの具合はどうですか?」
「1時間くらい前までは苦しんでいたけど、今は薬が効いて寝ているわ」

ゆめみは少しだけほっとした。

「それは良かったです、寝ているならそっとしておいた方が良いですね」

ゆめみは幸村の目が覚めるまで、カフェテリアにでも行こうかなと思った。
しかし百合子に「せっかく来たんだから寝顔でも見てあげて」と言われる。百合子、菜苗、父親の3人は朝から病院に来ていたらしく、一度帰宅しようとしていたらしい。ちなみに父親は車を回すために先に下に降りたようだ。

「本当は精市に熱が出たことをゆめみちゃんに言わないでくれって言われてたの、ななちゃ
んが連絡しちゃったんだけど」
「そうだったんですね」

「お兄ちゃんが苦しそうだったから」と言った菜苗に、本気で天使だとゆめみは思う。
ゆめみは一方で本当に病室に入って大丈夫かと不安になった。百合子は優しくにこりと笑った。

「次の外出を申請しているのが、1月18日で、ゆめみちゃんと行きたいところがあったみたい、それでゆめみちゃんに外出の後体調が悪くなったことが知れたら一緒に行ってくれないかもと心配していたわ」
「そんな、私は反対しませんよ」
「ゆめみちゃんならそう言ってくれると思っていたわ、私はね、体調崩しても外出すべきだと思ってるのよ」

百合子の極端な意見にゆめみは少し驚いた。少し過保護な印象があったからだった。

「1月2日に外出した後のあの子の嬉しそうな顔を見たら、多少リスクがあっても、やらせてあげたいって思ったの、まだ13歳だものね、友達と遊んだり、青春するチャンスを与えてあげたいってそう思ったの」

百合子の言葉に、ゆめみのあの日の後悔が小さくなった。あの日はしゃぐ幸村を止める必要は無かったのかも知れない、むしろ一緒になってもっと楽しめば良かったのかもしれない。それでもやっぱり幸村が体調を崩すのは嫌なので、加減が難しいなと思う。

「ななちゃん、パパが待ってるから行きましょう、ゆめみちゃんいつもありがとう、精市をよろしくね」
「ゆめみちゃん、またね!」

ゆめみは会釈をして、百合子と菜苗を見送った。
スススと音を最大限出さないように、病室の中へと入る。靴の音が気になって、病室の入り口でゆめみはスリッパに履き替えた。

病室の奥に入ると、幸村は百合子の話通り眠っていた。
まだ熱は完全には下がっていないようで、肌の赤みと額の汗が体の不調を教えてくれているようだった。

ゆめみは幸村を起こさないように、バックを窓際のソファーの上に置いた後、ベッド脇の椅子に座ろうとした。
すると、ぐいっと引っ張られて、ゆめみは幸村のベッドに倒れ込んだ。スリッパが脱げて、ゆめみの体は幸村のベッドに乗っかる形になる。
その隣には寝ていたはずの幸村がゆめみを見ていた。

「ゆめみ、来ちゃったんだ」

幸村の顔がすごく近い。
その瞳は熱で潤んでいた。
ゆめみは吐息がくすぐったくてふふと笑う。

「来ちゃったよ、精市、辛かったね」

優しく髪を撫でると、幸村は気持ちよさそうに目を瞑った。

「ゆめみの手、冷たくて気持ちいい」

幸村は目を閉じて、その感覚を堪能する。
されるがままになっていたが、少しすると、目を開けて、今度はゆめみの髪を撫でた。
その目はトロンとしていて、熱で少し意識も曖昧なのかもしれない、と思った。

「温めてあげようか」

そう言ったものの、やっぱり腕を上げるのも辛ったようで、その腕はすぐに下された。ゆめみは幸村に抱きしめられる形になる。
ものすごく大胆だ。もしこの場を他人が見たら、勘違いしてしまうだろうと思った。
ベッドの上で抱きしめされたゆめみは、抜け出そうとしたが、抜けようとすると、幸村は逃げられないように更にぎゅっとゆめみを抱きしめる。

「行かないでゆめみ、少しだけこのままでいてくれないかい」

柔らかなゆめみを抱きしめると、今まで感じていた頭痛からも、息苦しさからも解放される気がした。

ゆめみはドクドクといういつもより早い幸村の心臓の音と、乱れる呼吸音を聞いていた。こんな状態は普通じゃないなと思いつつ、体調の悪さはよくわかるので、ゆめみは強く抵抗出来なかった。

顔を少し上げると、幸村の顔がすぐ近くにある。キスしてしまいそうな距離だ。
その整った顔に、ゆめみはこれが私じゃなかったら勘違いしてキスしちゃうよと恥ずかしく思う。

「怒ってる?」

間違いが起こらないように、唇をキュッと閉じたゆめみに、幸村は不安そうにそう言った。
その言葉が、1月2日に無理をして体調を崩したことを怒っているのか、と聞いているのだなとゆめみは受け取った。

「怒ってないよ、ただ心配しただけ」

ゆめみの言葉に、幸村は小さく笑った。嬉しさと安心感が胸にほっと広がる。

「それならデートのお誘いをしてもいいかな?」
「うん」
「再来週の土曜日なんだけど」

途中で話すのが辛くなったのか、幸村は言葉を止めた。ゆめみは無理をして話さなくていいと思ったが、幸村が話したそうにしているのを感じて、続きを待った。

「江ノ島に行きたい」

江ノ島。青い海に囲まれた美しい島。

「行こうね、きっと江ノ島は湘南の守り神様だから、良くしてくれるわ」

江ノ島信仰とも取れる発言であったが、湘南で生まれ育った幸村にも、同様の感覚があった。
江ノ島には神様がいて、俺たちを見守っていていれる、なぜか根拠も無くそう思っているのだ。

「精市のお目当てはチューリップでしょう?私もみたいと思ってたの」

言い当てられて幸村はやっぱりゆめみは最高だと思った。江ノ島の1月はウィンターチューリップの開花時期だ。2万本以上の色とりどりのチューリップが一斉に開花する。
小さい頃に初めて見た時は感動した。
ゆめみと一緒に見れたらどんなに良いだろうか。

「楽しみだ」

嬉しそうな幸村に、精市は本当に花か好きなんだなと思った。どこまでも鈍感なゆめみである。

「そのためにも早く元気にならないとね、今はもう少しおやすみ」

「せっかくゆめみが来てくれているのに」
「起きるまでいてあげるから」
「約束したよ」

ゆめみが優しく前髪を撫でると、幸村は観念したように目を閉じた。やはり相当辛かったのだろう、すぐに夢の国へと旅立った。

幸村が熟睡するのを待って、ゆめみは幸村を起こさないように抜け出そうと試みた。しかし、力が強くて抜け出せない。
どうしたものか、と思っていると、ふと病室のドアが開いて、見慣れた顔の2人が驚いた様子でこちらを見ていた。

部活帰りの丸井ブン太とジャッカル桑原だった。
2人は見てはいけないものをみたとばかりにドアを閉めようとしており、ゆめみは全力で腕を振って助けを求めた。
そうこうして、ゆめみはようやく自由を手に入れたのだった。ウォーキングボランティア帰りでズボンを着ていて本当に良かったと思う。
2人には幸村が体調を崩したが少し良くなったことを伝えた。

寝ている幸村を気遣って、3人はひとまずカフェテリアに移動した。ゆめみはカフェモカを飲みながら丸井とジャッカルにお礼を言う。

「2人とも命の恩人だわ、あのままだったら窒息死してたかも」

機嫌の良いゆめみに対して、丸井とジャッカルは気まずそうだ。

「どういう状況だったらあんな体勢になるんだ?」

ジャッカルの問いに「精市に熱があったから、外から来た私が冷たくて気持ちよかったんだって」と普通に回答するゆめみ。

思わずジャッカルの口からは「は?」と言う言葉が漏れる。
不可解な顔のジャッカルにゆめみは「人間版アイスノン的な?」と説明するが、全く納得出来なかった。
しかしゆめみは服が乱れていた訳では無いし、本人もケロリとしている。特別何かがあったわけではないんだろうなと判断した。
平和を愛するジャッカルは、幸村の恋も柳の恋も進展しないで欲しいと思っていた。このまま友達として、ずっと仲良く出来ればいいと願っているのだった。

「ま、俺たちで良かったか、柳と真田じゃなくて」

2人が顧問の先生との電話での打ち合わせの後お見舞いにくることを知っていたため、ジャッカルはそう言った。特に柳があのシーンを目撃していたらトラウマになったかも知らないと思った。ゆめみは「弦一郎は声が大きいものね」と全く理解していない。

「なぁ、いい加減気付いてもいいんじゃね?」

と、その時丸井が一石を投じる。
丸井は幸村ともう付き合っちゃえばいいのに、と焦ったく思っているのだ。
そのギリギリの発言に、ジャッカルが「ブン太」と注意をした。せっかく平和的に終わりに出来そうだったのに。
でも天然のゆめだのことだ、どうせ気づかないだろうとジャッカルは思ったが、ゆめみは意外な回答をする。

「丸井くんも、精市が私のこと好きだって思ってるの?」

ゆめみのまっすぐな質問に、丸井は少したじろいだ。ここでイエスと言ってしまえば、一昨日の幸村の『ゆめみには言わないでほしい』という願いを無視することになる。

「ほら、本気で思ってる訳じゃないでしょ、精市の性格知ってるものね」

返事が出来なかった丸井に、ゆめみは答えはノーだと思ったようだ。

『幸村くんってゆめみちゃんのこと、好きなんじゃない?』

1年生の時から幸村と仲の良かったゆめみは、そんな質問は何度も聞いた。でもその度に思っていた、もしそうだったのなら。

「精市が私を好きだったら、1番に私に教えてくれると思うんだ」

それがゆめみが、幸村が自分を好きなわけじゃないと確信している理由だった。
まっすぐで、悪口が嫌いな、漢気のある性格をしている彼が、好きな子が出来たら告白しない訳が無い。
それが例え自分だとしても。
ゆめみにはそんな自信があった。

『それは柳もお前のことが好きだからだよ』

と丸井もジャッカルも喉まで出かかったが、流石にそれを口には出さなかった。

「それ以前に、私ってほんとにモテないの」

ゆめみはかなり深刻なトーンでそう言った。
丸井がそれに答える。

「マジで言ってんのか?」
「え、こんな嘘つくと思う?私ってば自慢じゃないけど、生まれてこのかた1回も告白されたことないの」
「いやお前それはさぁ」

『柳が裏で阻止してるんだろう』

と丸井とジャッカルは喉まで出かかったが、またドリンクと一緒に飲み込んだ。
ゆめみは何度か不二に告白されているが、全てノーカウントにされていた。

「モテモテの丸井くんとジャッカルくんには分かりませんよー」

ゆめみは盛大にため息を吐いた。

「私、結婚出来なかったらどうしよう」

どんだけ深く悩んでんだよ!と突っ込みたくなるジャッカルであったが、その前にゆめみの上に影がかかる。

「その時は俺が引き取ってやろう」

今到着したばかりの柳である。
一緒に来た真田は食べ物を注文しているようだ。
以前の柳ならこんなことは言えなかったが、彼も日々成長していた。
てっきりゆめみは喜ぶかと思ったが、そうでは無かった。ゆめみは不満そうに横目で柳を見ていた。

「そんなこと言って、蓮二絶対裏切るもん」

同じクラスのゆめみは、柳がモテることも、実は結構告白されていることも知っていた。
続けて「女の子からも年賀状届いてたし」と言う。その嫉妬しているような態度に、柳はキュンとくる。
ちなみにゆめみの言う女の子は俳句の会で知り合ったご婦人で今年91歳になった。

「でも私にはゆめこがいるから毎日楽しいもん」

ゆめみはふふんと満足気にそう言った。

「明日もゆめことカラオケ行くんだー、楽しみ」
「へぇ、どこのカラオケに何時集合だろい?」

急に前のめりになった丸井に、ゆめみは「さては乗り込んでくる気でしょ?」と身構える。
しかし、丸井の方が一枚上手であった。
某カラオケチェーン店で使えるパフェ無料券をちらつかせる。
最近のカラオケで出すスイーツはなかなか美味しいので、ゆめみは気に入っていた。

「江ノ電藤沢駅、10時ね!」

ゆめみは簡単に買収された。

「ジャッカルも暇だろぃ」
「蓮二も行こうよ」

丸井とゆめみがジャッカルと柳に声をかける。
明日は第1日曜日なので、テニス部はオフである。2人とも特に予定は無かったようで頷いた。

「ほうカラオケとは風流だな!ミラーボールはあるんだろうな!」

ステーキをお盆に乗せた真田が帰ってきた。
どうやら真田も行く気のようだ。
ゆめみは楽しそうに「あるよー、コスプレもあるよー」と笑った。
結局いつものメンバー全員に声をかけて、全員集まった。





(220720/小牧)→153

毎日会うのが当たり前の関係。




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